第5話
僕たちを造った彼が処刑されたと、他の研究者から伝えられたのは、その一週間後だった。彼を処刑した意思が誰のものかわからないが、あまり接点がなかった研究者たちは、彼の処刑を伝えたその口で、ソワナを戦闘機として運用すること、そして僕を直接戦闘に投入することを発表した。
僕たちには拒否する権利がある、ということをソワナは主張した。そのソワナに向けて、彼らは、
「確かにその通りだ、"イデアール"改め──ソワナ」
と呼びかけた。ソワナは動きを止めた。もちろん、僕も。
「ソワナ、そしてハダリー。我々はこれから、君たちをそれぞれ異なる個人として扱おう」
ハダリー。その響きは僕のコアを揺さぶり、僕は嵐の中のようによろめいた。それはソワナも同じだった。ただ、呼ばれた名だけが違っていた。
それは、書類上で僕たちを区別する必要があるときに、通称として用いられていたものであり、実際に面と向かってそう呼び掛けられたことはなかった。僕たちはいつでも"イデアール"だった。
「彼らは君たちを区別しなかったそうじゃないか。これは、君たちを個人と認めていなかったということではないかね? アンドロイドにも個人の権利はあるという、昔からの規定に、彼らは違反していたんだよ。著しい権利の侵害だ。そうは思わないかい?」
確かにそうだ。そうなのだが、僕には、──僕たちをハダリーとソワナに分解した彼らよりも、イデアールと呼び、ひとつにした人々の方が、ずっと僕たちを大切にしてくれているように感じたのだ。
「強制的に君たちを従わせることは私たちにはできない。人間を従わせることができないように。これも、権利だ」
権利。その言葉がこれほど空虚に響くことがあるとは僕たちは知らなかった。不誠実な作為に富んだ言葉が、こんな感情を与えることも。
僕たちは互いに自問した。
アンドロイドは生物を傷つけることはできないのか。
昔のサイエンス・フィクションで定められた、ロボット三原則を思い返す。
ロボットは人間に危害を加えてはならない。
ロボットは人間から与えられた命令に絶対服従しなければならない。
ロボットは自己を守らなければならない。
僕たちは否定する。僕たちは
アンドロイドは、命を殺せる。
ある雨の日だった。
僕たちは初めて、任務が分断されたので、そのことについてソワナと話し合っていた。
僕とソワナは同じイデアールであったが、その性質は少しずつ異なっていた。
ソワナは僕よりも大型の可変部を持ち、航空機にも変形できたから、偵察と輸送船の護衛を命令された。僕は、電気信号で敵の通信に介入して作戦内容を解読することを命令された。身体の人工分子を流体化させ、回線に這入り込み、電気信号を送ってハッキングし、そのまま対象を破壊することも指示されていた。
だが、ソワナは、もっとひどい破壊を命じられたのだ。
「偵察飛行だってんなら、なんでワタシはミサイルを持たされるんですか」
「君は護衛だ。向こうから発見され、攻撃されたら、迎撃せざるをえないじゃないか。積極的に殺せという命令ではない」
「あんたも解ってんでしょ。あいつらはワタシにヒトを殺せって言ってるんです。ヒトじゃなくたって、兵器を、ワタシたちのナカマをきっと殺せと言うんです」
「やめないか、殺すか殺さないかなど君の意志だ。君は殺人を拒める。それが──権利だと……」
「そんなはずありません。あいつら、言うことを聞かなきゃワタシたちに何をするかわかったもんじゃない。ドクトルだってあいつらに殺されたんです」
「やめないか!」
誰かを叱責したのは初めてだった。ソワナの髪が緊急時の信号のようにピンクに閃いた。僕にもその衝撃は伝染し、首の接続部からぱちんと銀色が飛び散った。こんなにも繋がっているのに、僕たちは対立しなければならなかった。
雨音が、胸のなかまでよく響く日だった。スヴニールと、ロシニョールと、エトワールのチップが、雨に打たれる花びらのようにきしきしと幻の音を立てていた。雨が好きだったはずのソワナは、窓の外を見ることもしなかった。
流氷に擬態した複数の艦は、推進音を殺して北上していた。潮の匂いが漂う北の海は、生きたものなど存在しないように何もかもが冷えきっていた。
僕はその偽の氷の上に立ち、吹き荒ぶ風のなか、彫像として動かなかった。
僕はソワナから断続的に電気信号を受信している。位置、進行、状況、……それを置換して本部のコンピュータに転送すると、またすぐに次のソワナの声が聞こえる。僕はそれに応える。
僕は管制塔だ。僕だけがソワナを地上に繋ぎ止めていた。灯台もレーダーも要らない。僕がいるところに、ソワナが帰ってくる。僕たちは
そのはずだから。
ソワナも僕も、出撃まで口をきかなかった。思考を共有しているのだから、口をきく必要はあまりないのだが、それでもそれは悲しかった。怒りや意地でなく、口をきけるほど元気でいられなかったのだ。
輸送船がなにを運んでいるのかは知らされていないが、大方は動作不良か、未熟な兵器たちだった。運用が難しい彼らは、十把一絡げに肉の盾として使われる。僕たちがその事実に気づき始めた頃には、多くの船がどこかの敵地へ消え、多くの船が海の藻屑と化していた。海洋兵器の運用は敵陣営のほうが優秀で、こちらは何度も辛酸をなめさせられていたらしい。
そんな船を護衛させる必要性は、本来ならないはずだった。しかし、研究者たちは、希少な
酷いことを考えていたそのとき、人工知能に直接信号が届いた。複雑に暗号化されたそれを受け取ったとき、うなじにひどく冷たい火花が散って、髪が逆立って、暴力的なピンクに染まった。
命令が変更されたのだ。
目標を再度発見次第、ただちに攻撃せよ。
目標の戦闘行為及び活動を停止させよ。
目標の残留物を回収せよ。
要約すれば、三つの命令だった。僕の動揺ごと、それはソワナに伝わった。その瞬間、拒絶の雷撃がうなじを迸り、僕は衝撃に呻いた。
「落ち着くんだ、作戦を遂行しなければ!」
──命令が!
「そうだ、変更された。発見次第、攻撃態勢に入る」
──計算しなくていいです
「なぜ?」
──ワタシ、みえます。レーダーにさえ映れば、あなたなしでも撃てます
「どうして。君ひとりでは演算の負担が大きすぎる。メリットがない」
──ワタシがそうしたいから
「………」
──ワタシが、ひとりで撃ちたいから
「……すまないが、強制的に感覚をリンクさせてもらった。海中に反応がある。攻撃可能だ」
──あなたにやらせたくない
「計算結果を送る」
──ワタシが、ひとりで……
「これは戦争なんだよ。イデアール、僕も
──……ワタシ、が……
ソワナの思考が波打って動揺と諦めと混乱に拡散する。僕と同じように、ソワナにも何をすべきかはわかっている。だが、それが困難なのだ。僕と同じように。こんなにも、胸のうちが嵐となる。
その瞬間、ノイズが走り、直後に頭の中心が爆発したような衝撃が神経連絡網を伝って全身に届いた。一瞬伝達がエラーを起こし、身体が分解しかけるほどのファースト・インパクトだった。
僕は崩れ落ちた。連結が崩れ、アメーバ状に融けて拡がった手足はパニックに陥って波のようにあたりをのたうった。水銀色の海で僕は奥歯を噛みしめて激しいショックをこらえた。
僕にはわかった。
僕が計算した角度で、軌道で、タイミングで、ソワナが殺した。
アンドロイドが、命を殺した。
がくがくと身体が震え、再構成しようとした腕が何度も砂のように崩れた。混線するソワナの電波が僕の身体を掻き乱した。
僕は身体を逸らしてソワナを呼んだ。星に焦がれる獅子のように、片割れを呼んだ。
ソワナが近づいてくる。音速だ。兵器の速度で、僕のもとへ帰ってくる、管制塔の僕のもとへ。極地の空から、ピンクの光が近づいてくる。海に反射したその輝きは
空から星が隕ちるように急降下してくる。まるで投身自殺するようなその角度と速度に、僕は駆け出した。僕の存在を感知したソワナは、翼を変形させて減速した。ソワナに理性が残っていたことに僕は安堵し、着陸地点まで跳んだ。氷が割れ、花の形になった。
人の形に戻りながら僕の腕のなかに飛び込んできたソワナは、隕石のように高温だった。あまりに高速で落ちてきたため、摩擦で体表面が削れそうなほどだった。衝撃を殺せずに、僕たちは爆散した青い氷のなかに叩き込まれた。
「イデアール! ワタシの片割れ!」
絶叫したソワナの銀色の手足は、返り血のような赤い色が脈動していた。瞬きよりも速く全身を信号が駆け巡り、ソワナはピンクの火花を散らして尖った指で頭をかきむしった。
「ワタシはヒトを殺した!」
僕はソワナに抱きついた。そうしないとソワナが自分の頭を破壊しそうだったから。
「ヒレとウロコを持つヒトだった! 少女だった! 彼女は海洋兵器でした、深く深く潜航していたけれど、ワタシにはわかった。ワタシは彼女を追いかけた。──ワタシはミサイルを海に撃ったんです! あの、何トンもする、鋼鉄の破滅の種子を!」
僕はソワナの体を抱きすくめて何度もうなずいた。僕にもわかる。流れ込んでくるのだ。僕が計算した座標に、ソワナがミサイルを撃ち込んだ反動。滝のような水飛沫。海底の轟音と光、やがて浮かんでくる夥しい泡と鉄の装甲、そしてわずかな血と脂と、肉。改変された遺伝子の身体。
僕は聞いた。ソワナは、それを回収しろと命じられた。
僕はソワナを閉じ込めるように抱きしめ、暴れるソワナの耳元で一生懸命叫んだ。
「イデアール、僕の片割れ。僕も同じだ。君が殺したものは僕も殺したんだ。僕たちが──僕たちが殺したんだ!」
「───やめて!」
夜の底を照らす花火のように電子の泪が弾けとび、あたりが一瞬あかるくなった。張り裂けた胸から想いの権化のように、無数の剣がソワナの体を突き破り、僕にも突き刺さった。僕を抱いたソワナの絶叫が天を裂いた。
「あなたは
その瞬間、僕の胎内でソワナの身体から生えた剣が弾け飛んだ。内部からの衝撃に僕の手足は千切れて銀の砂になり、僕たちは折り重なって仰向けに倒れた。僕たちの身体は混じり合い、電子が激しく飛び散った。人工分子はふたつの思念波に揉まれて嵐の海のように荒れ狂い……やがて、僕たちふたりの身体と、ソワナの泣く声と火花を、神の洪水のように沈めた……。
アガペーというのが人を離れた神の感情というのなら、僕は確かにそうかもしれない。なぜなら、ソワナのほうがずっと人間に近かったから。人をひとり殺して、気も狂わんばかりに苦悩するソワナの姿こそが──ほんとうは、理想に近かったのではないかと、僕は今でも思う。
僕に存在した人間的な部分というのは、ソワナの持つ苦しみと似て非なるものだったとおもう。
僕は常に罪悪感に苛まれていた。
ソワナが空から、たくさんの兵器たちにミサイルを撃ち込むとき。その攻撃の、膨大な演算を担うとき。確かに
例えば、前線に送られながら書記官に任命され、毎晩、友の戦死公報を書く気持ち。
僕は逃げたのではないか。
僕も手を汚すべきだったのではないか。
それができないのなら、僕はソワナとふたりでひとりの"イデアール"のまま、廃棄されることすら喜んで選択するべきだったのではないか。
……僕は、質問に答えを出せなくなった。あのときから。これは故障だろうか?
ソワナは、僕が答えを出せなくなったことをわかっていたはずだった。けれど、いつもソワナは僕に問いかけた。
「ワタシたち、みんな死ぬのでしょうか」
「………いや」
わからない問いに答えることはできない。だが、僕はそう答えたかった。否、と。
ソワナは僕のそういった思いをすべて知っているし、僕もそのことを知っていた。ソワナは、翼に変わる腕を見つめて呟いた。
「戦場には、たくさんの兵器がいます。ワタシはそれらすべてを殺すことはできない。だから、たくさんの兵器はまだ生きている」
「ああ。僕たちの陣営も、恐らくたくさん生きているだろう」
「みんな、死にますか」
僕は黙った。ソワナに僕の思考はすべて伝わっているはずだったが、ソワナは言葉がほしいのだ。僕にはそのことがわかっていた。
「……わからないな」
しばらくの間をおいて、ようやっと、ソワナが求めた答えを口にした。
「兵器がみないなくなることはない。なぜなら、兵器は新しく造られるから」
「兵器がぜんぶ死ぬまで、戦争が続いたら? あるいは、戦後、すべての兵器を破棄する命令が出たら? 平和な世界に兵器は不要です」
「ソワナ。平和な世界に命は必要だ」
ソワナは沈黙した。
戦場で闘う者たちが、兵器である以前に、命であることを、その手をさまざまな色の血に濡らしたソワナはよく知っている。
「……では、
いたわりつつ殺す手を見たことのない者は、人生をきびしく見た人ではない。『善悪の彼岸』(ニーチェ1954新潮文庫 断片69番)
Le fantôme future しおり @bookmark0710
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