動き出す物語・冥獣『ドヴェルグ』
九時過ぎの三宮は多くの人や車でごった返していた。
御倉一律、そして人間に擬態するパーカーを着た白亜は商店の立ち並ぶ繁華街から一つ南、オフィス街との境目である京町筋でタクシーを降りた。
「領収書をください。兵庫県警察、冥獣対策課で」
運転手は勿論、街行く人々のほとんどは二人を気に留めていないようだった。白亜の頭からは白樺の枝に似たツノが伸びているが、誰もそれに着目していない。
しかし白亜は静かに尋ねる。
「いくつか視線が刺さるのですが」
「白亜さんの美しさまでは隠せません。僕なら迷いなく声を掛けているところです」
御倉一律はそう返したが、長身で線が細く、喪服に見紛うダークスーツに身を包んだ御倉一律と、膝丈まである大きなパーカーを着た白亜とのミスマッチが気に衆目を集めている様子だ。
美男美女ではあるのだが傍目には歳の差が厳しい。
おまけに白亜は御倉一律の大きな革靴をがぽがぽ鳴らしていて、どうにも犯罪の匂いがするのだが二人は気付いていないようだ。
御倉一律の隣を歩きながら白亜は尋ねる。
「どこへ向かっているのでしょうか」
「まっすぐ前、男が露店を開いているのが見えるでしょう。彼はドヴェルグという冥獣です。白亜さんと同じように擬態し、普段はハンドメイドのアクセサリーを売っています。白亜さんはドヴェルグをご存知ですか」
「この世に興味がないものですから」
「北欧神話において神々の武具を作ったとされる種族です。もっとも神話とは違い、材料には人間の魂を使用していますが」
色鮮やかな宝石をあしらったアクセサリーを絨毯に広げ、あぐらをかいたドヴェルグは林檎の皮を剥いていた。
見た目は人間の少年とさほど変わらない。褐色の肌に金髪、翡翠色の瞳だけがやけに明るく輝いている。袖を通さず羽織っているのは白亜のそれと同じ素材で作られたオリエンタル模様のパーカーだ。
御倉一律に気付くと、ドヴェルグは白い歯を覗かせて笑った。
「兄さん、今日はまた随分とかわいい子を連れてきたね。どこで拾ったんだい?」
「そうでしょう美しいでしょう。彼女は白亜さんです。実にいい名付けをしたと思いませんか」
「ふーん。僕はエイトリっていうんだ。よろしく、白亜ちゃん」
ドヴェルグのエイトリが白亜に差し出した手を、御倉一律が握った。
「勝手によろしくしないでください。それに白亜ちゃんではなく白亜さんです。いいですね」
「兄さんは相変わらずだねえ」
くくっと笑い、エイトリは握っていた手を離した。
「それより用があるんだろう? ターゲットは誰かな」
「今日はその用件ではありません。白亜さんに魂を少し分けてもらいたいのです」
「ふぅん? 何でまた?」
「希死念慮が強く、自ら魂を喰らおうとしないものですから。しかし白亜さんのような美を失う訳にはいきません。お願いできますか」
「勿論いいよ。どうせ嫌って言っても持ってくんだろう? 僕はまだ死にたくない。どれでも好きなの持っていきなよ」
「ありがとうございます。では」
御倉一律は屈み込み、並べられていた宝石を一つ残らずジャケットに仕舞い込んだ。エイトリは苦笑いを浮かべ、剥いていた林檎を差し出した。
「これも持っていきなよ。まだかたちになってないけど、食べるんなら一緒だ」
「では、お言葉に甘えて」
受け取った林檎は、皮を剥いていたにも関わらず中まで深紅に染まっていた。
御倉一律は立ち上がり、黒い革の財布から白い帯で束ねられた厚さ一センチほどの札束を取り出した。札束をエイトリに手渡して言う。
「なくなったらまた来ます。くれぐれも慎重に。できれば県外で」
「……すっげぇ、本物じゃん。警察ってこんな儲かるもんなの?」
「まさか。臨時収入ですよ。それでは白亜さん、行きましょうか」
一万円札の束をめくり興奮するエイトリをよそに、御倉一律は去ろうとしたが、しかし。
「エイトリさんは、彼とどういう関係なのでしょうか」
留まる白亜にそう尋ねられた時、エイトリは瞬時に御倉一律を見遣った。
「人間とドヴェルグです。それだけの関係ですよ」
「私はエイトリさんに訊いているのです」
「兄さんの言う通りだよ。兄さんと僕、それだけの関係さ」
「私、実は冥喰らいなのですが」
「…………へぇ」
一瞬、エイトリの瞳が赤く染まったがすぐにまた翡翠色に戻った。
「でもここで僕を取って喰おうって訳じゃないんだろう? そんな事はできないし、僕だってそんなつもりはない」
「どうしてでしょうか。私は貴方の天敵であるはずですが」
「美学ってやつだよ。兄さんに気に入られてるんだろう? じゃあ余計な事は知らない方がいい。さぁ、行った行った」
白亜は御倉一律を見遣り、再びエイトリに目を落とし、しかし拘泥せず、目礼をして御倉一律の隣に並んだ。御倉一律がタクシーを止めて乗り込み、二人は去っていった。
御倉一律と白亜はホテルの一室にいた。昨晩まで御倉一律が寝泊まりしていた部屋だ。二人はテーブルを挟んで向き合い、御倉一律はアールグレイとスコーンを、白亜はエイトリから受け取った宝石を齧っていた。
「本当に、人間の魂なのですね」
「魂は本来保存できないものですが、ドヴェルグは一旦別のかたちに加工する事で保存を可能とします。いや、彼のような知り合いがいて本当によかった。人間の魂では物足りないでしょうが、今少し我慢してください」
「貴方は、エイトリさんに人殺しを依頼しているのですか」
「この世には法で裁く事のできない、しかし生きているべきではない醜悪な人間が大勢います。それだけの事です」
「善悪は貴方が定めるものではないと思いますが」
「善悪ではありません。美醜です」
白亜は黙し、それ以上何も訊かなかった。
「……僕の事が嫌いになりましたか?」
「初めから嫌いです」
そう言って白亜はにっこりと笑った。しかし御倉一律は気にした様子もなく微笑み返した。
しかし微笑みはすぐに消えた。パッヘルベルのカノンがかき消した。
「失礼。一応勤務中なもので」
ジャケットから取り出したスマホには、七条愛理の名前。
「御倉です」
『ミント神戸映画館内において冥獣による殺人、至急現場に急行してください』
「了解しました」
通話を切り、御倉一律はため息をついた。
「もう少しゆっくりしていたかったのですが、仕方ありません」
「ようやく貴方から解放されるのですね」
「まさか。もちろん白亜さんにも一緒ですよ」
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