最終話

「まだ、こんなに遅くまでやってるんですね」


「お客様がおいでの限りは……」


冨樫は、全く変わらない様子で答えた。


「冨樫さん全然変わらない……あれから二十年近く経っているのに……」


「そんなに経ちますか?」


冨樫はそう言うと、光太郎の傍に立つ百合に目を向けた。


「可愛いお嬢さんですね?とてもいいご縁だ」


「これも父のお陰ですか?」


「はは……お父さんのお墓参りは、済ませましたね?」


冨樫はそう言うと、珈琲をカウンターに二つ差し出した。


「うちの珈琲は、裏の林の私だけしか汲みに行かれない湧き水を使っているので、とても美味しくて、こんなに遅い時間に飲んでも直ぐに眠れるんですよ。どうぞ……」


「よく母が、そう言われて飲んでたっけ……。本当にその夜はグッスリ眠れてた……。仕事の事や先々の事を考えると、なかなか寝付けない事が多かったけど……」


「そうですか?それは良かった」


光太郎は百合を促して、椅子に座って珈琲を飲んだ。


「美味しい」


百合が嬉しそうに言った。


「大学が小島と同じで、よく此処の話ししたんですよ」


「廉君ですか?彼はよく来てくれているみたいですよ。残念な事に、昼間は私は居ないので会えませんが……」


「小島が言うには、此処には二階が無いって?」


「ふふ……在りますよ。必要なものが現れれば、二階はあるんです」


「……じゃ、優男やさおは?」


「優男?……ああ、守田さんの事ですか?」


冨樫の言葉に、光太郎は眉を動かした。


「守田さんは、それはあなた方を気にかけていましてね。気の毒に、若い身空で死ななくてはいけなかった。とても大事なあなた方を、置いて逝かなくてはいけなかった。それは本当に、辛い事だったのでしょうね。その想いに、私の主人が答える事にしたんです。あなたのお母様が同じ様に、あなたとご主人を思っておいでだったので……私の主人が、恩恵を施されたのです」


冨樫はそう言うと、眠そうにしている百合を見つめた。


「本当にいいお嬢さんですね。大切にしておあげなさい」


そう言うと


「お父さんは死ぬに死ねなくてね。あなたとお母さんの境遇が、大変そうだったので……そこで、此処は保育園に近いですし、あなた方をお助けするように仰せつかりました。そしてお母さんの苦労を、少しでも楽にできればと、私があなたを迎えに行ったのです」


と冨樫は話し始めた。


「その内あなたを、預かる事にしました。あなたには寂しい思いをさせずに済むし、お母さんは安心して働けますからね……。しかし、若い身空の一人身の女性は、何かしらと危険が付きまといます。特にあなたのお母さんはお綺麗ですからね、同じ会社の男共が、良からぬ事を考えたりしたりする。それではせっかく懸命に働いていても、気持ちが落ち着く間がありませんからね。心配したお父さんは、縁の神様にお許しを頂きましてね、お母さんにそれは良いご縁を頂いたのです」


「母の再婚は神様が?」


「まさか。お父さんが気に入られて、あなたとお母さんを託す事にしたんですよ。そうでなければ、仮令神様が申されても、お父さんは託す事なんてできなかったでしょう。そのご縁を見て頂き、お許しを頂いたんです。いいですか?縁の神様がお許しになる二人は、必ずや幸せになるんです。ご加護もありますが、神様は全てを見透かされるからです。縁の神様にお許しを頂いたと言う事は、幸せな一生を送るという事です。ですから、お父さんは安心して成仏されたんです」


「父は成仏したんですか?」


「ええ……とっくに。それで、あなた方は幸せに暮らせましたか?」


「はい。本当に良い義父ちちです。妹と分け隔て無く育ててくれて、今でも上手くやってます」


「何よりです。お父さんの目に、狂いはなかったんですね」


冨樫はそう言うと


「では、ゆっくり珈琲を飲んで……」


と言った。


「こうちゃん、君が珈琲を飲める年頃になるなんてね……感無量です」


冨樫の言葉が、遠くに聞こえる様に感じた。


翌朝光太郎は、予約していたホテルの一室で、百合と共にベットで目覚めた。

百合は不思議な喫茶店に寄った事は全く覚えていなくて、父の墓参りと祖父母の所で、楽しい時間を過ごした事だけを覚えていた。



そして二ヶ月後、光太郎は結婚式を挙げた。

大学から再び親交を深めた小島廉を招待して、幸せ太りの母と気の合う義父と可愛い年の離れた妹と……。

近々産まれてくる父の生まれ変わりの、可愛い我が子を待ちわびて……。



真夜中の喫茶店・僕の部屋……終

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真夜中の喫茶店・僕の部屋 婭麟 @a-rin

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