第28話 旅立ち

 草地で寛ぐ冒険者たちの笑い声が響いている。

明日から行動を共にするルーチェもその輪に入って親交を深めていた。

もともと人懐っこい性格をしているので、すんなりと仲間として受け入れられているようだ。

ルーチェはこの階層にたどり着くぐらいだから冒険者としての実力だって申し分ない。

仲間と認められる素養は充分なのだ。

なによりもルーチェが一緒にいるのは同国人だった。

同じ文化を共有する者同士の気安さというのがそこにはあった。

それは与一には与えることのできない安らぎだ。


 与一たちは気を使って少し離れた場所から彼らを見ていた。


「ルーチェさん嬉しそうですね」


あまりに無邪気な由梨の一言が与一を自分でも驚くくらい傷つけていた。

だけど与一にもわかっている。

あんな風に笑うためにもルーチェは地上へ帰らなければならないのだ。


「そうだね。自分たちだって外国で日本人にあったらきっとほっとするだろう? 別に知り合いじゃなくてもさ。それと同じ感じなんじゃない?」


自分とルーチェは第三国を旅行中に出会った旅人同士のようだ。

知らない異国で恋に落ちて、その国で時間を共有して、タイムリミットが来ればそれぞれの国へ帰る期限付きの恋人だったのかもしれないと与一は考えていた。




 その晩、芹沢家のリビングではLEDランタンが煌々と灯り、三人の男女が額を突き合わせていた。


「これより、作戦会議を開きたいと思います」


重々しい口調で瑞穂が与一と由梨に語り掛けた。

二人は無言で頷く。


「ここ数日、マンションとカバリア迷宮で過ごしてきてわかったことですが、私たちには生きていくための知恵というものが欠如しています。はっきり言って無知と言っても過言ではないでしょう!」


芝居がかった口調で瑞穂は続ける。


「今のところ食料は潤沢にあります。しかし、保存食はどんなに切り詰めても一カ月が限度です。今後の生活のためには狩猟採集の他に、農業と畜産の必要があります」


まさに文明の基礎だ。


「とはいっても、どのように農業と畜産をすればいいのかが私たちには全く分かりません。そこで私はこの作戦を提唱したいのです」


与一と由梨は真剣な表情で作戦名が告げられるのを待った。


「名付けて、杉並区立中央図書館奪還作戦です! ついでにデパートにも寄って冬物の服も貰ってこよう!」


力強く宣言する瑞穂に控えめな二つの拍手が送られた。


「趣旨に異存はないんですけど、問題は図書館までたどり着けるかどうかですよね」


実際に確認してはいないが街にはゾンビが溢れていることだろう。

窓からざっと見ただけでも、通りには十体以上のゾンビが確認できた。

由梨の捕獲者キャプターの能力でゾンビの動きを止めて、一体ずつ撃破していけば図書館への到達は可能かもしれない。

だが、それまでに一体何百体の頭部を破壊しなければならないのだろうか。 

与一と瑞穂がそれに耐えられるかどうかが問題だった。

この付近にはゾンビになった知り合いも多いだろう。

図書館までの距離はおよそ一キロ。

徒歩なら一〇分強で行ける。


「いきなり図書館まで行くのではなく、周囲とゾンビをよく観察してからの方がいいと思います」


由梨の意見に与一も同調した。


「うん。食料にはまだ余裕があるから、一カ月くらいはゾンビを観察してみましょう。ゾンビと言っても細胞は生きているわけだから、腐敗が進めば動きは鈍くなりそうだし、活動を停止するやつもそのうち出てくるんじゃないでしょうか」

「だったら、しばらくはゾンビの観察と撃退法を考えてみましょう」


瑞穂はこれまで見せたことのないような座った眼をしていて与一を驚かせた。

昔の瑞穂はしっとりとした美人で、穏やかな印象の若奥様といった感じで与一は淡い憧れを抱いていたくらいだ。

だが、最近ではそれが単なる自分の幻想だったとわかってきている。

よく知り合えば、瑞穂は元漫研のオタクだった。

もっとふんわりとした人だと思っていたが、実際は意外にも過激な部分も持ち合わせている。


「明日からゾンビを的にして弓矢の練習をしてみるわ」


与一と由梨は信じられないという思いで瑞穂を見つめた。


「与一君、由梨ちゃん、あれはもう人じゃないわ……」


それは与一にもわかっていた。

自分を可愛がってくれた吉田の奥さんに弓を引いたのは与一自身だ。

あれはもう吉田のおばさんではなかった。

わかっているのだがわざわざ弓矢の的にしようという気にはなれない。

だが、瑞穂は決然とした態度で言い放った。


「原始人のような生活をするのならカバリア迷宮の中でそれは可能でしょう。だけど、私はそんな生活は嫌なの。出来る限りまともに暮らしたいのよ。その為には物資が必要だわ。ゾンビが邪魔になるというのなら私はゾンビを討つ」


瑞穂の表情には凄みさえも漂っている。


「わかりました。自分もやります」

「私もやります。弓矢だけではなく魔法の練習も」


こうして、明日は二階のベランダからゾンビに向けて矢を放つことになった。




 与一が自室に戻るとルーチェがベッドの上で所在なさげに座っていた。


「ごめん、勝手に待たせてもらってたよ」

「うん。何か飲み物でも持ってこようか」


ルーチェは小さく首を振った。


「明日は出発が早いし、ドタバタしそうだから今のうちにお礼を言っておこうと思って」

「お礼なんて要らないよ。自分もルーチェにはいっぱい助けられたからね。お互い様だ」

「お互い様か……」


感謝の言葉は長く続くものではない。

会話が途切れてしまうことを恐れて、与一は話題を探した。


「地上に戻ったらどうするの?」

「とりあえずは雇い主のアベニール伯爵へ報告に行かなきゃいけないかな。『七剣』の生き残りは私だけだからね」


下っ端とはいえ果たすべき責任というものがある。

それにルーチェとしては給料をもらいたかった。


「それからどうするの?」

「それから先は……伯爵家で継続して雇い入れてくれるか、それとも新しいパーティーを探すか、何ともいえないわ」


冒険者というだけあって結構行き当たりばったりの生活をしているのだ。

与一は心配になってしまう。


「お金とかは大丈夫?」

「へへっ、一応へそくりはあるんだ。ここだけの話、アパートの壁の穴に三万エクスほどね」


カッサンドラに出した食事の代金が三千エクスだった。

かなり高めの値段らしいが、そこから考えると三万エクスでは大して余裕はなさそうな気が与一にはしてくる。


「ルーチェ……ちょっと付き合ってほしいんだけど」

「え? 何?」

「財宝荒らしだよ」


与一はルーチェを連れ出した。



 非常階段を上ってやってきたのはペントハウスだった。

食料や有用な物を探すために部屋の中を一応は調べてはあったが、寝室などは手つかずのままだ。


「ここで金目の物を探そう」


与一は感情の乏しい顔で言った。

マンションのオーナーの部屋である。

それなりに高価な品物があってもおかしくはない。


「いいのかな?」

「うん。心理的抵抗はあるんだけどさ、もう食糧は盗んでしまったし、勝手に部屋を使っているからね。家具だって運び出してしまっているんだ。今さら数点の貴金属を盗ったとしても大した違いはない気がするよ」


もしもオーナーが生きて戻ってくることがあるのなら、罪の償いはその時に考えることにした。



 ダイヤモンドのイヤリング、ガーネットのついたネックレス、エメラルドの指輪の三点をルーチェは選んだ。


「これだけあったら冒険者をやめて、新しい商売でもできそうね」

「だったらやめちゃえばいいんだよ。死と隣り合わせの生活なんてもう送ることはないさ」


ルーチェは与一から顔を背けた。


「でもさ、冒険者をやめたら、ここには来られなくなるんだよ」


寂しそうなルーチェの背中に与一は触れたかった。

だが最大限の自制心でその気持ちを抑え込む。


「それでも、ルーチェが危険な目に合うよりはずっといい……」

「与一……地上に行って私と――」


玄関の方から扉が開く音が響いてルーチェは言葉を飲み込んだ。

入って来たのは瑞穂だった。


「うわっ! ごめんなさい。人がいるとは思わなくて」


誰もいないと思っていたらしく瑞穂はかなり驚いていた。


「どうしたんですか佐伯さん。こんな時間に?」


時刻は夜の九時を回っている。


「朝食の下準備をしておこうと思ったんです。なにせ人数が多いですから」


冒険者だけで十四人もいるのだ。


「だったら自分も手伝いますよ」


瑞穂は戸惑っているようだ。


「いえ、一人でできますから。あの……ごめんなさい。お邪魔する気はなかったんです」


済まなそうに頭を下げる瑞穂にルーチェは笑いかけた。


「大丈夫よ。もう用は済んだから。実は与一から餞別を貰っていたの」


ルーチェはニンマリしながら宝石類を瑞穂に見せた。


「あらぁ~高そうな宝石」

「えへへ。これで冒険家家業からも足を洗えるわ」


少しだけ雑談を交わしてルーチェはカバリア迷宮へと帰っていった。



 出発の朝は爽やかな秋晴れとはいかなかった。

薄曇りの空の下で与一はルーチェを見送った。

迷宮の上層へと続く階段が冒険者たちを次々と飲み込んでいく。

最後尾を歩いていたルーチェが階段を一段上がったところで振り向いた。

わずかに動いたルーチェの口が何と言っていたのか与一は分からなかった。


「愛してる」? 

「またね」? 

「さよなら」?

それとも「意気地なし」?


そのどれもが当てはまる気がして与一は途方に暮れる。

そして与一も思い出した。

自分だって大切な気持ちはルーチェに何一つ言葉にして伝えていないことを。

発せられることのなかった「好きだ」という言葉が、与一の中で硬質化して心をチクリと刺してくる。

結局何も言えないまま与一は空を見上げた。

今、一つの季節が終わろうとしている。

カバリア迷宮にも冬が近づいていた。



第一章 完


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カバリアの箱庭 長野文三郎 @bunzaburou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ