5

「……あの」

「ん?あっ、標野さん、おはよー」


 椿がこの学校に転入した(ことになっている)日から何日かほど経った。椿の成績は優秀で、英語の授業の最初に行われる小テストはほぼ満点。なのであいつの周りは人(主に女子)が群がる。そんな人気者なら、私に課せられた「仕事案内役」はいらないのでは?と思うのだが、江野に聞くと『クラスの前でパソコンを使って発表する』らしい。というわけでわざわざ「調査書」を学校で作ったので、みんなに「調査書」を書いてもらいたいのだが……。


「えと……あの……」

「標野さん、どうした、顔が赤いよ?」

「えっ……んでもなぃ……えと…ごめんなさいっ!」

「えっ、あ、標野さーん?」

 私が座っている列の一番後ろにいた女子に話しかけたのだが、結果はご覧のとおりである。あまりクラスメートを意識していなかったためか、どうやら私のクラスに対するコミュニケーション能力が低下しているらしい。

 難しく説明したが、要は『コミュ障』というやつだ。

「はぁ……」

「どうしたん?」

 席に座って次の授業の準備をしていると、隣から声をかけられた。隣の席に座っているのは…………ああ、江野か。

「今完全に俺のこと忘れてた顔してたよね!?」

「ああ?あんたのせいで私は苦労してんの」

「……ああ、「案内役」かぁ。大変そうだね」

 なんで他人事で答えてんだこの野郎。元はと言えばお前のせいだからな。

「そんなに人が苦手?」

「よくわかんないけど……なんというか、言葉が出てこなくなる」

「ふーん」

 江野がしばらく考えこむ。やはり考え事をするときはシャーロック・ホームズの考え方と同じで指先を重ねるんだな。

「じゃあさ……」

 江野が何かを言いかけたとき、女子のグループが江野に話しかける。その中には私がさっき話しかけた女子もいた。すぐに私は何事もなかったように授業の準備を進める。江野は一瞬悲しそうにこちらを見るが、女子の質問に答えていたり笑っていた。

 授業開始のチャイム。結局それ以上江野と話せることはなかった。


 昼休み、快晴。

 私は決まって行く場所がある。昼ご飯は教室で食べなさい、と先生から言われているのだが気にしていない。というか、緊張してクラスで食べることはできないだろうな。というわけで、毎日屋上に上がって風が流れる場所で食べる。

 屋上を開放しているのは校長で、PTAや他の教員から「屋上は生徒に開放しないほうが良い」という助言を無視してまで、目安箱の中にあった「屋上を生徒に公開してほしい」という半ばふざけたお願いを聞き入れた。ありがてえ。

 いつもは1人で食べるが、今日は私とがいる。 


「ここの屋上は気持ちいいね。家の屋根よりは低いけど」


 さらっと自分家の自慢をする椿。地面からの距離的には、見た感じ、ほぼ同じだと思うけど。

 他の人にカトラリーを食べるシーンを見られては困る(らしい)ので、私の後に付いてきやがった椿。ああ、せっかく一人で食べていたのに……。

 椿が弁当箱を開ける。小学生の女の子が食べそうな少なめの量、それと昨日コーンポタージュを食べたときに使ったスプーン。私が献立まで考えて入れておいた。

「いただきますっ、あーむっ」

 保育園児がカレーを不慣れなスプーンですくって口に入れるように、何も乗っていないスプーンを丸呑みする。ばりっぼりっ、と口の中から聞こえてくる響きは明らかに食品を噛む音じゃない。

「うん、昨日のコンポタコーンポタージュが染みてるね。美味しい」

「そりゃどうも」

 雲が空を泳ぐように流れていく。空を見ると、図鑑で見たことのある鳥が気持ちよく飛んでいる。

 ふと思い出す子どもの頃の記憶。遊園地で観覧車に乗った時『もっと高い所に飛ばしてくれ』とお母さんにねだって困らせた。

「…はあ、なんで私は『空を飛べる能力』じゃないんだろう……」

「空飛びたいの?」

 ん、独り言が聞こえていたらしい。恥ずかしいから知らないふりをしてくれ。

「鳥は良いよね。大空を自由に飛べる。きっとどこまでも行けるんだろうな」

 そう言うと、椿は弁当をその場に置いて、立ち上がった。すぅ、と軽く息を吸うと目を閉じて両手を広げた。

「こうすると、空を飛んでいる気分になるんだ。シヨもやってごらんよ」

「えぇ……、立ち上がるのが面倒くさい」

「ほら、やってみるのー!」

 私が立ち上がらないと知った椿は、座っていた私の腕を引っ張り上げた。あー立ち上がりたくないー、と口から情けない声が漏れる。


「ふわっ!!??」


 最近、校長が『屋上に空き缶が増えていて片付けるのが大変なのでちゃんとゴミ箱に捨ててください』と全校集会で嘆いていたことを思い出した。開放しているのは校長なので自ら掃除をしているらしいのだが、マナーの悪い生徒が空き缶をそのまま屋上にポイ捨てしてしまうのだそうだ。そのせいか、今日も空き缶や飲みかけのペットボトルが散乱していた。私が椿に引っ張られたとき、強めの風が吹いて私の足元に転がってきたようだ。椿が良く飲むぶどう味の炭酸飲料だった。それを気づかずに踏んでしまった。

 簡単な話、私が椿に抱きついてしまった、それだけだ。

 そう、それだけ


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!!!!」


 声にならない声が出る。私の顔にかかるやわらかな吐息。一定のリズムで響く鼓動。真っ直ぐに見つめる赤い瞳。いつか感じたもどかしい気持ちがうずうずして焦ったく感じる。

「大丈夫?」

「……だい……じょ…うぶ」

「ほんとに?熱があるっぽいけど」

 私のおでこに当てようとする手をなんとか退かす。恥ずかしいからもうやめてくれ。お前はお母さんか。

 椿は少し渋った顔をしたが、私の腰に手を回して起こしてくれた。

「……ありがとう」

「保健室行ってきたら良いよ。すごい汗だ」

 たしかにその通りだ。異常なほどの汗。夏場でもこれぐらいの汗は出ないだろう。

「はいこれ」

 屋上から出ていくとき、椿が私に何かを手渡した。何かの鍵のようだが……。

「家の鍵。もしかしたら先に家に帰るかもしれないでしょ、持ってていいから」

「……わかった」

 それだけしか言えない。自分でも理解していないうちにかなり疲弊していたらしい。すでに階段を降りる時点で立ちくらみと軽い目眩めまいが起こっていた。完全に熱中症の症状だ。しかし今はまだそんな病気を発病するような時期ではないはずだ。


 ふらつく体を壁で支えながら保健室に着いた。相川先生は私の疲れた顔を見ると、すぐに保健室に招き入れ、ベッドに寝かせてくれた。どういう症状が出ているかを先生に伝える。相川先生は、私が症状を言い終わらないうちにスポーツドリンクを持ってきてくれた。先生に感謝して飲む。このドリンクはしょっぱくて苦手だったのだが、今は塩味を感じない。

「とりあえず温度測ろうか」

 体温計を挟んで数分で音が鳴る。その数値を見て、先生は何かを決めたようで、どこかに電話をかける。どうやら担任のようだ。

「……はい、そうです。帰したほうが……はい。お願いします」

 どうやらに帰ることになりそうだ。やはりこの私の状態では早退になるだろうとは思っていたが


「じゃあ、あなたの親に連絡をとって迎えに来てもらうわね」


 しかし、相川先生の発言によって私の疑問は全て吹き飛んだ。

「ま、待って!!」

「えっ?」

 激しい目眩に襲われながら、先生が掛けようとしている電話を止めた。親はヤバイ。今私は家出をしている身だ。この状況で親にあったら何を言われるのか。

「わ……、私が、自分で電、話を……かけ、ます。最近親の電話番号が変わっちゃって……へへ」

 なんとかごまかして笑顔を作る。が、先生は怪しんでいる様子だ。これ以上怪しまれたらまずい、先生が握っている受話器を奪うように取って、とある場所に電話を掛けた。


『はい、こちらは「CAFUNE」……』

「さいき……お父さん!?」

『あ、紫陽花さん、どうも。えと「お父さん」というのはどういうこと……』

「うん!今ちょっと学校で熱が出ちゃって!」

『……それは大変ですねえ。でもなんで私に電話を?』

「迎えに来てほしいんだけど!」

『私がですか?別に構いませんが……』

「え!?途中までしか迎えにこれない!?」

『そんなことはございません。ちゃんと坂を登った先でお迎えできますけど』

「そうだねー!それじゃあしょうがないね!じゃあ向井むかい菓子店の前でね!」

『えぇ?そこはCAFUNEの真ん前の店じゃあないですか。迎えの意味ありませんよ……』

「じゃ、お願いします!」

『あ、ちょ

 ……ツー、ツー……


 受話器を電話機本体へ叩きつけるように切った。とりあえず思い出した電話番号は「CAFUNE」のものだった。多分佐伯老人なら迎えに来てくれそうだが、ここまで迎えに来ると、私の親を知っている人間が怪しむ。というわけで、「CAFUNE」まで歩いていくことにした。まあ少し遠いが大丈夫だろう。

 相川先生は開いた口が塞がらない様子で私の方を見ていた。数秒間の静寂。しばらくその状態でいると相川先生が我に返ったようで「……じゃあ帰る用意を」と独り言のように小さな声で言った。

 相川先生にまた迷惑をかけてしまった。ごめんなさい。


 校舎を誰にも見られないように、逃げるように帰った。教室から荷物を取って廊下に出たとき、誰にも見られないように、椿が私に笑いかけた。「大丈夫だよ」という意味だったのか、よくわからない。最近国語で習った万葉集に「青山を横切る雲の……」とかなんとかあった気がするがそれを思い出した。

 フラフラと危ない人のように揺れながら歩いた。周りからしたらヤバい奴だと思われたかも知れないが、今の私にはそんな事関係ない。早くベッドで横になりたい。そう思うと急に目眩が酷くなった。少し止まって休もう。

 ふと目の前が急に暗くなったと思ったら、人にぶつかっていた。

「ぁあ、すみません」



「ッッ!」

 。こんな死にそうな状態であっても、声だけでも、恐怖をはっきりと思い出せるのだから。を聴いた瞬間、私の背中は冷や汗でビショビショになっていた。足がすくむ。心の底から湧き出る恐怖心。が鮮明に蘇る。

「よお、お嬢ちゃん。良いところで会ったなあ」

 風貌は違った。私が襲われたとき、たしかこいつは椿に変装していたはずだ。だから私の目の前にいるこれが、本当の姿ということだろうか。しかし声は襲われたときと同じだ。間違いない。


 佐伯老人が言っていた。。こいつが連続放火殺人犯「 」だ。


 阿坂は、私の目が鋭いものになっていると気づいたのか。

「やめろよぉ。そんな目で見られると殺したくなっちまう」

 私の首に何かが覆いかぶさる。それが阿坂の手だと気づいた時にはもう遅かった。

 阿坂は倒れていた私を、

「わ

   ァ

     あ

       あ

         ァ

           ア

             !

               !

                 ?

                   ?」

 体に訪れる浮遊感。自分の体が回転して三半規管が暴れ、私の叫び声も途切れ途切れに聞こえる。アスファルトにぶつけられた体が更に熱くなっている。

「……がッ、ぁあ……」

「ははっ、いいねえ。その呻き声が俺をゾクゾクさせるんだ」

 あいつから離れないとヤバイ。体が言うことを聞かないのを承知で無理やり立ち上がらせて、ブロック塀にもたれながら1歩ずつ進む。私の手のひらの跡が異常なほど出ている汗で、ホラー映画の血の手形のようにブロックに付いていた。

 異変に気づいたのはその直後。

 。今は夏でもないのになんでこんな暑いんだ。アマゾンのジャングルへ放置されたらこんな暑さになるだろうか。

「暑いか。まあそうだな」

 いつの間に追いついた阿坂が、今にも倒れそうな私の腕を掴んで引っ張った。もはや汗だくの体はなすがままの状態で簡単に阿坂の方へ引き戻された。息を荒げる私の顔の近くへ、阿坂は左手の人差し指を持ってくる。

「見とけ」

 そう言うと、指の先からライターから出るほどの大きさの火が目の前にちらついた。火の熱が顔に当たって焼けそうだ。たしか阿坂が椿に変装していたとき、煙草に火を付けたときと同じだ。

「俺の能力は『火を操る』能力だ、と思っていた。だがな、

 急に、私の左腕が熱を帯びる。サウナに左腕だけ入れてるような感覚だ。

「俺の能力は『』能力。そうだ、きっとそうなんだ」

「……ぁぁぁぁああアアアアアアツいィ!!!!」 

 左腕だけが異常に熱を帯びだす。暑さに我慢できなくてアスファルトの上でのたうち回る。右腕で左腕を触ると右腕のほうが冷たく感じる。

「つまり、だ。』んだ。分かるか?お嬢ちゃん。なんてねェんだよ」

 ッッ!!

 阿坂のこの口調だと、屋上での出来事を知っている。ストーカーみたいで怖い……。それとも、学校内に協力者がいるとか。 

 どちらにしても、ここに居たら殺される……!

 力を振り絞って走り出す、がすぐに倒れてしまう。

「まてよー、話を聴けって」

 阿坂の、子供と遊ぶような優しい声が聞こえる。だがあいつに捕まったら最期だ。話をおとなしく聞いている場合じゃない。一刻も早くあいつから逃げるッ!

「まてって……、言ってんだろォオオ!!!」

 阿坂の手に火でできた縄が握られていた。「そォら!!」という阿坂の声が聞こえてきたかと思うと、縄が私目掛けて振り下ろされた。走っている私のすぐ隣を熱と煌光こうこうが通り過ぎる。

「ち、はずしたかぁ」と楽しそうな声が聞こえた。


「はぁ、はぁ、はぁ」

 私の体にまとわりついた、異常なほどの暑さが徐々に普通の温度に戻っていく。どうやら能力者から離れるほど、能力は弱くなっていくようだ。

「CAFUNE」の入口手前の細い道へたどり着いた。しかし佐伯老人はいない。車も見当たらない。もしかしたら私のことを心配して学校の方まで行ってくれているのかもしれない。走りすぎたせいか、目眩が酷くなっている。相川先生に貰ったスポーツドリンクをラッパ飲みしてなんとか落ち着かせる。

 奥へ進んで、原っぱへ入ると爽やかな風が顔に当たる。だが、それだけじゃ体温は下がらない。最後の力を振り絞って真ん中にある綺麗な池へ飛び込んだ。

「ッふー、っふー、すぅう……ふー」

 深く深呼吸をする。温度は下がってきたようだ。池の水が冷たくて気持ちいい。

「おやおや、涼しくなってんじゃねぇか」

「ッッ!!!」

 瞬間、。『CAFUNE』の看板の『U』という文字が燃え盛った状態で私の足元に転がっていた。

「こんなとこに邪魔な家があったから燃やしちまった」

「……ぁぁぁ」

「どうしたぁ、自分の家だったか?」

 燃え崩れた廃屋の中から、体を火に包ませた阿坂がこちらへ平然と向かって歩いてきた。阿坂に付いた火は阿坂自身には燃え移っていないようで、池の水を浴びている私を追い詰めるようにジリジリと迫る。

 この庭にはもう逃げ場はない。




(死ぬしか無い……のか、な)




 水を浴びながら、私はどんなふうに殺されるのだろう、と「殺され方」を考える。佐伯老人の話からすると、体を燃やされるのだろうか。それとも性格からしてなぶり殺されるのだろうか。阿坂は私との距離をグングンと詰めている。追い込まれた獲物を狩る狼のように。




(……悔しい)




 ふと、そんな気持ちが湧いてきた。

 なぜ私がこの状況で殺されなければならないのか、とても悔しい。私だって将来の夢があって、良い職業について、お金をたくさん貯めて、自分の好きなものを買って、好きなように死んでいきたい。それを、たった1人の人間に死期を決められるのは納得がいかない。

「ほらァ、起きろよォォオオオオオ!!!」

 阿坂の手に握られた、メラメラと音を立てるオレンジ色の火の縄が、私へまっすぐと振り下ろされ、激しい熱を帯びたまま私に襲いかかってくる。


 バシィ!!と


「ァアアアアアアアアアッッ!!!!」

「なんだよ……やる気満々、ってか」

 左手から血がドクドクと流れ出す。よく見ると傷口の周りは火傷していた。当たり前だ、火でできたロープをのだから。痛みに耐えかね水に浸す。池の水が少しずつ赤く染まっていく。

 それでも。

「……ハハ、触れた」

 痛みが、

「ほォ。大人しくすれば、殺されずにすんだのにな」

「……

 私の理性はどこかに飛んで行った。今喋っているのは完全に本能だ。殺されるか、という自己防衛本能。

「いいよ……、イイ!!イイねぇ!!そういう女は俺ァ大好物だァ!!」

 ポケットに突っ込んであったハンカチを左手に乱暴に巻いた。ピンク色が赤く染まっていく。

「ほらよ」

 阿坂が未だ燃え続ける廃屋の中から鉄パイプを取り出し、私に投げつけた。これを武器に使え、ということなのだろうか。鉄パイプを握ると、廃屋の火で熱せられたそれは見る見る握る私の右手を焦がし、離れなくなる。

 

 私の心の中にドス黒い何かが広がる。

 


 @


 M北高校。

 佐伯は椿と紫陽花が通う高校へと到着していた。標野からかかってきた電話をいぶかしみ、心配になってM北高校まで愛車を飛ばした。今は5時限目の授業を行っているらしく、教室の中に生徒たちが閉じ込められている様子が窓から見える。

「あの、すみません」

 佐伯が学校の来客用玄関に足を踏み入れると、若い女の先生らしき人が立って佐伯に声をかけていた。名札には「相川あいか」と書いてあるのが見えた。白衣を着ていることからして、理科系の先生か、もしくは保健室の先生だろう、と佐伯は結論付けた。

「標野さんの……お父様でしょうか」

「い……はい、そうです」

 相川先生は「こちらへ」と言うと、佐伯を会議室のような部屋へと招き入れた。大会議用の巨大なテーブルを挟んで、相川先生と佐伯は座った。10人以上座れそうな部屋にたった2人だけしかいないという得も言われぬ違和感が会議室を包んだ。

「ええと、紫陽花さん……ゴホンッ、紫陽花はどこに?」

 バンッッ!!

 急に力強くテーブルを叩いた音がしたかと思うと、相川先生は立ち上がり、緊迫の表情で佐伯を睨む。もしかして父親ではないことがバレたか……?と佐伯は息を呑んだ。 ……しかし佐伯を睨む目は涙で溢れていた。


「……どうか、……!!」


 @


「ァァアャヒャヒャヒャヒャァヒャァヒャヒャヒャヒャヒャ!!!!」

「ぉぉぉォォおおおおおおおおオオオオオオオオオオオ!!!!」


 2つの咆哮が両者の耳に入った瞬間、阿坂の火が絡みついたバールが持つ殺意と右手に焼き付いて離れない鉄パイプが持つ本能は衝突した。

 ガキィイン!!!と、鉄と鉄がぶつかり合う音。オレンジ色の雨のように火花が飛び散り、辺りを橙色で染めていく。

 。私の顔を赤く彩った。

 つば迫り合った武器が離れる。その瞬間を見越したのか阿坂は更に踏み込み、鉄の鈍器を振り下ろす。とっさに鉄パイプを横にして身を護るが、それすらも見通していたようで振り下ろさずに横腹に蹴りを入れてきた。予想していない攻撃に意表を突かれ、横に飛ばされる。

「ぁあッッ……!!」

「アヒャァ!痛そうな声を出すねェ、そういうところが好きだ」

 口から出る血を拭いながら、鉄パイプを杖代わりにして起き上がった。阿坂はニタニタと気持ちの悪い笑顔を舌で舐めながら、バールの釘抜き用の切れ込みが入った、90度に曲がっている部分をクルクルと回して私に向けた。 

「早く立てよ。まァだ遊び足りないなァ」

 左手を、鉄パイプを握っている右手の上から被せた。赤く染まったハンカチがズレて傷口が痛む。

 片手で振り回していたから力で負けるんだ、両手なら押し切れるはず……!

「ゥゥォォオオオオオオオオオァァアアアアアアアアアアアア!!!!!」

「あははァ、威勢がいいねェ」

 スタートダッシュを決める。木材の灰と塵が混ざった泥が私の1歩で大量に巻き上がり、体感的にすべてがスローペースに見える。阿坂の突きを左に逸らすように回避、その反動を利用して左回転する力を付け、脇腹へと鉄パイプをめり込ませるッッ!!


 何かが折れる音。

 

 

 飛ばされる前にゆっくり見えたのは、しなる鉄パイプと冷たい飛沫しぶき、それと阿坂の拳だった。

「ァガァッッ!!」

 右頬に重い痛みがのしかかる。

 数秒後、背中に水が衝突した。どうやら池に飛ばされたらしい。口の中が血の味でいっぱいになった

「痛くねェ……へへ」

 ザッ、と。自分でも何が起こったのか理解が追いついていないようで、殴られた脇腹を擦っている。

「あぁ」

 その言葉は阿坂のものだった。腹部を触って知ったことがあったようで、阿坂は私を嬉しそうに見ると、その腹部を触った手に握ったものを私に見せびらかした。

 キラキラと水晶のように輝く、それは確かに。

「……。氷だなァ」

 阿坂は自慢するように言った。

「分かった……『空間の温度を』能力じゃねえ」

 その目に力が灯る。

「俺ァ『空間の温度を』能力だったんだよォ……!!」

 バールを投げ捨て、両手を横に広げる。


「勝ったなァ……勝ったなあああああアアアアアァァァァァァァァァァァ!!」


 バキバキッッ!!と音がした。

 瞬間、両手から白い風が爆発するように広がる。その極寒は辺りの草木を瞬く間に凍らせてしまった。

 その風は私にも襲ってくる。指先の感覚が寒さで無くなって、まつげに霜が出来た。

「アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ……!!」

 阿坂が、今度こそ獲物を逃さないように、と私ににじり寄ってくる。対して私は動くことが出来ない。足元の池の水はすでに全て氷と化している。それと一緒に私の足も凍ってしまった。


 私には勝ち目が無いように見えた。もう、ここまでなのだと。

 泣きそうな私の顔を楽しそうに眺めながら、阿坂はこう言った。




 @


「『助けてください』……とは、どういうことですか?」

 佐伯は、自分が標野の父親であるという設定も忘れて相川先生に詰問していた。相川先生は何かを警戒するように辺りを見回すと、佐伯にささやいた。

「あなたは『阿坂 火花』を知っていますか」

「ええ、知っています。世間を賑わす『連続放火殺人事件』の第1容疑者……ですね?」

 答え合わせをするように、佐伯はゆっくりと言葉を紡いだ。

 相川先生は丁寧な佐伯の言葉に頷き、1つ、深く息をすると、哀愁に満ちた目で、こうポツリと呟いた。



「……



「……は」

「驚くことも無理はありません、私は死亡した人間とされていましたから」

「ということは、あなたは『阿坂 水樹みずき』さん……ということですか?」

 相川先生――いや、阿坂 水樹は大きく頷いた。

「私は。そして中学生になる頃、犯人は突然姿を消したんです」

「ど、どういうこと、ですか。『産みの親』を殺した犯人が『育ての親』だと……?」

ですよ」

 数秒の沈黙。水樹は、大きなため息を吐いた。

「私の兄……火花は優しい兄でした。ただ、家族を侮辱されたら、たとえ親族であろうと許さない性格を持っていました。それがこじれて、今あのような犯行をしているのでしょう」

 水樹は席から立ち、窓の外の景色を眺めながら話を続ける。

「それで、今日、この学校に火花が来ました。『お前の噂を聞き付けてここまで来た』と泣いて」

「ここに阿坂……いえ、火花が!?」

 ああ、と振り返って水樹は微笑んだ。

「気にすることはありませんよ、火花のことを阿坂と呼んでも。私はもう阿坂 水樹ではありません。相川 游菜ゆうなとして生きていますから」

「そうですか、失礼」

「いえ……話を続けますが、火花は『お前の兄として、一生涯の頼みがある』と言っていました」

「その頼みというのは?」

 答えを求めるように佐伯がテーブルから身を乗り出す。

「2つあります。1つは『「奈津 椿」、「標野 紫陽花」という生徒のどちらかが、1人で帰るような事があれば、俺に連絡してくれ』ということ」

 知った名前が出てきた時、佐伯は心臓の脈を自分で感じられるほど驚き、そして、先ほどの標野の電話を思い出し胸騒ぎがした。

 またもや数秒間の沈黙。その数秒でさえ佐伯には長く感じられた。

 水樹……いや、相川 游菜は、小さく「ごめんなさい」と謝り、こう言った。





「そして、『』ということでした」









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カトラリーは歪ませない 酔浦幼科 @youka-yoiura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ