ごく少数の方、お久しぶりです、里見優です。
そしてそれ以外の方、はじめまして、里見優です。
『ひだまりのゆくえ』本日をもって、無事完結させることができました。
これも、感想をくださった方、レビューを書いてくださった方……そして、一度でも拙作を読んでくださった方々に励まされた結果です。
本当に、ありがとうございました!
実はこの作品、五年ほど前から書きたいと思っていた作品なんです。
この作品で扱われている"性同一性障害"。
この障害を負った人たちが、どのように生きているかに密着したドキュメントがたまたまテレビでやっていまして、その番組を見たのがきっかけでした。
僕はその当時、その障害についてほとんど無知でした。
そして、その障害を負った人の苦しみ、生き辛さなどを本人が口にする場面を見て、"性同一性障害"というものの恐ろしさを知ったのです。
ただ、そのとき僕は思いました。
その障害を抱えているとしても、一つの幸せを見つけ出すことはできるのではないかと。
そして、そんな物語を作りたい。
そう考え、僕はこの作品を書き始めました。
もちろん、軽い気持ちで書いてはいけないものだということは、よく理解していたつもりです。
その障害を抱えている方は、本気で苦しんでいるのですから。
その方々がこの作品を読めば、ふざけんなと思うのかもしれません。
しかし、それでもなお、僕は書きました。
この物語での一つの幸せは、朋にとっての正解であって、こうしなければ幸せになれないのではと考えたわけではありません。
ただ、朋がこうして頑張る姿を見て、勇気づけられてほしかったのです。
もちろん、それは"性同一性障害"の方だけでなく、すべての方たちに。
そういった気持ちも込め、地道に書き続けてきたので、拙いながらも完結したことにほっとしております。
そして、本作のキーワードとなる"ひだまり"。
この"ひだまり"は、『ひだまりのようなあたたかい人』という意味で使われており、誰よりも自分のそばにいてほしい、誰よりも縋っていたいと強く感じる人のことを指しています。
あ、もちろん、これは本作に限っての造語のようなものです(笑)。
小さい頃は、恐らく親にあたるでしょう。
母親っ子だったら、母親。父親っ子だったら、父親。
兄弟がいるのでしたら、兄や姉、弟や妹かもしれませんね。
人それぞれだと思います。
しかし、いつまでも母親や父親、兄弟のそばにはいられない。
そう考える人も出てくるでしょう。
その人たちが必ずしも正しいとは言いません。
雫は、妹を支えながらも、妹の優しさに縋っていたいと思い、そばにいる道を選んだのですから。
しかし、両親がいないことを除いて……朋は、その一人でした。
――まぁ、大学に入っても家にいるということは、もう暫くはそばにいるのですが……(笑)。
ただ、それは兄弟が自立するまで、面倒を見るためです。
言うなれば、親代わりのつもりなのでしょう。
それも、圭とともに、支えあいながら。
どういった人を"ひだまり"だと感じるのか。
それはもちろん、人それぞれです。
自分の年齢によっても、変わってくると思います。
今"ひだまり"だと感じる人を、大切にしてください。
そうすれば、自然と幸せが手に入ると、僕は思います。
今、手に入れることのできる幸せを、大切にしてください。
そうすれば、自然と未来が明るくなると、僕は思います。
そしていつの日か、一生を添い遂げたいと思える人と出会えるかもしれません。
それでは、最後に雫の言葉を借りて、締めくくらせていただきます。
「あなたにとっての"ひだまり"は、誰ですか?」
平成三十年七月 里見優