生還

 死の空

 人間は誰でも避けられない運命――死がある。


 それは寿命、不慮の事故や病気によるものがある。


 だが、どうしても、まだ死なない体を無理やりにして死なせければならない、抗えない運命というものがある――


 1945年の8月14日――沖縄に巣食う化け物ども――米軍の艦隊を壊滅させる為に、風神特別攻撃部隊は最後の杯を交わし、もう敵には対抗できない、旧式の三菱零式艦上戦闘機21型5機が250キロ爆弾を搭載してプロペラを回し、まだかまだかと、出撃の機会を待っている。


「鏑木」


 隊長と思しき男は、一晩中、次の日の朝に必ず来る死の運命に直面して緊張して眠れなかったのか、青白く目にクマが出来ている鏑木和久一飛曹に声を掛ける。


「女郎屋で、筆おろしはしたか?」


「いえ、それが、不能でして……あの世で、美人に筆おろしをして貰う事に決めました」


「ははは、そうか!」


 どっと、笑っている彼等の元に、白衣を着た軍医が注射器を持って歩み寄る。


「これから、ヒロポンの注射を行う、死の恐怖を無くす事が出来る万能薬だ、打ちたい人間はいるか?」


「はい」


「私も打ってください」


 皆、死ぬのが怖い為か、我先にとヒロポンの投与を望んでいるのだが、和久一人だけは違っていた。


「鏑木、貴様は打たなくて平気なのか?」


「いえ、そんなものに頼らなくても、私は出撃して、逃げずに立ち向かいたいのです、自分の死と」


「そうか……」


 ――俺達の様に十分に人生を生きた人間が本来ならば死ぬのに、何故若い奴が、こんなに真面目で素直な奴が死ななければならないんだ?


 隊長である男は、溜息を付きながら、和久の頭をくしゃくしゃに撫でる。


「よっしゃ、でかい敵艦に体当たりをしに行くぞ」


 彼等の目の前には、敬礼する兵士がいる。


 *

 出撃する前日の事だ……


「鏑木、お前はまだ筆おろしはしていない筈だったな、俺が金を払うから、行ってこい、女郎屋に今日入ったばかりで、お前と年が同じぐらいの、肌白の女がいる。顔は美人との評判だ」


 隊長からそう言われ和久は隊長から貰ったお金を握り締めて、まだ若い為溜まった性欲と性に対する関心を解放させるべく、女郎屋へと足を進めた。


 女郎屋に入り、受付の婆に代金を渡し、部屋の中で待つ。


 2階建ての部屋の中からは、無邪気に笑いながら歩く子供の姿、女学生、そして、自分と年が変わらないぐらいの勤労動員された学生達を見て、自分の命は儚げな物だと溜息を付く。


 農家の4男坊で、食い扶持を減らす為に予科練に入隊して、ようやく飛行機に乗れる。


 無限に広がる青空と、眼下に広がる米粒の様な家と人間達、素晴らしい爽快感に包まれながら、自分は零戦に乗り敵と戦い、そして、戦争が終わったら飛行機に囲まれながら航空会社で働く事を夢見ていたのが一年前。


 だが、軍部が神風特攻隊を編成してからはというもの、その夢は瞬く間に潰えた。


「お待たせいたしました」


 花柄の和服を着た女性が、そこにはいる。


「……信代?」


「……和ちゃん?」


「お前何でこんな所にいるんだ? 奉公に行っているのではなかったのか?」


「私ね、売られたの、親から」


「……」


 和久と、生駒信代は、幼馴染であった。


 和久が予科練に行く事になり、内陸の農村から出て行った後、風の噂では、信代は食い扶持が無く奉公に出されたと聞いていた。


 暫しの沈黙の後、和久は口を開く。


「……ごめん、俺はお前を抱けない。いや、お前を汚したくはない」


「……でも、いいの? それで…‥?」


 信代は立ち上がり、服を脱ぎ、発達しきった少し大きな乳房、陰毛を見せる。


 ――抱きたい! だが、抱きたくはない!


「いや、いい! 」


「でも、私、和ちゃんと別れたくない!」


 信代の目からは大粒の涙が流れ落ち、その雫は薄紅色の乳首に落ちた。


「俺は死ぬ、だが、君の心の中で生き続ける。それだけだ、じゃあな」


 和久はそう言うと、立ち上がり、店を後にした。


 *

 米軍は高性能のレーダーを搭載しており、予め日本軍機が来るのを予測して大量のF6Fを配置、駆逐艦を用意して今か今かと待ちわびている。


 案の定、和久たちはすぐに見つかり、四散して敵から逃げおおすのだが、重たい爆弾を搭載したゼロ戦の運動性能は著しく低下しており、一機、また一機と儚い命を空に散らしていった。


「クソッタレ!」


 和久は後ろから追って来るF6Fを右に左に避けるのだが、攻撃は一向に病む気配は無い。


 機体を反転させようとしたその時だ……


「うわあっ」


 和久は、零戦から投げ出された。


 *

 「はっ」


「目が覚めましたか」


 和久の目の前には、初老の老夫婦がいる。


「ここは何処でしょうか?」


「ここは、沖縄の手前にある小さな島です、貴方は海上を漂っているのを漁船が見つけて運んだのです」


「戦争は……」


「終わりました、つい先程、玉音放送があったのです」


 ――もう死ななくていいんだ、信代に会える。


 和久は、安堵の表情を浮かべて、窓から外を見た。


 色鮮やかなコバルトブルーの空が広がっている。

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生還 @zero52

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