中世都市は靴屋だらけ【挿絵あり】

 女性は厚底の靴を履いて背を高く見せる傾向があった。こうするとスカートの広がりがより強調される。高さはだいたい8センチから10センチ、ハイヒールではなく底全体が厚い。chopinチョピンという、カーブの優美な厚底靴があり、エレオノーラが履いていたのはこれらしい。


 チョピンを愛用したのは貴族ばかりではなく、高級娼婦たちもこぞって履いた。


 極めつけはヴェネツィアで特に流行したzoccoliゾッコリ(木靴)で、地面からの高さが60センチにも達する。ヴェネツィアのコッレール美術館には、底が木製のゾッコリが2足保存されている。15世紀なかばの品で、1足は高さ50センチ、もう1足は52センチである。履いた女性は「巨人に変身した小人」のように見えたらしい。こうなると自分でバランスを取って歩くことができず、外出時には2人の付き添いを必要とした。


 竹馬に乗っているように背の高い女が下女に手を取られて歩くのを見て驚く他国の人に、ヴェネツィアの人々は「これは女たちを家にいさせて、1人でこっそり遠くへ行かないようにするためのうまいやり方なんですよ」と冗談を言ったという。


 完全におしゃれ目的だったらしい厚底靴ゾッコリに対し、靴の上に履く木靴ゾッコリは実用的だった。


 靴底に硬い素材が使われる現代と異なり、中世の靴底は薄い革だった。小石などの異物を踏んだら痛かっただろう。さらに舗装されていない道が多く、雨の日は足元がぬかるみになる。対策として靴の上に履く木製の靴がゾッコリである。


 面白いことに日本の下駄に似ていて、突起状の歯が底に2つあり、足から脱げないように革のバンドがついている。ゾッコリは雨や雪の日、または農地で、華奢な布製の靴がぬかるみに沈むのを防いだ。伝道のために各地を旅してまわったフランチェスコ会の修道士もゾッコリを活用した。



 *



 靴紐が歴史上のいつ頃に発明されたかを特定するのは難しいそうである。古くは石器時代まで痕跡を遡ることができ、中世ヨーロッパでも使われていた。しかし本格的に活用されはじめるのは20世紀で、それまでは金具やボタンが主流だったという。


 裕福な人は絹やビロードの靴に金銀の留め具や真珠の飾りをつけた。高価な靴は裏地や装飾に毛皮を使った。シンデレラが落とした「ガラス(verre)の靴」は、実は「毛皮(vair)の靴」の誤訳だったという説がある。真相は依然としてはっきりしないらしいけれど、vairヴェアはリスの背中と腹の毛皮を交互にはぎ合わせた高級品なので、お城の舞踏会にはふさわしい靴だといえる。

 

 靴がほしいと思ったら、中世の人々は靴職人の店で買うか、注文して作ってもらった。布製の靴なら仕立屋でも手に入る。イタリアの都市では職人の工房は往来に向かって開かれており、人々はそぞろ歩きながら親方の仕事ぶりを眺めたり、製品を手に取ったりできた。


 14世紀のシエナのフレスコ画に靴職人の店が描かれている。通りに面した小さな工房で職人が働き、ロバを連れた男性客にひとりが製品を見せている。街路に張り出した陳列台には黒っぽい靴が2足と材料の革が置かれ、柱のあいだに渡された棒には黒や、鮮やかな赤の長靴がたくさん吊してある。


 とある15世紀の靴職人の財産目録によると、店には椅子1脚、箱2個(ひとつは壊れている)、小さな陳列台2つ、たらい1個、籐細工のカゴ1個、手桶2個、洗濯用の桶1個、酢の容器2個があった。


 つつましい仕事道具に加え、靴型(靴の製作に使用する木の型)が大小併せて35組あった。


 一般的に、足の左右の形態に合わせて靴が作られるようになるのは19世紀だと考えられている。しかし靴型がペアだったということは、ここでは左右で同じ形の靴を作ってはいなかったのだろう。


 同じ時代のもうひとりの靴職人、フィリッポ・ディ・マッテオ親方の店はもう少し大きく、注文品の製作に必要な道具をなんでも揃えていた。さらに、できあがった靴も以下に示すように数多く店内に置いていた。


・男性用の平たい靴…16足(うち3足は朱色)

・男物の長靴…9足

・女物の靴…11足

・子供用の靴…2足


 サイズの幅は広かった。発見されている最も小さい靴は子供用でサイズ16(約10.5cm)、大きいものはサイズ42(約27cm)だという。フィリッポ親方の工房には子供の靴型30組、大きい靴型112組、スリッパ用の型が5組あった。


 店内には刺繍した甲革(靴の甲に使う革)、黒と白の雄牛皮、コルドバ革、馬革、靴底用の革などが切り抜かれ、あるいは切り抜かれていない状態で置いてあった。

 革靴には山羊、雄牛、雄の羊、馬、カモシカの皮が主に使われる。子山羊の皮をなめして柔らかくしたコルドバ革はスペインのコルドバが由来で、靴の爪先をはじめ服飾によく使われた。靴底もスペイン製の革がよいとされた。フィリッポ親方の店では、切り抜く前の皮革やゾッコリ用の木などの材料も売っていた。


 15世紀のトスカーナの資料によれば、靴職人はどこの街でも多かった。ピサの例をあげると、靴屋は最多の76戸で、10.4%を占める。なお第2位は62戸(8.4%)の公証人、第3位は44戸(6.0%)の自作農である。※


(※資産申告に基づくデータ。約半数の市民が職業を申告していないので、ここで分かるのはあくまでも全体の傾向ということになる。)


 靴屋、大工、毛織物商、香料商、公証人などの職業は地域によらず、どこでも多数を占めたという。それにしてもやけに高かった靴屋の需要は、当時の靴がすぐにだめになってしまうものだったことも関係しているかもしれない。


 フェラーラの宮廷では、貴族や騎士階級が1人につき年間80足の靴を消費していたらしい(信憑性は不明)。事実だとすると月に6足か7足を履きつぶしていたことになる。凄い量である。



 *



 流行に敏感な女性は底の厚い靴で背を高く見せた。男女ともデリケートな靴を保護するために靴の上に靴を履いた。靴屋は注文を受けて製作していただけでなく、既製品の靴も豊富に取り揃えていた。

 靴は布、または柔らかい革製で、消耗が早かった。さらに左右の形が同じだった可能性も依然としてあり、履き心地は現代の靴とかなり違っていたことが想像できるだろう。



【挿絵】靴と靴屋

https://kakuyomu.jp/users/KH_/news/16816700428456894995

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