第25話
「何故ネクロマンサーになりたいかですか?」
カサムは杖を片手に草原を歩いている。その背には遠ざかる学術都市ラクルエスタ。
ラクルエスタの都市防壁の外はなだらかな丘陵地帯が広がり、少し行くと森がある。
更に遠くには山があり、それを越えて更に行くと魔境と人界を隔てる前線都市が存在する。
魔境とは人の支配しない土地。迷宮とはまた違う大自然の驚異だ。
いま俺は、カサム等とラクルエスタ外へ出ている。
ここで何らかの野生動物なりを仕留め、ゾンビなりスケルトンにして実験を行おうというものだ。
俺はその道すがらカサムに何故ネクロマンサーに固執するのか聞いた。
彼の趣味趣向や親の遺志を継ぐとか、そういうのは分かるが彼らはあまりに性急にかつ貪欲だった。
「何か、聞いてない理由がある気がした。無いなら別にいいんだが…」
話を聞きながら横を歩いていたハンナが目を伏せ、帽子で顔に影がさした。
チェルは枝を振りながら数メートル後ろを歩いている。
「…チェルには言わないでくださいね。」
カサムが話したのはどうもきな臭い話だ。
数日前、家の立ち退き命令書が来たとのこと。それに書かれているには。
『この家はネクロマンサー許可証に対する特例としての賃貸であり、ネクロマンサー以外の占有はギルド法に違反している。
よって直ちに立ち退きもしくはネクロマンサー許可証の提示を』と。
ネクロマンサーはどこの管轄かと言えば、錬金術ギルドだ。
無論カサムもギルド長に掛け合ったが何のことはなく「引っ越せ」とのこと。
「ふぅむ。引っ越すのは?」
冗談だと思ったらしくカサムは少し笑うと、少し後真剣な表情になった
「親が残してくれたのは、あの家だけです。」
「あの家だけが、僕らの居場所なんです…。」
出会ってまだ数時間だが、カサムは好青年であり物腰も柔らかで万人に好かれる人物であろう事が分かる。
だが若さに見合わない苦労故か、彼の趣味趣向か、はたまた全く別の理由か、普段から乖離し底冷えする様な表情を作ることがある。
そうさせるのはネクロマンシーに固執する理由と同じものだろうか?
「だから僕はどうしても、ネクロマンサーにならなくてはいけないんです。妹達のためにも…」
バンッ。
真後ろで布が木製の物がぶつかるような音がした。
振り向くと空の弓をゆったりと構えるハンナが佇んでいた。
「仕留めた。」
視線の先、数十メートル先に矢が立っている。あの下に獲物が居るということだろう。
まるで狩人のような弓の腕だ。
確認すると石の裏で事切れている獲物はゴブリンであった。
ゴブリンは小型の亜人に分類される種であり、魔境からよく入り込む。
知能はいいところチンパンジーの二割増しぐらい。武器は使うがそれだけだ。
言語はなく鳴き声で群れと意思疎通をする。
ちなみに国立大学にはゴブリン狂と呼ばれる教授がおり日夜意思疎通をしようと言語を教えている。
彼の熱意が逆説的にゴブリンの知能の限界を教えてくれるのだ。
「では…」
俺は腰のポーチから一握りの緑色の粉を出す。
「ゾンビパウダー…」
カサムから声が漏れる。
「それで魂を吹き込んで黄泉帰らせるんですか」
「いや、ゾンビパウダーは行き場を失った魔力と新しい目的を繋げる役割をするだけだ。」
「ここで目的をしっかり再設定しないと肉体の精神に引っ張られて食欲のみの獰猛なゾンビになる。」
因みにゾンビパウダーは日夜改良されている。
具体的には中庸にして冥府の神サンバガクが好む円周率を延々と書き続けることで祭壇の質を上げている。
今の所は十万千十六桁。写経の様に心が澄んでいく気持ちになるのでカサムにも勧めようと思う。
「グゴ」
ゴブリンゾンビが起き上がる。
体の穴という穴から血が出ているのは、ゾンビパウダーによる強制的な上書きに粘膜組織が耐えないためだ。
同じ理由でゾンビパウダーによる急造ゾンビは肉体の大部分がダメージにより機能不全を起こしている。
なのでこのゴブリンゾンビの稼働限界時間もそう長くはない。
「すごい…」
カサムは目を見開いてゴブリンゾンビを見ている。
ゴブリンゾンビぐらいならこの辺を夜中に歩けば多少見かけると思うが、それを人の手で行えるというのは我が事ながら確かに興味深い。
魔物の魔は魔境の魔だ。人の手で魔境を制するのが人類の目標とするなら、その秘密の一端を死霊術師は掴んでいるはずだ。
観察していたカサムが興奮を隠しきれない様子で、早口でまくしたてた。
「血が出てますね、動きも遅いし鳴き声も不明瞭で聞き取りづらい、内臓は?知能や記憶は?」
「内臓はほぼ動いてない。脳髄もダメージを受けているから知能と呼べるものはほぼ無い。記憶は検証したことないが、多分無い」
「そうですか…もっと生前に近づけることは?」
「近づけることは出来るとは思う、ただ同じにはならないかと。」
カサムはそれきり黙ってしまい、ずっとゴブリンゾンビを観察していた。
少し離れた岩の上ではハンナが座って休んでいる。それにより掛かるようにチェルが寝息を立てている。
逞しいのか気が抜けているのか、チェルの年齢以上の幼さはそういう部分から来るものだろうか。
その後もカサムの質問に答えたり、円周率を教えたり、ゴブリンスケルトンにしたり。
日が沈むと魔境ほどではないが人界でも環境圧が変化する。
子供連れ故に、その前に都市防壁内に帰るべきだろうと話した。
「チェル、帰るよ」
ベイリー宅に帰り着くとすっかり日は沈んでいて夕飯もと言われたがそれは固辞した。
流石に遅くなりすぎるとリリエが心配してしまうかも知れない。
「今日は本当に有難うございました、これ少ないですが…」
そう言って帰り際に小袋を渡してくれた。
額は…少なくはなかった。
「こちらこそ、この怪我の関係で神殿を使ったので助かります。」
「このリストは…?」
カサムには大学図書館にある死霊術関係の本のリストを渡した。
死霊術関係の本はエッセイ、人文、暮らし、生命魔術、様々な書架に分散していて見つけづらい。
だが彼の能力なら適切な資料があれば自力で学べるだろう。
「それが大学図書館にある死霊術関係全ての書籍です。蔵書を考えるとかなり少ないんだが…」
「た、助かります、以前入り浸っていたときも数冊しか見つけられなかったんです!」
「それは良かった。では御暇いたします。」
扉を出ると、一切俺に懐いた様子のなかったはずのチェルが一人で外に出てきた。
「…おじさん」
俺はできればお兄さんがいい。
しかしチェルのその判断を尊重しようと思う。しかし傷ついた心はまた別の問題だ。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんは、隠し事してる。」
「気づいてたのか。」
「うん。」
「家のことは心配しなくても大丈夫だよ。」
「家は、知ってる。それじゃない。」
「…じゃあ何を?」
「知らない。」
チェルは後ろを向くと家の扉に手をかけた。
そのまま振り向かずに
「…地下室」
とだけ言った。
俺はこれ以上踏み込むべきではないと思いつつも
放置しておけない何かに触れてしまった様な気がして足早に家に帰った。
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