若者たちとヒヤシンス【挿絵あり】
さて男性である。13世紀ごろに限って言うと、男性も女性と同様に上下がひと続きのゆったりした服を着ていた。見た目は女性の服にそっくりで、垂直なシルエットも似ている。
異なるポイントとして、まず男の場合はタイツをはく。
「タイツ」といっても体にぴったりする現代のナイロン地ではなく、普通の布でできている。そのままではずり落ちるので、
生地が伸びないので膝が曲げにくく、屈んだ体勢をとるには尻側のボタンを外すなり紐をほどくなりしなければならない。棒針で編んだ伸縮性のある絹製タイツが登場するのは16世紀である。
パンツは割と早い時期に登場する。けれど使用率は高くなかったらしい。そもそも「下着」自体、誰もが必ず身につけるほどにはまだ浸透していなかった。14世紀頃になっても、貧しい人は全くはかないか、持っているとしても1、2枚だった。
そして大事なのが帽子。
女性にもヴェールや
他人の頭から帽子をむしり取るのは侮辱と同じとされ、法律で罰金を科せられた。
トラブルになった相手が逃げてしまったので、現場に残されたその人物の帽子を棒でボコボコに叩いて鬱憤を晴らした、なんて出来事もあったらしい。個人をあらわすシンボルでもあったということか。このへんは『古文書の中のフィクション―16世紀フランスの恩赦嘆願の物語』(ナタリー・Z・デーヴィス著)にもっと詳しく書かれてあったような気がするのに、手元になくて確認できない。面白い本なので、興味がおありの方はぜひ読んでみて下さい。
かぶり物の種類は色々で、シンプルな縁なしの丸い帽子から、長い布を頭の周りに巻いて襞をつくって盛り上げ、端を肩に垂らすという凝った形の帽子もあった。さすがに後者の場合はよっぽどのことがなければ脱がず、軽く押し上げて挨拶する程度でよかったらしい。
*
女性とあまり変わらないシルエットだった男性ファッションに、14世紀、急激な変化が起こる。若者が露出度の高い服を着るようになるのである。
年配の人が伝統的な長衣にこだわったのに対し、若者の衣服の丈はどんどん短くなり、ついには尻をちょっと隠す程度になった。タイツは片足ずつに分かれ、両脚の間が覆われていないので、股間の形が露わになる。そのため「たとえ髭に気づかずとも、下の方を見れば男であることが一目瞭然」だった。
ジローラモ・プリウリというヴェネツィアの政治家は、1509年にこんな言葉を残した。
「ヴェネツィアでは若者がごてごて装飾品をつけて着飾り、衣服をはだけて胸を見せ、浴びるほど香水をふりかけている。その下品でみだらで挑発的なことといったら世界でも右に出るものはいないであろう」
「最近の若いヤツは…」という苦言は時代に共通なのだろうか。
ところで、こういう若者の姿を女性っぽいと感じた方もおられるかもしれない。その通りである。プリウリはこう続ける。
「彼らは〈若者〉ではなく〈女〉と呼ばれているのである」
流れるような脚線美、優雅な物腰、ひげを剃った顔と肩まで伸ばした長い髪…この頃の絵画に描かれる若い男性は、どことなく女性的な雰囲気を漂わせている。
シエナ出身の有名な説教師、聖ベルナルディーノが激怒して言うところによれば、若者たちは「お洒落しすぎ」であり「ヒヤシンスの美しい色」であり、「短い胴衣と小さいタイツを身につけることによって体の広範囲を男色者たちの目にさらし」、強姦の被害に遭うリスクをみずから犯している。彼らの格好はあまりに刺激的で、この説教家に「[信仰心がなければ]私でさえ男色家になっていたかもしれなかった」とまで言わしめた。
「ヒヤシンスの美しい色」とは妙なたとえだ。憶測だけれど、これも同性愛嫌悪のあらわれだろうか。
オウィディウスの『変身物語』によれば、スパルタの王子で美少年だったヒュアキントスは神アポロンに愛されていたが、アポロンが投げた円盤が誤って頭にあたって死んでしまった。彼の血を吸った地面に花が咲き、それがヒヤシンスになったのだという。
聖人の怒りはさらにヒートアップ。「親たちよ、息子を着飾らせて外に出してはいけない。汝らの息子は女の子になっているではないか。恥を知れ!」
といっても、別に女装していたわけではない。裁判文書では「女のように」「妻のように」という言い回しが、男性同士の性行為における受動的役割をあらわす定型句として用いられる。聖ベルナルディーノもプリウリも、若者が女の服を着ているとか軟弱だとか言っているのではなく、男色のさらなる蔓延を招きかねないという理由でお洒落を非難しているのである。
補足すると、当時は男性の間で同性愛的行為が流行していた。特にフィレンツェではその傾向が顕著だった。キリスト教においてはソドミー(「不自然」とみなされる性行為。主に男性間の性愛)は罪であり、都市政府もあれこれ策を講じて取り締まろうとする。しかし効果は出ない。実際に裁判にかけられて処罰までされてしまう例が少数なのは、裁判官もこの「悪徳」(当時は悪徳とみなされていた)に染まっているからだなんて言われたりもした。このへんの背景は複雑だけれど、てっとり早く言うと許容されていた。女性の社会進出が阻まれていたので職場に行っても出会うのは男だけ、という男性多数の社会構成も要因の一つらしい。
話がそれたので戻そう。ともかくファッションに関して言えば、けしからん! といくら喚いても若者がまともに耳なんか傾けるはずはなかった。特に奇抜なのはタイツで、なんと左右の足で色分けされていた。真紅と白、真紅と緑、青と黄色、とあえて対照的な色を合わせ、さらに片足だけでも2色、3色に分けたり、片足がボーダーでもう片足が格子模様などなど、現代人的には理解に苦しむというか、まあなんというかアレなデザインがたくさん現れる。そしてどんな流行もいつかは廃れるように、この色彩のパレードも15世紀の終わりを待たずに終焉を迎え、16世紀では逆に落ち着いた暗い色調が好まれるようになる。
荘重な「黒」のモードの到来である。
【挿絵】ルネサンス時代のお洒落な若者
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