第34話 最後の希望
開いた扉の先には見たことのない部屋があった。何もない殺風景な部屋で、書斎と同じくらいの広さだと思うけど、何もない分広く感じる。ひんやりとした空気に一瞬ぞくっとする。
「見て下さい! 扉が四つあります」
美輪ちゃんはまず正面の壁にある金属製の扉を指差した。次に左の壁にある扉、右の壁にある扉、僕らが入ってきた扉を順々に指差していき――。
「…………」やがて息を呑む。正面の金属製の扉、そのすぐ横にカードリーダーが設置してあることに気づいたからだ。僕は先程彼女から受け取った青と黄色のカードキーを取り出す。
「……これだよ、きっとここが出口だよ!」
「…………そう、ですね」
何故かそっけない彼女を置いて、僕は金属製の扉に駆け寄る。
カードリーダーは全部で横一列に三つ。その上にランプが同じく三つ。色は左から順に……緑、赤、赤。緑に光っているカードリーダーには、先客がいた。
「これ、カードキーだ」カードキーの色は赤。
「もしかして、土門さんが?」
第三者が存在する可能性はほぼゼロ。即ち、ここには僕たち三人しかいない。そして僕と美輪ちゃんはこの部屋にはたった今初めて来たのだから、ここにカードキーをセットできる筈がない。残る可能性は、ただ一つ――。
「うん、土門だよ。きっとこの部屋に来たんだよ。そしてカードキーをセットした」
「そうだったんですね……」
美輪ちゃんがまた悲しそうな顔をした。土門の死は確実に僕らの心情をかき乱した。そしてそれは僕以上に美輪ちゃんを苦しめた。
僕は死んだ彼には会っていない。それと対面した彼女の気持ちは計り知れないし、きっと抱えきれるものではないだろう。そんな抱えきれない思いが溢れてきて、それの重量に心臓が鷲掴みにされる感覚を覚える。それは片鱗に過ぎないというのに僕は押しつぶされないようにするだけで必死だ。
「…………」だから僕は、少し黙ってからこう続けるしかなかった。「あいつのためにも、行こう。きっとそれを望んでいるよ」
「…………」彼女は顔を伏せたままだった。
青と黄色のカードキーを差し込むと、ランプの光が赤から緑に変わった。間もなくして扉のロックが解除された。あとはこの扉を開けて脱出するだけ。もうすぐ帰れる。
「美輪ちゃ」
僕は隣を見た。彼女はいない。「あれ……美輪ちゃん?」後ろを振り返る。
「…………」
美輪ちゃんはいつの間にか壁に寄り掛かって座り込んでいた。綺麗に体育座りをしてうな垂れている。髪がだらりと垂れ下がり、表情は窺い知れない。その姿から滲み出てくるのは拒絶の念。話しかけるのが怖い。しかし意を決す。
「どうしたの? 早く外に出よう? やっと出られるんだ、さあ?」
彼女は答えない。
一方的で。
空虚で。
まるで壁に話しかけているみたいだ。どのくらいそのままだったのか、徐に立ち上がった彼女は涙を拭い、大きな声で宣言した。
「私、ここから出たくありませんっ!」
その言葉は大きな杭となり、僕を向かいの壁に打ち付けた。金縛りにあったかのように身動きが取れない状況で、僕はふと『矛盾』という言葉の語源になった話を思い出した。
中国のとある商人が言う。『この盾はどんな攻撃も凌ぎます』。
同じ商人が続ける。『この矛はどんなものでも貫きます』。
それを聞いた客が言う。『では、その矛でその盾を突いたらどうなるの?』。
商人の返答。『両方買ったらそんな心配いらないよ』。
この場合、盾を真とすると矛が偽。矛を真とすると盾が偽となる。つまり、商人の説明はどちらか一方は必ず偽となる。
僕らは謎の施設に閉じ込められた。そして今まで脱出するために行動してきた筈なのに、彼女は『ここから出たくない』と言う。
『脱出するために行動してきた』を真とすると、彼女の言葉は偽。
彼女の言葉を真とすると、『脱出するために行動してきた』は偽。
「美輪ちゃんどうしたの? 矛盾しているよ? 今まで脱出するために行動してきたんじゃないの?」
「…………」彼女は答えない。僕も動けない。
「ねえ! 何とか言ってよ!」
「私はっ!」そしてゆっくり、僕の方へと歩いてくる。まるで生気を失ったみたいに、ふらふらとした歩みだった。亡霊のように、ヌッと僕の前に立ちはだかる。
「私は外の世界に希望なんてありません。だからここに残りたい。またあの世界に戻るくらいなら、ここで死んだ方がマシです!」
「な、何言って」
「私は楽しんでいました。ただ目の前の謎を解きたい、そのために行動していました。『戯言の宴』、『不動三尊』、液晶端末のパスワード、この施設のトリック、けれどそれらを解決していくにつれ、あの世界への道しるべが出来ていくみたいで凄く怖かった。そして今、最後の謎が解かれてしまった」
「そんな、こんな所にいても何もできないじゃないか!」
「咲岡さんにわかりますか!? クラスから空気のように扱われ、居場所がない私の気持ちが!」
彼女の畳みかけるような言葉は第二第三の杭となって僕に突き刺さった。その思いを、痛みを、僕は歯を食いしばって耐える。彼女は僕のすぐ目の前で真っ赤な目をして立っている。真っ赤な頬にきゅっと結ばれた唇。それはまさに鬼のような表情。
「ねえ、咲岡さん?」
彼女の顔が間近に迫る。彼女の髪の匂いが鼻腔を抜けて脳を刺激する。どくんどくんと心臓が興奮している。僕は彼女の丸くて綺麗な目を直視できなかった。
「一緒に……」そして彼女は衝撃的な提案をした。「土門さんのもとに逝きませんか?」
「…………!?」
「そうすれば、永遠に私たちは一緒にいられますよ」
「だめだよそんなの! そんなこと、あいつが望んでるわけがない!」
「いいえ、きっと望んでいます。土門さんもここから出たくなかったんですよ。だから自ら命を絶った」
「違う! それは絶対に違う!!」
「まずは咲岡さんの番です。私もすぐに逝きますから。向こうで会いましょう……」
彼女の綺麗な指が僕の首に触れる。触れられたその部分が発火するほど熱くなるのと同時に首が絞められる。息をするのが苦しくなり、喘ぎ声をあげるが彼女はさらに力を込める。
『そうです。この世界に希望なんてありません。さあ、今こそ主のもとへ』
頭の中で声がする。
ああ
「そんな世界、壊してやるっ!!」
杭を抜く。
一本。
二本。
三本。
そのまま彼女を抱きしめる。彼女に触れて気づいた。小刻みに震えている。
彼女の身体はあまりに空虚で。
彼女の身体はあまりに不幸で。
彼女の身体はあまりに絶望で。
彼女の身体はあまりに負の感情に満ちていて。
全てを諦めた。
全てに落胆した。
全てを恨んだ。
全てに殺意を抱いた、まるでヒトの皮を被った人形だった。
だから僕は。
彼女の全てを肯定し。
彼女の全てを包んで。
彼女の全てを愛した。
先程の矛盾がわかった。彼女の言葉が真だったのだ。彼女は本気で『ここから出たくない』と思っているのだ。
「ごめん。ごめんね美輪ちゃん。今まで気付いてあげられなくて」
「…………」
「でももう大丈夫。僕が君の希望になるよ。僕のコンプレックスを消してくれたお礼に」
「さ……さき、おかさん……」
首にかかった力が徐々に弱まる。首についた痕は残るかもしれないけど、これは僕と美輪ちゃんが解り合えた証。一生の宝物。
「あと土門がここから出たくなかったというのは違うと思う」
そう言ってカードリーダーを指差す。一番左の緑ランプは既に点灯していた。これは彼が明確な意志をもってカードキーを使った証だと信じている。あいつは僕たちに希望を託したんだ。キザな顔が浮かんで、そして消えていく。ありがとう土門。安らかに――。
「でも、私……」と美輪ちゃん。「またあの生活に戻るのは……いや」
「大丈夫。きっと何とかなる。僕が力になるよ。そんな世界壊してやるって約束したしね」
「本当に……? 本当に信じていいんですか?」
僕は頷いた。希望がないならつくればいい。人生にはきっと良いことがある。悪いことばかりじゃない。たとえ主に見捨てられた世界であったとしても僕は闘う。生まれてこられたこの命を精一杯生きたいから。それに、もう独りじゃないから。大切な人のために、解り合えた人のために、何かしてあげたいから。
「さあ、行こう。『希望』に満ちた世界に。君と一緒なら大丈夫」
僕は美輪ちゃんの手を取って歩き出した。
『希望』に満ちた日常に帰るために……。
僕の人生は、始まったばかりだ。
完
天の揺り籠――密室からの脱出と最後の希望―― 向陽日向 @kei_ichi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます