猫の話

なっち

黒猫の話

その猫を連れてきたのは、当時付き合っていた彼氏だった。

高校生だった彼氏は、人生で一度も猫はおろか、動物というものを飼ったことがなかった。

そんな彼氏が学校帰りの側溝で見つけたのが、一匹の黒い仔猫だった。

拾ったはいいが家族も友人も、誰も猫は飼えないと言う、そう言って彼氏は私に電話をしてきた。


私の家は、私が物心ついて以来常に犬と猫がいた(時には鳥も)。

たいていはどこからか親がもらってきたのだが、中には私が拾ってきたのもおり、「動物を飼うこと」のハードルはおそらくかなり低かった。

その時も家族は仔猫を飼うことに反対しなかった。ちょうど前の猫がいなくなって一年以上経ち、猫特有の柔らかい毛並みとお日様の匂いがするお腹が恋しくなっていた頃だった。


仔猫は彼氏の自転車の荷台に括り付けられた段ボール箱に入れられてやってきた。

車でも30分以上かかる距離を、彼氏はひたすら自転車を漕いでやってきた。

赤信号のたび段ボール箱に空いた楕円の穴に指を差し入れ、仔猫の様子を伺った。

仔猫はその度に黒く細い前足を精一杯伸ばして、一生懸命空を掻いた、と彼氏は何度も言った。


我が家にやってきた仔猫は、お風呂で隅々まで洗われた後可愛らしい名前を付けられた。

小悪魔のような女の子を連想させるその名前は、どことなくアンニュイなその仔猫にぴったりだった。


仔猫はすくすく育ち、やがて家の至る所にマーキングをしだした。

そこでやっと仔猫が雄であることがわかったのだ。

その可愛らしい名前を持つ雄猫は、主に私の部屋を就寝スペースにしていた。

昼間は陽の当たる一階のリビングで過ごし、夜になると自室に引っ込む私の肩に乗っかり、二階へ向かうのが日課となった。


その黒猫は端的に言って「野生児」だった。

当時、特に田舎の家では猫が外をウロウロしているのは当たり前のことだった。

車もあまり通らず、首輪に連絡先も記していたし、何より黒猫が自宅の庭より先に出ることは少なかった。

だから黒猫にとって庭は遊び場であり、同時に狩り場でもあった。

セミをはじめとする虫はもちろん、トカゲ(尻尾の有無は問わず)・カエル・雀、挙句に鳩まで捕まえてくることもあった。

ある時黒猫はいつもどおり雀を捕まえてきた。頭からカポッと黒猫の口に収まってしまった雀はそれでも必死に羽をバタつかせ逃げようとしていた。

家の勝手口でその光景を見た母は、とっさに猫の頭をはたいた。驚いたのか怒ったのか、黒猫は口からポトリと雀を落とし、九死に一生を得た雀は一目散に飛んで逃げた。

黒猫はしばらく怒っており、母が呼んでも背を向けたまま尻尾をブンブン振るだけという日が続いた。


それから数年後、我が家は家庭崩壊寸前だった。

家族と口をきかず部屋に篭りっきりのくせに、いそいそとどこかへ通う風の父。

そんな父への愚痴を私に吐き出し、まだ小さい末の弟を連れて友人宅へ泊まりに行く母。

私も家にいるのが辛くなり、外にいる時間が長くなっていった。

家庭内に会話というものがほぼなくなったそんな頃、黒猫に病気が見つかった。

病院に連れて行ったが、余命宣告をされただけだった。

できるだけ一緒に過ごそう。

だけどその日はあっけなくやってきた。


普段めったなことでは二階にやってこない祖母が、ある朝私の部屋をノックした。

「猫が死んでる。」

一階のテラスに黒猫は横たわっていた。

父は早々にどこかに出かけ、母は友人宅からまだ帰っていなかった。

私の連絡を受け帰ってきた母が、横たわる黒猫の瞼を閉じて泣いた。

結局、黒猫は一匹で死んでしまった。

そばにいてやれなかった。

みんな自分のことばかり考えていて、病気も早く気付いてやれなかった。

温かく柔らかかったその感触を覚えていたかったから、亡くなって冷たく硬くなった亡骸を撫でてやれなかった。でも、「ごめんね。ありがとう。」と撫でてやればよかったのだろうか。

黒猫は幸せだったのだろうか。


家族はその後、じんわりと元の姿を取り戻した。

私が結婚する直前にはうちのペットは犬が一匹、猫が二匹になっていた。

今の所三匹とも元気で暮らしている。

それでも実家に帰って思い出すのは、元気で私の肩に跳び乗る黒猫の姿だ。


夫はオンラインゲームの女性キャラクターに、かつて自らが自転車で運んだ黒猫の名前を付けた。

あれは雄猫だったんだよ、と何度も言ったのに。


るるは今日も、ゲームの世界で元気に走り回っている。

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猫の話 なっち @nacchi22

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