サービス残業(恋)
「はあああ、終わった……!」
「さっ、早く帰ろうっと……あああああ!」
パソコンを閉じようとしたところで、現在の時刻が目に入った。0時33分。なんと終電の時間を逃してしまっていた。
タクシーで帰らなくてはならない。いくらお金が飛んでいくのかと考えると、さっきまでの元気はなくなり、がっくりとうなだれた。
深雪の働く会社はいわゆるブラック企業というやつである。こんな時間まで残業したというのに残業代は出ない。サービス残業になってしまう。
そんな会社なので当然ながら、仕事で終電を逃してもタクシーチケットはもらえない。残業代が出ないばかりか、タクシー代の出費になってマイナスということだ。
「ついてないな……」
いつもはぎりぎり終電に間に合うよう時間を気にして仕事をしているのに、今日はうっかり時間の確認をせずに仕事をしてしまった。
会社にはもう誰もいないと思って一人で声に出していると、「花園、さっきから一人で騒いでどうしたんだ」と話しかけられた。
見ると、違うフロアの部署で働く
5歳ほど年上の三宅は確か32歳。わりと整った顔をして、スーツ姿がおじさんっぽくもならずに似合っていて、カッコいい。うちの会社で一番モテる男性だというのに、未だに独身で、付き合っている女性の話も聞かないという少し謎の人物だ。
「すみません、終電逃してしまってショックで」
「終電? なんだそんなことか。俺、車だから送ってあげるよ」
「ほんとですか! ありがとうございます!」
前言撤回! 三宅さんに送ってもらえるなんて、今日はとてもついている!
パソコンを消して、荷物をまとめると立ち上がり、三宅と並んで廊下を歩きだした。
「花園、飯食べた?」
「いえ、食べそびれてしまって……」
「俺もなんだよ。どっかで食べて帰ろうぜ」
「はい!」
一緒にご飯まで食べられるなんて、今日はますますついている。
会社近くの居酒屋でご飯を食べ、会社に戻って三宅の車に乗り込んだ。
車通りの減った道をぼんやり眺めながら、三宅に家の方向を説明したり、会社に関する話をしていると、あっという間に自宅の前に着いた。
「ありがとうございました」
運転席の三宅を見ながら頭を下げる。シートベルトを外してドアを開けようとしたところで、三宅が「待って」と深雪の肩を掴んだ。
「三宅さん?」
振り向くと、思いのほか近くに三宅の顔があって、息をのんだ。
「花園って彼氏いるの」
「い、いえ」
「じゃあさ、俺とのこと考えてくれない?」
そう言うなり、三宅は深雪の唇に唇を重ねた。
深雪は呆然と、目を閉じることも忘れ、されるがままになってしまう。
三宅は唇を離すと、深雪のすぐそばで「おやすみ」とささやいた。
「お、おやすみなさい……!」
何が起こったのかよくわからないまま、深雪は慌てて車を降りた。
胸がドキドキと鼓動を激しく打ち鳴らす。
やっぱり今日はついている。
でも、でも……。
三宅の車が静かに動き出し、見えなくなってから深雪は思わず叫ぶように言った。
「わたし、今月で会社辞めるんだけど……!」
サービス残業ばかりの会社は嫌だ、とホワイトな会社に転職するのだ。
三宅は深雪がもうすぐいなくなることを知っているのだろうか。
しょーとしょーと 高梨 千加 @ageha_cho
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