エピローグ
エピローグ 前編
「五年前、私は『失敗作』と見なされて棄てられた」
――流輪に五つの刻が煌々と浮かぶ日中。強い日差しから逃れて小休止するために寄りかかった木陰の中で、ヴァーテがぽつりと告白した。周囲にはエゼルとヴァーテ以外は誰もいない。
「私が生まれたのは完月の最終日。天煌月に最も近い日の生まれとして、リザの復権を狙う一派に連れ去られた。彼らが求めた私の役割はリザの『器』となること。来たるべきその日に、リザの依り代として体を捧げること。もちろん私だけではなくて、他にもいろいろな素質を持った子がたくさん連れて来られていた。その中の誰かがものになれば良いように」
小さな手で耳をいじる。そこに晶籍はない。
「あの頃にはすでに、奴らはリザを復活させるための算段を立てていたみたい。もともとジェノオスは魂を操る魔法。騎士たちを殺して奪った大量の晶籍を使って力を増幅すれば、リザの晶籍の魂を直接操作して、肉体に移し替えることができる……そう奴らは考えたの。そして五年前の私は、その受け皿に相応しいように処置を施された」
処置、とエゼルがつぶやく。ヴァーテは頷いた。
「ひとつは、体の中にオリズイートを仕込むこと。あの毒にはジェノオスの魔法を効きやすくする副作用がある。騎士の襲撃のときにオリズイートを使ったのはきっとそのため。そして幸か不幸か、私にはオリズイートを受け入れる素質があった。もっとも、奴らがそれに気づいたのは五年も経った今……ギアシで私と偶然出くわしたときだったみたい。毒が効かない私を不審に思ったのがきっかけだった」
エゼルは視線を空に向けた。蒼穹を隠すように青々とした梢がゆっくりと風に揺れている。この爽やかな気候が、ヴァーテの暗く淀んだ気持ちと過去を少しでも晴らしてくれるよう願いながら、彼女の次の言葉を待つ。
語られるのはおそらく、彼女が『晶籍なし』になった理由――
「そしてもうひとつの処置……。それはリザの記憶を追体験させること。極限まで増幅した幻覚魔法で、私は昼夜問わず、夢の中までリザの幻を見せつけられた。そうすることでよりリザに近づき、魂の受け皿として相応しくなると考えられていた。もちろん、奴らが信じるリザ像の刷り込みだから、その情報は偏っていた。ううん、この際偏っていたかは関係ない。私はその処置の影響で精神どころか魂まで変調してしまって、晶籍が黒く染まってしまった。それがよっぽど腹立たしかったらしい。奴らは私の晶籍を破壊し、着の身着のまま私を打ち棄てた」
膝を抱きかかえるようにして、小さな体をさらに丸める。膝頭に顔を埋め、彼女は囁くように言った。
「マクリエとイシアに出会っていなかったら、私はきっと死んでいた。だから奴らが集まるポルトに行くのは、本当はとても怖かった」
ヴァーテはさらに語った。今までマクリエたちに合わせて記憶のないふりをしていたが、実際はすべて覚えていたと。嫌というほどリザの情報を叩き込まれたため、エゼル――エゼアルドのことも知っていたという。もっとも、姿が変わったことは知らなかったため、実力を見るまでは本当にエゼアルドと同一人物か確信が持てなかったそうだ。
最後に彼女は「ごめん」とつぶやいた。
「エゼルだけじゃなく、皆に嘘ついちゃってた」
「気にするな。もう済んだことだ」
「うん」
頭を撫でられ、ヴァーテは素直に頷いた。ポルトでの一件以来、彼女のエゼルに対する態度は大きく変化した。年相応の――『十三歳』の少女としての素顔を見せるようになっていた。
変わったのは、ヴァーテだけではない。
「お待たせです」
「ただいま戻りました。エゼル様」
声に顔を上げると、杖を突くイシアと、その彼女を支えるように歩くレアッサの姿が見えた。彼女らを迎えるため立ち上がりながら、「具合は良さそうだな」と言う。
「ちゃんと介護してもらっていますから」
イシアは表情を緩めた。オリズイートの毒が一時深刻化して、立って歩くことがほとんどできなかった彼女だが、ようやく快復しつつあるようだ。ポルトでの戦いのとき、長時間オリズイートの匂いが漂う空間に立ち続けたことが悪化の直接原因だったらしい。
旅の薬師から購入した薬草が入った籠をエゼルに差出したイシアは、「聞いて下さいなゼルさん」と興奮の表情で言った。
「さっき、私が調合した薬が売れたんですよ。これで少しは旅費の足しになりますね」
嬉しそうに報告する彼女に微笑みながら、エゼルはちらりとレアッサを見た。介助役を買って出た彼女もまた笑顔で頷く。
「出がけにイシアが約束した通り、売ったのはまともな薬でしたよ。薬師の方も感心していたほどです。かなりの高値で買い取っていただきました」
「レアッサさん、何だか言い回しが気になるのですが」
「そうか? 褒めているつもりだぞ、これでも」
「ぶう。何かちょっとだけ馬鹿にされたような感じです」
頬を膨らませるイシア。仕草が子どもっぽいのは、曲がりなりにもレアッサを『頼るべき年長者』として認めたからだろうとエゼルは思っている。
「まあいいです。私にもまともに経済活動ができると証明されたわけですから。この調子で薬を売りまくって、いつか私の名をアクシーノ中に轟かせてやるのです」
むん、と握り拳を作るイシア。するとヴァーテが心配そうに言った。
「名声を広げるのは生まれ故郷を見つけるためだって言ってたけど、無理しなくていいと思う。別に、生きてるかどうかもわからない両親に名を知らしめようとしなくても……」
「ありがとうヴァーテ。でももう、両親のことは別にいいの。前にマクリエが言ってたお屋敷っていうのが気になるだけ。あの子が覚えてくれていて、私が忘れてるっていうのは、何だかマクリエに悪い気がするのよ」
そう言うと、イシアは柔らかく微笑んだ。
「ただ、今一番大事なのは、これからのことを考えて少しでも家族を養える力を身につけることだって思っているわ」
「家族……私も?」
「ええ。当然じゃない」
ヴァーテの頭を撫でるイシア。ヴァーテは嬉しそうに頷く。そして何故か、二人してレアッサを振り返った。
「それに何の因果か、年増さんも増えたことですし」
「そうだね。若者が頑張らないと」
「……感動的な話だと思って黙って聞いていれば。誰が年増か!」
食ってかかるレアッサ。少なくともその姿からは騎士の威厳は感じられなかった。
『ギアシの美しき爪』レアッサは部隊に戻らなかった。これまで築き上げてきた栄光を棄ててまで彼女はエゼルたちとともに歩くことを選んだのだ。その決意の重さはイシアたちも十分承知している。
――天煌月は過ぎ去り、天の流輪は再びその姿を現していた。また新たな一年が始まる。蒼穹に浮かんだ運命の象徴を見つめながら、エゼルはふと笑みを消した。
「少し散策する。レアッサ、後を頼む。すぐに戻るから」
「あ、はい。お気を付けて」
薬草の選別作業を手伝っていたレアッサが頷く。背嚢から一枚の手拭いを手に取り、エゼルは木陰を離れ、木立もまばらな林の奥へ歩き出した。その先には清流が流れている。穏やかな水の流れが耳に届くのとほぼ同時に、エゼルは目的の人物を視界に捉えた。
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