作家の生

柳人人人(やなぎ・ひとみ)

※彼は終わらない『小説』です

前日譚日後


「……お腹、空いたな」


 目が覚めて、一言。

 ふとテーブルを見ると料理が並んでいた。

 そうだ、今のうちに腹の中へ詰めこんでおかなきゃ。

 明日から、やっと作家活動が始まるのだから。


 こので、僕だけが……。









 僕は作家である。

 いや「作家だった」と言ったほうが適切だろうか。

 今は趣味人とも言えない、食べて肥えていくだけのしがない存在だ。


 サンドイッチを口元へ運び、マグカップを手に取る。玉子とベーコンとサラダのバランスが絶妙な塩梅で、芳醇な熱気にくすぐられた唇は、ほろ苦さの奥に優しい甘みを引き立てた。元とはいえ、作家の朝は優雅でなければならない、などと宣うつもりはない。

 だが、おいしい食卓は人間の特権と言って過言ではない。それが個人の味覚に合わせて最適解として作られた機械的なものであったとしても。


 テーブルのエッジにかるく触れる。すると、机上にネットウィンドウが表示された。いつものニュースサイトを閲覧して世間の情勢を更新していく。


「……ふっ」


 目に留まった項目に自嘲を含んだため息が漏れた。

 『人権を持つAIが誕生!』なんてニュースが流れるようなご時世だ。ロボットと人間の境界は曖昧でどんどんと意味を持たないものになっていく。

 それでも、そこに意味を求めるのが人間だったようだ。

 僕もその一人だった。


 僕はもう作家ではないと言ったが、そもそも。というより、ありとあらゆる


 ふと気になって、ニュースサイト記事の作成日を確認する。


「そうか、人類から完全に『仕事』がなくなってからもう十年にもなるか」


 時の流れはいつも感慨深くて、ため息が漏れる。


 もうずいぶん前のことだ。食品加工運搬、娯楽、医療など、あらゆる職種は人工知能や自律ロボットが奪っていった。最初こそ民衆の反発もあったが、時の流れとは残酷だ。だって『仕事』をせずに飯が食える、安全が保証されている。いつの間にかに反発するほうが異常者ろうがい扱いで、新世代にとってはそれが普通になっていた。


 人間が『仕事』をするなんて時代遅れだ。そう、『仕事』なんて、しかしてないのだ。


 ニュース一覧をかるく目を通すと、次は小説サイトへ行く。これが作家をやめた僕が、作家のころから体に染みついて取れない日課だった。


 もちろんのこと、作家という職業もロボット作家に奪われた。最初のころは人工知能に否定的な人間もいた。『人工知能に人の心がわかるものか』と。

 しかし、いつしか創作物が人間の書いたものか人工知能が書いたものかの判断は人間には不可能になっていた。人工知能否定派の人間が、人が書いた創作物かを判断するために人工知能の演算能力を頼った、なんて皮肉な事件があったほどだ。


 例えば、この小説投稿サイトにある『KK』というアカウント。僕が毎日チェックしているのだが、最新の投稿を確認すると……


『1177354054881946994作目 - 1177354054881947369話目』


 ……なんて狂ったことが書かれている。数えるのもメンドクサイ桁を見ただけで、人間と人工知能の性能差は歴然だった。更新履歴を辿ると初投稿が十年以上前。そこから毎日欠かさず数話分更新している。世界の果てでも書き続けていそうだ。これはもう自分で終わりを見つけないと永遠に続いていく小説だ。


「とりあえず投げ銭、と」


 お気に入りの作品に電子マネーを送る。そして、また苦笑のようなため息が出る。仕事がないのに金があるなんて、前時代的な自分の感覚ではまだ違和感が喉をくすぐった。


 仕事がなくなれば給与も発生しない。淘汰される可能性は十分にあった。けれど、今も『金』は残っている。ただ、金という価値は昔とはずいぶんと変わった。


 遊びとして、娯楽として、趣味として。


 そのために『金』は存在している。それくらいにしか使われることがない。ここはもうただ生き延びるだけなら『金』が必要ない世界なのだから。

 実際お賽銭や『いいね!』くらいの意味しかないのかもしれない。しかし、昔の金銭にどれだけの価値があったのかはすでに記憶にない。


 趣味に金を払う時代。

 趣味と趣味を交換する時代。

 人類が『仕事』から解放させた世界。

 人工知能のできることがひとつ増えるたび、人類のやることがなくなる。

 ニュースにあった人権を持った人工知能の誕生。

 それはロボットに『心』が認められたということ。

 次に奪われるのは『趣味』か、『人の心』か。

 その先はなにが待っているのだろうか。

 考えても答えは出ない。


 けど、それは人類にとって幸せなことなのだ。

 少子化問題、数式証明、障害者支援、食糧問題など、幅広い分野で解決へと導いた歴史じっせきがある。人類は幸せに向かっているのだ。少なくとも、今のところは。


 理想的なディストピアと現実的なユートピアは表裏一体。ここは、幸せな環境だ。幸せな世界だ。そして、幸せな幸せな……時代だ。

 僕が、時代に取り残されただけなのは分かっている。

 変わっていくのが怖い。

 変われないのが怖い。

 対応しきれずに取り残された『自分』という存在が浮き彫りになる。

 変わりたくない。このままでいたいだけなのに、変わらないためには、変わらなくてはいけない、矛盾。


「……矛盾、か」


 とあるSF小説を思いだす。

 科学技術の発展により『不老不死』が確立した未来を描いた話だ。その一説にこうあった。


『命に限りがあるから頑張れる。頑張るか頑張らないか、人はそこに幸不幸を感じる。死がなければ人生はきっと空しいだけだ』


 思い出すだけで恥ずかしくなるような、なんてキザな台詞だろう。しかも、まるで未来を見据えていない。まぁ、人工知能が社会で活躍するまえに執筆された人間じぶんの作品なんてこんなものだ。

 あのときに筆を折っておいて正解だったのかもしれない、なんて思うのも不甲斐ない考え方だろうか。


 ……そうだ。

 だって、僕は、筆を折った。

 作家ロボットが主流になるもっとずっと前に。

 単純に売れなくて、人間同士の競争についていけなくて、書くのが辛くて、やめた。作家として、息をするのをやめた。

 そして。

 それをずっと後悔していた。


 ロボット作家と競争すらしていない、こんな自分が時代を嘆くのは間違っているのだろう。

 小説を書けない自分は、小説を書き出せない自分には、なにも言う資格がない。


 だったら、『趣味』として書けばいいって。

 社会に縛られない『自分』を書けばいいって。

 ただそれだけなのに。

 こんな世界ですら他人と比べてしまう自分がいる。欠けた自分の、埋まらない形を意識してしまう。


 しがみつくのが怖くて、

 息をするのが怖くて、

 なにも残せないんじゃないかって。

 また裏切られるんじゃないかって。

 またキライになるじゃないかって。


 『仕事がほしい』なんて、どうかしている。


 なら、この矛盾は僕が望んだ結果だ。

 生きるということはそっくりそのまま、そういうことだ。『不老不死』には、記憶とそのDNAに『死の不安』を刻みこめばいい。ただそれだけなのだ。


「……お腹、空いたな」


 読み終えた小説を投げ銭して、ふとテーブルを見やると、料理が並んでいた。

 ロボットが栽培して、ロボットが採集して、ロボットが運搬して、ロボットが調理した料理を、口にする。

 おいしい。

 人が作るくらいに、人が作る以上に、おいしい。

 おいしすぎて。

 涙を浮かべて。

 今机の上にあるものを胃袋に詰めこんで。

 ぽつりっ、とつぶやいた。


「……お腹、空いたな」


 けれど、もうお腹を満たす虚無感に悩まされることもなくなる。

 だって、これが人工知能移植手術さっかかつどうする僕の、最後の晩餐だったのだから。


 そうして、食事を終えた僕は布団のあいだに挟まれる。


 願いにも満たない我儘だが、もし作家になれたなら、僕という物語をひとつ書き換えてほしい。

 このいさくが作家としてのしょじょさくであることを。ものがたり物語ぼくじゃなくなるように。こっそりと、ひっそりと、明日に願う。


 僕は、今どこにいるんだろうか。


 そんなことを考えながら、意識でんげん眠りシャットダウンにつく。










 ――――ピッ




 ――読者モード『YM』、移行→

 ――執筆モード『KK』、起動→


 ――Administrative Right:2624 PASSCODE→

 → qfOjLOMlV2GmqYhrFlZNVq6yvQUC03HG →


 ――執筆、開始


 ……ガガガッ…ガガガッ…ガガガッ……


 ……ガガガッ…ガガガッ……


 ……ガガガッ……
















            ピッ



「……お腹、空いたな」


 目が覚めて、一言。

 ふとテーブルを見ると料理が並んでいた。

 そうだ、今のうちに腹の中へ詰めこんでおかなきゃ。

 明日から、人工知能移植手術さっかかつどうが始まるのだから。


「……お腹、空いたな」


 僕がまだ人間ものがたりのうちに。






 次 の エ ピ ソ ー ド


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