飛び降りた浅岡は、植え込みに体を拾われた。

 その後、誰かが呼んだ救急車で搬送され、二度と俺の前に戻っては来なかった。


 夏休みに入ってすぐ彼は転校してしまったのだ。

 一命をとりとめたということだが、どの程度の怪我を負ったのか、どこへ転校したのか、誰が浅岡の私物を回収したのか、そう言った情報はその後のゴタゴタの中、どこかで伝達事故が起きたのか、錯綜する憶測と推測に押し流されたのか、正確なものが生徒の耳まで届くことはなかった。


 浅岡が飛び降りをして、ようやく彼の両親も事態に気付いたらしい。

 両親にピシリと決めたスーツ姿で職員室に乗り込まれた学校側は形ばかり真摯な態度を取り、事態を重く見るふりをして、俺たち特進クラスの生徒一人ひとりを呼び出して話を聞く、ということを名目にあからさまな誘導尋問を仕掛けて来た。


 三ヶ月近くも非情に過ぎるいじめを看過した担任や学科教師を、特進クラスの生徒は見限っていて、普通科だったら引っかかったかも知らない誘導を鼻で笑い、これを機とばかりにクラス内で起きていたことの一切合切を洗いざらいぶちまけた。

 それは、あまりに酷く残酷で救いどころがなく、表面しか見ていなかった大人たちの想像を超えていたはずだ。

 教師の監督責任を慮る気持ちのある生徒は一人としていなかったが、それにも関わらず主犯については長野ではなく、全てはオレンジ髪がやったことだと、誰しもが説明した。

 自分たちからなるべく遠い位置に物事があったのだと、言い訳をしたかったのだ。


 浅岡の両親は学校が提案した和解に対して、法的手段に訴える姿勢を強硬に保ったらしい。

 結果、追い詰められ窮地に立たされた学校は、まるでトカゲの尻尾を切るようにオレンジ髪の男子生徒とその取り巻きの学生、男女合わせて六人を退学させた。


 特進クラスからも学校からも、スケープゴートにされたオレンジ髪だが、彼はあの場で長野に

「オレが落としたんだからな、オマエじゃないからな!」

 と声高に宣言し、殺人行為の罪を自ら被ってみせたし、学校の事情聴取でも自慢げにそう繰り返していたらしい。

 彼にとってはどうせ、この結果も名誉なことだったんだろう、と俺は憤りとともに思う。


「浅岡を落とすことができれば、俺よりお前の方が強く、トップに向いている」だとかなんとか長野はオレンジ髪に吹き込んでいたらしいと、普通科に通う女子生徒が噂をしていたのを小耳に挟んだ時は、腹わたが煮えくりかえる気がした。

 長野は最初から何もかもを計算して、自分に非難が来ないように外堀を埋めきってから残酷な行為をしていたというわけだ。


 ただ、ツマンネー、その理由だけで。



 その長野は、二学期になっていじめをすっぱりやめ、タバコも封印し真面目に授業に出席し始めた。

 今までの悪行をオレンジ髪になすりつけ、誰に咎められるでもなく、過去を清算しきったみたいに清々しい顔をしてのうのうと過ごしていた。


 学校側に、浅岡が転校した上に長野まで退学にさせたら、せっかく多額の予算を振り分け準備を重ねて始めたばかりの特進クラスというプロジェクトがご破算になってしまう、という思惑が働いたのかどうかは知らない。

 だが、加害者のリーダーが今年始まったばかりの特進クラスだったら、マスコミにとって格好の餌食なのは間違いなく、内実共に特進クラスの存在が否定されるだろうことは予測がついた。

 結果、特進クラスは解散を免れたが、見えない力に守られ勉強の環境を失わずに済んでほっとしている自分がいるのだった。

 朝歯を磨く時や教室でカーテンがはためく、なんでもないその日常の瞬間に、俺は自分自身の卑怯さや狡さを刺激されて、常にイライラしていた。





「草場君も、何か書いて」


 消化できない目に映るもの全てへの苛立ち。

 息をするだけで気管が焼きつくような業腹。

 何もやりたくなくて何も考えたくなくて机に突っ伏し居眠りで昼休みの時間をやり過ごしていると、女子生徒が俺の肩を叩いた。


「なんで」

「浅岡君へのメッセージ。学級会で決めたでしょ。草場君も書いて」


 呆れたように彼女は言う。

 特進クラスながら、軽く化粧をして制服も着崩し物事に意見する時の声も大きい、自信に溢れるタイプの子。


「書きたくない」

「浅岡君にすまないって思わないの? 傷付けたこと謝らなきゃならないって思わないの?」


 振りかざされた正義。

 腹立たしそうに俺を責める言葉。


 白々しいヤツら。


 俺は机を拳で殴り、蹴飛ばして教室を出た。

 視界の隅で、長野がおかしそうに笑うのが見えた。


 今さら何をどう謝罪したって同じだ。


 お前らだって黙って見ていたくせに、なぜ許されようとするんだよ。

 どいつもこいつもクズだ。

 クズばっかりだ。


 けど、許されようと努力すらしない俺はもっとクズ野郎だ。




 結局俺は手紙を書かなかった。



 鞄を教室に残したまま、歩道橋へ向かう。

 午後の授業は始まっていた。


 歩道橋の真ん中で、俺は青空を見上げる。



 浅岡は本当にどこかに行ってしまった。


 いじめに立ち向かわず、逃げた、と人は言うだろう。

 逃げるべくして逃げたのだ、と。



 違うのだ。

 浅岡は逃げられなかったのだ。

 浅岡は、一学期最後の日まで、休むことすらせず、登校を続けた。

 休むことを思いつかなかったと言った彼を思い出す。そんな彼だから、逃げることも最後まで思いついてはいなかっただろう。


 だから、ようやく逃げられて良かった。

 ようやく、この地獄から飛び出せて良かった。


 太陽が目に染みる。俺は目を閉じる。涙が一粒、目の端から溢れる。


 浅岡が、彼を下の名前で呼んでくれるほど、親しくなれる人と出会えたらいい、と思う。





 ◇・◇





 二年生になった夏休みのある日のこと。

 郵便ポストに一通の手紙が入っていた。

 グレーの長封筒に綴じられた便箋は、味気のない無地のものだったが、つらなる几帳面な文字はとてつもなく懐かしかった。





 --------+--+--+--------



 ――久しぶりです。

 この手紙は草場君に絶対書かないといけないと思ったのでペンを取りました。

 元気で過ごしていますか?

 また熱中症になったりしていませんか?



 まず、ごめんなさい。

 草場君からもらったかもしれない手紙を読まずに燃やしました。

 クラスのみんなから送られた言葉を、きちんと読むための余裕が僕にはありませんでした。

 一言二言読みましたが、すぐに怒りと悔しさ、そのほかの気持ちで理性が保てなくなり、その後の手紙は開くこともできませんでした。

 今まで感じたことのない感情が次から次へと湧いて出ました。

 こんな醜い気持ちが、僕の中にあったんだと、驚きました。

 きっと僕は、ずっと、気づいていないだけで、醜く汚い人間だったのだと思います。




 さて、本題ですが、今なら、あの時の草場君のお姉さんと草場君の説明を信じられる気がします。


 もっとちゃんと聞いておけば良かったと、後悔して止みません。

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エラン・ヴィタールは逃げ出した 増岡 @libs92

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