第4話「テメェか、ウンコを女の子に変身させやがったのは」
勇んでトイレのドアを開け放つと、そこには案の定、見知らぬ女が便器に座っていて、こちらにニコニコと笑顔を振りまいていた。
すんごい美人だ。
透き通った海のような蒼い髪。
サファイヤのように煌く瞳。
ゆったりとした白いキトン、神々しい花冠。
ギリシャ神話に登場する女神様のイメージを具現化したような美の化身が、我が家の便器に座って俺を見上げている。
「あら。はじめまして、かしら?」
「テメェが雲子の言ってた、『トイレの神様』か?」
「ええ、そうよ」
トイレの女神は自分が神であることを隠す気もないようで、うふふと笑って俺の言葉を肯定した。
「どう? 雲子ちゃんは? あの子、とっても可愛らしいでしょう?」
「テメェ……ッ!!」
どうやらこの女神には、俺がなんでコイツに会いにトイレまでやってきたのか、お見通しらしい。甥っ子の彼女についてしつこく聞いてくる親戚のウザイおばちゃんみたいな顔で、俺に話しかけてくる。
「わたし、これでもあなたには感謝しているのよ? 毎日かかさずトイレ掃除をするなんてなかなか出来ることではないわ。それも、若い男の1人暮らしで、だなんて。トイレの神様として、あなたのことは尊敬しているの」
「ほう……? 俺に感謝している、と……?」
「ええ。だからこそ、雲子ちゃんをあなたの元に送り込んだんじゃない。二十歳になっても彼女の1人も出来ず、独り寂しく自室でパソコンとにらめっこしているあなたを憐れんで――」
「オーケー。どうやらお前は、俺のことが嫌いらしいな」
俺が右手を振り上げると、余裕綽々だった駄女神の顔色が変わる。
「ちょっとちょっと!! その右手に持っているトンカチは何!? あなた、いったい何をするつもりなのよ!?」
「無論、便器を叩き壊す」
「あなたの家の便器よ!? これから先のトイレはどうするつもり!?」
「騒がしくて目障りな便器女神が黙ってくれるなら、トイレくらいいくらでも我慢してやるよ」
トイレは近くのコンビニに通えば問題ない。
今は、一刻も早くこの害悪女神を駆除して平和平穏な生活を取り戻すことが最優先。
「わかった!! わかったわよ!! わたしが悪うございました!! おふざけが過ぎました!! だから、便器を壊すのだけは勘弁して~!!」
俺がトンカチを振り下ろそうとすると、ついに折れた女神が足元に縋りついてきた。もはや女神の威厳ゼロである。
……あ!! おい、こら!! ズボンを掴むな、顔を寄せるな!! 鼻水がズボンについちゃうだろ!!
***
「自己紹介がまだだったわね。わたしの名前は『トイレティア・ペーパルタ・シーシー・フラワーウォシュレット』。トイレに宿る、正真正銘の女神様よ」
そう言って、女神が偉そうに胸を張る。
ここは俺の部屋。
ちゃぶ台を囲んで、俺、女神、雲子の三人が円になって座っている。
便器を壊そうとしていたところに雲子が乱入してこなければ、あのまま女神ごと亡き者にしていたのだが。残念ながらその機会は流れてしまい、雲子の提案でこうして顔を合わせて再度話し合うことになった。
「ちょっと? ちゃんと聞いてる?」
「聞いてる聞いてる」
女神の名前がどうこうって話だろ?
えーと確か名前が……といれ、なんだっけ?
よく聞いてなかったけど、たかがトイレの分際で御大層な名前だった気がする。
「長くて覚えられないようなら、特別に『レティア』と愛称で呼ぶことを許すわ」
うるせー、何がレティアだ。
いっちょ前に可愛い愛称を用意しやがって。
意地でも『レティア』なんて呼んでやらねー。
「お前なんて『便器』で十分だ」
「まぁヒドイ! 女性を便器呼ばわりだなんて!」
だって実際、便器じゃん。お前。
「……」
「……」
無言でにらみ合う俺と女神。
「ご主人様~!! 女神さま~!! ケンカはダメですよぅ!!」
俺と女神の間に割って入った雲子が涙目で訴える。
「だいたい、なんでお2人はこんなに仲が悪いんですか~!!」
「なんでって……この女が余計なことしなけりゃ、俺の平穏な生活が乱されることはなかったんだ!!」
「せっかく女神であるこのわたしが気を遣ってあげたっていうのに、この男、感謝のひとつもないのよ!! 絶対おかしいわ!!」
「あ‘‘?」
「なによ!?」
この女(あま)……なーにが『気を遣ってあげた』だ!! そういうのを余計なお世話って言うんだよ!! いくら俺が童貞だからって、ウンコと結婚なんてありえないっつーの!!
「ふざけたこと抜かしてると便器の中に頭ツッコむぞ、コラ!!」
「残念でした!! ノーダメージ!! なぜならわたしはトイレの女神だから!!」
ウゼェ!! コイツ、ほんとウゼェ!!
――と、そんなときだった。
「……ご主人様」
不意に、雲子が話しかけてきた。
「なんだ雲子? 今、ちょっと忙しいから――」
黙っててくれないか、と言おうと思って雲子のほうを振り向いた俺は――直後、驚きで言葉を発せなくなる。
雲子が。
今にも崩れ落ちてしまいそうなほど、哀しげな顔をしていたのだ。
「……ご主人様は、雲子のことが嫌いですか?」
「……」
「雲子なんていなければよかった、って思ってます?」
「……」
……それはそうだ。
いきなり、『ウンコのお嫁さん』なんて言われて受け入れられるはずがない。
はっきり言って、雲子の存在は迷惑だ。だからこそ、こうして事の発端である女神を問い詰めているのだ。
だというのに――。
「……」
なぜだろう。
その事実を、目の前で今にも泣きそうになっている一人の女の子にハッキリと告げることが出来ない。
「……」
……まさか。そんな馬鹿な。あり得ない。
だが、ここまで感情が揺れ動いてしまっているのでは、認めるしかあるまい。
どうやら俺は、ウンコ相手に、情が移ってしまったらしい。
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