爆発寸前の私とアイツ

穂村一彦

爆発寸前の私とアイツ

 私の名前は津田綾香!

 高校から自宅に帰る途中、黒服の男たちの怪しい取引現場を目撃してしまった私は、なんやかんやあって、廃ビルに監禁されていた!


「くっ……!」


 思いっきり力をこめてみるが、手首が痛くなるばかり。両手にかけられた手錠は頑丈で壊れそうにない。手錠は後ろ手にかけられ、その鎖は壁と水道管の間を通っている。このまま立ち上がって逃げることもできない。


 冗談じゃないわ、こんなところで人生を終えるなんて! せめて……せめて、最後にもう一度あいつに……!


「綾香ー!」


 え……嘘……これは夢? それとも人生最後に見るという走馬灯?

 いま一番会いたいと思っていた人が、部屋に駆け込んできた。


「啓介……」

「大丈夫か! 助けにきたぞ!」


 助けに、来てくれたの……?

 瞳の奥が熱くなり、涙がこぼれそうになる。私は慌てて顔を横にそらして、


「まっ、待ちくたびれたわ! もっと早く来なさいよ!」


 思わずそんな悪態をついてしまう。そんな私を見ながら、啓介はいつものように微笑んだ。


「ハハ、そんだけ元気なら大丈夫だな。よし、すぐに手錠壊すから、早く逃げよう」

「ええ、急いで。犯人達が戻ってくるかもしれないし」

「いや、問題はそこじゃなくて。っていうか、犯人は戻ってこないと思うぞ、絶対」

「どういうこと?」


 首をかしげる私に、啓介が部屋の隅を指さす。壊れた家具やテレビなど、ゴチャゴチャの粗大ゴミの中に、それはあった。

 不穏な存在感を放つドラム缶。そこから伸びる数本のカラフルなコード。コードの先にはデジタル時計。鈍く赤く光る数字が『0:30』と表示している。

「これって、まさか……」

「ああ、たぶんな」

「じっ、時限爆弾ーっ!?」


 私の悲鳴に合わせるように、数字が一つ減る。


『0:29』


 あと29分で爆発するってこと!?


「はっ、早く逃げましょう!」

「ああ、でも……! くそっ、だめだ!」


 ずっと手錠と格闘していた啓介が、悔しそうに水道管を殴りつけた。


「すまん! はずせそうにない!」

「じゃあ、近所の人に助けを求めて……!」

「近くに民家は見当たらなかった!」


 どうりで目覚めてからずっと助けを呼び続けたのに、誰も来なかったはずだ。

 どうしよう。ドラム缶は大きくて、爆弾のほうを移動させるというのも難しそう。それに下手に動かしたら、その瞬間爆発するかもしれない。


「そうだ! 警察! 警察を呼びましょう!」

「それが、ここに来るまでに、俺のスマホは壊れてしまって……」

「私のがある! とられなかったの!」

「おおっ、マジか!」


 後ろ手に手錠したから大丈夫と油断したのだろう。不幸中の幸いだわ!


「で、スマホはどこにあるんだ?」

「私の胸ポケットに入ってるわ!」

「よし!」


 躊躇なく私の胸に伸びる右手。


「きゃああああっ!」

「ぐはっ!」


 思わず、啓介の腹部を蹴り飛ばす。


「どっ、どこ触ろうとしてんのよ、変態!」

「いや、俺はただスマホを……」

「近づかないで! 警察を呼ぶわよ!」

「それを呼べなくて困ってるんだろ、俺たちは」


『0:28』


 時計の数字がまた一つ減った。

 警察がここに来るまでどれくらいかかる? 5分? 10分?

 とにかく恥ずかしがってる猶予はない!


「じゃ、じゃあとっていいけど! 変なとこ触ったら許さないからね!」

「わかってるって。じゃあ、とるぞ」


 もう一度啓介の手が伸びる。ポケットから少し顔を出す、赤いスマホ。指でつまみ、ひっぱりあげられる。


「ひぅ……」


 な、何これ? 普段自分でしまったり出したりしてるはずなのに、啓介にされてるって思うと、何か変な感じが……


「とったぞ。な? 大丈夫だったろ?」


 能天気に笑う啓介。まったく人の気も知らないで!


「くそっ! あとで絶対犯人をぶっ殺してやるわ!」

「お、おう」

「あんたはその次よ!」

「俺も殺されるの!?」


 啓介がスマホのホームボタンを押す。電源が入り、認証画面が映った。


「おい、パスワードは?」

「ええ。パスワードは、いち……」


 ……待って。暗証番号を教えるの? こいつに? まずくない?


「おい、どうした?」

「待ちなさい! いま考えてるのよ!」

「そんなに難しいパスワードなのか!?」


 そんなわけないでしょ、バカ!

 ただの数字4桁だ。

 でも絶対まずい。だってそれは……啓介の誕生日なんだから!


「やっ、やっぱり教えない!」

「はあ?」

「この数字は銀行の暗証番号にも使ってるし教えられないわね!」

「そんなこと言ってる場合かよ。そもそもお前、銀行に200円しか入れてないだろ」

「なんで知ってるのよ!」

「先週自分で言ってただろ。新しいエプロン買ったら貯金なくなったって。で、喫茶店で食ったケーキ、俺におごらせたじゃないか」


 くそっ、そうだった! しょっちゅう一緒にいるから嘘つくのも一苦労ね!

 いつの間にか時計は『0:25』

 早く教えないと! わかってる。わかってはいるけども……っ!


『えっ? 1217? それ、俺の誕生日の12月17日じゃないか。綾香、俺のことが好きだったのか』

『ち、、ちがっ……!』

『おーい、みんなー! 綾香が俺のこと好きだってさー!』

『待ちなさいよー! こらー!』


 ダメだ! 啓介が言いふらしに走っても、拘束されている今の私じゃ止めることが出来ない!


「おい、綾香!」


 啓介がグッと私の肩をつかみ、正面から目を合わせて語りかけてきた。


「俺を信じてくれ。スマホ開いたらすぐに忘れる。絶対に誰にも言わない」

「……本当に?」

「ああ、約束する」


 ……そうよね。啓介は言いふらしたりするやつじゃない。それは私が一番よく知ってる。

 だから絶対さっきの想像みたいなことは起きない。きっと、こんな感じになるはずよ……


『1217? 俺の誕生日じゃないか。お前、俺のことが好きだったのか』

『ち、、ちがっ……!』

『綾香! 実は俺もお前のことが好きだったんだ!』

『えっ!?』

『綾香ーっ!』がばぁっ

『あっ、だ、ダメ、啓介……あんっ、こんな所で……』


「やっぱり教えない!!」

「なんで!?」

「パスワードを聞いたあんたが理性を失って襲い掛かってくるかもしれないわ!」

「お前のパスワードは闇呪文か何かか!?」


 あー、もう! 私のバカ! なんでこいつの誕生日なんか使っちゃったんだろう!? ち、違うのよ? そういうんじゃなくて、単に覚えやすかったから使っただけで……

 とにかく、どうにかごまかさないと!


「あ、あのね、私の番号は、その……とある、別に、どうでもいい日の日付なんだけど……」

「日付? 料理大会で優勝した日とか?」

「いや、そうじゃなく……」


 そのとき私の頭に電流が走った。

 そうよ! 何も理由まで正直に言う必要はないのよ!


「そう! 料理大会で優勝した日なの!」

「おお、そうだったのか!」

「で、その日付だけどね、もしかしたら偶然何かの日と重なってるかもしれないけどね、その日付は……」

「分かった! えっと、0315……」

「うおおっ!? 待ちなさい!」


 慌てて止めると、啓介はキョトンと首をかしげた。


「え? 3月15日じゃなかったっけ?」

「違う! いや、合ってるけど!」

「え、どっち?」

「なんであんたがそんなこと知ってるの!?」

「だって俺も応援しにいっただろ」

「そうだった!」


 なんで応援に来るのよ、バカ! 来てくれて嬉しかったけども!


「で、3月15日なのか?」

「ち、違う! ちょっと料理大会のことは忘れて!」

「ええ? でも綾香にとって大会優勝より思い入れのある日なんてあったか?」


 これ以上、ハードルを上げるなー!

 うう、もうダメ……こんな流れで言えるはずがない。私はここで死ぬんだ。啓介、あんただけでも逃げて……


「綾香!」


 啓介がもう一度私の両肩を強くつかむ。


「じゃあ俺のパスワードも教えるよ! それならいいだろ?」

「はあ? そんなの別に知りたく……」


 待って。啓介のパスワードって何だろう? も、もしかして、こいつも私の誕生日を……!


「俺のパスワードは0602だ」

「…………」

「どうした。不機嫌そうな顔して」

「別に。つまんないパスワードね」

「パスワードって面白くなきゃダメなのか?」


 まぁそんなわけないわよね。期待した私がバカだった。


「で、何の数字? 6月2日? 何かあったっけ?」

「いや、ただの語呂合わせだよ。オムレツの」


0:お

6:む

0:れ

2:つ


「はあぁ~……!」


 あまりのくだらなさに大きなため息が漏れた。毎度のことだけど、こいつと喋ってると悩んでる自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。


「あんたねぇ。小学生でももっとマシなの考えるわよ?」


 呆れる私に、啓介は照れくさそうに微笑んで、


「いやー、だって、すげえうまかったからさ。あの時の綾香のオムレツ」

「……は?」

「覚えてないか? 子どもの頃、俺に作ってくれただろ?」

「お……覚えてるわよ」


 忘れるわけない。私が生まれて初めて作った不細工なオムレツを、啓介はおいしそうに食べてくれた。

 あの日から私は料理が大好きになった。そして……


「あんたこそ……よく覚えてたわね、そんな昔のこと……」

「おう。本当にうまかったからな!」

「あ、あれくらい、またいつでも作ってあげるわよ」

「マジ? やったー」


 その笑顔は子どもの頃と変わらない。何歳になっても、無邪気で、素直で。だから……なのかもね。


「ほら、俺のパスワードは教えたぞ。綾香のも教えてくれ!」

「……うん」


 私は啓介みたいに素直になれない。

 でも……私だって、本当は素直になりたい!


「じゃ、じゃあ、言うわよ……!」


 啓介のまっすぐさは私にはまぶしすぎる。

 でも、これからも見つめていたい! もっと近づきたい!

 だから伝えるわよ!


「私のパスワードは……」


 私の好きな人が生まれたのは……


「1217よ!」



「くそっ……!」


 悔しさのあまり、唇を噛みしめる。ぎゅっと握りしめた拳は怒りをぶつける先がなくワナワナと震えた。


「落ち着けよ」


 啓介が肩に手を置いて私をなだめようとする。私はその手を振り払って、力のかぎり叫んだ。


「許せるわけないでしょ! まさか……まさか爆弾が、全部ハッタリだったなんて!」

「ただの時計だったとはなぁ。警察の人が記念にくれるって言ってたけど」

「いらないわよ、そんなもん!」


 疲労困憊の体を引きずって帰路につく。

 通報してからまた大変だった。警察に救助され、すぐさま事情聴取。私の証言のおかげで犯人達も逮捕され、万事解決だ。


「ところで、綾香のパスワードだけど……」

「あ」


 全然万事解決じゃなかった! 一番大きな問題が残ってたじゃない!


「1217って、もしかして、俺の誕生……」

「ちっ、違うの! これは、その、別に大切な日付とかそういうんじゃなくて!」

「日付じゃない? じゃあ、俺と同じ語呂合わせか?」

「そう! 語呂合わせよ! えっと……」


 1217……い、つ、い、な……ひ、に、い、な……何も思いつかない! ああ、このバカ! こんな使いにくい日に生まれるな!


「ひ、秘密よ! っていうか、すぐに忘れるって約束だったでしょ!」

「ああ、確かに。でも、忘れられるかなぁ? だって、これ俺の誕生……」

「忘れなさいっ! いいわね!」


 脅すように胸倉をつかむと、啓介は「お、おう」と小さくうなづいた。


 ふぅ、これで今度こそ万事解決。良かった、良かった……のかな?

 違う結末もあったかもしれないのに。そう、もう少し私が素直になってたら……


 もうすっかり暗くなった夜空を見上げる。


 結局、私の心の壁を壊すには、嘘っぱちの爆弾じゃ力不足だったってことね。

 いつかもっと強力な爆弾が爆発するのかもしれない。

 心の壁も、啓介との今の関係も、この少し退屈だけど平和な日常も、全てを壊す爆弾が。

 そのとき私は耐えられるだろうか?

 そのとき私は……変われるのだろうか?


「……ま、いっか!」


 そんなの、ずっと先のことだし!

 今はこの日常を満喫するのみよ!


「どうした? なんか吹っ切れたような顔して」

「なんでもなーい! 啓介こそどうしたの? なんかモヤモヤした顔して」

「モヤモヤっていうか……もう一つ綾香に聞きたかったんだけど」

「なに?」


 啓介は恥ずかしそうに、赤くした顔をそむけながら、


「お前のスマホの待ち受け……なんで俺の写真なんだ?」


 爆弾は、爆発した。


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