明暗
大蔵くじら
蜜
私は今日死ぬのでしょう。
そう思い込まなければ、不安の日々を生きられはしないのです。
それはゴールがあるからこそ、何かを目指せるのと同じです。
『三つ子の魂百まで』『一寸の虫にも五分の魂』なんていいますが、それは魂の、内の生命の話で、命なんてものは元来とても消えやすいものなのです。
例えば、昨日も私の命は風前の灯でした。一昨日も、去年も、十年前も——。
しかし、三途の川の信号機が黄色点滅を始めるその時、その度に、流星のように燃え盛る輝きが私に
そんな僥倖の灯など非常に脆いもので、日常の些細な事でもゆらゆらと揺れ動き、消えそうになっては、危険信号を送ります。
他人事だとお思いでしょうが、きっとあなたの命もそんなものでしょう。
違いますか? これは失敬。
だって今日も、些細な事に「ラッキー」を感じたり、小さな不運を呪ったり、些末を些事と見逃せず、重い傷を一人で背負ってみたりしているものだから、同じものだと勘違いをしてしまいました。
それでは、あなたの命ってなんなのでしょうね?
いえ、気にはなりますが、答えは不要ですよ。私は、とにもかくにも不安なだけなのですから。
あっ、そうだ。
そんなことより聞いてくださいよ。
私、趣味でガーデニングをやっているんです。それで、これはもうかれこれ数年前のことなんですけど——。
その時育てていた花に、やっと蕾が着いてきたかなというところで、ある日カラスが訪ねて来たんです。
「それは蕾だね? とても善く育っているじゃないか」
「はい、もう少しで咲きそうなんですよ」
ガーデニングの腕前には自信があったのですが、それまで誰も褒めてくれなかったもので、それがまた不安の種になっていて、だからカラスに褒められて、それが嬉しくて舞い上がってしまったんです。
「一緒にやってみませんか?」
見ず知らずのカラスに、そんなことを言ってしまうほどには、いい気分でした。
「いいのかい?」
「ええ、そちら側一帯は、好きに育ててみてください。わからないことがあればお教えしますから」
「じゃあ、ありがたく頂戴させてもらうよ」
カラスはそう言うと、蕾を全部食べてしまったんです。
とがったくちばしのせいで、辺りには花びらになるはずだった欠片が散らばっていって、私はもう絶句で放心……気付けばカラスは私の目の前の蕾まで食べてしまっていました。
勿論怒りました。それはもう。
「どうしてそんなことしちゃうんですか!?」
と声を荒らげて、外聞も気にせずカラスを睨みつけました。
そうするとカラスは、
「花が咲いて、死ぬのを待つだけよりも、こうして美味しく食べられた方が、こいつらも幸せだと思わないかい。ああ、ご馳走様」
と事も無げに、自信満々といった表情で言ったのです。
もちろん、「そんなことはない」と否定したかったのです。
だけれど、出来なかったのです。
なぜなら、その花の種子は、食用だったから。
美しく咲いた花が見たかったのは私の気持ちで、花の本望なんてわかるはずもありません。ましてや、食用植物自身の花に対する思いなんて、想像もつきません。
だから、私はもはや何も言えなかったのです。
そうして、種子を残すことなく死んだ花は、カラスに肉を、私に強い後悔と、ほんの少しの復讐心を芽生えさせて、その灯を消したのです。
今でも、あのカラスの顔は覚えていますよ。もうトラウマです。
ふふ……、この話、どう思われました?
滑稽でしたか? いえ、笑ってもらっても構わないですよ。
他人の後悔や復讐心ほど、甘い蜜はないってよく言うじゃないですか。
当事者になってみると、他人のでもあんまり笑えなくなりますけどね。
こんな仕様もないお話ですけど、あなたの日々の潤いになっていたらとても嬉しいですよ、
あら、いけない。
診察の時間。
それでは、またお会いしましょうね。
えっと、確か名前は……河津さん、でしたよね?
明暗 大蔵くじら @umanohone7700
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