動き出す物語・冥獣『正体不明』

 ミント神戸は神戸の中心地、三宮のすぐ東にある複合商業施設だ。映画館は最上階の八階にあり、同じ階には大きな窓からの日差しが眩しいカフェがある。普段は賑わいの絶えない場所だが、今はミント神戸全体が警察により封鎖されている。

 御倉一律と白亜が着いた時には既に現場検証が始まっており、遮音された第三シアター内では多数の警官達が忙しくそれぞれの作業をこなしていた。ほとんどが冥獣対策課の人員だ。


「三人とも女性、十代後半から二十代前半、おそらく学生。友人関係のようですね」


 後ろから二列目のシート、中央付近。

 骨と皮だけになった女性だったと思われる三体の木乃伊が、並んで座っていた。

 水分と油分はすべて抜かれカラカラに乾いていた。三人ともパーカーやカーディガンといったカジュアルな格好で、色味も抑えめだ。足元にはバッグから散らばった荷物が散乱している。香水の瓶が割れ、濃くて甘ったるい匂いがする。

 遺体に触れず、御倉一律は後ろから検分する。


「三人とも首に噛まれたような傷跡があります。ヴァンパイアを彷彿させますが死後に偽装された可能性もありますので断定はできません。課長、発見当時の状況を教えて頂けますか」


 尋ねたが返事はない。

 御倉一律が振り向くと、課長こと七条愛理は目をあんぐりと口を開いて目を見開き、絶句していた。


「課長?」


 再び声を掛けた直後、七条愛理はおよそ人間とは思えない速さで御倉一律の至近に迫り、背伸びをし耳元で静かに叫んだ。


「先輩、何でこの子がいるんですかっ!」

「この子ではありません白亜さんです。白亜さんにも捜査に協力して頂こうと思いまして。勝手にしていい、と課長の許可も頂いたはずですが」

「部外者を現場に入れちゃだめです! めちゃくちゃ不審な目で見られちゃってるじゃないですかっ!」

「白亜さんは美しいので注目を集めてしまうのは仕方ありません。部外者が立入禁止なのは存じていますが、それは人権のない冥獣にも適用されるのでしょうか」

「うるさいっ!!」


 突然の叫びに館内は静まり返り、七条愛理はハッと我に返ったようで、愛想笑いを浮かべ辺りにぺこぺこ頭を下げた。なおこの間、当の白亜は静かに微笑み続けている。

 一歩下がって白亜を指差し、七条愛理は改めて静かに叫ぶ。


「と、に、か、くっ! この子は外にやってください! 冥獣だって気付かれても私は庇いませんよ!?」

「この子ではありません白亜さんです。指を差すのもやめて頂けませんか。目の届かないところに白亜さんをやるつもりはありませんので、白亜さんを外に出すなら僕も外に出なければなりませんが」

「何でそうなるんですか……! 勤務時間内はちゃんと仕事するって言ったじゃないですか!」

「そうしたいのですが、白亜さんは目を離すと逃げてしまいますので」


 御倉一律はどこまでも白々しく、七条愛理は呆れた様子で白亜に目を落とした。白亜は透き通った瞳で七条愛理を見上げ、何かを伝えようとしているようだった。

 しかしその口は開かない。

 白亜が御倉一律を見上げる。その瞳には五芒星がゆっくりと廻っていた。

 瞳術。そのルーツは忍術。

 五芒星は東西問わず魔術の記号、日本においては陰陽の呪符だ。

 何も言わない白亜から目線を切り、七条愛理は不満げに言う。


「そんなにこの……白亜ちゃんと、一緒にいたいんですか?」

「白亜ちゃんではありません白亜さんです。白亜さんを一人にすると死ぬか殺されるかしてしまいますから、僕がそばに付いていなければ」


 僅かに口角を上げた御倉一律に見、七条愛理は拳を震わせて視線を外した。


「……じゃあ勝手にしてください。ただし仕事はきちんとこなす事。お願いしますね、先輩」

「もちろんです。それで、発見当時の状況は?」

「隣のシアターで通報時この館内にいた全員から事情を訊いているところです。敏腕な先輩なら直接訊いた方が早いんじゃないですか?」

「そうですか。では白亜さん、行きましょう」


 目礼した御倉一律は白亜を連れて第三シアターを出ていった。

 警官達は白亜について事情を聞きたそうな様子だったが、七条愛理の放つどす黒いオーラがそれを許さなかった。



 第四シアターへ向かう僅かなあいだ、白亜は尋ねた。


「なぜ私を黙らせたのですか」

「あの場で自分は冥獣だと叫ばれても困りますし、あまり課長に余計な事を知られたくなかったもので」


 白亜は黙り、御倉一律が第四シアターの扉を開けたところで再びに尋ねた。


「貴方が冥獣に人殺しを依頼している事ですか」


 御倉一律は答えず、優しい微笑みだけを白亜に返した。

 その瞳には五芒星が回っていた。



 第四シアター内はひどく騒がしかった。冥獣による殺人があった事を知らされているかは分からないが、警察に拘束されれば誰だって不安になる。

 ましてや、突然に銃声が鳴り響けば、尚の事。

 シアターに入るなり、御倉一律は赤い拳銃を天井に向けて発砲した。

 人はパニックに陥る直前、必ず思考停止する。怒涛の津波が押し寄せる前、海が極限まで凪ぐように。

 そして凪いだ人波に、光り輝く讃美歌が降り注ぐ。


 ――今宵聖なる夜、眠り給え人の子よ――

 ――甘美な夢の甘い蜜がなくなる前に――

 ――深く深く眠り給え人の子よ――


 どさり、どさりと、シアターを埋め尽くす人々が次々と倒れていく。

 一般人も警官も関係なく、声なく、崩れるように。

 まるで強烈な睡魔に襲われたかのように。


「グレゴリオ聖歌の応用です。街中で使うと危険ですが、映画館では最適ですね。……少し効果が強過ぎたかもしれませんが」


 説明しながら、御倉一律は不意に白亜を抱き上げた。


「……何を」

「白亜さんではここを歩けないでしょう。抱えるのも恐れ多かったのですが、白亜さんに踏んでもらうなんてご褒美を僕以外が受けるなど許せません」


 眠る人々を踏まないよう器用に通路を下っていく御倉一律に、白亜は満面の笑みを向けた。可憐な白い花が咲き開いたような美しさだが、その内面たるや嫌悪の黒一色だろう。


「なぜ眠らせたのですか」

「人混みをかき分けるのもうるさいのも苦手なもので。先程の眠りの聖歌、冥獣には効かないんです」

「皆さん眠っているように見えますが」

「狸寝入りですよ。ここに入った時から冥獣がいるのは分かっていました」


 御倉一律がそう言った直後、壇上でうつ伏せになって眠っていた一人の女がぴくりと動いた。被害者の木乃伊と同じような服を着た女だ。

 御倉一律はその僅かな動きを見逃しておらず、しかしぴたりと足を止めた。


「遺体を残すだけあって完成度は低いと踏んでいましたが、ここまで見事に引っ掛かると滑稽ですね」

「彼女を殺すのですか」

「仕事ですから。しかし残念です、白亜さんが食べるには完成度が低過ぎる」


 話しつつ白亜を片手に抱き替え、御倉一律がジャケットから赤い拳銃を取り出した――その時。


「ごめんなさい殺さないでっ!」


 冥獣と思われる女ががばりと身体を起こし、そう懇願した。

 だが御倉一律は躊躇わなかった。

 銃口を向け引き金を引くまで、一切の無駄がなかった。

 雷のような轟きと共に稲妻のような眩い閃光が迸り、冥獣と思われる女を撃ち抜いた。

 閃光が消えた時、女もまた消えていた。


「事件解決です。さ、課長へ報告して速やかに帰りましょう」


 御倉一律はそう言って笑みを浮かべた。

 罪の意識など僅かにもないようだった。

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冥獣殺しと冥喰らいの少女 アキラシンヤ @akirashinya

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