始まりの物語・人間『七条愛理』

「何考えてるんですか先輩っ!!」


 御倉一律の思惑通り、七条愛理は何とか白亜の部屋に辿り着く事ができた。元町商店街を十数回往復し、御倉一律に迎えに来てもらってようやく、ではあったが。

 事前に聞かされていたとはいえ、冥喰らい白亜を目の当たりにした七条愛理は叫んだ。


「冥獣と一緒に暮らすってどういう事ですか!? しかもこれがいるから神戸に冥獣が集まってるって、じゃあ退治しましょうよ!!」

「彼女は白亜さんです。指をさすのはやめてください。確かに白亜さんは冥喰らいという特殊な冥獣ですが、ここは一つ冷静に考えて頂きたいのです。どうぞ」


 赤いソファをぽんと叩き、御倉一律は隣に座るよう促した。

 意匠の凝らされた椅子に座ったまま動かない白亜を睨みつつ、七条愛理はできるだけ距離を置くようにして壁沿いにじりじりとソファへ近付いていく。


「白亜さんは課長を襲ったりしませんよ。彼女には生きる気力がないそうですから」

「じゃあ死んでもらいましょうよ……」

「では、貴女が殺してくださいますか」

「しゃ、喋った!?」

「これだけ人のかたちに近く口も付いているのですから当然話せます。課長は白亜さんを何だと思っているのですか」

「冥獣だと思ってますけど!?」


 半ば勢いに任せ、七条愛理は飛び込むようにソファへ座った。勢い余って身体がぶつかりそうになったが、御倉一律は片手で押し返した。


「考えて頂きたいのは課長の立場についてです。兵庫県警に留まらず警察庁でも扱いに苦慮されているのは、当然ご存知だと思いますが」

「……それとこれと何の関係があるって言うんですか!」


 ほのかに顔を赤らめ、触れられた肩を撫でながら七条愛理はソファの端へと寄った。


「縁故採用の多い警察庁において、何故か七条グループのお嬢様が面接に来た。それもキャリア組ではなくノンキャリとしてです。上層部は大いに混乱したでしょうね。ありありと目に浮かびます。白亜さんは七条グループをご存知ですか」

「人間社会には疎いものですから」

「簡単に言えば旧財閥の一つです。日本屈指の企業団体、そして課長は七条グループを束ねる会長の一人娘。当然、普通なら警官になどなりません。むしろ働いている事からしておかしい」

「そういう話はやめてください! 家でも散々言われてるんですから!」

「では別の方向から話しましょう」


 そう言って御倉一律は七条愛理の顔を覗き込み、七条愛理はバッと目を逸らした。


「扱いに苦慮した警察庁は以前から問題になっていた冥獣に対し、正式に冥獣対策課を起ち上げました。課の人間は課長と僕の二人だけ、あとは才能のある人間を他の部署から借りて養成、都度派遣してもらうかたちを取っています。こうして課長は異例の早さでひとまず課長となり、デスクでのんびりしていてもらえればよかったのですが、まだ問題がありました。白亜さん、分かりますか」

「いいえ」

「課長には並離れた才能があり、しかも現場に出しゃばる悪い癖があった事です」

「と、当然じゃないですか! 全部他の課の人に任せるなんてできないじゃないですか!」


 白亜はずっと薄く微笑んでいる。興味がなければないほど笑みを浮かべる癖があるのかもしれない。七条愛理の言い分を聞き流し、御倉一律は話を進める。


「以上を踏まえて本題です。白亜さんが兵庫からいなくなれば、遅からず冥獣対策課は消滅します。最近は市民の目も厳しいですからね。僕は安定した公務員でいられなくなり、課長は警察庁の危険人物に逆戻りです」

「危険人物なんかじゃありません! 私は別にいいんですよ? 冥獣がいなくなって対策課もなくなって。一つ平和になったって事じゃないですか」

「本当にそれでいいんですか? 兵庫で冥獣の数が減ったとしても、冥獣の絶対数が減る訳ではありませんが」

「うっ」

「管轄内さえ平和であればそれでいい。実に警察らしい考え方ですね」

「ううっ!」

「もっとも僕は真に平和を愛する人間ですから、人に害なす冥獣の絶対数を減らす方が有意義と考えますが」

「ううぅ~~~~っ!!」

「しかし僕は課長の部下です。もうすぐ九時ですから、時間になれば指示に従わざるを得ません。白亜さんを殺せと命じられたら、そうするしかありません」

「分かった! 分かりました!!」


 勢いよく立ち上がり、七条愛理は叫んだ。


「もう勝手にしてください! これに関しては見なかった事にします! でも保護したりとか絶対しませんからね!」

「これではありません白亜さんです。指さすのはやめてください。あとこれから僕は引き続き白亜さんから事情を伺いますので」

「うるさいっ!!」


 顔を真っ赤にしドタドタと足音を荒げ、七条愛理は白亜の部屋から出ていった。

 それを見届け御倉一律はニヤリと笑う。


「言った通りでしょう。彼女は僕に勝つだけの力がない」

「煙に巻くのがお上手なんですね」

「陰陽道や悪魔祓いなど基本はハッタリです。現実に効果があるなら何も問題はありません」


 御倉一律は立ち上がり、入り口に置きっ放しにされていた黒い革張りのアタッシュケースを取りにいった。ホテルから七条愛理に運ばせた私物だ。四桁のロックを外し中身を取り出しながら白亜に語りかける。


「少し遅いですが朝食にしましょう。いくつか買い足したい物もありますし」

「私は何も食べません」

「そうは言ってもミノタウロスの持ってきた魂は喰らった。白亜さんが食べないのなら僕も死ぬしかありませんね」

「……貴方はとても、卑劣です」

「白亜さんに比べれば、確かに」


 丈の長い生成のパーカーを取り出し、御倉一律は白亜の前で広げてみせた。


「人間に擬態できる衣です。素材はアラクネと糸とビキューナの毛、パターンと縫製はアットリーニに依頼しました。白亜さんには大き過ぎるでしょうが、オーバーサイズの流行がまだ続いているので大丈夫でしょう」

「人間の貴方がどうしてそんな物を?」

「僕が着れば誰からも認識できなくなります。さ、行きましょうか」


 細く長く息を吐き、白亜はゆっくりと立ち上がった。初めての立ち姿を上から下までじっくりと眺めてから後ろに回り、御倉一律は丁寧に袖を通していった。


「悪くはないですが、白亜さんの美しさを引き立てているとは言えませんね。できるだけ早いうちに相応しい服を見繕いましょう。何か希望はありますか」

「もう好きにしてください」


 白亜は満面の笑みを浮かべた。

 勝手極まる御倉一律の狂気に、諦めを覚えたのかもしれない。

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