第六話 ハジメテの遠距離 2

 あやは大地に手を引っ張られ、恵一朗の車に乗せられた。

「まったく仲良くやっているのかと思えば」

「ご、ごめんなさい」

 大地の苦言にあやは肩を竦める。

「あやは悪くないんですよ、大地さん」

「勝手に勘違いしているのはあやだろう? 違うんですか?」

「勘違いさせるようなことをした俺が悪いんです」

 恵一朗の言葉にあやは何も言えなかった。

「とりあえず、今夜はゆっくりと話し合ってくださいよ。俺、ホテルに泊まるのでそこまで送ってもらってもいいですか?」

「もちろん。大地さん、明日の朝も迎えに行きますよ」

「ありがとうございます」

「大地お兄ちゃんはいつまで都内にいるの?」

 あやの質問に大地は笑みを浮かべる。

「一週間くらいかな。あや、バイトもいいけど、勉強も疎かにするなよ」

「はい」

 あやは頷いた。

 恵一朗の車がホテルの前に停まり、大地がすぐに降りた。大地に見送られてあやは恵一朗と一緒に車で家に戻ってきた。

「ごめん、なかなか説明する時間もなくて」

「あの、ごめんなさい。メールとか……」

「うん、いいよ。あやの気持ちはわかるから」

 二人はソファに腰を下ろし、あやは彼の横顔を見ていた。

「三木とは高校の時の同級生で、彼女はその時から野心家でね。大学は別になったけど、何度か会う機会があった。ニューヨークで再会した時、俺は彼女の上司である社長を口説いている最中だったんだ。日本で出店しないかって」

「それがようやく叶ったんですか?」

「うん、そうなんだ。そこに三木の尽力があったこともその間に彼女とニューヨークでベッドを共にしたことがあるのも認める。でも、それは……恋愛とは別だった」

「それは、恵一朗さんにとってはということですよね? 三木オーナーは恵一朗さんのこと」

「彼女が俺に対してどんな想いを抱いていたのか、わからないよ。聞いたこともないし」

 恵一朗の言葉にあやは驚いた。

「ある程度の好意は抱いてくれているだろうけど、当時の俺にはそんなものに興味はなかった」

「どういうことですか?」

「恋愛感情ってものがわからなかったんだよ。好きだのなんだの言っているけど、結局……うん、性欲を満たしたいだけって思っていてそれ以外の感情を信じていなかった。あやに出会うまで」

 あやは何も言えず、彼の腕を掴んだ。

「幻滅したかな。あやに嫌われたくないから誤魔化した。でもその結果、君を余計に悩ませてしまった」

 あやはゆっくりと首を横に振った。

「君が夜中に俺の書斎に覗きに来てくれると嬉しくて、すぐに抱きしめたくなったんだけど」

「気付いていたんですか?」

「うん、でも逃げられたら怖くてなかなか君に謝ることもできなくて」

「そんな……」

「愛しているよ、あや。今夜は一緒に寝てもいい?」

 あやは大きく頷いた。次の瞬間、恵一朗がギュッと抱きしめてくれてそのまま唇が重なった。

「あや、もう一つ大事な話があるんだ」

「大事な話ですか?」

「うん、来週の金曜から三週間程度、海外出張なんだ」

「えっ?」

「一人にしちゃってごめんね。何かあったらどんなに小さなことでもいいからすぐに連絡して」

「はい」

 あやはギュッと彼の背中を掴んだ。

「お土産、いっぱい買ってくるね」

「気を付けて帰ってきてほしいです」

 彼の唇がまたあやの唇を捉えた。唇の形を丁寧に舌でなぞられ、それから舌が滑り込んでくる。

「ごめん、我慢できそうにない。あや、抱いてもいい?」

 恵一朗に言われ、あやは頷いた。

「でも、その前にシャワーを浴びさせてください」

「俺も一緒でいい?」

「えっ?」

 あやの身体を軽々と抱き上げた恵一朗は、そのままバスルームへと入った。

「もう離したくない。君が帰ってくるのをこの家で待てなかった。もし帰ってこなかったらと悩みながら待つなんて耐えられなくて。夜、君がベッドで眠っているのを見て安心していた。君に幻滅されるのが怖くて、嫌われたくなくてどうしていいかわからなくて時間をずらして生活していた卑怯な大人だ」

「でも、私が先に無視したりするから」

「何もかも俺のせいにしていいから、俺の傍から離れないで」

「恵一朗さん、大好きです。でも隠し事はしないで」

「あやが不安になるようなことはしないよ」

 あやの服を脱がしながら、恵一朗が何度もキスをしてくれる。

「ごめん、先に入っていて」

 恵一朗があやの服を脱がした後で、彼女の背中をそっと押した。恵一朗のスマートフォンが鳴っていたようで、ちらりと横目で見た液晶画面には三木の名前が表示されていた。

 あやは頭からシャワーを浴びた。

(さっきまで会っていたのにどうして電話してくるんだろう? それに恵一朗さんはどうして私をあのカフェで働かせているの?)

 過去に関係のあった女性の店で、あやを働かせる理由がわからない。

(でもこんなことを聞いてまた話すこともできなくなったら……)

 来週後半から三週間も恵一朗とは会えない。この一週間は何も気にせずに恵一朗の腕の中にいたいと思っていたのに、あやの思い通りにはいかないようだ。

 シャワーを浴びてベッドルームで待っていたあやだが、恵一朗の電話が終わる頃には眠ってしまっていた。

 翌朝、恵一朗は早めに出かけたようで顔を合わせることもなかった。

 午前中だけ講義を受けたあやは、そのままバイト先に向かう。この日から通常オープンで、日本初出店のカフェという評判もあり、店は長蛇の列が続いていた。

「木元さん、石野くんと一緒に外でお客様の誘導をお願いね」

 あやは三木に言われた通り、石野と一緒に客の誘導に当たった。コピーしたメニューを客に手渡しながら、おススメのメニューを伝える。

「こちらに並んでお待ちください。メニューをご覧になりますか?」

 気温が高く蒸し暑い夕方、あやと石野は汗だくになりながら客の誘導をしていた。閉店時間少し前になると、客も落ち着いてきてあやと石野はようやく店内に戻れることになった。二人は閉店作業の片付けをして、その日の仕事は終わった。

 帰り支度をしていると、恵一朗からメールが入った。

『大地さんと食事に行くから、あやも一緒においで。駅前で待っていてほしい』

 その一文を見つめ、あやはすぐに挨拶をして店を出てきた。熱風が肌にまとわりついてすぐに汗ばむ。それでもあやは早く会いたくて、走り出していた。

 駅のロータリーには恵一朗の車が停まっていて、あやはすぐに乗り込んだ。

「お疲れ様。初日は混んでいたようだね」

 恵一朗にそう言われ、あやは頷いた。

「はい、人がすごく並んでいて」

「地元じゃ見ない光景だよなぁ」

 あやの言葉に大地が笑いながら言葉にする。

「お兄ちゃんもそう思うよね。東京ってやっぱり人が多いんだなぁって……でも、どうしてそんなことがわかるの?」

「昼間、何度かカフェの前を通ったんだよ」

 恵一朗が答えてくれて、大地が頷いているのが見えた。

「そうそう、用事があって藤巻さんと一緒にあの店の前を何度か通ったんだけど、あやはずっと外にいたよな?」

「うん、お客さんの誘導と整列をしていて」

 あやの言葉に恵一朗が首を傾げる。

「妙だな。警備の人はいなかったの?」

「警備の人ですか? 見かけなかったような気がします」

 あやの言葉に恵一朗は何も言わなかった。恵一朗があやと大地のために用意してくれたのは、レストランの個室だった。

「オープン日から一週間は警備を手配したんだけどな。あとで確認しておくけど」

 そう言いながら、恵一朗がメニューを決めてくれる。あやも大地も高級レストランには慣れていなくて、メニューを見ても何を頼めばいいのかよくわからない。

「お兄ちゃんはもう慣れているのかと思った」

「慣れないよ。でも、こういうところのメニューを見てうちの野菜とか売り込みたいから」

 驚くあやに大地はこそっと耳打ちをした。恵一朗がメニューを注文している時を見計らったようだ。

「外で誘導していた時、一緒にいた男とは知り合いか?」

「大学も一緒なの。学年は一つ上なんだけど」

「ふーん、昨日もあやと一緒にいただろ?」

「うん、シフトが一緒なの」

「そっか。俺さ、ニューヨークに行くんだけど、お土産は何がいい?」

 大地の言葉にあやは唸った。

「ニューヨークって何が有名なの?」

「俺もよくわからないけど」

 二人が笑っていると恵一朗が話に入ってきた。

「あやには俺がいっぱいお土産を買って来るので、大地さんは大丈夫ですよ」

「二人で行くんですか?」

 あやが驚くと、大地が苦笑を浮かべる。

「聞いていなかったのか」

「ごめん、言ってなかった。今回は本格的に木元ファームの商品をニューヨークに売り込むのが目的でね」

「海外進出するの? お兄ちゃん」

「いろんなことをやってみようと思っていて、藤巻さんと相談しつつ」

 三人は食事をしながら、楽しい時間を過ごしているつもりだった。あやだけは心の底から楽しめなかった。恵一朗に対して訊きたいことがたくさんあるのに、踏み込むのが怖かった。

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蜜愛トキシック あゆざき 悠 @haruca_ayuzaki

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