エピローグ

 白い壁に囲まれた部屋の中ではやや年代物のテレビが少し雑音を紛らせながらついていた。


 画面の中では生真面目な顔をしたアナウンサーが夕方のニュースを正しい日本語の発音で機械的に読み上げている。


 内容はつい先月に発足した内閣の代表の所信表明で、意思の強そうな表情をした総理大臣が野党からの野次を無視して演説をしていた。


 俺的に胸糞悪い光景を見てしまい、舌打ちをしてテレビのチャンネルを変えようとするが、電池が切れてしまっているのかリモコンのボタンをいくら押そうと迫力のあるわが国の総理大臣の演説は他のチャンネルに切り替わらない。


諦めてリモコンを投げ出して上半身を倒してベッドの上に寝転ぶ。


「よお、安静にしているか?」


 ニヤニヤ顔の恭介が病室の扉を開けて入ってきた。


「……おかげさまで」


 俺の仏頂面の原因をテレビの画面で確認して納得したようにベッドサイドに置いたいすに座り込む。


 同時にベッドの上に見舞い品の果物を詰め合わせたザルを怪我をした足の上にわざと置きやがる。 


 仕返しがしたいが、痛みのせいで動けないのでとりあえずにらみつけてやる。


 しかしその程度ではこの腐れ野郎には効かず、涼しい顔で笑っている。


「それにしてもお前が入院するなんてずいぶんと久しぶりだな、あの連中とやりあったというのならわからないでもないけどな」 


 俺の足の上に置いた果物詰め合わせの中からリンゴを選び、かいがいしくナイフを使って皮をむいてくれる。 


「あいつら一体何者だったんだ?」


 俺の問いかけに恭介は何でもない無いように答えた。


「あいつらは暗部さ……この国のな。鬼上とはまた違う呪われた一族だよ。今回は仕方なかったんだろうが、次にあいつらが絡むことがあるならもう助けないぞ?命がいくつあっても足りやしない」


 そういって肩を竦めて、切り分けたリンゴの一つを口に入れる。


 俺も一つを無造作に掴んで口に入れる。 


十分に熟れていないせいか酸味が強く口の中に広がった。


「しかし彼女は結局何者だったんだろうな」


 口の中に入れたリンゴを咀嚼して飲み込んだ恭介がもう一つ取ってしみじみと言う。


「うん?少し変わった人間だろう?俺と同じな」


「お前……」


 恭介が一瞬驚いた態度を取ったが、すぐに表情を戻して元のにやけ面に戻った。


 三十手前の成人とは思えないその顔は正直どうかとは思うが、それでも今はそれでもいいかと思う気持ちになっていた。 


 ふとあいつの言葉を思い出すが、俺は笑ってその言葉を否定する。


「笑顔でいたくらいで皆が好きになるかよ」


 俺の独り言は恭介には聞こえなかったようで、奴は無心にリンゴを食べている。


 いくら自分が買ってきたとはいえ食いすぎではないだろうか?


「……一応俺宛の見舞い品なんだから少しは俺のために残しておけよ」


 すでに奴は最初に切ったリンゴを全て完食している。


 結局俺は一つしか食べられていない。 


なんて意地汚い奴なんだ。


「心配するな……もう少しすれば来るさ」


「それはどういう意味だ?」


 疑問を口にした瞬間に病室の扉がノックされる。


 誰か来たんだろうか?


 というより誰が来たんだ?


 少し身構えて待つが一向に扉が動かない。 


 部屋を間違えたのか?


 そのわりには扉の向こう側で誰かが動く気配がする。


 恭介は知らんふりをして二個目のリンゴを切っている。 


 仕方なく痛む足を引きずって扉を開ける。


 扉の向こうには誰も居ない……と思ったら視界の下のほうで何かが動いたのを見て視線を下げると、美野都がやや腰をかがめてそこにいた。


「……お、おっす」


 何故か顔を少し赤くして古臭い挨拶をする。 

「お、おっす……ってお前何しに来たんだ?」


「何ってお見舞いに決まってるだろ?美野都様、ささっこちらにどうぞ」


「なっ……み、見舞いだとっ!」


 呆気に取られる俺の横をすました顔で通り、恭介が用意した丸椅子にポスっと座る。


そしてあがり症の中学生のように、


「べ、別に来たかったわけじゃないけど、い、一応見舞いくらい来てあげようと仕方なくきたんだから勘違いしないでよね!」


 なんとも訳のわからないことを口走る。


 そしてそんな美野都を見て、


「う~んなんとも典型的なアレですね」


 研究者のような視線でこのちび娘を見る。


「まあいい、それより……怪我はどうなんだ?」


 俺の横を警戒する猫のようにささっと通る美野都の背中を見詰めながら声をかける。


「ふん、あれくらいの怪我なんて大したことないわよ……記憶にないけど」


 そういいながらどっかりと椅子の上で胡坐をかく。


「そうだぞ、もしこれで死んでたり、怪我の跡が残っていたらお前はこの世に存在しなかったということにしておいたのだからな、感謝しろよ?美野都様にな……ささっこの供物をどうぞお受け取りくださいませ」


 まるで先祖代々使える執事のような恭しい態度で小学生に見える小娘にリンゴを捧げる恭介……芸が細かいことにリンゴはウサギのように加工されていて、その細かさがはっきりいって気持ちわるい。


「わあ……うさぎさんだ~」


 そしてそれを受け取る同じ年代のはずのガキの無邪気な顔と声で多少それが緩和される。


「それにしてもこんなちびが宗家の一族だったとはな」


 俺の独り言に反応した美野都が嫌そうな顔で口の中にリンゴをほおばったままこちらを向く。 


「もう一族じゃないもん」


「ああ、そういえばそうだったな……能力を上手く扱えないから放逐されたんだっけな?」


「おい、その話は……」


 恭介が慌てて止めに入る。


 俺達はふんっと鼻を鳴らして互いにそっぽを向く。


 実は放逐されていたのは美野都のほうだった。


 理由は言わずもがな。


 名誉ある鬼上の血を引きながら、醜く残虐な鬼の要素を濃く受け継いでしまい、なおかつそれを制御しきれなかった美野都は一族の列席から外されてしまい他の一般の(それでも十分な生活保護はあるらしいが)のものと同じ扱いとなってこの学校へやってきたらしい。


 宗家の一員だったとはいえすでに美野都の存在や記録全ては抹消されていて、だからこそこの街の管理者である恭介の方にもはっきりとした情報が入らなかったらしい。


「ま、まあ……これからは仲良くしていきましょう」


 冷や汗を垂らしながら繕うような恭介の言葉に返事をしないまま俺達は目も合わせない。


「なんだまた喧嘩をしているのか?」


 突然病室の扉が開いて、ひょっこりと駒墨が顔を出した。


 言葉とは裏腹に薄く笑みをその浮世離れした雰囲気に染込ませた駒墨の姿を見て、美野都が走ってしがみつく。


「泉~、馬鹿に苛められたよ~」 


 まるで本当の子供のように駒墨の胸に飛び込んで嘘泣きをする。


 なんてわかりやすく、効果的な嫌がらせをするやつなんだ!


 駒墨は気まずい顔をした俺をゆっくりと見据え、仕方ないなといわんばかりのため息をつく。


 それだけで俺は美野都に何も言えずにただ苦い顔をすることしかできない。


「やれやれ……あれだけの死闘を繰り広げたというのにまだ仲良くすることができないのかい?困った人だな、錬は」


「う、うるせえ……だいたい死闘を繰り広げたのなら仇敵だってことじゃねえか、なんで仲良くなるんだよ」


「何を言う!互いに命を賭けて戦うことによって深い付き合いが出来るではないか!私が昔読んだ漫画にはそう書いてあったぞ?」


「お前は一体何年前の漫画を読んだんだ!」


 時代錯誤な相性論を叫ぶ駒墨、あきれる俺の顔を見ても理解出来ないという表情で尚もさらに論説をぶち上げ続ける。


 その態度に閉口する美野都と俺の横をフラフラと通り過ぎ、震えながら未だ気持ちよさそうに演説している駒墨の前に恭介がひざまづいた。


「……戦いとはお互いの手を読みあいながら最大限の努力をして勝利を目指す。逆に言えばそれだけ相対する相手をもっとも理解しようとする神聖な行為……それこそが勝利の後には相手への敬意が自然に生まれてしまう……まさに慧眼です!」


 まるで荒野で神と出会った信者のように、心酔する君主に声をかけられた騎士のような恭介のその態度は俺達二人をひかせるには十分な姿だった。


「……ねえ、あれって本当に言ってるの?」

「わ、わからねえ……」


 今まで大抵の敵には退いたことはなかったが、初めて一歩後ろに下がっていることに気づいた(心の中で)。


 そして横にいる美野都もお化け屋敷にうっかり入って怯えきった幼児のように俺の入院服のすそを持って後ろに移動していた。


「なるほど駒墨様は美しいだけではなく、闘争の美と真も理解しているのですね?是非ともこの愚者にも後ほどご教授してくださいませんか?」


「ふふっ、恭介はなかなか理解しているようじゃないか、いいだろう……私が闘争の美醜と作法……そして規範というものを教えてあげよう……ただし、私のことは名前で呼びなさい」


「はい……了解しました……泉様、その日を待ちわびておりますよ」


 そして恭介はひざまづき駒墨の手を……、


「はいはい、いつまでその寸劇をやるつもりだよ、いい加減頭が痛くなってくるぜ」


 二人の間に割って入って時代遅れの寸劇を止めさせる。


「むう……君は限りなく死に近づいたというのに死闘の意味を理解していないのか、やれやれ世話が焼ける男だな、仮にも私に買った唯一の男だというのに」


「ははは、泉様。こんな男に泉様の深遠な良考を理解できるはず無いではありませんか。ささっこの俺が未野都様と泉様の為にひそかに用意しておいた一個五百円もする青森産高級林檎の南部をどうか御賞味してくださいな」


「何!そんな高い割には大して美味くないぞ、この林檎」


「ふははは!当たり前だ!お前に食わしたのは一個百円で買った安売りの林檎……本物の高級林檎はほれ、このとおり俺の懐に入れて隠しておいたのよ」


 高笑いを浮かべながら懐から林檎を取り出す四捨五入して三十路の行動に俺たちは何も反応できず、ただ黙ってため息をつくだけだった。


「ふふ……良い顔をしているじゃないか」


 高級林檎をまるで手品師のようにスルスルと皮を向く恭介に、まるで魔法使いみたいというある種、思い通りの反応をする未野都を尻目に駒墨がそろそろと近づいて耳元で囁く。


「ああ?どこがだよ?俺はあいつの馬鹿行動に心底あきれてるんだぞ?」


 ズレたことを言う駒墨に当然の反応をすると


「何も顔の筋肉を動いていることが笑っているというわけではない。心の中でそう思っていたり感じていればそれは良い顔なのさ」


「……そんなもんかね~」 


 何か矛盾したことを言われている気がするが、とりあえず俺は駒墨のその言葉にあいまいな返事をした。 


 こいつはいつも浮世離れしているせいかどうにも反応がしづらい。


 ただもう二度と会えないと思っていた駒墨の微笑を見ているとどうにも俺は彼女の言葉を否定しづらくなってしまっていた。


「それにしても、お前……死んだんじゃないのか?」


「ああ……さすがに私も覚悟したんだがな、普段なら頭さえ無事なら問題ないんだが、あの時は黒水鬼達も深手を負っていたし……存外、私はしぶといようだ」


「しぶといって……それで済ます気かよ」


 あれだけ暴れまわって、首を飛ばされても死ななかったのなら、こいつを殺すのって不可能なんじゃないのか?


「それに死ぬわけにはいかないだろう?約束をしたのだからな」


 そう言って俺の食べかけているりんごをひょいと奪って口内に放り込む。


「うん、たまには口から食べるのも悪くない……実家に帰って『治療』してきた甲斐があって調子も良いしな」


「『治療』ですか……いったいどのようにしたのですかな?」


 耳聡く恭介が聞きとめて駒隅に問いかける。


「……聞かない方がいい、命と理性がいくつあっても足りやしないよ」


 酷薄に笑みを浮かべた駒隅に俺達は黙り込む。  


「ねえ~、何の話をしてるの~?」



 ぐずるように俺達の間に美野都が割って入ってくる。


「う~ん?遊園地にまた行こうって話しをしていたのさ」


 そういって小柄な美野都を抱きかかえて足の上に乗せる。


「ほほう……いいですな、今度は俺も……」


「ああ……恭介は遠慮してくれ」


「…………はい」


 がっくり肩を落として落ちこむオッサンを見るのはなかなか辛いな。


「……しょうがねえ、行くか」


「ああ……連れ行ってくれ、私達を」


「しょ、しょうがないから美野都も一緒に行ってあげる!もう一度メリーゴーランド乗りたいし……」


 う~ん、やはりこいつ年齢を誤魔化してないか?


 殺し合った俺達は朗らかに笑いあっている。


 しかし問題は山積みだ。


 殺人事件は未解決のまま迷宮入りとなることは確定しているし、美野都の先祖がえりとも言える本能の暴走を抑える術もまだ見つかっていない。 


だが、あの公園での激闘で溜まっていたものが発散できたのか少し落ちついてはきているらしい(あくまで恭介の意見だが……)        

 そしてまだまだ底の見えない駒隅泉という女。 


なんとも面倒くさい人間達が俺の住んでいる街に集まってしまった。


 だが今は考えてもしょうがない……。


 所詮は世の中というのは成るようにしか成らないのだ。


 そもそも自分が明日生きている保障だってこの世には無い。


 それは恭介も美野都も俺も……同じことだ。


 駒隅に対しては理解の範疇外なのでなんとも言えないが……。


病室の窓の外の向こう側にうっすらとあの遊園地の観覧車が見えた気がした。


終了





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新月の夜を好む 中田祐三 @syousetugaki123456

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