赤堂家にて
――これは紫堂虎が
紫堂梢子は圧倒的な存在感を主張する一枚板の丸テーブルの前に座っていた。その目の前には湯飲みのお茶が爽やかな芳香と湯気を立てている。
丸テーブルもさることながら今いるこの和室自体、古さを感じさせながらも何処か格調をのある造りである。
大皿やら壺やら掛け軸などが飾られているのだが、ただ一目見ただけでも並の物では無い事が窺い知れる。
ほどなくして手前の障子が開かれ、一組の男女が入ってきた。
男性の方はオールバックで黒縁の眼鏡を掛けており、無地の黒いTシャツの上にジャケット、スラックスという装いをしている。
女性の方は腰まで届く髪をお下げにして、エプロンにジーンズといった感じのラフな格好だった。
そんな二人を認めた梢子は慌てて立ち上がる。と同時に、深々と頭を下げた。
「突然の訪問ですみません」
「いや、虎の事のようだし構いませんよ。な」
「ええ、虎君の事ですもの当たり前ですよ」
二人は人好きのする笑顔を浮かべ、梢子の方を見つめている。
そんな二人の視線に、若干の焦りを感じながらも梢子は言葉を続ける。
「えーっと、先程連絡させて頂いた時も名乗りましたが紫堂梢子です。今は氷見市で教師をやっておりまして――」
「――で、あの人の"親戚"なんですね!」
そう興奮気味に被せてきたのは女性の方だった。
その表情は隠そうともしない程に嬉しそうだ。
「え、ええ……彼女とは従姉妹でして、ね」
「あっ、すみません。嬉しくてついはしゃいじゃいました」
そんな梢子の反応に、はっとした感じで申し訳なさそうな表情になるその女性。だが、悪い気はしなかった。
めまぐるしく変わる表情に回りはきっと笑顔になってしまうことだろう。
「おっと、こっちも自己紹介しないといけないか」
まるで思い出したようにそう言ったのは、やりとりを傍観していた男性の方だ。
頭を掻きながら少し申し訳なさそうに更に言葉を続ける。
「恐らくご存じかもしれませんが、私は虎の保護者で
暁と名乗った男性は、隣の女性に目配せする。それに応じる形で、宵と呼ばれた女性が満面の笑みを浮かべると口を開いた。
「赤堂宵です。梢子さん、よろしくお願いしますね」
「それでは座りましょうか」
宵が喋り終わるのを見届けた後に暁がそう言った。
「あ、はい」
間の抜けた声で言葉を返すと促されるままに梢子は腰を下ろす。
それを見届けた二人も同じようにゆっくりと腰を下ろした。が、視線は梢子の顔からは外れない。
そんな状況にどこか居心地の悪さを感じて梢子は口を開く。
「では、早速本題に入らせていただきますが――」
「はい」「ええ」
梢子言葉に二人は相づちを打つ。
なおもその視線は梢子の顔に注がれている。
「彼女――
百子というのは紫堂虎の母親――紫堂百子の事である。その実、梢子とは従兄弟でもなければ血の繋がりもないが、話をスムーズに進めるための方便というものである。
身も蓋もない事を言うならばそれは真っ赤な嘘ではある。
だが、梢子の表情は真剣そのものだ。
誰がそれを嘘だと思えようか。
「そうですか、虎ももう判断できる年齢だ。あいつの判断に任せます」
「そうね、虎君しっかりしてるものね」
二人の反応は想像していたよりもずっと前向きなものだった。
その表情は本当に真剣そのもので、虎の事を思って出した答えだという事を感じさせる。
つまりそれは二人にとって虎が如何に大切な存在であるか分かるというものだ。
「まだ対面して日も浅いので慣れるための段階ですけど」
鼻の頭を掻いて梢子は微かにはにかんだ。
その表情にも嘘偽りなどないように見える。それどころか、嬉しそうなそれでいて悲しそうな表情は何処か覚悟した風でもあった。
そんな梢子を見かねてか、暁は目を細めながら優しそうな表情で語りかけるように言う。
「大丈夫、あいつは素直な子ですから」
「そうね、大丈夫ね」
宵もその言葉に微笑み頷いている。
「――ただ最終的に判断するのは虎君に委ねようかと思います」
息を呑むと梢子は頷くようにそう言って真剣な表情を浮かべる。
それに暁と宵は何も言わずただ頷いていた。
「ただいまー!!」
大まかな話も終わって談笑モードに入ろうとしていたところにそんな声が響いた。
同時に聞こえるのは廊下を走る足音。
次の瞬間には暁と宵は苦笑いを浮かべている。
そんな今にも頭を抱えそうな感じの二人は小さな声で呟いた。
「あー……」「あの娘ったら」
そんな事はお構いなしに足音はこちらへと近づいてくる。
次第に近づいてきた足跡は程なくして止まった。
そう、この部屋の前で止まったのだ。
その証拠か、梢子の目の前の障子には人影が映っている。
「お父さん、お母さん!! ただいま!!」
――次の瞬間には障子は開け放たれ、再びの大音声。
これには暁、宵のご両人、たまらず頭を抱える。
「
「あ、お父さん! お客様は?」
咎めるべく低い声を上げる暁だが、そんな事は何処吹く風でお客様――梢子の事について朱音と呼ばれた少女は興味津々なようだ。
その少女は活発そうな見た目ながら透き通るような白い肌、ツインテールにセーラー服という装いをしていた。まあ、セーラー服なのは学校帰りという事なのだろうが。
「あ、ああ? こちらの方がお客様で――って、おまえお客様に失礼だろ!?」
あまりにもあっけらかんとした朱音の態度に暁は一瞬面食らったものの踏みとどまり、しっかりと娘に注意の言葉を投げかけた。
「あー、はいはい」
投げかけたのだがその言葉と共に暁は簡単にあしらわれてしまった。
それでも暁は言葉を続ける。
「話は終わってな――」
「あー、はいはい」
それはもう喰い気味に、朱音は全く同じ反応をもって自らの父の抗議をいとも容易くあしらってしまう。次の瞬間にはもう、梢子の目の前に移動して興味深げにその顔を覗き込んでいた。
そして、朱音は目を輝かせながら梢子に向かって問いかける。
「初めまして! あなたが虎にぃの親戚の人?」
「え、ええ……虎君のお母さんの従兄弟で、紫堂梢子って言います。あなたは――朱音さん?」
もの凄い積極的な朱音の態度に僅かに気圧されながらも梢子はそつなく答えてみせる。と同時に、確認するかのように名前を呼んだ。
「おー、梢子さんですね!! そうです、虎にぃの妹の赤堂朱音です!!」
更に嬉しそうな声を上げて朱音は自信満々にそう答えた。
もはや朱音無双とでも言うような状況の中、申し訳なさそうな表情を浮かべた暁と宵がずっと謝るような素振りをしている。
そんな様子を視界の端に捉えた梢子は思わず笑顔になってしまった。と同時に、そんな人当たりの良い二人に育てられた二人だからこそ、そんな笑顔を浮かべられるのだろうと変に納得してしまった。
「……ッ!」
――刹那、梢子は視界がぼやける感覚に襲われる。が、それはほんの一瞬の出来事で次の瞬間には何事も無かったかのように違和感は霧散した。
そんな梢子の異変に気付いたのか、はたまた反応が遅かったからか、朱音は心配そうに声を掛ける。
「梢子さん?」
「あ、ああ、虎君の妹さんなのね?」
誤魔化すように、はぐらかすように梢子は当たり障りの無い答えを返す。それが功を奏したのか、朱音は相変わらずの満面の笑みで元気に声を上げる。
「はい! そういえば虎にぃは元気してますか?」
「虎君は――元気ね。うん、元気だわ」
梢子は噛みしめるように言う。
事実、虎は元気ではある。元気ではあるが、彼の現状を考えると少しだけ哀れみを感じてしまうのが本当のところだろうか。
それを聞いて決心したのか朱音は両親の方に向き直り口を開いた。
「良かった! ねえ、お父さん、お母さん!」
「うん、なんだ朱音?」「どうしたの朱音ちゃん?」
「わたしね、夏休みになったら虎にぃのとこ行きたいな~って」
優しく聞き返す両親に朱音は突然そんな事を言い出した。それに対して、暁も乗り気で声を弾ませるが……。
「お、良いな。じゃあみんなで――」
「――わたしひとりで行く!」
一蹴。
一蹴である。
それこそ喰い気味の朱音の強い意志の籠もった一言に、暁はぐうの音も出ない。かと思いきや、暁はめげずに更に言葉を続ける。
「俺と母さんも一緒に行き――」
「――わたし一人で行くの!!」
一蹴。
やはりまた一蹴である。
これにはもう流石の暁も何も言葉が出ないようだ。まさにこれが取り付く島もない状態ってやつだろう。
明らかに意気消沈した様子の暁の肩に手を置いた宵は優しく声を掛ける。
「お父さん、朱音ちゃんの意志は固いみたいね」
「みたいだな……梢子さんもいるし大丈夫か」
暁と宵は頷き合った。
「朱音ちゃん良いわよ、行ってきなさい」
朱音の方に顔を向けた宵は微笑むと優しくそう言った。それを受けて朱音は大喜びといった感じで梢子に声を掛ける。
「わーい! そういう事で、梢子さんお願いしますね!」
「えっ? あ、はい」
完全に蚊帳の外といった感じで話を聞いていた梢子は、突然話を振られた事で今日何度目かの間抜けな声を上げてしまう。
「梢子さんご迷惑をお掛けするかもしれませんが、朱音の事よろしくお願いします」
「私からもよろしくお願いします」
未だ混乱のさなかといった感じの梢子に暁と宵はそう言って頭を下げた。
「つまり、ええと――夏休みに朱音ちゃんが虎君の家に遊びに来る。そういう事ですよね?」
梢子は言葉の意味を噛み砕いて理解しようとするかのように、再確認といった感じでそう言った。
「はい。それで期間は――どうするんだ朱音?」
「出来ればあっちには夏休み一杯居たいんだけど……ダメかな」
話を振られた朱音は精一杯といった感じで潤んだ瞳を暁に向ける。
「ああもう、そんな顔されたら駄目って言えないじゃないか」
「そうねぇ、夏休み一杯預けてしまう事になるけど良いかしら梢子さん?」
デレデレといった様子の暁を端に、宵は少し考えながらも梢子に向かって微笑みかける。
「え、ええ! むしろ賑やかになって嬉しいですよ」
「ホントご迷惑お掛けします」
「いえいえ、これぐらいは。私も居候みたいな感じになってますからね」
頭を下げる暁に梢子は慌てて応える。
というかこの場合そう言うしかないのである。
いわゆる詰みであろうか。
「そう言って貰えると助かります」
梢子の心の
毒気を抜かれたようになりながらも梢子は最後の力を振り絞ると、精一杯な満面の笑みで朱音に笑いかける。
「朱音ちゃん、夏休み楽しみにしてるわね」
「梢子さんありがとう! 私も今から楽しみ!!」
梢子に応じる形の満面の笑みは、まるで夏の向日葵のような爽やかさを持っていた。それは屈託のない真っ直ぐな笑顔で、見るものすべてが浄化される事だろう。
「うふふふ」「はっはっはっ」「えへへへ」
「あはははは……」
楽しそうな赤堂家一同の笑い声とゲストである所の梢子の乾いた笑いが、部屋に虚しく響き続けるのだった。
雷の禊(いかづちのみそぎ) ひさぎしぐれ @hiragi008
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