第33話

 足音の主達は暗闇からまるで黒水鬼のように現れる。


 闇と同化しているかのようにその姿ははっきり見えず、存在感も希薄だが殺気だけはまるで一つの生き物のようにゆらゆらと暗闇にさえ混ざることの無い黒で見えた。


「泉様はどこにいる?」


 まるで夢の中の住人のようにひどく現実感の無い言葉で一人が問いかける。


「……駒墨ならそこに置いてあるよ」


 ベンチの上の駒墨を指さすと奴らのざわめきが聞こえる。


 はじめて生き物らしく騒然となっていることがなんとなく面白くて少し笑ってしまう。


「何がおかしい?」


「我らが泉様をあのような姿にしたのはお前か?」


「そもそもお主は何者だ?」 


「……お前らこそ何者だ……ああ、お前ら駒墨の家の者か?」


 問いかけを無視して逆に問い返す。


 一瞬の間が空いて、


「いかにも我らは駒墨家の僕なり、主は何者か?そして泉様をこのような姿に変えたは主か?」


 俺の目の前に居た、やや時代がかかった喋りで一人が一歩前に出て答える。


「ああ……そうだ……それと俺はただの街の殺人鬼だよ」


「なんと!」 


 更なるざわめきが広がるが、先ほどの時代がかかった喋りをする奴が右手をスッと上げると途端に黙り込む。


 どうやら奴がこいつらのリーダーのようだ。


「なれば、我らは一族の誇りをかけて主を殺さなければならぬ。そして黒水鬼の回収もせねば……よろしいですかな党首?」


 党首という問いかけにリーダー格の後ろを見るといつの間に来たのかスーツを着た初老の男が立っていた。


 どこかで見たことのある顔だが一体どこなんだろうか?


「異存は無い……だが早くしろ。我ら、いやわが国は黒水鬼を失うわけにはまだいかんのだ」


 奴らとは違う威厳のあるその声は、圧倒的な存在感を自ら誇示しているかのようにはっきりと俺の耳に残った。


 さすがに当主と言われるだけの風格は持ち合わせているようだ。


 それにしても顔だけじゃなく声もどこかで聞いた覚えがする。


「ああ、駒墨の黒水鬼を移植するんだっけか?だけどそれをやらせるわけにはいかねえな」


「ほう……小僧、お前程度が我が一族の僕を退けられるとでも思っているのか?」


「そっちこそ、鬼上の血をなめるんじゃねえぞ?お前のところのボンクラくらいの敵と毎日やりあってんだからよこっちは……」


「ほう、鬼上か……、異形の獣の血を誇るとは所詮は人を辞めた獣の末裔にふさわしい戯言だな……お前ら、この畜生を殺せ」


 それを言い終わる前にすでに俺は横にいた一人を切り倒し、その隣にいた敵に切りかかっていた。 


「不意打ちとはさすがは獣よ……なれば我らも容赦はせぬ」


 数十メートル開けて散開した敵がそれぞれに構える。 


 不意打ちで何とか二人を始末したが、それでも怪我をしているこの状況では自分自身の不利は覆らないだろうな。


 ふとベンチの上の駒墨を見る。 


静かに目を閉じられた穏やかな表情を見て、やはりこいつらに駒墨を渡す訳にはいかないことを改めて誓う。 


 あの嫌味な高貴さも、成り立たない会話と吹っ飛んだ感性……そして黒い黒い黒水鬼の中心部で立つあの姿を俺はもう忘れることが出来ない。


 そしてあの恐ろしくも駒墨の一部だった黒水鬼が誰か知らない奴の物になることも許せなかった。


 それじゃあ戦わないとな……こいつらぶっ殺して、当主もぶった切って、駒墨の黒水鬼を守って……。


それから……あれ?


 何をしてるんだっけ?


「その深手でよく戦ったな……」


 あれ? 誰だこのおっさん……ああそうだ……駒墨を守らないと……だから……腕を上げて……敵を……倒して……おかしいな……地面がいつのまにか顔の横にあるぞ……なんて……冷たい……。


「さっさと始末して泉を回収するぞ。黒水鬼が死ぬ前に手を打たないと間に合わなくなるからな」


 ジャリと言う砂を踏みしめる音が耳元で聞こえ、髪の毛を掴まれて強引に上を向かされる。


 目の前には先ほど当主と呼ばれていた中年男の顔がある。


「お前の始末は私自らしてやる。それが父親としてのせめてもの責務だ」


 父親……? 誰が……? 駄目だ頭が回らない……ああ思い出した、何だってこの男がこんなところに……ああ刃が俺の首に立てられる……これで俺も終わりかよ。


 冷たい金属があたる部分がヒヤリと冷えて心地よい、もうすぐその怜悧な心地よさが俺の首の中に入ってくるのだろう。


 所詮はクズの末路ってのはこんなものか。


「行くぞ……せめて祈れ」


 もうすぐ死ぬ人間にとって何の意味も無い言葉をかけて男が俺の首に刃を食い込ませる。


 全くテレビのニュースで見たとおりの仰々しい野郎だ。


 つばを吐きかけた気分だがその力さえ残っていない。


 首筋に当たる怜悧な刃が首の皮膚を切り裂いてさらにその下の血管に到達するその刹那、聞き覚えのある声が木霊した。


「そこまでだ!」


 男達の後ろに息を荒くした恭介が銃を構えて立っていた。


「鬼上の者か?」


 恭介の登場に何の動揺も見せない表情の男達、風に揺れる蜃気楼のような男達も同様な反応で黙っている。


「ああその通り、この街を担当している斉藤恭介というものです。これは一体どういうことです?暗部の方々がこんな田舎都市にやってくるなんて……それにこの惨状は何なんだ!そこにいる馬鹿のことはどうでもいいが、これは両組織にとって重大な問題となりますよ」


 男達の正体に気づいているのか、焦った口調で男たちに問いかける。


「ふむ……管理者の方のようだな、これは失礼した。我々に鬼上の方々への敵意などは無く、ただ我が一族の者がこの街に迷い込んだようなので捕らえるために来ただけのこと……連絡を入れなかったのはこちらの落ち度ではあるが、そちらには関係の無いこと」


 演説するようにスラスラとよどみなく訪問理由を語る男の目は何の感情も移していない。


 まるでテープをただ再生するだけのラジカセのようだ。


「ほう……その割には内閣調査室なんて大層なものを動かして探しておられたようですね、しかもこの街で異常殺人事件が始まってから……」


「何を勘違いしている?我が内調は国民のために存在している。故に我が一族の者が罪を犯した可能性があるというのなら自ら処理に当たるのは当然のことではないかね?」


「処分?保護の間違いでしょう……だいたい本当にそちらの一族のものが罪を犯したのなら表の方の内調なんか繰り出さないで、暗部で始末すればいいだけのこと、それにそちらにいる方達は暗部の中でも有数の遣い手で、捕獲部隊の面々ばかり」


 恭介の視線が油断なく他の面々達に向けられる。  


「……よく勉強していますな。まさかこんな地方都市にそこまで我々のことを詳しいものがいるとはな」


 俺の髪を掴んでいた手を離して立ち上がり、男が恭介と向かい合う。


「いえいえ、こんな田舎だと噂話くらいしか楽しみがないものでしてね、それでどうして私の部下をあなた方が痛めつけているのですかな?」


「ああ、これはこの彼が私達に危害を加えようとしたものですから身を守るため仕方なく応戦しただけなのだよ」


「そうですか、それではそこの馬鹿は私からよく言って聞かせておきましょう……ご用件は済んだでしょう?そろそろ東京にお帰りになってはいかがですか?」


「………………」


 男は沈黙している。


 恭介も慇懃な態度で男達を見ている。


 俺だけは地面に這いつくばってその情景をうす暗い視界の中で見ていた。

 

「……よろしいでしょう。それを回収しろ……東京に帰還する」


 男達が『駒墨』を抱きかかえて、立ち去っていく。  


 が、急に足を止めて、


「そうそう斉藤恭介君と言っていたかな?君の名前はよく覚えておくとしよう」


「光栄です……総理に覚えてもらえるなんて」


 全く感情のこもっていない声で光栄の言葉を捧げる。 


 男達はその言葉を受け取って静かに去っていく。


 まるで幻のように現実感のない光景だった。


 そのまま俺は闇よりももっと深い何かに沈み込んでいく。 


 結局何も出来なかったという無力感だけをしっかりと認識しながら……。





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