最終話 ひだまりのゆくえ
三月。
校門の前の坂が、少しずつ桜色に染まり始める中、
私たちは、私立春ノ坂高等学校を卒業した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ここの学生としてこの坂を下るのも、今日で最後になるんだね~」
ふと、朋がそんなことを口にした。
「まぁな。それにしても……お前、よく俺と同じ大学に受かったよな」
「……圭、私のこと馬鹿にしてるでしょ」
朋は不満げにそう呟く。
「素直に思ったことを口にしただけだよ。実際にお前、三年になる前までは、テストでいっつも半分より下の順位だったじゃん。三百人近くいる中、俺は大体40位以内だったけどさ」
「まぁ……私は人文学部でも、圭は外国語学部だけどね。この大学の外国語受かるなんて……圭ってやっぱり頭よかったんだね……。外国語落ちて、一緒に人文に入ればよかったのに」
「おいおい……。まぁ、元から英語は得意だったからな。英語重視の試験だったおかげでギリギリっていう感じだよ」
そんなことを言いながら、俺は朋の顔をじっと見つめる。
「――な、なに……?」
朋の顔が、次第に淡く染まっていく。
「いや……。本当に大学までついて来てくれたんだな~、と思って」
「――わ、私は特に、大学にこだわりはなかったし……。圭と、その……同じ大学に、行きたかったから……。そ、それに!今の家から通える距離だからね!うん、ここすごく大事!むしろここが一番の理由だから!!」
「そうだよな~。家から通えることは、重要だよな~。それにしても、本当にお前の家で暮らしていいのか?」
「う、うん。だって……その、ずっと圭と一緒に居られると思うと、すごくうれしいし……。あ、あと!圭が家事手伝ってくれるっていうから……!それに、祐と涼も喜んでるからさ!!」
「ふぅ~ん」
朋が顔を真っ赤にしてあたふたしながらしゃべる様子を、俺は温かい目で見守る。
「もぉ……!圭の馬鹿!!」
そんな俺に腹が立ったのか、朋はそっぽを向いてしまった。
「悪かったよ~。機嫌直してくれよ~」
そう口にしながら、
――朋も、あのときから結構変わったよな……。
心の中で、そんなことを考える。
あのときとは、高校二年の夏……朋が俺に告白した、あの日だ。
あの日を境に、朋の様子は次第に大きく変化していった。
まず一つ目に、一人称が「僕」から「私」になった。
何の心境の変化からか、いつしか朋は自分のことを「私」というようになった。
俺がそれに気づき、やんわりと理由を聞いたのだが、
『――私が、自分自身で決めたことなんだ。圭はあまり疑問に思わず、自然に受け入れてほしい』
朋はそう言って、俺に微笑みかけるだけだった。
そして二つ目、髪の毛が今までよりも少し長くなった。
セミロングというのだろうか。
今までのショートカットも爽やかで可愛かったのだが、今までよりも女の子っぽさが増して、こっちも可愛いな~、と思った。
まぁ正直に言うと、朋ならどんな髪型でも可愛いと思うのだが。
最後にもう一つ。
これは具体的な変化ではないのだが、次第に女の子らしい言動が目立つようになっていった。
性同一性障害というものが、果たして治るものなのかわからないが……。
もし治っていないのだとしたら、よほどの努力をしなければできないことだろう。
そして、俺は気付いた。
朋が、"女の子"になろうとしていることに。
――そこまで努力しなくても、いいんじゃないか?
俺は、そんなことを思った。
しかしその言葉を、朋に伝えることはなかった。
きっと、朋なりにいろいろと考えたのだろう。
俺にできるのは、朋のその決心を見守ることだけだと思った。
「――圭?……大丈夫?」
ふと我に返ると、うつむいていた俺の顔を、朋が覗き込んでいた。
「あぁ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「なんだ……心配させないでよ」
朋はほっとした様子で、そう呟く。
「それにしても、菜月が県外に行っちゃうなんてね……。ちょっと寂しいな。和真はスポーツ推薦で受かったんだっけ?すごいな~。沢渡さんは……結局、就職に決めたんだって。心葉ちゃんに負担をかけたくないからって言ってた。正直不安だけど……沢渡さんならきっとうまくやっていけるよ!だよね?圭」
「あ、あぁ……そうだな」
「だよね!だから私も全力で応援しないと!何か手助けできることないかな~……」
朋はそう口にして、咲き始めている桜の木を見上げる。
しかし俺は、朋の抱える不安とは別のものが、どうしても拭いきれないでいた。
「……なぁ、朋」
「ん、何?」
朋は、視線の向きを俺の方へと変える。
「朋は……不安を感じるか?自分と親しかった人と、離れ離れになる日が来たことに」
彼女は一瞬だけきょとんとした顔になるが、
「そりゃあ、さみしいって思ったりはするけど……不安とは、ちょっと違うかな」
そう言って瞼を閉じ、少ししてから再び開くと、おもむろに空を見上げた。
そして、こう呟いた。
「だって……必ずまた会えるって、信じてるから」
朋の表情に、迷いはなかった。
そして、いくらか変わったところはあれど、真っ直ぐな瞳はそのままであることを思い知らされる。
寂しさを感じながら、それでも朋は、嘘偽りのない笑顔を俺に向ける。
信じようとする、強い心。
俺が持っていないものを、朋は持っている。
「――俺は……不安だよ……」
無意識に弱音が零れた。
「いつも一緒だった奴らと……こんな風に離れ離れになってさ。あいつらと一緒にいられなくなるのも、もちろん寂しいけど……。いつの日か朋とも、あいつらみたいに離れ離れになるんじゃないかって……すごく、怖いんだ」
俺の中から、心の本音が漏れていく。
この漏れ出す言葉が、俺の弱さを表していた。
朋は、そんな俺をまじまじと見つめている。
失望されたかもしれない。
俺はいまさら、自分の発言に後悔した。
自分の情けなさに耐え切れず、俺はそっとうつむく。
朋は今、どんな顔をしているだろう。
そんなことが頭をよぎった、そのとき、
「……」
朋は無言で、俺に抱きついてきた。
「え、な……と、朋っ!?」
あまりに予想外のことに、俺は思わず戸惑った。
そんな俺の様子をいざ知らず、朋はそのまま俺の胸に顔をうずめる。
そして、俺を見上げるように顔を上げると、
「圭って……意外と可愛いとこ、あるよね」
少しニヤッと笑いながら、からかうようにそう口にした。
馬鹿にされたと思ったが、今の俺には何も言い返せない。
「言い返してこないあたり、真剣に不安に思ってくれてるんだね」
朋は、先ほどよりも優しく、俺を抱きしめる。
「……すまん、こんな姿見せて。情けないよな」
「情けないなんて、思わないよ。むしろ……それだけ、私と離れたくないって思ってくれるんだなって、すごくうれしい」
朋は頬を染めながら、穏やかに微笑んだ。
俺はそんな愛おしい彼女を、思わず抱きしめ返す。
「――だって、仕方ないだろ。それだけ……お前のことが、好きなんだよ」
俺はいつの間にか、涙を流していた。
朋の優しさに触れ、耐え切れなくなったのだろう。
この涙は、幸せの象徴だ。
「――私はずっと、圭のそばにいるよ」
朋はささやくように、そう口にした。
彼女の瞳は、真っ直ぐに俺の目を見つめている。
「――だって、私も……圭のこと、大好きだから」
朋の瞳から、ぽろりと涙が零れ落ちる。
首筋にかかる吐息が、熱い。
彼女の瞳から溢れる涙も、同じくらい熱いのかもしれない。
「――あの日から……そして、これからもずっと……」
そして、朋は湿った声で、小さく呟いた。
「――圭は、私の"ひだまり"だから」
ひだまりのゆくえ 里見優 @satomiy_u
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