第152話 性に合わない

 アンジェリカ・ディルムットは、自分が気の強い女だということを自覚している。

 世の男性が求めるような、いわゆるお淑やかで、可愛らしくて、常に一歩引いて男を立てる、というような性格とは自分でも呆れ返るほどに真逆であると思っている。

 だがその代わりに強かった。

 男たちにも負けないくらい、という表現が適切かは分からないが、少なくともお姫様扱いされて守ってもらう必用は皆無であると言い切れるくらいには強い。騎士団の同期では男も含めてトップの模擬戦成績であり、現場での活躍も群を抜いている。むろん、出世頭である。

 そして、アンジェリカを強者たらしめているのは、先天的な運動神経の良さや魔力量の多さというのも大いにあるが、一番はやはりその弛まぬ努力だろう。

 騎士団入隊時から誰よりも剣を振っていた。生来、あまり器用でも頭がいいわけでもなかったが座学はグルグルする頭に活を入れて、なんとか詰め込んだ。現場に出てからもそのやり方は変わらない。誰よりも熱心に仕事に打ち込み、出世に繋がるかもしれないという仕事があれば、周囲に白い目で見られようがなんだろうが率先して請け負った。

 そういった積み重ねの一つ一つが、今日のアンジェリカとその両足を確かに支える自信という土台を作っている。

 もちろん、辛いこともあるし大変なことも多い。むしろそっちの方が多いかもしれない。だがしかし、そこはお淑やかさとは真逆の負けん気で乗り切ってきた。

 そうとも。

 前に出る女は気の強い女は生意気?

 結構である。その気の強さで強く生きてみせるとも。かかってくるがいい世に存在する艱難辛苦よ。蹴散らしてくれる。


「……そう思っていた時期がワタクシにもありましたわ」


 トレーニング五日目の朝。

 アンジェリカは開始時間の六時に、いつもの砂丘ではなく十五番地区の飲食店でグリルチキンセットを食べていた。ブルブル震える手で、チキンを切り分けながらアンジェリカは呟く。


「……これは逃げではありませんわ。精神を守るための戦略的撤退ですわ……おっぷす」


 思い出しただけで吐き気がしたが、間一髪口を抑えて耐えるアンジェリカ。

 あれは訓練という名の拷問である。それ以外の何物でもない。現にアンジェリカが雇っている回復術士はアンジェリカが訓練から帰ってくるたびに「勘弁してください!! 前に見た十年ぐらい戦場で戦い続けた兵士でももう少しマシな状態でしたよ!?」と悲鳴を上げている。

 アンジェリカはその戦場が少し羨ましくなった。末期である。

 というか、あの三十路男は本当にこれを二年間続けたというのか。なるほど、それは強くなるわけだ。というか断言してもいいが、こんなもの続けたらどんな凡骨でも馬鹿みたいに強くならざるをえない。

 しかし、だからといって続けられるかと言えば、少なくともアンジェリカには無理である。というか人間にそんな事可能なのかと心底思う。

 などとリックのことを考えていると。


「お、ここにいたのか。おはようアンジェリカ」


 店にリックが入ってきた。


   □□□


 アンジェリカの向かい側に座ったリックは、口をもぐもぐと動かしながら言う。


「お、真似して注文してみたけど、ここのグリルチキンなかなか美味いな。まあ、リーネットが作ったやつのほうが個人的には好みだけど」

「……何も言いませんのね」


 アンジェリカは少し俯きながらそう言った。


「ん? 何が」

「何がって、ワタクシがこの時間にここにいることについてですわよ」


 ドンッ!!

 と、アンジェリカがテーブルを叩き、周囲の客たちが驚いて一瞬アンジェリカたちの方を見る。


「ええ、そうですわ。サボりましたわ、サボりましたとも。それがどうしたと言うのですか!! あんなイカれた所業は訓練とは呼びませんわ。拷問か処刑ですわ!!」


 自分が逆ギレをしていると分かりつつもそう言ったアンジェリカだったが。


「分かる。超分かるわ、それ」


 リックはウンウンと深く頷いた。


「はい?」

「ん? どうしたんだ? 不思議そうな顔して」

「え、いや。ワタクシ今アナタの修業を拷問か処刑と」

「修行ってそんなもんだと思うぞ。誰かにぶざけんなって怒りぶつけなきゃやってらんねーよな」


 訓練をさせているリックの口からその言葉が出てくると思わなかったアンジェリカは、ポカンとしてしまう。


「俺もきつかったからなあ。ブロストンさんがヒーラーとしても医者としても化物級であることを何度呪ったか分からねえわ」

「ああ、あのオークですわね」


 何せアンジェリカが現在行っている地獄訓練のオリジナルである。

 実際に見たわけではないが、どれほど凄まじいかアンジェリカにも想像に難くない。


「あの人、死んでもすぐなら生き返らせられるから、ホントに死ぬまで追い込みかけてくるからなあ」


 予想の遥か上をいってきた。さすがとしか言いようがない。


「前に「今日は軽めに」って言われて、重りが軽くなっただけで走る距離が十倍になった時は、自分の身に何が起きてるのか分からなくなったぜ。しかも、ここにアリスレートさんが加わると、自分のとんでもない量の魔力をブロストンさんに一部譲渡することで復活できる回数が2000倍に」

「もう止めてくださいですわあああ!!」


 聞いているこっちの気分が悪くなってきたと耳をふさぐアンジェリカ。


「……はあ。ほんとアナタよくあのオークについていきましたわね。アレもおかしいみたいですけど、アナタの精神も十分におかしいですわ」

「んー、まあなあ。でも、実は本気で諦めようかと思ったことがあるんだよな」


 リックは少しい遠い目をしながら言う。


「そう、あれは俺が二十回目の脱走を試みた時だった」

「どんだけ逃げてますのよ」


 まあ、全く不思議な数字ではないが。


「マジであの時は諦めそうになっててな。その時にブロストンさんに言われたんだ」


 リックは少しブロストンの口調を真似て言う。


「心に天秤を持て。『諦めた後の自分』と『今の苦しさ』を思い浮かべて、その二つを正直に天秤に乗せろ。前者に傾くなら俺は「よく決心したな。諦めるのは辛かったろう」と喜んでお前を送り出す。だが、後者に傾くのであれば貴様はまだ諦めるべきではない。納得するまでやりきるべきだ」

「……それで、アナタは『今の苦しさ』を選んだ?」

「ああ、今諦めたら絶対に残りの人生、喉の奥に小骨が引っかかったまま過ごさなくちゃならねえと思ったからな。だけど、何よりもさ、嬉しかったんだよ」

「嬉しい?」


 アンジェリカがリックの表情を見る。確かにその顔は幸福な思い出を他者に語る人間がする時の柔らかい笑顔だった。


「仮に諦めたとしても、辛いことをよく決心したって喜んで送り出してやる、って言ってくれたことが。うん。嬉しかったな。なんでか分からないけど、すげえやる気が出たんだ」


 そこまで言って、リックはがっくりと肩を落として言う。


「まあ、そのあと十分もしないうちに訓練が再開されて後悔したんだけどな……」

「そ、それはご愁傷様でしたわね」


 本気で同情するアンジェリカ。今や二人は同じ苦しみを知る同士である。


「しかし、『諦めた後の自分』と『今の苦しさ』ですか……」


 アンジェリカはリックに話すというより、自分自身に語って聞かせるようにして話しだした。


「昔の話ですが、両親は小さいワタクシに貴族の女然とした教育をしましたわ。社交場のマナーやら、ダンスやら、化粧の方法やら、殿方の心を掴む手管やら……まあ、色々教わりましたわ。ワタクシだけでなく、知り合いの貴族の娘は皆そういう風に育てられますわ。で、まあ、ワタクシも公爵家に生まれたからには、なんとか身につけようとしたのですが……」 


 アンジェリカはスーっと大きく息を吸い込むと。


「まっっっっっったく、性に合いませんでしたわ!!!!!!」


 大きな声でそう言った。


「そもそも『全ては夫ありき』みたいな感じが心底気に食いませんでしたわ。外に出て剣を振ったりしている方がよっぽど性に合ってましたもの。その性に合った生き方でディルムット家とディルムット公国に貢献できる自信はありましたしね」


 リックはあえて聞いてみることにした。


「生き方か……結婚するという選択肢もあるよな。スネイプが富豪なのは確かだ。それだって十分家のためになるのは間違いない」


 アンジェリカはすぐに返答する。


「そんなことは百も承知ですわ。別に男が嫌いというわけではありませんしね。でも……」


 アンジェリカは心のそこから吐き出すようにして言う。


「貴族の女に生まれたからって、嫁にいって子供を産むだけが価値だなんて。そんな風に決めつけられるなんて悔しいですわよ……」


 アンジェリカは勢いよく椅子から立ち上がった。


「ええ、そうですとも。ワタクシの天秤はまだ後者に傾いていますわ。リック、先に砂丘で待ってますわ」

「おう」


 アンジェリカは二人分の代金をテーブルの上に置くと、駆け足で店を出ていった。


「……そういや、初めて名前呼ばれたなあ」


 リックはグリルチキンの最後の一切れを頬張りながそう呟いた。

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2024年7月20日 12:00

新米オッサン冒険者、最強パーティに死ぬほど鍛えられて無敵になる。 岸馬きらく @kisima-kuranosuke

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