バースデイプレゼントと女王の罪

ピクルズジンジャー

第1話

 リリス・テオブロマは人形師。


 魔力発生回路を有する人間そっくりの人形を作ることを生業としている。

 それまでは介護用、労働用、性産業用と様々な用途の人形を製造してきた。リリスの作った人形は観賞用でも実務でも一級。それが評判でもあり誇りである。


 ある時、古文書を参考に作った魔力発生回路を限りなく人間に近づけた人形に取り付けてみた。そうすれば人形は通常の人間では扱えない量の魔力を駆使することが出来るはずだから。


 目論見どおりその人形は、莫大な魔力を必要とする魔法を駆使することができた。

 莫大な魔力必要とする魔法とは、リリスのいた世界では効率的な大規模破壊に関わる魔法を指す。愛らしい姿をしながら凶悪な魔法を使える人形は兵器として世界の内外で売り買いされ、リリスの所属する企業に莫大な利益を与えた。製作者であるリリスの地位もあがった。


 思えばこれがリリス幸福の絶頂だった。


 幸福というものは長くは続かない。各種物語を思い浮かべてリリスは今の我が身を儚む。



「ああ……これから私は魔力インフラすらロクに整っていない暗黒地帯の未開人に囲まれて余生を過ごさなきゃならなくなるのね……。ショコラポイジー社の製造部部長までつとめたこの私が……」

「……っ」

「私はただ自分の理想とする人形を作っていただけなのよ? とっても愛らしくてそして強大な魔法を操れるお人形。一国に一人いれば怖いものを軒並み追い払ってくれるそんな心強いお人形。守護天使のイメージで作っていたんだから。最初はみんなあの子のことをあんなに喜んでくれていたのに、なのに何? ちょっと人間には手に余るような魔法を使うようになった上に知恵をつけ始めたから強制処分、後継機の開発は絶対不可、あの子達を流通は法令で禁止、開発者は研究データの抹消を義務があり従えないなら逮捕拘留もありうる……。なんなのこれ? 私がどうして逮捕収監されなきゃならなかったの? 私はただ理想のお人形を作っていただけなのに」

「…………っ!」

「あんまりよ、あんまりだわ。一番ひどいのはショコラポイジー社よ。私のお人形であんなに儲けておきながら、風向きが悪くなるとトカゲのしっぽみたいに私を切り捨てて……! しかもドサクサにまぎれて人身売買や人体実験、経費の私的流用までリークするなんて本当に酷い! 私が何をしたっていうのよ。ただ綺麗で可愛くて実用性にも富んだお人形をつくっていただけよ! そりゃ法に触れることも一つや二つ、したかもしれないわ。でもそれは私だけじゃない。みんなやってことよ?」

「………………っ!」

「それよりもなあに、この車? うるさいし臭いし……やっ痛っ! 今ちょっと跳ねたわよ? 石でも踏んづけたんじゃない?地べたに車輪転がして移動する車なんて原始的すぎ! 暗黒地帯ね! ……うう、いやあ……もといた世界に帰りたい……。私のお城でお人形に囲まれて暮らしたい……」


 しくしくしくしく、リリスは泣いた。今の体では涙が流せないのだけれど、手のひらで顔を覆って大いに泣いた。

 するとリリスの左隣でお行儀悪く組んだ足をイライラと上下に揺らしていた女の子が、突然うがあああっ! と絶叫してリリスの小さな体を掴みあげると、一見可愛らしい顔を凶悪に歪めてギリギリおどした。


「いい加減にしないと窓から放り出すぞこのおしゃべりクソ人形!」


 愛らしい容姿を遠慮なく台無しにして脅す女の子への恐怖と抗議からひいいいっ! と悲鳴をあげるリリス。すると右隣にいる男の子みたいないでたちの女の子がじろっとこっちを睨む。


「その人、一応バースデイプレゼントなんだから丁重にあつかってほしいんだけど?」

「逃走中にこいつをポイポイぶん投げまくってたあんたがいう? えー女王陛下さまっ?」

「女王はやめて。とにかく丁寧にあつかえないんなら契約内容見直すことになるよ」

「んじゃあアンタのお膝の上にでも乗っけといてくんねえかなあっ、こっちはコイツの愚痴のせいで正気保つのも精一杯なんだけどっ⁉︎ ったく、チャッキーよりもタチ悪いわそいつ」


 ピンクの髪にピンクのひらひらドレスというお人形の好きそうな外見の女の子は、ずいずいとリリスの体を赤い目に黒いコートを羽織った女の子に押し付ける。 

 両サイドの髪を刈り上げて生まれてこのかたお人形遊びなんて馬鹿らしいものはやったことはない、というような風貌にもかかわらず、黒いコートの女の子はリリスの体を優しく受け取ると膝の上に優しく座らせた。そして左手で縦向きのロールを巻いた髪の植わったリリスの頭を撫でる。


「……悪いけどさ、目的地もまだ遠いしこの通り狭い車の中だし、愚痴吐くのも少し抑えてくれないかな? あなたも今まで大変だったんだろうけど」


 お人形遊びなんてしたことがないだろう、というリリスの見立ては外れたようだ。この男の子みたいな女の子の手つきは玩具の慈しみ方を知っている子のものだ。道中で乱れた髪のリボンも直してくれるし、お洋服の埃もはらってくれる。だからリリスはこの子に対しては心を許すことにした。


「あと、さっき雑にあなたのことを扱ったことも謝る。ごめんね。怖い思いをさせたかったわけじゃないんだ」

「……いえ、もういいのよ。結果的にあなたたちは私を救ってくれたんだもの。そうね。私も今更どうしようもないことに対して悲観的になりすぎたわ。──ところで、チャッキーって何かしら?」

「うーん……、あたしたちの世界のホラー映画に出てくるあなたみたいに魂を宿して生きる人形のことなんだけどこれ以上のこと、知りたい?」


 黒いコートの女の子は言葉を曖昧にぼかした。きっとそれがロクでもない人形だからだろう。


「いいえ、遠慮しとくわね」


 リリスは断ったのに右隣にいるピンク色ドレスの女の子は不機嫌に吐き捨てる。


「何度倒しても蘇る殺人鬼の魂が宿ったブッサイクな人形だよ」

「あらそうなの。でもその人形よりタチが悪いのは私の気質だけってことね。外見は私の方がずっと綺麗で愛らしいのよね? それならぜんぜん構わないわ。お人形で一番大切なのは外見ですもの」


 不自由な関節を駆使してリリスは自分を膝の上に乗せた男の子みたいな子を振り返って見上げた、


「ありがとう。あなた気を使って下さったのね。優しい子。お人形には不要でも人間の女の子には優しさは必須だわ、あなたはこっちの女の子とは大違い」

「どういたしまして」


 リリスを膝に乗せた女の子はくすっと笑う。


「? 何かおかしい?」

「いや。あなたの喋り方があたしの大事な子の話し方にそっくりだったからちょっとおかしかっただけ。こういうのも遺伝っていうのかな」


 リリスの顔を覗き込んで黒いコートの女の子は微笑む。

 男の子みたいな風貌だけど、よく見れば綺麗な顔立ちの子だ。リリスは綺麗で優しい女の子が好きだ。自分が人形を作るときはそんな女の子のお友達になることを一番に考えている。



 リリスが設計し、プロトタイプは自ら手をかけて作った魔力発生回路搭載型人形(商品名・ユスティナ)の確認できる最後の一人がこの子の手元にあるという。

 それを聞いた時はちょっとガッカリした。ユスティナに恨みを抱く組織が人形の体に魂のコピーを封じたリリスを見つけて破壊しようとした瞬間に乗り込み、逃亡を手助けしてくれたこの子の様子が大変恐ろしかったからだ。

 未知で野蛮な使い魔の宿った鉄の右腕で、反ユスティナ反ショコラポイジー組織の暗殺部隊を次々と粉砕していったのだから。戦闘人形を製造してきたリリスだけれど暴力は好きじゃない。だって怖いもの。


 でも膝の上に座っている今は安心している。こんな風に優しくお人形に微笑みかけられる女の子のそばにいるのだから、きっと最後のユスティナは幸せな筈だ。


「あー、だからイライラすんだわ。マジであのクソムカつくド腐れ根性ヤクザ女と喋り方一緒だし」


 黒いコートの子とは反対にピンク色のドレス姿の女の子は可愛いのは外見だけで他は全てが最悪だった。リリスは可愛くても意地悪な女の子は嫌いだった。特にお人形の髪の毛を切ったりお洋服を脱がして落書きしたり水につけたり砂場に突っ込んで遊ぶような遊び方をする子は。きっとこのピンク色の子はそういうタイプに違いない。



 今やあまり見なくなったドルチェティンカー製ステッキからピンク色の魔法の粒子を撒き散らして光線を放ち、時にはステッキを物理武器としても酷使しながら立ち回ったこの女の子は逃亡中にリリスを酷く杜撰に扱った。片脚を掴んで逆さにぶら下げたままぴょんぴょんと森の枝から枝を跳躍して移動し、追っ手に追いつかれそうになった時は「はいパスッ!」と言って一緒に乗り込んできた黒いコートの女の子めがけてリリスを投げつけたりとにかく扱いがひどかった。コートの女の子がリリスを受け止めてくれなかったら今頃リリスの体は粉々に砕け散っていた筈だ。


「丁寧にあつかえって! この人はプレゼントなんだから」

「文句があるならあんたが運搬しなっつーのドルチェティンカークイーン!」

「クイーン呼びは止めろって言わなかった⁉︎」

「じゃあなにウィッチガールスレイヤーって呼べって?」

「廃業して何年経つと思ってんだよ!」

「ああーもうどうでもいいことに注文ばっかつけやがってうっぜえ、じゃあもうクソレズ鉄腕ゴリラ女って呼ぶからな!」

「上等だよこのテンタクルマニアのヘンタイウィッチガール!」

「他人の性癖をバカにしてはいけませんって学校で習いませんでしたか〜っ?」

「そっちこそ他人のセクシャリティを尊重しましょうって習いませんでしたかあっ?」

「習ってませんけど〜中学中退なんで習う機会無かったんですけど〜っうっわ学歴差別するんですか女王様は〜?」

「あーそう、そういうことを持ち出していいなら言わせてもらうけどこっちは小学校除籍だからねっ!」


 赤い瞳に黒いコートと金属の右腕をもつ女の子とピンク色ドレスのステッキを持った女の子が言葉を投げつける度にリリスの体が宙を舞う。

 別に遊んでいるわけではなくリリスを捉えるべく森の木陰から現れる追っ手を倒しながら逃すために小さくて軽いリリスをパスしあっているのは分かるのだけれど、それにしたってやり方があるんじゃない⁉︎ という抗議はキャアアアア! イヤアアアア! という悲鳴に変わった。


 二人の少女は互いを罵り合いながら黒々とした秘密の森を駆け抜け、闇にまぎれて襲いかかる手練れの暗殺部隊達を確実に倒してゆく。赤い魔力とピンクの魔力をあちこちで炸裂させながら、二人はリリスが人形の体に身をやつしてひっそり暮らしていた小さなお城のある森を駆け抜けた。


 仇敵である反ユスティナ組織に隠れ家であるお城に踏み込まれ処刑寸前で命を救われたという喜びよりも、手荒に扱われたというショックでリリスは原始的な自動車に二人が乗り込んでからの移動中、ずっとぴいぴい泣いていた。泣き止んだのはほんのちょっと前だ。それくらいボールのように扱われたことが怖かったしショックだったし腹立たしかった。


 よりにもよって、世紀の人形師であるこのリリス・テオブロマが現代文明圏の外で野蛮な魔法とタチの悪い妖精の国の縄張り争いが絶えない暗黒地帯のど辺境からやってきたっぽいウィッチガール風情に粗雑に扱われるなんて。しかも自分が救われた理由がある人間への誕生日プレゼントになるためだったなんて。そんな身分に堕してしまったなんて。しくしくしくしく。


 悲しくて盛大に愚痴もこぼしてしまうわけだ。



 ともあれ黒いコートの女の子が膝にのせて頭を撫でてくれることもあって情緒面はようやく安定してきた。有機的な肉体から解放されると情動はシンプルになるのだろうか。

 

 嘆いても仕方がない。黒いコートの女の子へ向けてリリスはさっきから気になることを口にしてみた。


「ドルチェティンカープリンセスはお元気? 文明圏の外でご活躍中だって噂は時々耳にしていたけれど」

「──」

「いけない。あなた達の会話から察するにあなたが今のドルチェティンカークイーンなのよね? だったらあの女の子はもうプリンセスでもクイーンでもない。引退して悠々自適のご身分なのかしら。羨ましいわ。でもそれ以前に時の流れって怖い。あなたのお母様と妖精に兵器工場が襲撃されたことなんてまるで昨日のことみたいなのに」


 リリスは瞼を閉じて過去のことを思い出す。


 パートナーの妖精であろう黒い大羊にまたがり、自作の武器であろう大型のロッドと各種工具を手に天下のショコラポイジー兵器工場に単身殴り込みをかけた赤い瞳のドルチェティンカープリンセス。

 たった一人で当時の兵器部門統括部長と部下数名の命ごと工場ごと火炎系魔法で焼き尽くした、とっても小さな国を引き継いだ暴れん坊のお姫様。この一件はショコラポイジー社に語り継がれることとなった。「力と金に任せて強引に合併交渉を推し進めると却って大損こきますよ」という教訓とともに。

 

 リリスはドルチェティンカーの魔法道具の性能、特にデザイン性を高く買っていた。自分が手掛けるお人形たちには、あの赤い瞳のプリンセスが作った衣装や道具をぜひ持たせたいと願っていた。だから兵器部門統括部長には好きな子をデートを誘う時のように丁寧に話を進めろと口を酸っぱくしていったのにあんな小さな国相手に負けるわけがない戦争をわざわざしかけて完全に退路を絶ったうえで合併話をもちかけたりするものだから……と、今でもちょっと愚痴っぽい気持ちになる。


「私が今あなたに近況を尋ねているのはあなたのお母様にあたる方についてなんだけれど。お名前は……なんと仰ったかしら?」

「……ベル。母さん――母とは面識が?」

「残念ながら直接は。……そうそう、ベルね、ベル。あの子の作ったものにぴったりな愛らしいお名前だわ。今でもお元気?」


 黒いコートの現ドルチェティンカークイーンは黙って右手のコートの袖をまくって見せる。そこから現れたのは黒く鈍く輝く金属の腕だ。中には獰猛な使い魔が宿っている。人形の目を通してリリスはその中身を解析し、感嘆の息を漏らす。外見こそいかつくてリリス好みではないがその構造は機能美に溢れていた。

 思わず手を添えてしげしげ見入る。つくづくいい仕事ぶりだ。ああ、この子と一緒に仕事が出来たらいいのに……。


「母の遺作だよ。もうそろそろ10年になるかな」

「――そう。お悔み申し上げるわね」


 それを聞いてリリスは儀礼として目を伏せた。この子の母親と仕事はできなかったのは残念だ。

 とはいえ死そのものにはさほどショックはうけなかった。この業界は、最近話を聞かなくなったら人物が実はとっくに死んでいたなんてことはザラもザラだからお悔み一つ口にするのももおざなりになってしまう(ちなみにリリス自身の本当の肉体と魂もとっくに失われている。反ユスティナ組織に当時の住居を襲われた時に殺され処理された)。

 大体、おとも一人だけを連れて殴り込みをかけるようなあの生き様、どう考えても長生きしそうなタイプじゃない。


 車の中の空気が妙なことになってしまった。ドルチェティンカークイーンは無言で腕を袖の下に隠す。ピンク色の女の子が苛立ったようにまた足を上下に揺らし出した。

 文明圏の外に生きている未開の人間たちは、まだ死に対する適切な対処を方を自力で獲得できていないのだろう。悲しんで時間がやりすごすことを待つしかないのだ。小なりとはいえ魔法の国の王族の血を引いているこの女の子も未開の地域で育っているために、原始的な対処法に身を任せるしかなかったのだろう。ああなんて哀れなことだろう。


 自分を膝の上に乗せている女の子のことを憐れみながら、リリスは意識せずにはいられない。

 今、自分が赴く場所はそのような原始的な地域で魔法のこともロクに知らない未開人の集う暗黒地帯なのだ。しかもこれからリリスは、誕生日プレゼントとして顔も知らないどこかの誰かの元に送り届けられるところなのだ。


 ああなんて悲惨な運命! 仮にもショコラポイジーの製造部部長まで上り詰めた大幹部の一人だった私が! 未開人の奴隷になるだなんて! しくしくしくしく……。


「うっわまた泣きだしたんだけど、このクソ人形。こういう情緒不安定気味なところもあのド腐れヤクザ女と一緒じゃん」


 ピンク色の女の子がうざったそうな視線でこちらを見ているけれど、悲しみに浸りたいリリスは思う存分無視をする。しくしくしくしく……。



「ったくさあ、今回みたいなつまんねえ仕事で二度と人呼び出すなよなっ」

「新しい所属先が見つかるまでは定期的に仕事回せ、それがお前らの責任だってせっつくの、あんたじゃん」

「あたしが言ってる仕事はこういう荒事の方じゃないんだよっ。本業の方! いい加減復帰しねえと『あの人は今!』みたいな特集組まれちゃうんだけど⁉ 過去の人にはなりたくないんですけどー? あたしは生涯現役で動画でやっていきたいんですけどー! お前らのパシリで一生終えたくないんで・す・け・どー?」

「残念だったね。うちはウィッチガールの動画制作は請け負わないことにしてるから。敗北動画みたいなのは特に。あとそういう仕事先の斡旋もやらない」

「っはーん、そうやってあっちの女王様と足並みそろえてお奇麗にクリーンにやってくってわけね~。はいはいっ。子供が異世界の被害に遭わないように~、はいはいはいはい。あーくっせえ」

「ああ、一応耳には入れておくけどあの子あんたと仲直りしたがってたよ? 軍事顧問のポストも用意してるって」


 がつん! とピンクの女の子は運転席のシートを無言で蹴った。ピンク色の目がこの上なく不機嫌そうに苛立つ。聞くに堪えない悪口雑言すら口にしたくないほどの怒りがピンク色の女の子の全身を支配したようだが、どういった事情で彼女がそこまで激怒するのかリリスには当然知る由もない。未開人ばかりいる暗黒地帯の政治事情なんて知ったことか。


 がつ、がつ、がつっ。ピンク色の子はイライラしたように運転席をつま先で蹴とばし続ける。運転している若い男の子が、サクラちゃん痛いっ、ちょ、止めてマジでっ、運転できないっと呻いている。


「……余計なお世話だけどさ、あんたみたいなのと仲良くやっていきたいって言ってくれるようなもの好き、あの子しかいないよ?」


 それを聞くとピンク色の子はステッキをクイーンの鼻先に突きつける。その瞬間、不快そうにクイーンは眉をひそめた。


「あんたにお節介焼かれる言われはないね」


 本気で不愉快だとピンク色の子は眼差しで語る。それにクイーンは真っ向から睨みあう。


「あんたへのお節介じゃない。誤解しないでくれる?」


 二人の少女の空気が非常に険悪なことになっている。が、まあ今は嘆きたいだけのリリスにとってはどうでもいいことだ。


「あたしと同盟を結んでおきながら、あいつともちゃっかり手ぇ結ぶ。弱小団体は大変だね、生き残るためには八方美人もやむなしってかあ?」

「意外だね。あたしと手を結ぶなら嫌いなあの子とは仲良くしないでー……なんて、つまらない子供みたいなことを言い出すようなヤツだったんだ。あんたって」


 車の中の空気は悪くなる。リリスは頓着せず気の済むまで一人しくしくやっている。


「さ、さっきから誕生日プレゼントって話だけど誰へのプレゼントなのかなー……って」


 車を運転している青年だけが、居心地が悪いのか無理して明るい声を出したが、誰も聞いてはいなかった。



 ◇◆◇


 ともあれリリスは、プレゼントとして自分が送り届けられる先はお人形のことが大好きな可愛い女の子の所だと思っていた。

 でなければリリスの造形センスを見抜き、今の体の価値を理解してくれるお人形マニアの大人たち。魂のバックアップを収めるための器だから、リリスは今の体には人形師として持てる造形力をすべて注ぎ込んだのだ。


 暗黒地帯の未開人でもなんでもいい、自分を大切に扱ってくれるなら……と思っていたのに、二人のウィッチガールに救い出された数日後、ここでもリリスは絶望の淵に立たされた。


「――なんだね、これは?」

 

 目の前にいるのは眼鏡で痩せぎすの中年男だ。メガネをかけて箱に入ったリリスを見つめる目つきはたとえようもなく冷たい。ああこういうタイプみたことあるわ、人体実験が大好きな変質者タイプよ。医療班にこういうタイプをよく見かけたもの。絶対お人形なんて好きじゃないわ。大切に扱ってくれないわ。

 ボール紙で出来た箱から自ら身を起こし、リリスはまたも思う存分しくしくと泣いた。


「うう……、あんまりだわ。お誕生日プレゼントと聞いたから私のことを大切にしてくれる可愛い女の子かお人形マニアの紳士淑女だと思ったのに。まさかこんな貧相な中年男の慰み者になるだなんて……。しくしくしくしく……」


 一人嘆き悲しむリリスをさしおいて、貧相な中年と赤い瞳の女の子は向かい合う。今日の現ドルチェティンカークイーンは黒いコートは着ていない。


「――もう一度尋ねて構わないかい? なんだねこれは、ドルチェティンカークイーン?」

「あなたへの誕生日プレゼントだよ、ドクター。それからクイーンって呼ばないで」

「確かに今日は私の誕生日だが、私と君とは贈り物を交換しあうようような仲ではない。大体、どういった判断でこの小うるさい人形が私へのプレゼントに相応しいと思ったのか訊かせてもらってもいいかね? 女王陛下?」

「せかさなくても説明するから。あともう一回言うけれど、女王って


 リリスを挟んで向かい合う二人の空気はあまり良くない。

 赤い瞳で金属の腕を持つクイーンが中年男をみる目にはどことなく敵意があるし、中年男がクイーンを見る目は反対にどこか蔑んだようなものが混じっている。なかよくプレゼントを贈りあうような微笑ましい間柄にはどうしても見えない。


 嘆き悲しむことに一旦あきたリリスは二人の様子を眺めることにした。


 部屋の調度品、白衣、そして薬品の匂いからやはり中年男の職業は医者か医療関係者で間違いはないだろう。クイーンもドクターと呼んでいたことだし。

 ああきっと未開の地域の医者だからきっと刃物で切ったり針で縫ったりするようなことをしてるんでしょうね。おおいやだいやだ。


 おぞけをふるっている間に、クイーンが中年男にリリスのことを紹介する。


「この人はリリス・テオブロマ。ショコラポイジー社の製造部門統括部長だったこともある元幹部。――意味わかる?」

「――、ほう」


 中年男の態度が少し変わった。話を聞こうという姿勢にある。辺境方面ではショコラポイジーの名はそこまで知られていないと聞いていたけれど、この男は知っているようだ。


「それからユスティナの設計者でもある。≪賢者の石≫もこの人が作ったものだって」

「≪賢者の石≫だなんて芸の無い呼び方は止してくださる? あれは私の作った魔力発生回路よ。それをあるんだかないんだかわからないおとぎ話の宝物と一緒にされちゃたまったものじゃない」


 中年男がリリスに手を伸ばし、腕を掴んで持ち上げようとするので、ぺしっとリリスはその手をはたいた。


「やだ、汚い手で乱暴にさわらないでちょうだい! ……ねえクイーン、この野蛮人にお人形の扱い方を教えてやってちょうだい」

「――本当にこの今すぐ燃え盛る暖炉の中に放り投げてやりたくなるような人形がショコラポイジー社の元幹部なのかい? 女王陛下」

「クイーンだの女王陛下だの、そう呼ぶのはやめてほしいんだけどっ?」


 三者三様に苛立った声を出す。センターテーブルの上に儀礼的に出された紅茶が冷めてゆく。誕生日なんだからポーズくらいは整えないと、ということで道中にクイーンが用意したカットされたケーキにも二人は手を付けない。


 

 中年男はどうしてもリリスがユスティナの生みの親であり、≪賢者の石≫だなんて不本意な呼び方をされている魔力発生回路を発明した人間だと信じてくれなかった。イライラしながら簡単な設計図を描き、回路の仕組みを口頭で説明してようやく真剣に話を聞く態勢をとりだした。やれやれ。


 話しているうちに、この中年男はたまたま最後のユスティナと知り合い、死後に回路の解析を行ってもよいことを条件にある願いを叶えたことがあることが判った。莫大な魔力を生み出すことのできる魔力発生回路、男はそれに関心を持っている。


「……呆れた! 昨日今日文明圏に参加したような暗黒地帯の未開人にあの回路は早すぎるわよ。使いこなせるようになるまであと数世紀まちなさいな」

「残念ながら我々はそこまで長生きできないのでね」


 男がリリスの言葉に耳を傾けるようになったのでいくらか客間の空気はよくなってきた。人形の体のリリスには不要にはお茶を二人は飲んでいる。


 リリスはクイーンの膝の上に乗っている。やっぱり女の子に抱かれる方がいい。


「つまり、私がこの野蛮人のプレゼントとしてあなたたちに森から連れてこられたのは、死体といえど最後のユスティナをこの男にとられたくなかったから。代わりになる新しい回路を手に入れるのは難しいから、作り方を知っている私を連れてきてしまえばいい。そういうことね?」

「――」


 カップに口をつけたまま、クイーンは無言で視線をそらした。正解だということだろう。うっすらと傷跡ののこる頬が少し赤くなる。

 まあ! とそれを見て高鳴るはずのないリリスの胸が少し跳ねた。きっと肉体があった時の名残、幻肢痛のようなものだろう。リリスはロマンスが嫌いじゃないのだ。


「んもう馬鹿ねえ。地下マーケットだとデッドストックのユスティナがまだやり取りされているわよ? 一人競り落としてこの男にプレゼントしてしまえばよかったじゃない」

「それは……正直、考え無かったわけじゃなかった。あなたをわざわざ助けに行くより確実で安全だし。でも、それはやりたくなかった」


 クイーンは紅茶をテーブルの上に戻して呟く。


「あの子を死体まであたしのものにするために、あの子とそっくり同じ子を差し出すのはどう考えても違うと思ったから。それをやったらあたしは二度と神様に顔向けできなくなる。だから……ごめんね」


 少しはかなげに微笑んでクイーンはリリスを撫でる。


「あなたの意志を確認しないで、あたしの我儘であなたをここまで連れてきて」

「! いいのよクイーン。私こういうお話大好きだから。だってあなた、あの子が生命維持活動を停止して以後も髪の毛一つここの男にとられたくないから私を連れ出したってことなんでしょう?」


 リリスの質問に、クイーンは自分の髪をかき混ぜて答える。照れ隠しらしい。そのしぐさにリリスの胸にまた幻肢痛が走る。


「……なんか、改めて自分のやったことを聞かされると居たたまれなくなるもんだね」


 キュウっというような幻肢痛に硬直しているはずの顔面すら緩みそうになる。自己申告の通り、リリスはこういうロマンティックなお話が好物だった。そのヒロインを務めるのが自分が作ったお人形。こんなに嬉しいことってない。

 リリスは今まで無数の人形を作ってきたけれど、それくらい大切にされた子はそんなにはいない筈だ。

 が、紳士はそれを見て鼻で笑った。大事な子を手渡したくない、その一心で行動をおこしたクイーンを軽率だと言わんばかりに明らかに馬鹿にしていた。クイーンに代わってリリスがむっとする。


「それだけの為にずいぶん派手な真似をしかけたもんじゃないか、女王陛下? この人形は文明圏の中心ではなかなか大した戦争犯罪人、その逃走を助けたことが露見したら事ではないのか?」


 中年男の言葉に、クイーンの目が鋭くなる。それをみて男は、薄い唇を吊り上げて笑う。おそらくクイーンをいたぶって遊びたいのだろう。ああやだ、暗黒地帯の未開人オスってこれだから。


「しかも情報の出どころは大方魔狼王国だろう? 異世界の軍需産業の犠牲者を失くすと公言している女王二人が陰で追及相手の本丸にいたような大罪人の逃亡を助けた、とはな。面白がる人間は少なくなさそうだ。せいぜい身辺を嗅ぎまわれなことだな」

「――」


 クイーンは男を睨むけれど、反論はしない。男の言い分が正しいと認めているのだろう。間を置いてから目を伏せる。


「言い訳をはしないよ。あたしは自分の我儘を優先して、あたしたち自身や女王を後々危険な目に遭わせるかもしれないことをした。そもそもドクター、あんたにリリスをプレゼントするのだって危険なんだから。異世界軍需産業の技術と知識の塊を、あんたなんかにみすみす手渡すなんてマネをしでかしている。そのせいでまたどこかで何に知らない子どもが不幸になるかもしれないっていうのに」


 それでも、でも。


 クイーンは何かを言おうとした後に、伏せていた顔を起こした。

 リリスはクイーンの膝の上で体をひねって、クイーンの顔を見上げる。今いる位置はきれいな女の子の顔を鑑賞するには最適な場所とは言えないけれど、でもクイーンは目の前の爬虫類めいた男をまっすぐに見る。口元のには不敵な笑みが浮かんでいる。


「この前ね、どこかの国の神話の本を読んだんだ。妻の女神に死なれたことを悲しんだ男の神が、寂しさのあまり黄泉の国へ向かえに行くっていうオルフェウス神話みたいな内容の。オルフェウスと違うのは、男神が『決してのぞくな』って念を押されたのに案の定約束をやぶって身を隠した妻の姿を覗き見てしまうってところ、そこでの姿があまりに醜くて驚いて逃げ帰ってしまう。……オルフェウスもまあバカだけど、こっちの男神はシンプルに最低」

 

 ティーカップをセンターテーブルに置いてクイーンは話を続ける。


「当然恥をかかされた女神は怒って追いかける。黄泉と地上の境目の当たりで女神は呪いをかけるんだ、『お前の国の人間を一日千人殺す』って」

「君が学校で専攻しているのは文化人類学だったかね?」

「黙って聞いてよ。――それで呪われた男神の方はこう返すんだよ、『だったら自分は一日千五百人の子どもを産ませる』って」


 クイーンの赤い瞳は、意地の悪い中年男は正面から向き合う。


「男神はバカだし最低。あたしの今回の行動も我ながらまあバカだ。だから不幸になる子供の数より多く子供を救うことにする。悪い妖精の国が子供を千人不幸にするならあたしは子供を千五百人救う。そう決めた」


 それで今回のことが免責されるわけじゃないけれど、と自嘲するように付け足してクイーンは笑った。


 あらいやん、と膝の上でリリスは胸の幻肢痛を暴れさせる。最後のユスティナはとてもいい子に巡りあったんじゃないかしら?

 

 男は笑った。やっぱりどうにも意地の悪い笑みだったけれど、少し待っていなさいといって立ち上がり、隣の部屋移動した。客間にはリリスとクイーンの二人が残される。

 

「初めからそうだと分かっていたら、大人しくついてきたわよう。大体、あんな森の中のお城にいたって先は見えていたもの。居所も連中につきとめられていたからちょうどそろそろ引っ越そうかなあなんて思っていたところだし」

「――本当に? 道中あんなにぐちぐち言ってたのに?」

「過ぎたことは過ぎたことよ。あと数十年くらいこの暗黒地帯にいるのもよく考えたらそこまで悪いことじゃあないわ。幸い煩わしい法令や条約の外なんだから思う存分新しいお人形もこしらえられるでしょうし」

「一応ここにもここの法があるんだけどね。……できれば人が不幸になるような人形を作るのはやめてほしい」

「難しい問題ね。私はいつも人が幸福になることだけを祈ってお人形を作るのに、みんなどうしても正しく使えないんですもの」

 

 人形の体になって以降、感情の反応がシンプルになったリリスはすっかり愉快になった。その勢いでに、クイーンの大事な最後のユスティナの画像か写真でもみせて頂戴とおねだりする。

 クイーンは渋っていたけれど、魔法通信に対応してない原始的な通信機器から動画を見せてくれた。


「……あの子が勝手に送ってきた自撮り動画でよければ」


 栗色の神に青い瞳、おしゃれをした最後のユスティナがカメラ目線でくるりまわってポーズをとり、この格好が可愛いかどうかこの前みたいにごまかさないでちゃんと答えてね、とせがんでいた。


 ああやっぱり、申し分なく愛らしく仕上がった子だ。私の設計したお人形だから当たり前だけど。


 この子の姉妹たちは皆、深く掘られた穴に大量に投棄された。もしくは燃え盛る炎に投げ込まれた。

 その光景は今でもリリスを苦しめる。私はみんなに愛されるお人形を作っただけなのに。あの子たちに罪はないのに。


 あの無数の姉妹の分、この子がこうして幸せに笑ってくれている。もう滲むはずが無いのに視界がうるみそうになる。

 できれば地下マーケットのユスティナたちも、幸せになってほしい。いや、なるべきだ。ならなきゃおかしい。リリス・テオブロマは幸福だけを祈って人形を作っているのだから



「――君の本当の目的はこれだろう、マリア・ガーネット」


 ほどなくして客間に戻ってきた男は、クイーンに一通の手紙を渡す。


「≪賢者の石≫の解析は不要になったので、死後君の遺体を引き取る契約は無効。それに伴い私も君たちと後見人という立場から降りる。まあそういった内容でまとめさせてもらった。マルガリタ・アメジストの誕生日はいつだったかね?」

「二月だよ。二月二十二日。あのホームに来た日が誕生日ってことになっていたから」


 白い封筒をジャケットの内側に仕舞う。


「ならまだ当分先だな。それまでにもう一人の女王との関係をより強固にしておくことだ。不幸な子供を生み出さないために、せいぜいがんばりたまえ。ドルチェティンカークイーン」

「だからその呼び方はやめて」

「それから、敗北動画の女王との距離はほどほどに。あの娘は弱みを嗅ぎ取る嗅覚が発達しすぎている。利用するつもりで利用されたなんてことのないように」

「――何、今日は優しいね? ドクター」


 クイーンは挑発するように悪っぽく微笑む。男はふんと鼻を鳴らした。


「その書面をサプライズで渡すつもりなら、アサクラサクラに気取られないように気をつけたまえ。誕生日の直前でバラされるぞ」

「言えてる」


 愉快そうに笑ってクイーンは立ち上がる。もうお暇の時間だということか。

 

 最後に、ということでリリスを抱きしめた。


「ありがとう、リリス。このお礼は必ず」

「それならあの子と幸せに過ごしている様子を教えてちょうだい。時々で構わないから」


 去り際にクイーンはこそこそとリリスの耳にささやきかけた。こうしてクイーンは男が一人で暮らしている屋敷を出て行く。


 二輪車の音が遠ざかってから、リリスは男と二人客間に残された。


「──さて」


 さっきまではいささか柔らかだった男の視線がリリスを射抜く。ひとかけらの情もない視線だった。やはり人形になどかけらの思い入れもない男だったのだろう。


 しかし次の瞬間、リリスを見た瞬間に表情が一変する。

「……どういうことだ?」

「人形の姿の私ではあなたは絶対に対等に話すことはない。私はあなたに知識を与える側なんだから堂々としていること。そのためにはこの格好がベスト。さっきクイーンがそう言ったわ」


 金色の髪を縦に巻いた十四、十五の少女の姿に変身したリリスをみて男は露骨に眉をしかめる。なるほどクイーンの言っていたことは本当だった。

 この男は女の子が嫌い。嫌いだからこそ本気でぶつかってくる。


 リリスは手がつけられていないケーキを食べた。

 少女形態になると一応食事の真似事はできる。でも味はしない。見せかけの機能だから味蕾は働かないのだ。でもせっかくだから五感の感度を高めてみようかしら。こんな暗黒地帯で生活するならちょっとでも楽しめるように自分を改良しなきゃ。


「クイーンの説明にあった通り、私はショコラポイジーの製造部門を統括していたこともあった人間よ。魔法の心得はここの人間が束になっても叶わないレベルだってことは頭においてちょうだいね。あの子との約束だから魔力発生回路のことはその製造方法も後々きちんと教えてあげるわ。でもタダで教えてもらえるだなんてムシのいいことは考えないこと。とりあえず提示したい条件は二つ、私が授けた知識や技術の情報の売買は私を通してから行うこと。私がお人形と一緒に暮らすために十分な広さのあるお部屋とお人形を作るためのアトリエをそれぞれ用意すること。条件は何かあればその都度追加させていただくわ。私の知識と技術が欲しいのなら是非とも飲み込んでちょうだいね、


「──最悪な誕生日だ」


 センターテーブルの向こう側に座った男は、頭を抱えてうなった。




 

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バースデイプレゼントと女王の罪 ピクルズジンジャー @amenotou

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