エピローグ 後編

「マクリエ」


「あ、エゼルだ。やっほ」



 碧髪に金色の筋が混じる独特の髪を揺らし、彼女はエゼルを振り返った。水浴びをしたときの格好のまま――つまり下着姿で半裸の格好のまま、その見事な肢体を陽光の下にさらしている。水から上がった直後なのか、滑らかな肌には水滴が珠になって残っていた。



「水、気持ちいいぜ。エゼルも入りなよ」



 自分の格好には一切頓着した様子のないマクリエに、エゼルはため息をついた。彼女が生まれたのは五年前の天煌月の日、つまり精神年齢は相当低いということを考えると仕方ないかと思いながら、手拭いを手に彼女に近づく。



「ほら、これで体を拭け」



 するとマクリエは無言で手拭いを受取り、妙にゆっくりとした仕草で顔を拭き始める。



 手拭いの合間から妖しげな流し目が送られてきた。



「お前が拭いてくれればいいのに。気が利かない男だな」



 エゼルは目を細めた。



「無闇に出てくるなと言っただろう、


「ああ、言っていたな。他の女たちにばれるのはまずいとか何とか。ふふ」



 リザは妖艶に微笑んだ。そうすると途端に彼女の肢体が大人びたものに見え、悩ましさを増した。エゼルはさりげなく視線を逸らす。



「あのときのことをあいつらは知らない。お前がまだ生きていると知られれば、いらぬ心配をかけさせるだけだ。それにお前がしゃしゃり出ればマクリエに負担がかかる」


「嬉しいぞ、私のために皆に嘘をついてくれたのだな」


「誰がお前のためだと言った、馬鹿者」



 エゼルは鼻を鳴らした。



 ――地下闘技場で互いの魔法をぶつけ合ったとき。



 エゼルとリザ、双方の力が拮抗していたためか、あるいは互いに万全でなかったためか、エゼルのヴァバノスもリザのジェノオスも不完全なまま終わった。リザは消滅せず、代わりにその力の多くを失ってマクリエの中に定着したのだ。だから時折、このようにマクリエの意識を押しのけて表に出てくる。マクリエとリザ、一つの体に二つの人格が宿るようになってしまったのだ。



 一方のエゼルは以前にも増してリザの魂との結びつきが強まり、念話魔法イシャデを介さなくてもお互いの意志が通じるようになった。そのためかリザの中で眠っていた『エゼアルド』の力が一部、エゼルの中に戻ってきている。それが証拠に――



「それにしても何度見ても良いな、その髪色。ほら、おそろいだぞ」


「どこがだ。色が全然違うだろう」



 エゼルに近づいたリザが彼の後ろ髪を撫でる。見事な金髪が一房だけ、漆黒に染まっていた。かつてエゼアルドだったときの髪色が戻ったのだ。昔を知るレアッサにはずいぶんと騒がれた。



 相手を封印し、あるいは支配しようとしていた者同士が、普通では考えられない強い繋がりを持つ――その皮肉な状況を、どうやらリザは歓迎しているようだ。



 じゃれつくようにエゼルの髪を弄っていたリザは、ふと彼の耳元で囁く。



「だが、良いのか。エゼアルド。私を殺さなくて」



 目線だけを向けるエゼル。リザは口元に淡い笑みを浮かべていた。



「今の私はジェノオスが使えぬ。しかしこの先はわからんぞ。我が身に力が戻ったならば、私はそれを理想のために使うだろう。生真面目なお前のこと、たとえマクリエを消すことになろうとも私を殺す覚悟はできているのではないか?」



 梢が揺れる。リザの目は見開かれ、爛々と輝いていた。川の流れは穏やかで透き通っている。エゼルの心にもまた、濁りはなかった。



 静かに告げる。



「これは奇跡なんだよ、リザ。運命が私たちに与えた、奇跡なんだ」



 怪訝そうに眉をひそめるリザを真正面から見る。



「こうして顔を突き合わせたとき、私たちは戦うしかなかった。だが今は違う。私たちには、ともに歩む時間が与えられたのだ。お前が一人で絶望しなくても、すべてを背負って抗わなくても、この世界はそれほど悪いものではないということをお前に見せてやる。だから今は私たちとともにいろ。リザ」



 何かを言いかけたリザに、頭から手拭いを被せる。互いの表情が見えない状態でエゼルは小さくつぶやいた。



「お前の両親も、それを望んでいるはずだ」


「……く。くくっ。簡単に、簡単に言ってくれるではないか」


「少しぐらい肩代わりさせろ。別に私は、好きでお前と袂を分かったわけではないのだから」



 互いに無言になった。周囲には誰もいない。ただ平穏な空気があるだけ。



 やがてリザは肩を揺らして笑い出した。俯いた顔と手拭いでその表情はわからないが、彼女らしい自信に溢れた声で一言、こう言った。



「いいだろう」



 たったそれだけ。まるで世界に宣戦布告するかのような物言いにエゼルは苦笑し、こつりとリザの頭を叩いた。周囲を軽く見回す。



「ほら、そろそろ引っ込めリザ。でないと金輪際、お前と話さないぞ」


「それはとても困る。大人しくしていよう」



 顔を上げたリザは不敵に笑った。その表情があまりにいつも通りなので、エゼルは手拭いごしにリザの頭を乱暴に撫でる。彼女は気持ちよさそうに目を細めた後、はっと我に返った。



「あれ……? また居眠りしてたかな、マク」


「そうみたいだな。しっかりしろよ」


「わ、わかってるわよ。だからその手を放しなさい」



 エゼルの手を振り払うマクリエ。リザが表に出てきたとき、どうやら彼女の記憶は飛ぶらしい。まあ何とかなるさとエゼルは思った。



 気負いのない自然な笑みを浮かべるエゼルを、ふと、マクリエが上目遣いで見た。



「ねえエゼル。あんたさ。雰囲気、ちょっと変わった?」


「そうか?」



 うん、とマクリエは頷き、彼女も笑った。リザとはまた違う、弾けるような笑みだった。



「何か、イイ感じだよ」


「そりゃどうも」


「そうよね。マクたちの下僕なら、ちゃんとイイ奴でいてくれないとね!」



 そう宣うマクリエをエゼルは軽く小突く。空を見上げた。流輪は静かに輝き、常のようにエゼルたちを見下ろしている。だが今は、その姿がいつもと違って見えた。



 ――これでいい。私は救国の英雄ではない。我が儘で、自分勝手で、頑固で、そして日々を自分の力で生き抜こうとする彼女らを支えるのが、私の役目だ。



「そのためなら、下僕でいることも悪くないさ」



 晴れ晴れとした胸の内から溢れる言葉とともに――



「さてと。今日の昼飯は何にする?」



 エゼルは新しい一歩を踏み出した。









(了)



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