恋文
琴野 音
『手』紙
切れる息は、恋のせいか。
高まる動悸は、恋のせいか。
眩むような視界は……恋のせいか。
近いようで遠い。
正確に言うならこれは。
これは焦りだ。
雨と風を切り裂いて、私は両足を前へ前へと投げつける。一分でも、一秒でも速くと願いながら進む度、不安と恐怖に身体が固まっていった。
「放課後、少しだけいいですか?」
粉雪のようにゆっくりと積もった恋心は、風で散りそうな僅かな勇気となって、たった一つの言葉を生んだ。
「待ってるね」
憧れの先輩。素敵な先輩。私を丸ごと包み込むような入道雲を思わせるその優しい口調に、恥ずかしながらも笑みがこぼれそうになった。
それなのに……。
部活が長引いた私は自分の選択を呪った。どうして早く切り上げなかったのだ。どうして雨が降ったことに気付かなかったのだ。タイミングなんていくらでもあったはずなのに。
季節外れの雨は勢いを増して、私はカバンをきゅっと強く抱いた。
どこにでもある都市伝説。地元で有名な噴水の前で気持ちを伝えると、恋の神様が二人の手を結んでくれる。臆病な私は告白なんて夢でも出来ないけれど、代わりに手紙を書いた。いつの時代だって思われるかもしれない。でも、何度も書き直した短い文章に気持ちを込めた。
唇を噛んで、喉まで登ってきた嗚咽を堪える。帰っているかもしれない。怒っているかもしれない。やっと、やっと口に出せたのに、想いを伝える機会が出来たのに、全部がこの雨に流されてしまう。
好きであればあるほど、罪悪感が膨らんだ。
走り続けて待ち合わせ場所へ辿り着いた私は、思わず膝から崩れ落ちそうになった。
「部活、お疲れ様」
豪雨だというのに傘もささず、何事もないようにケロッとした顔で、先輩はいつもの笑顔で迎えてくれた。
何も考えられずひたすら謝る私をおかしそうに笑い、何度も「大丈夫だよ」と慰めてくれた。悪いのは私なのに、怒られても仕方ないのに。ずっと頭を撫でてくれていた。
「それで、今日は?」
先輩がそう言ってくれて、ようやく私はハッとした。手紙だ。手紙を渡すためにここへ呼び出したのだ。
抱き締めたカバンを急いでまさぐって、肝心の手紙を探す。
でも……。
「……」
「どうしたの?」
「手紙…………」
大雨に耐えられなかったカバンは、私の想いを守ることが出来なかった。底の方でぐちゃぐちゃに潰れた手紙は、水性ペンで書いてしまったのか文字も読めないほど歪み、それが手紙であることもわからないほどだった。
ゴミ屑になった手紙をカバンの中へ戻し、私は俯いたまま声を捻り出す。
「何でもないです。今日はもう帰り……」
「手紙、見せて」
「でも……」
「いいから」
変わらぬ笑顔で手を差し出す彼に、今にも泣きそうな顔を見られたくなくて、ずっと地面を見つめながらそれを渡した。
ゆっくりと手紙を開いた先輩は、消えてしまった文字がまだあるかのように、白紙の手紙を読んでいた。
「ん、僕にはちゃんと見えるよ。ありがとう、すごく頑張って書いてくれたんだね」
「先輩…………」
「だからさ、返事……書くね」
先輩は私の手首を優しくとって、大きな指を私の手の紙に静かに這わせた。
『す・き・だ・よ』
彼の顔を見上げた時には、雨と涙で酷い顔をしていたかもしれない。なのに先輩はずっと笑顔で、私は気持ちを抑えられずにはいられなかった。
同じように、彼の手に指をそっと乗せる。手紙を書いた時と同じ気持ちを込めて。
『わ・た・し・も』
書き終えた私は彼の胸に飛び込んだ。
雨なんて知るものか、風なんて知るものか。願いが、想いが叶ったこの幸せに、そんなもの何の障害にもならないのだから。
恋の神様が繋いだ二人の手は、決して離れることがないと確信させてくれた。
恋文は形を無くそうと恋心を届けてくれる。
白紙でクシャクシャの恋文は、今も私たちにしか見えない想いで溢れていた。
恋文 琴野 音 @siru69
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