燈菖命

安良巻祐介

 

「燈菖命」の灯りを持って、家を出たら、もうお晩でした。

 持っているものがものだから、少しばかり急ぎ足になってあぜ道を駆けてゆくと、ちょうど向こうから、布をかけた牛鬼車がゴトゴトと音を立てて来るのでした。

 真っ白な洗い立ての布が、その下の色々な突起や膨らみの形だけでなく、生臭い獣の体臭をもすっかり覆って、ひどく嘘くさいのですけれども、何しろ縁起物ですから、燈を軽く二、三度振って、こちらへ招き寄せます。

 すずらん色の灯りに、ボウボウという牛鬼車の鼻息がかかって、布の下から恐ろしいものが漏れてしまいそうに思いました。

 心持ち、脇へよけるようにして距離を取ると、布の向こうが目に入り、車の作った轍が、畔の土の上に、何か延々と文字を刻んでいるのがわかりました。

 お経に見えるのですけれども、お経というのはえらいお坊さまが人に語り聞かせるようにして、一言一言大切に唱えるのですから、こんな、無人の車が動いていくうちに自然とできてしまう足跡、傷みたいなものとは絶対に違う。どんなに見た目がそれらしくっても、それは姿形を真似ようとしているだけの、忌まわしいものなのです。

 思われ縁日の黒い露店の中で、エレキテルラから電気を流された無手廻しの籤機械が、くちきちくちきちゅと赤や葵、黄色やみどりの符を吐いているのを、見たことがありました。あれも虫みたいだった。あれはそうは言っても所詮は縁日のお遊びだからそれでもいいけど、そんなものが祭りに関係もない、こんな静かな夜に人のいない道の上に作られていくのは身震いがします。

 とにかく、義理とご縁を果たしたのですから、燈の位置を戻して、あとはとにかく、行き過ぎてゆく車を見送りました。

 車は、ゆっくりと、ゆっくりと、過ぎてゆきます。

 あまりにもゆっくりとしているものだから、いつまでも行き過ぎないような、そんな勘違いをさえ起こしてしまいそうでしたが、始まりのあるものは終わりがある、と、誰でも言うではありませんか。その心だけを寄り所に、燈の燃えるシジジジシジジという音を聞きながら、隣を過ぎた牛鬼車が視界から見えなくなるのを待っていたのです。

 近づけすぎても駄目、遠ざけすぎてもだめ、なんと信仰とは恐ろしいものか。

 やがて車が見えなくなっても、気づいたら足が癇困樹の根のようになって地面に生えており、とうとうそこから動けなくなってしまいましたが、驚いたような、最初からこういう形で生きるのがわかっていたような、そんな気がしたのでありました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

燈菖命 安良巻祐介 @aramaki88

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ