第27話
先生はネズミを飼っている。
なんでも社会生物とかいう珍しいネズミで、大切に育てている。
私もたまに餌をやったりするのを手伝ったりするが、くれぐれも名前をつけないようにと注意された。
想像はつく。ネズミレーダーとか他の実験とかに使ってるんだと思う。
最初はちょっとびっくりしたけど、考えてみれば私の剣も蟲の殻を剥いだものだ。
この辺にはあまり居ないけど王都の方には人間が食べるために飼う生物というのも居るらしい。
先生の世界では割と普通の考えなんだろう。
死霊術師は生命の云々かんぬん。先生が言ってたけど忘れた。
でも生き物をどうこうしないと手に入らないモノを使って色々するのは分かる。
それをおぞましいと言う人もいると思うけど、私はそこから目を逸らさない死霊術師というあり方を尊敬している。
私は足にまとわりつく小人の頭を蹴り潰した。
腐臭と、生物から出てきたとは思えない色の液体が飛び散る。
いらつく。靴や服が汚れたことじゃなくて、あのカサムとか言う地味で陰気な男の態度に。
あいつは何も見ていない。全部から目を逸らそうとしてる。
腐ったゴブリンの頭を踏み潰す。ふたつ、みっつ。キリがない。
不安になって叫ぶ。
「先生!」
上からは緑の粉が落ちてくる。
先生がゾンビに何かしようとしてるんだと思う。
多分上手くいかない。そういうのが出来ないのが先生だ。
でも前に一回上手く行った事があるから一応期待しておく。
よっつ、いつつ、むっつ。感覚が麻痺してくる。
嗅覚はもう少し前に麻痺してる。
踏み潰しても踏み潰しても改善しない状況に更にいらついてくる。カサムを絶対に殴る。
地下室の中も気になるけど、上の階のほうが気になる。
階段を埋め尽くしている緑色を踏み越えて一階へ駆け上った。
「うぇっほ!えほっ!」
上階は真緑の霧。ゾンビパウダーが舞っている。
先生がパウダーを吸い込んで咽ている。緑の煙は体に悪そうなので自分の口に布を当てる。
「一応、パウダーは人体には無害だ。」
「アイツは?」
「カサム?多分そのへんにいる。なんでだ?」
「殴る。」
眼の前でフラフラと影が動いた。
身長からみて多分カサムだ。呼びかける。
「おい」
振り向いたところを思いっきり殴る。
おかしな格好で床に倒れた。すこしスッキリする。
「お兄ちゃん!?」
妹の、確かアンナが叫んでいるが気にしない。
先生が呆然とこっちを見ている。
「なに?」
「ゾンビの操作は術者が行う。」
「うん」
「この場合の術者は?」
「…もしかして殴っちゃ駄目だった?」
カサムの周りには色々、多分ゾンビの操作に使う術具らしきものが落ちている。
マズい。やってしまった。
更にまずいことに、カサムのコントロールを外れたゾンビがこちらを明確に襲いだした。
さっきまでは引っ掻いたり掴んだりするだけだったが、今は殆ど食べようとする勢いだ。
「リリエ…」
「いや、だって!先生無理?」
「無理。」
そう言いながら蹴り飛ばしたり頭を潰したり、何匹も倒すが減らない。
一体何匹作ったんだ。何よりヤバイのはゾンビが外に出ようとドアを攻撃してるところだ。
この数が街に出たらちょっとした災害になるだろう。
「チェル!チェル!?」
アンナが誰かの名前を呼びながら部屋の奥へ走っていく。
そうだ、もう一人いた!
「先生、頑張って!」
それだけ言うと私も部屋の奥へ走る。
ゾンビの強さも知能もネズミ以下だ。
だけど、その数と恐怖心に欠けた食欲は子供には危険すぎる。
緑の波の中でチェル、は奥の部屋でゾンビの頭を両手で掴んでいた。
食べられそう?いや様子が少しおかしい。
暫くそうした後にチェルがゆっくり手を離すとゾンビがその場に倒れた。
いや、それはもうゾンビではなくただのゴブリンの腐乱死体でしか無かった。
チェルが顔を上げると、周りのゾンビが顔を伏せた。
そして「クルクル」と何をかを哀願するように鳴き始める。
私は家の中を包んでいた腐臭と狂乱が収まっていくのを感じた。
「うん、ちょっとまってね。」
少女の目はこの世界ではなくもう一つ向こうの何かを見ているようで、焦点がズレている。
ふわふわとした足取りで歩くと、それに沿うようにゾンビが避けて道を作る。
彼女は地下室への階段の前にたどり着く。
「チェル…待て、行くな。」
何時の間にか意識を取り戻した(いや、もとからあったのか?)カサムが止めようとするが、膝が笑って立てないようだ。
だがその言葉はチェルには届いていない。
一歩一歩と階段を降りていく。
先生と私はチェルの後に付いて地下室へ下りた。
地下室への扉の先には壁に張り付くように更に下り階段があり、民家とは思えない殆どホールの様な広さの空間が広がっている。
この薄暗い空間にみっちりとゴブリンゾンビが詰まっていたのだから笑えない。
チェルは浮かぶような足取りで階段を下りて地下室を歩く。
無数にある机の上には使い方がわからない器具や器械がのっている。
そして、血と臓腑と骨。死霊術師の研究室かくありきという雰囲気だ。
暫く歩くとチェルは部屋の奥、二つの棺桶の前で立ち止まる。
「チェル…」
後ろではアンナの肩を借りてカサムが地下室へ下り、追いついてきた。
チェルは二つの棺桶に語りかける。
「お父さん、お母さん」
ガラス張りになった棺桶の蓋からは、眠るように棺桶に横たわる男性と女性が見える。
これがこの兄妹の両親なのだろうか。
私は言葉に出来ない不安と、この家に来てから初めて自覚する怖さを感じた。
もしかして、カサムは両親を生き返らそうとでもしていたのか?
私はその浅はかさに怒りを通り越して哀れさすら覚えた。
同時に死者に一目でいいから再会したいという余りに切実で独りよがりな思いに同情も。
カサムはぶるぶると震えながら必死に何かを言っている。
きっとチェルやアンナじゃなくて自分に。
「チェル、違うんだ、お前や、ハンナには、両親が必要で」
「僕じゃ、駄目なんだ、ハンナ、分かってくれ、これは必要なんだ」
「父さん、母さん、僕じゃ、無理なんだ、助けて…」
カサムは前に進もうとして膝から崩れ落ちる。
長男として必死に家族を支えようとしてきた彼の責任感の強さはきっと良い所なんだろう。
結局、自重で潰れてしまった。
両親の黄泉返りはアイツの心を支える最後の拠り所だった。
だけど誰かが見つけたら世界は壊れてしまう。
私の世界も一度、先生が壊した。
恨んでるし、感謝してる。私は前とは少し違う場所にいる。
心地よくても、そこが居場所じゃないことはあるから。
ハンナはカサムの背を抱いて泣いている。
彼女は押しつぶされそうな兄の願いを知りながら止められなかった事を悔いているのだろうか?
私に兄弟が居ればもう少し分かったかも知れない。
チェルはそんな二人をよそに棺桶を見ていた。
いや、見ているのはもっと向こう。先生は勿論、私や他の誰も見えない世界。
彼女がそっと棺桶に触れると、表面のガラスにヒビが入る。
ビシッと大きな音がして、何事かと皆がそちらを向くとチェルが振り返った。
その目は向こうの向こう、まるで壁をすり抜けて地平線を見ているように遥かを見ている。
空間にビイイイ、と音が響く。ガラスが震えている音だ。
カチカチと器具が鳴ると、カタカタと卓上の器械が動く。
ガラスの震えが次第に激しく、高音になり、澄んでくる。
そうして、誰かの囁きが音に混ざりだした。
『…サム、ハンナ、レイチェル。先に逝きます。ごめんなさい。』
「かあ、さん?」
カサムが声を絞り出す。
これは一体なんだろう。死者との対話?死霊?
「先生」
「遺書だ。」
『カサム、責任感の強い子。ハンナとレイチェルを頼みます。』
『でもきっと、貴方が思うより二人共しっかりと育ちます。』
『だから貴方だけが頑張らなくても良いんですよ。自分のしたいように生きて大丈夫です。』
『ハンナ、優しい子。貴方の笑顔が母さんは大好きです。』
『お兄ちゃんを支えてあげて。カサムは気負いすぎるから。』
『カサムのことを叱ってあげてください。貴方ならきっと大丈夫。』
『レイチェル、私達の宝物。置いていってごめんなさい。』
『産んだ時に分かりました、貴方の力はとても特別で、時に生きることの妨げになります』
『死人占い師になんてならなくてもいいです。でも助けを求める人が居たら助けてあげて。』
『貴方にしか救えない人が居ます。そして貴方を助ける人も、そこに居ます。』
『もう時間がない。もっと沢山言いたいことがあります。』
『置いて逝ってごめんなさい。』
『でも、さようなら。永遠に愛してます。』
ガラスが割れる音が地下室に響いた。
棺桶の前のチェルは、兄妹をしっかり見ると涙を一筋流してカサムにかけよった。
先生がハンカチを差し出してきた。分からないけど私は多分泣いていたんだと思う。
私は先生に抱きついたけど先生はそのまま抱き返してくれた。
ーーー
「あーなんだい、全部終わりかい。」
家の外に出ると大婆ちゃんがいた。
錬金術ギルドのギルド長だったと思うので、家のことで来たんだと思う。
カサムもハンナも、多分もう家に執着はしないと思う。
「家はもう接収しても大丈夫だと思います」
と先生は言っているが大婆ちゃんは訳知り顔だ。
「それならやる意味はもうねぇな。」
「はぁ、俺に釘を差してたのはこれですか。」
先生がため息をつくと大婆ちゃんは笑っている。
多分カサムがどういう状態か知ってやってたんだと思う。
先生もなにか知ってたなら私に前もってなにか言ってくれれば…
「ギルド長は乱暴ですからな。」
ギルド職員みたいなローブを着たおじさんがギルド長をからかっている
「馬鹿言うんじゃないよ。開拓期じゃこんなもん日常茶飯事だよ。」
「厳しいですなぁ。」
「代行。ベイリーの、あの子らの父親に代わって礼を言わせて欲しい。」
「いえ、成り行きです。何も出来ませんでした。」
「へりくだっても出るもん出ねぇぞ、ミマサカ。」
大婆ちゃんが懐から出した袋を先生に手渡した。
多分、何かしら現金的なものだ。細かいことは分からないけど、今のウチには有り難いやつだ。
先生は慌てて返そうとするが、私が睨むと渋々懐へ入れた。
「まあ手間賃だよ、ネクロマンサー殿。」
ニヤっと笑うと大婆ちゃん、いや錬金術ギルドマスターのエリザベートは続けた。
「魔法だ魔術だと言っても人間は彼岸を見りゃ当然恐ろしいんだ。」
「それで、出来ることが多いもんだから、つい向こうとの距離を間違えちまう。」
「有り難いリーン教の奴らは迷信深い死人占いが無くなるのは人類の進歩だとか言うけどな、人はそうは変わらねぇよ。」
「その距離をちゃんと測り続ける物差しが死人占いさね。」
大婆ちゃんは開拓期育ちらしい。その頃はリーン教は大きくなかったとか。
前線都市が出来たのが百年ぐらい前だから、それより前に生まれてる、のかな?
とりあえず長生きだ。
「リリエちゃんも、うちのが世話かけたね。」
「ううん。」
「またパイを持っていくからね、小僧達と食べな。」
「うん!」
カサムのなにそれは事故ということで処理され、ベイリー家の両親は改めて埋葬された。
兄妹のその後としては、カサムはネクロマンサーを続けるらしい。
義務ではなく自分の本当の気持ちに気づいたとか言ってた。先生が何故か渋い顔をしていた。
ハンナは家を出るらしい。カサムもチェルも寂しがったが止めなかった。
チェルはエリザベートの元で死人占いの英才教育を受けている。
本人の志望は火術師らしいが、死人占い師も満更でもないとのこと。
私がこの話について知ってることは多くないけど、多分良いめの終わり方だったと思う。
近いうち、お爺ちゃんが退院する。
そうすればまた迷宮に挑む日々が始まるのだ。
俺に勇者は無理だと思う d5d2b8d7b9de @yumekurage0120
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