episode5
入学試験を終え、アストは帰路に着いていた。
辺りは陽が落ちて暗くなり始め、周囲には同じく帰路に着いているのであろう人たちが足早に追い抜いていく。
その背中を眺めつつ、息を吐いた。
この春先の季節、陽が落ちると気温は一気に下がる。
吐いた息は白く濁り、空気に溶けて消えていく。
ふと、甘い香りが鼻についた。
「あれは……」
よく目を凝らす。
道から逸れた公園の側で、クレープの移動販売が行われていた。
アストは匂いに釣られるように歩いていく。
「およ?」
設置されたテーブルには、何故かミゾレが座っていた。いや、理由は分かっている。
ミゾレは甘いものに目が無かった。
大方、ミゾレも甘い香りに釣られたのだろう。
「リーダー。さっきぶりだね」
「ミゾレも寄り道か」
「そ。こーんな甘い匂いをさせてればねー」
両手にクレープを持つ女子高生の図というものは、案外可愛らしいものだ。……鼻頭にクリームが付いていることが多少気になるが。
アストは無言でミゾレの向かいに腰を下ろし、自分の鼻先を指で突いて知らせる。
「……なに?」
伝わらなかったらしい。
「鼻先にクリームが付いてるぞ」
「えー?」
確認しようとするミゾレだが、両手にクレープを持っている為、確認のしようがない。
ワタワタとした後、ミゾレは顔をアストに近付ける。
「リーダー。拭いて?」
「一度置けばいいだろう」
「私、ティッシュ持ってないや」
拭くつもりがないのか、姿勢を崩さないミゾレに押し負け、アストはティッシュを取り出してクリームを拭き取る。
通り過ぎる人達から視線が向けられていたのは、気のせいではないだろう。
「ほら、取れたぞ」
「んー、ありがと」
取れたことを伝えると、ミゾレは直ぐにクレープに夢中になる。
クレープを食べるつもりでやってきたアストだが、ミゾレの食いっぷりを見ているとお腹が膨れるような錯覚に襲われていた。
気が付けば、ミゾレの手からクレープは無くなっていた。
「飲み込むように食べたな……」
「これくらい普通だよ。リーダーは食べないの?」
「ああ。十分だ」
「? リーダー、私が来るより前に食べてたの?」
「気持ちの問題だ」
相変わらず頭に疑問符が浮かんでいるミゾレには、アストの心境を理解できないだろう。
「それはそうと、こんな時間まで何をしていたんだ?」
入学試験が終わったのは今から2時間ほど前だ。クレープ屋に辿り着くまでに本屋や商店街などに寄り道をしていたアストは兎も角、普通ならばとっくに帰宅している頃だ。
まさか、今までずっとクレープを食べていた訳ではないだろう。
「それがさー、聞いてよリーダー。入学式の挨拶のことで呼び止められて、今までずっと挨拶文作りだよー」
「……そうか。大変だったな」
うへー、と机に項垂れるミゾレを見て、アストは内心安心していた。
一歩間違えれば、ミゾレの立場には自分がいたのだと思うと気が気じゃ無かったのだ。
「うぅ……。明日サボっちゃおうかな……」
「その場合、挨拶はどうするんだ?」
「リーダー。大丈夫。挨拶文は私のを貸してあげる」
「ミゾレ、明日は絶対に休むな。俺に代表挨拶は無理だ」
察してしまった。首席の代わりは次席、という訳なのだろう。
しかし、代わるなんて冗談ではないが、ミゾレの消沈姿を見ていれば可哀想な気もしてくる。
ミゾレに何か声を掛けようとしたが、その声が喉を通ることはなかった。
「––––げっ……」
背後から聞こえた、聞き覚えのある声。
振り返ると、心底嫌そうな表情を浮かべるシェーネと知らない女子生徒がいた。
「最悪……」
そんな小声が聞こえた気がしたが、あえて聞こえていないフリをした。
「クオリディア、あっちが空いているわ」
「ちょっとシェーちゃん。引っ張らないでぇ……」
シェーネがクオリディアと呼ばれた女子生徒の手を引いて、アストたちから離れた席に向かっていく。
「あれってリーダーのこと応援したて子じゃない?」
「ああ」
「行かなくていいの?」
「理由がないからな」
「……ふーん」
横目で彼女らの姿を追うミゾレは頬杖をついて、クレープが包まれていた紙を綺麗に折り畳んでいく。
紙包の中に残っていたのだろう漏れ出して手についたクリームを舐めとる。
「リーダー、ティッシュちょうだい」
「それくらいは常備しておけ」
衛生面での常識をミゾレに教えつつ、ポケットに押し込んでいたティッシュを渡す。2、3枚ほど取り出して手を拭くと、そのティッシュで紙包を包んだ。
「さて……」
立ち上がったミゾレはゴミ箱に向かうのかと思われた。……が、ミゾレが足を向けたのはシェーネたちの方向だった。
「お、おい、ミゾレ?」
慌てて後を追う。
近付いてくるアストとミゾレに気が付いたのか、シェーネは心底面倒くさそうな表情を浮かべ、深く溜め息を吐いた。
異世界の覇者、転生して無双開始 蓬莱汐 @HOURAI28
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