3-15:決着の言葉

「どうした。ずいぶんと辛そうな顔をするじゃないか」


「自分の甘さ加減に心底嫌気が差した。それだけだ」


「甘さ? ああ、なるほど」



 彼女は口元を緩めた。気遣うような笑みだった。



「自分が許せなくなったか? お前はそういう人間だからな。問題を先送りし、ずるずると生ぬるい関係を続けていた結果が今日この日。繰り返された事態の責任はすべて自分にある……大方、そんな風に考えているのだろう?」



 ――その通りだった。



 自分の目的はリザ復活の阻止、彼女の記憶と能力が覚醒する前に決着をつけることだった。その目的よりも大事にしてきたものがこの一年間にあったということを、エゼルは今、改めて思い知った。



「マクリエはどうした」



 エゼルは尋ねた。



「彼女の意識は、記憶は、どこにある」


「彼女は私の中で大人しく眠っているよ。私がここ一年、この娘の中で眠っていたように。知っていたか、エゼアルド? 『私』という存在はな、お前と再会した瞬間からすでに目覚めていたのだ」



 自らの豊かな胸元に手を置く。



「言っただろう? お前を忘れぬよう、私はお前の晶籍をもらう、と。あのときから私はお前であり、お前の存在が、私を私でいさせるのだ」



 笑顔でリザは言った。



「さあ、これが最後の忠告だ。私とともに来い、エゼアルド。今度は二人でこの国を作るのだ。晶籍に囚われない、流輪に縛られない、真に自由な国を」



 槍を握る手に力を込め、エゼルはリザを睨み据えた。



 彼女は無邪気な表情で両手を広げている。その姿が一瞬、マクリエと重なった。



 エゼルは自らに言い聞かせる。



 ――リザは復活した。彼女の意思は変わっていない。ならば、己がするべきことはもう決まっているはずだ。次の手を打つその時が――その時が、来たのだ。



 だから迷ってはいけない。



「そう顔をしかめるな」



 リザが小さく息をついた。



「お前の考えが変わらなかったならば、私にとっても無駄な六年だ。だから忘れさせてやる。迷わせる者あらば、すべてを消してしまえばいいのだから。私についてくれば、もう思い悩むことはないさ」



 まるで幼子をあやすような声。奇しくも彼女のその言葉で、エゼルの心は決まった。



「断る」



 リザの目が細まった。



「ほう。なぜ?」


「私の仲間を、仲間と共にいた時をないがしろにする奴の言葉など、もはや聞く耳持たん。それに……お前には、私の言葉が届かなかったようだから」



 初めて彼女の表情にかげが表れた。エゼルは槍の穂先を彼女から外し、静かに語りかける。


「六年前の戦のとき、私がお前から離れた理由がわかるか、リザ? それはお前が、自らの力ですべてに抗おうとしていたからだ」


「それの何が悪い」


「すべてを背負い、抗い、立ち塞がる者を排除しなければ進めぬ道だけが、お前に許された道ではない。晶籍と流輪は、お前が思うよりかは寛大なんだと私は信じている。この六年で、そう思えるようになった」


「寛大? 寛大だと? ふ、ははっ」



 思わず漏れたといった風の嘲笑の声。頬を引きつらせ、エゼルをめ付ける。



 しかし、どこまでも真っ直ぐにリザの瞳を見つめるエゼルを前に、彼女は次第に怒りを消していった。



 恨めしそうに、悔しそうに、あるいはどこか不安そうに、エゼルの次の言葉を待つ。



「お前は晶籍や流輪以上に、自分で自分を縛り付けている。それがために、日々を生きている人々を排除し続けるつもりなら、私は看過できない。だからリザ、もう止めるんだ。私の言葉を聞いてもなお、お前の目には茨の道しか見えぬということならば、私が止めてやる」



 エゼルが一歩、二歩とリザから距離を取る。そして槍を両手で持ち直した。



 リザはエゼルを見つめ続け、その瞳に強い意志の光を宿していく。



 エゼルは言った。



「六年前にお前を正せず、そして今またお前を茨の道に向けさせた責は私にある。だから私は戦う。お前は私にだけすべてをぶつけてくればいい。全部受け止めて、私はお前を正す。お前を手に掛けた責任は、取らせてもらおう」



 ――その台詞に何を感じたのか。



 しばらくリザは言葉を失っていた。やがて口元を押さえ、心なしか頬を紅潮させながら彼女はつぶやいた。



「それは愛の、告白か?」


「馬鹿者」



 エゼルが吐き捨てるとリザは盛大に笑い声を上げた。



「そういう生真面目なところは姿が変わっても変化なしなのだな! 私にそのような口を利くのは後にも先にもお前だけだよ!」



 ――だが、目は笑っていない。抑えきれない興奮に血走っていた。



 リザの足元から濁った霧がくゆり始める。感情の昂ぶりに伴い、増幅され溢れ出した彼女の魔法力が空間を沸騰させて、闘技場内に溜まる生乾きの体液を霧に変えているのだ。濃密な腐臭が場内に満ちていく。



「お前を封印する前にひとつだけ、礼を言わなければならないことがある」



 エゼルの言葉にリザが目元を緩めた。



「後ろの小娘たちのことだろう? 刃を向けるその姿は見せたくないと、そんなところか。案ずるな。我が結界は音どころか光すら通さない。奴らには何もわからぬよ。ふふ、くくくっ……はっははは」


可笑おかしいか」


「憐れんでいるのだよ。どこまでも愚かで、健気だ」



 蕩けた目で、彼女は陶然と囁いた。



「そんなお前が、私は好きだ」



 ――まさに、凄絶。



 だがそんなリザの魔性の笑みを前にしても、エゼルの瞳はわずかも揺るがなかった。



 直後、彼は腹の底から気魄の声を上げた。



「来い、リザ! 今度こそ、お前を止める!」


「それでこそ私が認めた男だ! いいだろう、私の全力をもって、お前を私のモノにしてやろう!」



 次の瞬間、二人の体から溢れ出した魔法力が光の嵐を起こした。



 力がぶつかり合うたびに衝撃波が巻き起こり、最前列の観客席をなぎ倒した。光に巻き上げられた血だまりが噴水のように立ち上り、肉塊がひょうのように舞った。



 洞窟内が不吉な振動を始めた。戦略級の魔法を容易く操る両者の魔法力が正面からぶつかり合っているのだ。いずれ洞窟は崩落する。



 ――勝敗を決するのは、ただ一撃。



「私のヴァバノスがお前を封印するのが先か」


「私のジェノオスがエゼアルドを支配するのが先か。くふふ……」



 極限の緊張感、魔法の嵐の直中にも関わらず、リザは笑ってこう言った。



「よし決めた。お前を手中に収めたら旅に出よう。南が良い。私の故郷を見せてやろう。そこでうんざりするほど昔話を聞かせてやるから、覚悟しておけ」



 本当に、本当に楽しそうにリザは未来像を語った。その表情を見たエゼルもまた、口元を緩めた。



「次に流輪の定めを受けるとき、願わくば慎ましやかな生を受けろ。お前は、もっと平穏で幸せな人生を送って良いはずだ」


「そのときは一緒にいてくれるか?」



 からかうような彼女の声。激しく渦巻く魔法光の中、その表情はどこかマクリエと重なって見えた。



 リザは力強く宣言した。



「私の戦いは終わらぬ! 晶籍が、流輪がある限り戦い続けよう。それが茨の道と言うのなら大いに結構! 付き合ってもらうぞ、エゼアルド!」


「ならば私は何度でもお前を止めてやる。運命がお前を拒んでいるのではなく、お前が運命を拒んでいると。それによって血を、道を、命を失った者がいるということを!」



 エゼルが大音声で応じる。



 ――それが合図となった。



 渦巻いていた魔法力の奔流が突如として消えた。血と肉塊が支えを失って降り注ぐ中、二人は同時に、完璧に調和して、まったく同じ言葉を紡いだ。



「――汝の泪を我に捧げ 我が心音に平伏せよ――」







 襲撃者全てが突然撤退するという不可解な事態を乗り越え、『月環の旗』本隊が洞窟の最奥部に到着したとき、そこに人の影はなかった。



 元は巨大な円形の闘技場であったであろうその場所は、巨大な蚤を滅茶苦茶に振るった後のように無数の傷で埋まっていて、もはや原型を留めていなかった。



 何より騎士たちの目を引いたのは、床と言わず壁と言わず、あらゆるところにぶちまけられ張り付いた血と肉塊の様子である。血を顔料に、人肉を筆に、そしてこの空間そのものを画布にしたかのような惨状に彼らは総毛立った。



 しかしそれがたった二人の人間の衝突によるものだとは誰も気づかなかった。



 その後。



 ギアシ駐屯地最高司令官を始め多大な犠牲を出したポルト制圧戦は、各都市の戦史に記載されることなく、闇へと葬られた。



 不可解な襲撃者たちの実態はおろか、闘技場の謎も、そして作戦以降姿を消してしまった者たちの名すらも、一切記されることはなかったのである。


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