第26話


俺のギプスが取れたのは少々気温の高い日だった。

治療院でギプスを取ってもらった帰りにドンキホーテ氏を見舞う。

そこで丁度、錬金術ギルド長エリザベートと出会った。


「やっぱりこっちかい。リリエちゃんもドンキホーテの小僧も元気そうだね。」


「あいや、これはマダム、よく来てくださいました。」


「大婆ちゃん。」


「どうもご無沙汰しています。」


「ベイリーのバカ息子が許可証の発行を申請してきたよ。」


どうも、見舞いが目的ではなくカサムの事が本題のようだ。

カサムが優秀とは言え、まだ死霊術師と認められるだけの力量があるとは思えない。

そもそもゾンビ作りだけがネクロマンサーの仕事ではない。むしろゾンビ作りが死霊術の傍流に当たる。


ネクロマンサーとは死霊術師との訳だけでなく『死人占い師』という訳も当てられる。

その役割は霊魂や遺留物から故人の思いや感情を引き出して遺族との橋渡しをすることだ。

降霊術やイタコも広義のネクロマンサーに入る。ゾンビを作るのはその中でも霊魂と生命科学に傾倒したごく一部だ。


人間の死体を扱い死者との橋渡しをするという繊細な業務の関係上資格試験の厳格化が求められた。

無論の事、実力を持たず利を貪るだけの詐欺師がわんさかと居たのだ。

そのことから導入されたのがネクロマンサー許可制だ。

資格試験に合格した公認の死人占い師の実力と活動の補佐を行う制度だ。


因みに俺は資格試験に合格する見込みはない。霊魂との対話とかサイコメトリーとかそういうのは魔力がある人間の領域だ。


カサムならきっとしっかり勉強して訓練すれば資格試験に合格できるだろう。

そうすれば家からの立ち退きもしなくて済む。

それまでぐらいならエリザベート婆も待ってくれるだろう。


「発行は無理ですか。」


「まず受からんだろうね。」

「いいかい、ミマサカ。中途半端に立ち入るんじゃないよ。」


「…?はぁ」


「忠告はしたよ」


それだけ言うとエリザベートは果物の籠だけを置いて帰っていった。

話のわからないリリエは籠からリンゴを取り出すと齧っていた。


帰りは何となくベイリー宅へ寄ることにした。

リリエには簡単に「長男のカサムがネクロマンサー志望だ」と伝えてある。


「つまり、新しい生徒?」


「生徒…というわけではない。」

「そもそも教えられることが全くほぼ無い。」


「あ、あれ食べよ」


リリエは屋台でコッツーリを三つ買った。

コッツーリはでんぷん質な焼いた皮に甘辛いソースで煮た肉を挟む食べ物だ。

リリエはとりあえず肉と炭水化物を合わせたものを好む。

当然のように彼女が二つ食べた。

朝ごはんを食べてきたので俺は一つすら要らなかったが頑張った。自尊心を守れ。


カサム宅へは駅から『乗り物』を乗り継いで行く。

この『乗り物』は一体何かと言うと、バラバラだ。

馬車のこともあれば蒸気機関車のこともあり、時に人力車だったこともある。

『五十人ぐらいまで乗れる乗り物を定期巡回させている』ので単純に『乗り物』と呼ばれる。

この世界にバスや電車はない。有ったとしても数が揃えられないだろう。個人が作り研鑽したワンオフの運搬手段が使われるのが常だ。

今日は火術ボイラーの蒸気機関車だ。車内はやや蒸すがスピードが早く人気がある。


リリエが下りた駅でも軽食を買っているが、俺は気にしないことにする。


「ん、先生、あれ」


男たちが民家の前で言い争いをしている。

言い争いをしているのは、錬金術師然としたローブを来ている男と、カサムだ。


「カサム!」


「ちょっ、あっミマサカさん!」


カサムは男らを家に入れまいと踏ん張っているが多勢に無勢。今にも引き剥がされそうだ。

リリエがどうするべきかとこちらを見た。

かといってリリエが実力行使すると文民感の強い錬金術師はケガをしてしまう気がする。


「あのー、ちょっとすいません。何の騒ぎでしょうか」


「む。共通ギルド法特例十三条による不法占拠に対する立ち退きの執行だ。監督は錬金術ギルドになる。」


「ふぅむ。」


俺は少し思案するが、どうもまとまらない。

エリザベート、チェル、カサム、ネクロマンシー。

考える時間が欲しい。


「錬金術ギルド内規百十一項に基づいて代行権限で執行を一時中止します。」


俺はニナ証を取り出すと監督官に提示した。

これでいくらかの時間は稼げる。

稼げるが、この問題に深く踏み込むということだ。


「本物、だな。了解しました。では執行を一時中止します。」

「…この事はギルド長も知っているのか?」


「知らないし、多分怒られる。」


監督官は少しむっつりとした表情を作ると、ぱっと切り替えると言った。


「まあ、俺の知った話じゃないな。」

「…それにこれはオフレコだが、あんたのほうが良いと思うよ、ミマサカ代行。」


「俺のことを?」


「噂になってる。あまりいいものじゃないが。」


監督官は執行人を引き連れてひとまず退散した。

俺はため息をつくとカサムに向き直った。

彼の顔は見るからに憔悴して目の下には濃い隈がある。

状況から察するに勉強のし過ぎだろうか。


「あ、ありがとう申し上げます…ミマサカ、代行…」


「普通でいいです」


「あ、はあ…本当にありがとうございます。」

「是非お茶を飲んでいってください。ミマサカさんと、」


「リリエ。先生の生徒。」


「あぁ、パーティーの。」


そう言いながら家の中へ招かれる。

家の中は少し違和感を感じる。何かと言われれば分からないが、暗い?


「先生、私アイツ嫌い」


リリエが小声で言ってくる。

そんな事言うもんじゃないと言いたいが、躊躇してしまう。

カサムの印象はそれほど変わっていた。まるで別人のようだ。


ハンナは相変わらず無表情にお茶を出してくれる。

家の中に居たチェルは俺を見つけると顔を歪めて泣きそうな顔になった。

何かがおかしい、何かが変わった。


「死霊術の方は至って順調です。少々寝不足ですが本も見つかったし、生命学や魂魄理論も勉強しています」

「ゾンビパウダーも作ってみましたが、基礎としては良いですが、器官へのダメージが大きすぎますね」


カサムはネクロマンシーを勉強しているようだが、生命科学方面に傾倒している。

これは良くない。彼が親の跡を継いで『死人占い師』になるなら必要な無い分野だ。


「カサム。」


「知能の増大は霊化によってクリア出来るでしょうが、生前の記憶はどうも上手くない」

「霊化時に生前の記憶を取り込む事が多いのでそれを…」


「カサム!」


カサムが喋るのをピタリと止めると、薄暗い家は全く無音になった。

べったりとした空気が空間にこびりついてゆっくりと流れ落ちていく。

蛇口から流しに水滴が落ちる音だけが嫌に耳についた。


「かえ、帰ってください」


静寂を破ったのはハンナだった。


「ハンナ、お客さんにそんなこと言っては駄目だよ」


カサムがたしなめるが、どこかズレていて気持ちが悪い。

だがその時一番気になったのは思いつめた表情のハンナでも、現実から遊離し始めたカサムでもなく

ただ薄暗い部屋の奥で下唇を噛み歪んでいく現実に耐えようとするチェルの表情だった。


「トイレッ!」


椅子を蹴り倒すような勢いでリリエが立ち上がると、ハンナを躱すように階段へ向かう。

一階の、下り階段。地下室。


「そ、違っ、そっちじゃな」


カサムは動揺してリリエを止めようと立ち上がり手を伸ばすが、掴めない。

カサムが振り向く頃にはリリエは地下室の扉の前に居た。


「先生!」


呼ばれたことで、手が震えていることに気づいた。

恐ろしい。本当にそう思う。死を目の前にした時と同じ様に。


「錬金術ギルド内規百項丙に基づいて代行権限でギルド管理下の施設の査察を行います。」


声は震えていなかったと思う。


「やめっ」


ドゴン、と音がした。

リリエが多分ドアを蹴破ったのだ。


「はぁっ!?なにこれ!!」


リリエの驚いた声がするが此処からでは様子が見えない。

いや、リリエの声だけでなく、別の声がする。

リリエの怒号が下からする、何かと争っている。


それの正体はすぐに知れる。

階段を這い登ってきたのは大量のゴブリンゾンビだった。

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