outroduction-星は巡る
◆◇ Outroduction – 星は巡る ◇◆
そこそこ賑わう昼間の街中。これまで全く無縁だった明るい世界は、なかなかに居心地が悪かった。それに加えて一切の武装をしていないことも心許なさを助長させ、蔦野伊智は大きな溜め息を吐いた。
「落ち着きがないな。いい加減に慣れたらどうだ」
「……お前だって似たようなもんだろ」
「俺は慣れている。《ヴォルク》は表向き、普通の警備会社だったからな」
腕を組んでスラリと隣に立っているのは、嘗て敵同士であった兄貴分のサラディーノ・ラヴィトラーニだ。縁あってその後も行動を共にしている彼は、一足先に経験済みだからか、やたら先輩風を吹かせたがった。
こうしてまた隣り合えるのは嬉しかったし有り難かったが、急に表側に放り込まれたことには戸惑いしかない。今まで生きてきた、《楽園》という筺がなくなってしまったのだから仕方のないことだったが……銃や刀を持ち歩けないことへの違和感は拭えないままだ。
《ドゥラークラーイ》は、拠点の城と共に消滅した。ヴィルナエ、イザーラの両者が行方不明であるとの連絡が末端まで行き届いた途端、愚者を名乗っていた者たちも解散したのだ。あっさりと活動をやめる者や新たに組織を立ち上げるものまで様々であったが、《楽園》が存在していた頃に比べて破壊活動が沈静化されていることは、誰が見ても明らかな事実だった。
彼女らがどうなったのかは知らない。あの日運び出された遺体は凍ってしまった利也とニーナ、頭を半壊させたダグラスと、四肢を失い恍惚の顔で絶命していた緋多岐の四体だけだった。崩れた城の瓦礫をかき分けても二人が見つかることはなく、その状況に五年前を思い出して胸が痛んだ。待ってくれ、俺はまだ、あんたに何も返せていない――。虚しさと悔しさに侵された気持ちは、「どこかで生きていると信じて待とう」という勝也の言葉に励まされた。宥める勝也に絆されてその場は納得したが、この結末に一番納得していないのは勝也自身だったのだろう。正式に組織の解体が決まり、《ズィマ》の権力で綺麗な更地になったあと、大貫勝也はひっそりと姿を消した。
《ドゥラークラーイ》が消滅した一方で、《ヴォルク》は《マイラ》と名前を変えて存続している。養父や家柄などの名声から本格的に独立し、解放された狼たちは、また一から始めることを決めたようだ。安宿を筆頭とした図式や構成員に変化はなかったが、ヴィルナエを追い、頼子を奪還するという組織方針は、当然ながら大きく変化している。警備や護衛を中心とし、時には対象者の討伐も行う国際的な警察組織――但し非公式ではあるが――となったグレーな会社に、蔦野伊智は星陽海とともに新人として迎えられたのだった。
業務内容はこれまでと似たようなもんだから楽だったが、その他の時間、所謂プライベートというものが厄介だった。新しい主となった箕輪安宿は、伊智に「一般社会に慣れ、溶け込むこと」を守らせたがる。戦闘訓練や新しい武器の開拓などは勿論禁止で、そうなると時間を持て余して困ってしまう。早くも順応したヤンハイに「遊べ!」「ここに連れてって!」と突撃されるのを、あの手この手で躱すのが精々だ。
「……こんな暢気な用事に付き合わされる日が来るとは思わなかった」
隣で拗ねるように呟く弟分の声を、サラディーノは横目で見ながら聞いている。その声には戸惑いが十二分に含まれており、なんだか可笑しくて笑ってしまう。いつも刺々しい強気で武装し、あの大紛争ですら気丈を通した伊智が混乱して考え倦ねているのはとても珍しい。しかしまあ仕方ないか。確かに伊智には似合わない。穏やかな昼下がりも、色とりどりの柔らかな花屋も。
「伊智、姿勢」
これからの用事のために立ち寄っているヤンハイとあゆみを待ちながら、居心地悪そうにそわそわしている伊智に注意する。この程度で挙動不審になるなと注意すると、すごく嫌そうな顔で睨んできた。しかしそれでも言うことを聞いて姿勢を正すのだから、根の良さが滲み出ている。
「すみません、お待たせしました!」
「見て見て、可愛いよ!」
荷物を抱えながら駆け寄ってくる二人の女子は眩い。もともと一般人のあゆみは当然として、早くもしっかり溶け込めているヤンハイの能力値の高さには目を見張るものがあった。戸籍の都合上隠されていたからかもしれないが、これまで注目されていなかったのが不思議なほどだ。異様な順応性の高さはさることながら、要領がよく覚えも早い。あっという間に日本語も覚えた彼女はエンジニアに職を変え、ウェブ関係の任務で実績を積み続けている。嫌そうに顔を顰める以外の反応を見せない伊智にもめげず、話しかけ続けるヤンハイは屈託がない。それを微笑ましそうに見ているあゆみから花束を受け取ったサラディーノは、「行くぞ」と声を掛けて、煉瓦敷きの洒落た歩道を先導して進んだ。
今日はボスの新居に招かれている。本当に奥様になり、ついでに母親にもなってしまったあの子の見舞いと祝いを兼ねたプライベートな会合があるのだ。慣れていないのかあまりそういう話をしない安宿に代わり、頻繁に甲斐甲斐しい世話をしに行っている寿晴からはよく近況を聞いているが、実際に会うのは組織解体以来かもしれない。「全く何も変わっていない」と愚痴のように言っていたが、果たしてどのような
ただの人質と世話役だった頃から既に干渉しあっていたのだから、その関係が強固になった今では、もっと良好で温かな空間に仕上がっているのだという確信がサラディーノにはあった。ボスから毒気を抜き、所帯じみた男に仕立てられるのはあの子だけだ。「お楽しみ要素を用意している」と電話口で楽しげに言っていたが、一体何をしようというのだろう? 「ダブルデートみたい!」とはしゃぐヤンハイに揃って渋い顔をした伊智とサラディーノは、その後すぐに柔く笑み、この先にある楽しみに胸を躍らせていた。
仄暗い裏側で生きてきた身としては、僥倖も暁光も、相変わらず慣れないし心許ない。
しかしこんな人生も存外悪くないのかもしれないと思わせるのだから、星の巡り合わせとは全く、難解で不可思議なものだ。
【完】
星巡の業と僥 志槻 黎 @kuro_shiduki
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