遠距離友愛

遠距離友愛

 あたしたちは手紙魔だ。

 もちろん手紙の魔物とかじゃなくて手紙が大好きな人のこと。掃除魔とか遅刻魔とかの魔。あたしたちは週に一回手紙を書く。あたしはだいたい月曜日に、ユキはだいたい金曜日に手紙を投函して、一週間の出来事を報告しあう。だからあたしが引っ越してから数カ月がたった今も、あたしたちはお互いのことをなんだって知っている。中学のこと友達のこと親のこと悩み相談夢診断愚痴学校で習ったことエトセトラ。引っ越した先の友達よりもユキのほうが仲がいい、と言ってもいいくらい。


「ハローユキ。

 暑さのせいかミィの元気がない。このあたりは動物病院少ないから、そのうちお母さんが車で連れて行ってくれるらしい。でもそのうちっていつだろう?

 一昨日もお父さんと喧嘩した。どうしてユキんちは家族の仲がいいのかすごい不思議。

 そういえばこの間の疑問、クサカベに聞いてみたらバカにされた。自分で調べろって。でもちゃんと教えてくれるのがクサカベのいいところ。避雷針っていうのはその針が雷を避けるんじゃなくて、むしろ雷をその針に落として、建物とか人とかに当たらないようにするんだって。でも詳しい仕組みはいまいち分かってない。避雷針にあてといて、っていうのは良いんだけど、避雷針が雷を呼び寄せてるのか、大地にチクセキされた電気を少しずつ空中に放出してんのかはわかんないんだって。なんで知ってんのって聞いたら『ウィキペディアで検索したことがある』って言ってた。『こんどからウィキペディアで検索しろ』って。でもそのまえにウィキペディアが何なのか検索しないとね。

 何故かクラスでドッジボールが流行ってる。あたしにはいい迷惑。どうして中学にもなって男女とりまぜてドッジボール? 知ってるだろうけど、球技は嫌い。うちのクラス、なんでだか男女の仲がけっこういいんだよね。

 バンプがMステに出た話を書きたかったんだけど、ハガキはスペースが少ないね。バイ」


「前略 お手紙ありがとう。

 避雷針、よくわかんなかったからウィキペディアでよく読んでみました。ウィキペディアっていうのはインターネット上にある百科事典。普段ネット使っちゃだめなんだけど、お父さんに聞いたら教えてくれたし見せてくれたよ。家族円満のコツは素直になることです。

 Mステはもちろん録画して、リアルタイムでも見て、この間もう一回見ました。CDももちろん買うけど、ライブはまた違った味わいがあるから何度見ても飽きません。

 こちらでは男子がペン回しばかりやっています。この間なんてテスト中にあんまり何回もペンを落とすものだから、先生がついに怒鳴っていました。テスト中なのに。びっくりして公式を一つ忘れました。忘れなかったらもうすこし点も良かったのに、もう。男子は子供です。

 そういえばこの間、初めて一人で髪を切りに行きました。どきどきした。もうちょっと切ってほしかったけど、ついに『もうちょっと切ってください』は言えなかった。次はもっと納得いくようにしたいです。

 弟の誕生日にちょっといいチョコレートを買ったら、『全然足りない』って怒られました。一粒五十円以上するんだよ……とは、言いだせなかった。味の分からないやつです。

 ミィの具合、心配ですね。よくなったら教えてください。 草々」


 お母さんは溜まっていく手紙の束を見て「電話にすればいいのに」と言う。お母さんは分かってない。文字じゃないと言えないことってあるんだ。切手代も全部おこづかいから出してるんだからほっといてほしい。あと勝手に手紙を捨てないでほしい。

 あたしは今日もミィを膝に乗せて手紙を書く。うさぎの体温は高くて夏場はけっこうきついけれども、なんだか書くことがまとまるのだ。書き終わったらさっさとどいてもらう。

 あたしとユキは電車で一時間半くらい離れている。毎月千円のおこづかいが、往復すると全額飛ぶくらい。中間地点で会ったとしても五百円? 無理無理。だから、あたしたちは引っ越してから一度も会っていない。それでもあたしたちは手紙を通してとてもとても近くにいる。

 あたしたちは手紙に何だって書く。


「ハローユキ。

 どうして女の子たちはやたらと他人の恋愛に興味があるんだろう? 映子って奴がいるんだけど、その子に好きな男子なんていないよーって言ったらなんかわかんないけどすっごい罵倒された。好きな男の子がいないような女の子はどっかちょっとオカシイんだって。映子だけじゃなくてクラスみ――――――んなそう思ってるって。男子はみんなバカだけどそんなのが好きな女子もそうとうバカみたい。

 あたしは一生恋愛しないな。お母さんとお父さんを見てると、うう、吐き気がしちゃう。お母さんとお父さんが十二歳だったことがあるっていうのがもうめちゃくちゃグロテスク。考えるのよそう。

 もうすぐ夏休みだというのに気が重い。漢字の宿題ばっかり出す国語教師は滅亡するべきだと思うよ。

 昨日爪を切ろうと思って爪切りを出したら壊れてた。びっくりした。爪切りってそうそう壊れなくない? でも壊れてた。いったい何をしたらこんな風に壊れるんだろう。そして壊れてるのに捨ててないのはなんでだ。壊した奴出てこい!

 爪は切れないとなると急に気になるもんだね。ペンが持ちづらくてしょうがない。お母さんに新しい爪切り買ってもらうように頼むよ。バイ」


「前略 お手紙ありがとう。

 爪切りが壊れる……? どんな風に壊れたんだろう。想像がつきません。

 私も好きな男の子はいません。あの子が好きとかあの人がモテるとか誰それと誰それが付き合ってるとか、そんな話が中学に入ったら急に増えたのでびっくりしました。そうそう、なんとびっくり、川谷ともえかちゃんが付き合い始めました。川島じゃないよ、川谷だよ? もう私びっくりしすぎて、いまでも信じられません。三日くらい前のはなし。

 恋愛しないとか言って、四年生のときの田辺のことはノーカウントなの?

 昨日は家族で焼肉でした。気にしてなかったんだけど、髪に煙の臭いがついてたらしくて、それを男の子に指摘されてすごくすごく恥ずかしかった。焼肉のあとは念入りにシャンプーしましょう。

 こちらは昨日から夏休みです。私は今年も変わらずおばあちゃんの家くらいしか行かない予定です。でも、中学は小学校と比べて宿題が少ないらしいから、近場でも思い切り遊ぼうかな。

 そういえば、この間久しぶりに水族館に行ってきました。三年ぶりくらいかな。見たことない魚が結構増えてたよ。クラゲの水槽の前はいつまでもいつまでもいたいくらいきれいだった。あんまりきれいだったので、お土産屋さんでクラゲのぬいぐるみなど買ってしまいました。ポストカードも。楽しかったな。高校生くらいになって、自由に使えるお金がもっとできたら一緒に行きましょう。 草々」


「ハローユキ。

 田辺の話はするな。バイ

 追伸:川谷に死ねって伝えて」


「前略 お手紙ありがとう……とは言えないよ! 三行の手紙はやめてください。しかも赤い字で……怖かったよ、私。

 さすがにそのままは伝えられなかったので『びっくりしてたよー』って言っておきました。川谷は自慢げだった。もえかちゃんは笑ってるだけでした。

 そうだ、三年生になったら携帯を買ってもらえそうです! やったね。でも周りにあんまり携帯を持ってる子がいないから、買ってもお母さんくらいしかメールの相手がいなさそう。でも、一年半もたてばみんな持つようになるのかな? アミちゃんちはどうですか?

 終業式の日、携帯を持ってる数少ない友達が学校に携帯を持ってきて、先生に没収された。トイレでカチカチやってたのを見つかったんだって。でも携帯のボタンの音なんてちっちゃいのに、先生はどうしてトイレからの音を聞きつけたんだろうね?

 レターセットが切れちゃったからハガキに書いてるけど、本当にスペースが少ないね。ちっちゃい字で書いてたつもりなんだけど、言いたいことの半分も収まりません。草々」


 その手紙が届いたその日にミィが死ぬ。動物病院に連れて行った一週間後に死ぬ。私はわんわん泣いてミィの体を抱きしめたけれど、体は硬くて抱きしめたら壊れそうで怖くてあんまり力を入れられなかった。ふかふかだったはずの毛皮は撫でても全然気持ちよくなくて、あったかくないというだけでこんなに違うのかと、私は震えた。川谷に死ねって思ったのを少し後悔した。

 このあたりはマンションばかりでミィを埋める場所がない。街路樹も公園もあるけどお母さんはそんなところに埋めちゃ駄目だっていう。

 お母さんとお父さんが話しあって、ミィを火葬にすることに決めた。あたしたちが前に住んでいたところのそばに動物霊園があってそこには動物専門の火葬場があるのだ。あたしとお母さんは伊勢丹の紙袋にミィを入れる。伊勢丹の紙袋! あたしはからっぽのケージを見てまた少し泣いてしまう。小学生の一団がきゃーっと歓声をあげて窓の外を走っていく。私は窓を開けて「っるっせぇお前らミィが死んだんだぞ!」と叫び出そうとするが、窓を開けた時点でお母さんに口をふさがれた。お母さんの馬鹿。抵抗しようとしたけどお母さんのそばの伊勢丹の紙袋を見て、やめる。

 「ムーミン」シリーズに出てくるいたずら好きの女の子がミィって言う。そこから名前を付けたわけではないけれどあたしはこれからムーミンを見るたびに悲しくなるだろう。伊勢丹も嫌いになるだろう。

 お母さんが運転する車で、四か月前まで住んでいた町へ向かう。ユキや、他の友達には連絡していないし、会う気もない。あたしは膝の上のミィをそっと抱きしめながら、車酔いに耐えるしかすることがない。

 電車だと一時間半の道のりが車だと四十五分くらいに短縮される。スタッフの人にミィを預けて、火葬が終わるまであたしとお母さんは動物霊園の庭を歩いた。つるバラが絡まったアーチをくぐるとその先にお墓が並んでいる。普通によく見る人間のお墓のよりいくらか小さな墓標がたくさん並んでいる。お墓に供えられた花よりも地面から生えている花や木のほうが多い。お墓というより庭のようだ。墓標花墓標花花墓標花花花花墓標花……あと、蚊。あたしが早くも刺された首筋をごりごり掻いていると、お母さんが突然口を開く。

「ミィはあんたに飼われて幸せだったと思うよ」

 急に何を言い出すんだろうと私が顔を上げると、お母さんは一番近くの墓標を見ながらゆっくり続けた。

「ミィはもういないってことを受け止めるのは時間がかかるかもしれないけど、ゆっくり考えていけばいいんだからね。ずっと一緒にいられるわけじゃないんだよね。ちゃんと一緒にいてあげられてよかったね」

 あたしは思わず「はあ?」と声を上げそうになった。ね、ね、ねって三回も語尾を重ねたのにもイラっときたが、そんなことよりこの人は何を言ってるんだ? 七月ごろミィの具合が悪くなってからあたしはずっとミィが死んだあとのことを考えていたし、考えていたけど気持ちが追いつかないのは当たり前だ。ゆっくり考えていけばいい? わざわざ親にそんなことを言われなくても分かっている。お母さんはあたしを五歳の子供だとでも思っているのだろうか? 死の意味も分からない子供だと?

 あたしはユキがすこし前に手紙に書いていたことを思い出す。

「私たちは先生たちが思っているよりもいくらか大人だと思います。子供みたいに扱われると思わず反発しちゃうのも分かるなあ」

 そうだ、あたしたちは大人が思っているよりも大人だ。目線を合わせて優しい言葉で話しかけられてもうっとおしいだけだ。

 あたしはお母さんに何か言い返そうと思うけど、唇から言葉が出る直前に押さえこむ。こういう時に言い返すとまた子供だと思われる。あたしはもう十三になるんだから。


 ミィのお骨は霊園に納めずに家に置いておくことになった。お墓は高いのだ。うちには仏壇も神棚もないけれどまあどうにかしよう。あたしはお母さんと一言も口をきかないまま車に乗り込み、お母さんはあたしの様子にも気付かず「せっかくだからちょっと服でも買おうか」と言ってショッピングモールのある方に車を走らせた。あたしはミィのことをどんなふうにユキに伝えようか考えていた。手紙のいいところは電話と違って考える余裕がたっぷりあることだ。あたしは声を詰まらせずに、感情的にならずに、格好悪くならずにユキにミィのことを伝えられる。

「あれ、ここの家取り壊されるのかな」

 お母さんの視線の先を見ると、小学生のとき毎日脇を通っていた洋館が見えた。庭に重機が入っている。

 あたしは思わず「あ」と声を上げた。

 願いの叶うポストの家だ。

「どうしたの」というお母さんの声は聞こえなかったふりをして、私はその家から目をそらす。目の端に、鳥の像がちらっと見えた。


 あたしたちは出会ったころから手紙魔で、授業中にせっせとメモ帳に手紙を書いては友達を通して渡したことは数知れず、なにかあれば話すより手紙に書くことのほうが多いくらいだった。

 ある日授業中に渡された手紙の中で、ユキがあの洋館について書いてきた。昔からユキは敬語とタメ口が混ざった変な文章だった。

「学校からバス停の方に行く道にある大きなお家、分かるよね? あそこの門の上に立ってる大きな鳥の像、あの家の郵便受けを見てるように見えませんか?」

 あたしはそれまでその家の門の上に鳥の像があることさえ気がついていなかった。自分のつま先ばかり見て歩く子供だったのだ。その日の帰り道見上げてみると、翼をたたんだワシかタカの像があり、たしかにその家の郵便受けを見下ろしているように見えた。

 あたしは返事を書いた。

「たしかに! あの鳥が郵便受けを守ってるみたい」

 そこから想像は広がり、あたしたちの間では、その洋館は無人のように思われているが実は秘密の住人がいて、あの郵便受けに届く色々な相談事や願い事を叶える仕事をしているという事になっていた。あの鳥は夜になると飛び立って郵便受けを開け、その中に入っている相談や願い事の手紙を取り出して主人の元に運び、さらに願い事を叶える手助けをする魔法の鳥なのだ。笑わないでほしい。当時あたしたちは小三か小四だったし、さらに付け加えるならミヒャエル・エンデにはまっていた。ファンタジーを半ば本気で信じている年ごろだったのだ。

 あたしたちはかわいいレターセットを買って、失礼にならないように丁寧な文章で願い事をつづった。犬が飼いたいです。漢字が覚えられるようになりたいです。お父さんが怒ってうるさいので黙らせてください。誰それちゃんと仲直りしたいです。あたしとユキが一生親友でいられるようにしてください。田辺があたしのことを好きになってくれますように。その他もろもろ。そしてあたしたちはその郵便受けに手紙を投函した。多分、五回か六回くらい。あたしたちはわくわくして立ち去った。

 そして初秋のある日、ユキと二人でその郵便受けに手紙を入れに行ったら、洋館の中から顔のしわくちゃなおばあさんが信じられないくらい速く走ってきて、「何やっとるね!」と叫んだ。あたしたちはぎょっとして一目散に逃げた。家のそばまで走ってようやく振り返ると、おばあさんは追ってきていなかった。あたしたちは嫌な気持ちになりながらも、とりあえず「びっくりしたねー」と笑いあって別れた。

 次の日学校に行くと、朝のホームルームで担任の先生が「昨日学校の方に苦情が入ったんだけど」と結構真剣な顔で話しだした。

「この学校の児童っぽい子が、学校のそばのお家の郵便受けにいたずらしてるって言われたのね? 変な手紙とか入れて、家の人がこう、嫌だなーって思ってたんだって。うちのクラスの子たちはそんなことしないとは思うんだけど――」

 という担任の声が変に高くてキンキンしていたのを覚えている。途中から頭が痛くなって全然聞いていなかった。おばあちゃんがしていたピンクのエプロンが目の裏をちらちらよぎった。あたしはその日ついにユキの方を見れなかったし、手紙も一通もやりとりされなかった。あたしとユキはそれ以来その家の前を出来るだけ早足で歩いた。

 結局あの鳥が叶えてくれたのは「ユキと一生友達でいられるようにしてください」というやつだけだったわけだ。


 どうして服屋の壁が一面ガラス張りである必要があるのか分かんないけど、その店からはあたしの住んでいた町が一望できる。小さな町だ。住宅街を目で追っていくとすぐに田んぼに辿りついてしまう。この店がある一画は再開発のおかげでショッピングモールや何やらができてるけど、そこから十五分も歩けばあっという間にいかにも田舎という風景になってしまう。あたしはガラスにおでこをつけて、お会計に行っているお母さんを待った。車の中に置いてあるミィのお骨の事を思いながら、頭蓋骨をぐりぐり撫でる。あたしの骨もあんな風に白いだろうか?

 あたしはあの洋館の庭を眺めた。よく見えないけれど黄色い重機がちまちまと庭の中を動いている。あの鳥の像は特段興味もなさそうに郵便受けを眺めていた。あの鳥も焼いたら骨が出てくるような気がした。

 あたしは視線を下げてほとんど真下に広がる店を眺めた。近寄ってみれば華やかなお店でも、上から見るとコンクリートの箱を飾りたててるだけみたいだ。アクセサリーのお店を見て、そういえばミィの首輪にクローバーのチャームをつけてあげたかったんだよなあと思いだした。お金がなかったし、ミィ自身は喜ばないだろうと思って止めたけれども。

 お母さんが戻ってきたらあのアクセサリー店にも寄ってみようか、と思った瞬間、首筋を触られたように体温がすっと引いた。目を閉じて、「気のせい」と呟いてからもう一度目を開ける。

 ユキがいた。遠目だけど多分間違いない。喫茶店から出てきて、遠目でも分かる、弾けるような笑顔で隣にいる男の子の手を引いた。

 顔は野球帽のせいで見えないけれど、背の高い子だ。紺と白のTシャツと、ベージュのカーゴパンツ。ユキは明らかにキメてきた白いワンピースと水色のボレロ。ここからでもはっきり分かるくらいしっかり指をからませて――なんていうんだっけ、恋人つなぎ? 体の距離が近い。

 あたしはユキからの手紙の一文を思い出す。

「私も好きな男の子はいません。あの子が好きとかあの人がモテるとか誰それと誰それが付き合ってるとか、そんな話が中学に入ったら急に増えたのでびっくりしました」

 ユキの大嘘つきめ。


 あたしは帰るとすぐにユキとは別の友達に手紙を書く。その日は月曜日だったけれどユキには書かず、代わりにユキの手紙を全部押し入れに突っ込んでガムテープで封印する。次の次の日に返事が来る。

「久しぶり。あんまり手紙返さなくてごめん。ユキと三島は先々月くらいから付き合ってるみたい。ユキの方から手紙で告って、三島の方も即オッケーだったって。同じクラスだけど皆にからかわれるからクラスではあんまり話さないけどほとんど毎日一緒に帰ってる。今度こっちに来るときは連絡してよ。じゃあね」

 あたしは手紙を持ったまま床に転がってその文章を三回くらい読む。この友達とはあんまり手紙をやりとりしていない。手紙があんまり好きじゃないらしい。

 便せんに印刷された猫の絵がうさぎみたいに見えるけど見なかったフリをして、とりあえずあたしは「三島って誰だよ……」と呟く。ユキからの手紙には一回も出てこなかった名前だ。あたしのいた小学校にはそんな奴いなかったから、多分別の小学校から来た奴だろう。あたしはその名前を爪の先でぴんっと弾いて、その手紙も引き出しに厳重に封印する。


 それからあたしは手紙魔をやめる。一度、このまま手紙を出さなくなるのは拗ねているようで良くないと思ってペンを握ってみたが、一文字も書けなかった。「ハローユキ」という書き出しすら書けなかった。なにがハローだかっこつけんな恥ずかしい、という気分になったのだ。ハローって……ひょっとして格好いいつもり? とユキが思っているような気がした。ユキは彼氏もいるし、あたしよりずっと大人で、あたしを見下しているのではないかとまで思った。

 ユキからはそれから三回手紙が来たけどひとつも開封しなかった。あたしから返事が来ないので諦めたのか、ユキから手紙が来ることもなくなった。お母さんがしたり顔で「最近ユキちゃんから手紙来ないのねえ、まあそういうこともあるわよ」と言ったのが気に障ったけれど聞こえなかったフリをした。ユキからの手紙が来なくなったのとほとんど同時に、あたしは十三歳になった。


 手紙はあたしの生活の一部だったから、やめてしまったら辛いんじゃないかと思っていたけど全然そんなことはなくて、手紙を書いていた時間をテレビや漫画に費やしている。どうやら手紙にはタバコやお酒みたいな中毒性はないみたいだ。結構意外。

 あたしは友達と喋ったり部活をしたりテストの結果に落ち込んだりして、結構感情の起伏はあるはずなのに、毎日はティッシュを一枚ずつ引きだしてくみたいに淡々と過ぎる。あたしは昨日何をしていたか思い出せなくなっているのに気がついた。昨日は今日とおんなじで今日は明日とおんなじだった。だけどそれに不満はなく、ああー手紙魔じゃない人たちはこんなふうに昨日のこと思い出さないんだーと思っただけだった。

 ティッシュを引き出し続けるみたいな毎日。

 あたしはユキの誕生日もスルーした。机の上に放りっぱなしのレターセットにはほこりが積もった。

 ミィのお骨が入った壺はテレビ台の隅でちょこんと正座している。毎日お水を供える。ペットフードも供えていたけどこの間買い置きがなくなった。手紙を書かなくなったのはユキのことだけじゃなくて、ミィがいなくなったからというのもあるかもしれない。あたしはいつもミィを膝にのせて手紙を書いていたから。

 十月になると半袖に長袖のパーカーをはおるだけではさすがに寒くなって、あたしは仕方なく押し入れのガムテープをはがした。一息にあけると手紙が雪崩のようにどさどさ落ちてきたけど拾う気もしなくて、適当なシャツと上着を着て外へ出る。

 いい加減に学校に着て行くカーディガンを買わなくては。ミィみたいなミルクティー色がいい。

 あたしは二千円以下のカーディガンを探して駅ビルをさまよい、ペットショップの前で足を止めた。ミィが死んだのがたしか七月三十一日だから、ちょうど丸二カ月になる。あたしは思い切ってペットショップに入り、ウサギのコーナーにまっすぐ進んだ。

 ミィに似たミルクティー色のももちろんいるけど、白いのや灰色のが多い。ガラスケースの前にしゃがむと、白と灰色の混ざった子が私に近づいてきて、ガラスに鼻をちょんっとぶつけた。鼻の穴がひこひこ動いているのが見える。私は思わず笑顔になって、その子の鼻先を指でなぞった。

 その子が私に飽きて向こうへ行ってしまったのを見送って、私はガラスケースに手をついて天井を睨んだ。どうしてだか、まぶたの裏に雪崩を起こした手紙の山が浮かんだ。

 心臓がぐるぐる糸で巻かれたみたいな感じがする。寂しい、悲しい、恋しい、落ち着かない――これはなんだ? あたしは自問自答でこの感情を言葉にする。

 ユキや向こうにいるあたしの友達はみんな、ミィが死んだことを知らないのだ。

 ミィがいないことがあたしの日常になっても、あたしの日常が伝わっていかないくらい、あたしと向こうにいる友達は、遠いのだ。


 あたしはカーディガンの入った袋を提げて歩く。

 あたしとユキは手紙を通してすぐそばにいると思っていた。一生友達でいられると思っていた。けれどユキは彼氏ができたことを手紙に書かず、あたしはミィが死んだことをユキに伝えなかった。あたしたちは何でも報告しているような気がしていたけれど、全然そんなことはなかったのだ。

 例えばユキは初潮を報告してきた。あたしはまだ来てないと偽って隠し通した。それは恥ずかしいことで、例え文字であっても形にしたくなかった。ユキだって、彼氏のことに触れてほしくなかったのかもしれない。あたしたちは完全にすべてを報告していたわけじゃない。三行で手紙を終わらせた日、本当は友達と喧嘩したし新しいペンダントを買った。報告すべきことはもっとあったはずだ。でも、ユキはあたしのこういうこまごましたことを全部知ることはできない。そして大体の場合、そういうこまごましたことが一番大事なのだ。

 考えがめぐる内にどんどん早足になってあたしはついに駆け出す。カーディガンの袋をミィを抱くみたいに優しく抱きしめて、あたしは息を切らせて走る。

 お母さんが「最近ユキちゃんから手紙来ないのねえ、まあそういうこともあるわよ」としたり顔で言ったのは、あたしたちの距離を知っていたからなのだろうか? 大人はそういう別れをいっぱいしてきたから、あたしたちがとても遠くにいることを知っていたのだろうか? じゃあそう言ってくれればよかったのに。大人はいつでも教えてほしいことは教えてくれない。

 アスファルトがあたしの足の裏を叩くのが心地よい。

 あたしは悟る。

 あたしたちは離れていくのだ。どんなに手紙で近くにいるような気がしても、その距離は埋めようがないのだ。

 家に飛び込んで、押し入れから雪崩をうったままの手紙の束から一通掴む。

「前略 お手紙ありがとう」の文字。ユキはあたしから手紙が来なくなって、この「お手紙ありがとう」を何と書き換えたんだろう? でも一番新しい手紙は雪崩の中に埋まってみつからない。

 あたしはもどかしくなって、埃をかぶったレターセットを引っ張り出して封筒を取り出す。書き慣れた住所と名前。でも、あたしはユキの家の郵便番号を忘れていることに気がついてびっくりする。それからちょっと涙が出る。

 きっとこんな風に、いつか忘れる日がくる。郵便番号だけじゃなく、住所も、顔も、きっといつか忘れてしまうのだろう。こんな出来事がなかったとしても、あたしたちはいつか離れていったはずなのだ。いつか、向こうに住んでいた時の友達より、引っ越してきてからの友達のほうが多くなるだろう。大切になるだろう。「一番仲がいい友達は?」と聞かれて、「ユキ」と即答できるのはいつまでだろう?

 小四のあたしがあのポストに願った、「ユキと一生親友でいられますように」は、きっと叶うことがない。

 十年後か二十年後か、あたしがちゃんと大人になった時、ユキの顔を思い出せるだろうか?

 あたしはリビングに行ってテレビ台の上からミィのお骨を部屋に持っていく。それを膝に乗せて抱きかかえると、心臓を縛っていた糸が少しゆるんだ。白地に緑で四つ葉のクローバーの模様が入った便箋と向き合って、大きく息を吐く。

 あたしたちはいつか離れていく。

 だけど、あたしは手紙魔だ。電話や、直接会って話すのでは伝えられない気持ちがある。こんな風に、寂しいのか、怒っているのか、すっきりしたのか、なんだかわからない入り乱れた感情を、あたしは手紙でしか伝えられない。

 悩まなくても、書き出しはとっくに決まっている。

「ハローユキ。

 願いを叶えてくれるポストを覚えてる?」

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遠距離友愛 @69rikka

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