2 終わりは過去になる



 私の声はちゃんと目の前のこの人に届いているのかな。


なんだか声がちゃんと通らない気がしてならない。言葉が床に落ちて消えてしまったのを気にして思わず伏し目になってしまう。


「ねえ、」


 強くも弱くもない、いつも通りの彼の声。

私はゆっくりと顔を上げた。


「それは俺と別れても同じってことだよね」


 やけに明瞭なその声とは裏腹に彼の表情は白く、女の子のような弱さを秘めていた。


 例外はない、と心の中で呟く。


例えそれが目の前の、私がきっと今までもこれから先も一番好きな人、運命の人、だなんて思っている彼だとしても。


 私は再び視線を落とし、かさついている部分に触れた。


「失恋をするたびに私はそれまでの私を捨てるの。恋をするたびに私は新しい私になる。だから私は恋が終わるたびに死んでいく」



「……そういうことか。そうか」



 彼の声が下に沈んでいくのがわかった。


最後の声は溜め息のようにも思えて私は息苦しさを感じた。

でもそれは彼の心中を想ってなのか、自分の全てを受け入れて欲しいという欲張りな自分が嫌になるほど襲いかかってくるからなのか、よくわからなかった。


「俺はさ、ほら、珈琲が好きだろ?それで、君も珈琲をよく飲むようになって好きになったって言ってたけど、じゃあそれも俺と別れたらなかったことになるのかな」


 理解をしてくれた、という嬉しさがじんわりと胸に広がっていくと共に、彼は『別れ』を連想する人なのだと自分の冷たい指先に触れながら思った。


 激しくもなく、かといって弱々しくもない彼の普段通りのその声に顔を見ることができない。


顔を上げてみたけれど私の瞳は彼のところまでいかない。


私はアイスコーヒーの全体をぼんやりと見つめ、気づけばグラスについている水滴に焦点を合わせていた。水滴が流れてコースターを濡らしていく。――雨みたい。なんて。


「私はきっと、貴方と別れてしまったら珈琲はもう飲めない」


「君は、恋を知らない女の子にいつも戻っているんだね。そういう『ふり』をするのがきっと上手なんだ」


「ふり、って」


 カップを持ち上げる音と共に顔を上げ、彼を見た。

ホットコーヒーを口元に持っていく彼の無骨な手が目に入った。


親しくない人と話をする時、彼はへにゃりとする。


頼りなくて女の子っぽくて愛想笑いばかりする。でも私と二人きりの時は思ったことを口にして愛想笑いなんてしない。態度が大きくなるというよりは素を見せてくれているのだ。

でもその素の中にも男らしいところなんて滅多に感じることがない。

唯一男らしさを感じる所が、彼のあの手。性格でも行動でもなく、あの手。男らしい、私の小さな手とは明らかに違う手。

それが視界に入るたびに私は彼の他人に対して強く出れないその弱さを見つめ、でもそれが貴方なのだと改めて好きだと思う。何度も、何度も。


 私は、どこまでも貴方に弱い。


「君は余程、辛いんだね。別れに敏感で壊れてしまいそうな自分から目を必死に逸らして全てを否定するんでしょ?今までが今の君をつくっているのに、そんな悲しいことってないよ」



 苦みが凝縮されているその黒い液体が揺れる。彼はカップをソーサーに戻し、睫毛をゆっくりと上げて私を真っ直ぐに見つめた。




「でも、自分をそうやって必死に守ることは悪いことじゃない。だから、死んでも死にきれないほどに、珈琲をさ、好きになってくれたら俺……こんな幸せなことないよ」







――あの時の、物憂げな切なさを含んだ穏やかな彼の表情が、

ずっと、忘れられない。





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ひとりぼっちに終わる恋 葉月 望未 @otohana

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