終章
雷鳴がとどろくような音とともに、炎と粉塵が巻き上がり、イリスは床に叩きつけられた。
意識が闇に沈む。
暗く冷たい闇は、安寧な場所にも思えた。
永久の闇に囚われかけたその時、誰かが、イリスを呼んだ。
――ああ。
身体が柔らかなものに包まれる。優しい、強い力だ。
唇に甘い感触を感じる。肌に触れるやさしいぬくもり。
瞼をゆっくりと開くと、間近にゼクスの顔があった。
「イリス?」
心配そうな、ゼクスの呼び声。
「ゼクスさま……」
イリスは自分がゼクスに抱きあげられていることに気が付いた。
痛みを感じていた腕の傷が閉じている。ゼクスが、癒しの力を使ったのだとわかった。
「どうやって――」
ここに来たのか。なぜ、意識がない自分に癒しの力が使えたのか。聞きたいことは山ほどあったが。
「立てるか?」
ゼクスに問われ、イリスは頷く。
その時。
「なぜお前が?」
粉塵の向こうで、<彼>が叫び声をあげた。
風の刃が、二人に向かって走る。
「なっ!」
ゼクスはイリスを横抱きに抱いたまま、横へ転がった。
粉塵が舞い、刃の走った部分の床に深い溝ができる。
「ザルク!」
ゼクスが声を上げる。
人とは思えぬ青白い肌をした<彼>は、怒りに顔を歪めていた。
髪はふり乱れている。
不意に、レザルの声が響いた。
『力をやろう。その男を倒せば、イリスはお前のものだろう?』
「ザルク! 耳を貸すな! そいつはお前を利用するだけだ!」
「うるさい! うるさい! 黙れ!」
誰に向かって、叫んでいるのか。
うめきながら、<彼>の身体が鉛色の光沢を帯び始めた。白かった肌が、鉛色の鱗におおわれはじめていく。
「イリス……ザルクを救いたいか?」
イリスの身体を抱いたまま、ゼクスは問う。
「救えますか?」
「わからん」
ゼクスはそう言って、剣を抜く。
「チャンスは一度。俺が、合図をしたら、奴を癒せ」
ゼクスはそのまま、<彼>に向かって、突進した。
ぐわぁあああ
<彼>の身体が大きく膨れ上がり、鱗に包まれた化け物と化した。
しゅうしゅうと瘴気が鱗から洩れるように噴き出している。
ゼクスは、大きく剣を滑らして、<彼>の足を斬った。鮮血が噴き出し、膝をついた<彼>の後ろにまわりこみ、肩を抑え込む。
「イリス!」
イリスは、走った。
「わが血に流れし聖なる血よ……命の光よ」
体からくみ上げた温かな光を、変わり果てたザルクへと流し込んだ。
ぐああああああっ
空間に絶叫が轟いた。
辺りが静まり返った。
「……イリス公女」
ポツリ、と<彼>の唇から言葉がこぼれた。
目から、赤い光が消えている。
「ザルク公子?」
瞬間、ぐわんと空間が歪んだ。
床に映りこんだ<彼>の瞳が、銀色に光る。
『役たたずめ』
レザルの声が響き、ザルクが吐血した。鉛色の鱗の間から、だらだらと血がしみ出ている。
『
アルカイドの声が空間に響く。
ゼクスは剣を振り上げた。
「アルカイドよ。その契約により、我、乞い願う」
ゼクスは床の影をめがけて剣を突き立てる。
「魔人を骸とせよ!」
ゼクスの力が剣を流れていく。
レザルの叫びが空間をふるわせ、床が揺れる。
イリスはゼクスの手に自らの手を重ね、力を注いだ。
『まだ、足りぬ』
アルカイドの声が聞こえたのか。
ザルクの顔がニヤリと笑った。
「加勢しますよ、殿下」
言うなり、ザルクは床に落ちていたイリスの剣に手を伸ばした。
「我に流れし、聖なる血よ、魔に抗え!」
言うなり、ザルクは自らの身体にそれを突き立てた。
絶叫がおき、空間が裂ける。
ゼクスはイリスの身体を抱き寄せ、剣に力を込めながら吹き荒れる風を耐えた。
気が付くと、闇の中であった。
大きな胸に守られるように、大地に伏していた。
「大丈夫か?」
「ええ」
ゼクスの声に頷いて、イリスは辺りを見回した。
頭上には、星がきらめいていて、冷たい夜風が頬をなでる。
「光よ」
灯りを灯し、辺りを見れば、そびえたっていた岩がパッカリと二つに裂けている。
僅かな呼吸音を頼りに、岩陰に目をやれば、割れた岩に背をもたれるようにして、ザルクは剣を突き立てたまま倒れていた。
「癒しなど……不要です」
ザルクは、手を伸ばしかけたイリスの手を拒絶する。
胸に突き立てた剣からドクドクと血が流れ、背にした岩にシミが広がっていった。苦しそうな息がしだいに弱くなっていく。
「でも……」
「この身体で……生きろと?」
ザルクはにぶい光を放つ鉛色の鱗の腕を僅かに持ち上げてみせた。
頬の傷一つで、ひとは奇異なものと感じるのだ。鉛色の鱗を持つ身体で生きていくことは、相当に辛いことだろう。
「でも……」
「情けは、無用」
イリスの肩にゼクスの大きな手がのせられ、見上げるとゼクスは何も言わずに頷いた。
「殿下、ウエルデンには寛大な……」
ザルクはそれだけ言うと、息を引き取った。
その後――。
公子は、魔人と戦った結果の死であると発表され、ウエルデン公国は、オリビア公女が継ぐことになった。
それから、1年――。
編み上げられたイリスの銀髪に、銀のティアラがのせられる。
純白のドレスは、イリスに合わせたスレンダーなラインのものだ。
「とてもよくお似合いですわ」
ドレスのデザインを施したマーサが、うっとりとイリスを見上げる。
イリスの頬の傷は、残ってはいるものの、やや薄くなってきている。もう、封印の間に入っても、魔人レザルの姿が現れることはない。
代わりに、アルカイドがたまに姿を現す。
アルカイドは、その昔、アレンティアの夫イケルナルと契約したことがあるらしい。
つまり、今のアルカイドは、始祖イケルナルの魂で生まれ直しているということだ。
イリスの発見した『癒し』の魔術は、魔術院で発表され、現在、たくさんの人間が研究を始めている。
もっとも、『意識のない状態』では使えないという、イリスの説がそのまま発表されており、なぜ、ゼクスが意識を失ったイリスを『癒す』ことが出来たのか、ゼクスは公にしていない。
ゼクスが言うには、『癒し』は、男女間の『愛撫』に似た気の交流なのだそうだ。
ゆえに、愛を表現する触れ合いであれば、気を送る側が、力を流しやすいらしい。
もっとも、アルカイドの話では、これは、受け手送り手が、相愛でなければならないと成立しない理論であって、一般的ではないとのことだ。
トントン
扉を叩く音に慌ててマーサが扉を開けると、ゼクスがそこに立っていた。
「イリス」
ゼクスも白の儀礼用の正装だ。腰にさした剣も、儀礼用のもので金の装飾が施されている。
「綺麗だ」
甘い声で囁き、イリスの腰を引き寄せた。人前でのその行為に、イリスは頬を赤く染める。
「はいはい。式が終わるまでは、お預けだよ、おふたりさん」
パンパンと手を叩きながら、ルパートとラキサスがゼクスの後ろで苦笑いをした。
「うるさい。部外者は、入ってくるな」
ゼクスが笑みを浮かべながらルパートを見る。
「まさか、こんな日が来るとは、思わなかった」
白いドレスをまとったイリスを見つめ、ラキサスは感慨深げに目を細める。
長い年月。言われなき噂を甘んじて受け入れ、魔を倒すことだけに『生きる』意味をみつけていたイリスの晴れ姿に、ラキサスの目から涙がにじむ。
「お二人とも、ご準備はできましたか?」
封魔士の正装をまとったレキナールが、大慌てで長い廊下を走ってきた。
「みなさま、お待ちですよ」
祭礼のファンファーレが鳴り響いた。
ルクセリナ帝国、皇帝ゼクスと、その妻、イリスは、五人の子に恵まれた。
近隣諸国から、封魔や魔術の技を学ぶ留学生も多く訪れ、帝都アリルの賑わいは大陸全土に鳴り響いた。
そして……封魔皇帝ゼクスと、英雄イリスの名は、子子孫孫まで語り継がれたのだった。
了
魔人の花嫁 秋月忍 @kotatumuri-akituki
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