後編
一年の頃から頭角を現し始め、二年の後期では文武において誰もが注目する“才能”が強く輝きだした彼女は生徒会長に就任していた。
『この度、第〇期生徒会長に就任いたしました、
壇上で就任の挨拶をする彼女を教職員たちは微笑ましく見ている。僕もその中の一人だった。
「部活動は大活躍。勉学にも精勤し、更に生徒会長とはな。容姿も校内では上位。お前はどう思う?」
隣に立つ教頭先生に話を振られる。彼はこの高校に通っていた頃、僕のクラスの担任でもあった先生だ。そして、彼女が教員室に通っている事を知っている。
「どう、とは?」
「お前の心配はしてない。心配なのは雨宮の方でな。ああいう天才ほど、崩れれば弱いものだ」
彼は何よりも生徒の進退を気にしている。僕が見本にもしている理想の教師像でもあった。言いたいことはよくわかる。
「なんでも出来るって事は、ソレを超える困難を経験したことがないって事だ。いざ、ソレにぶつかったとき弱みを吐くだろう」
弱みに飲まれたまま非行に走る天才を教頭先生は見てきた。更生できた者もいれば出来なかった者もいる。
「大丈夫ですよ」
「確信があんのか?」
「彼女は苦労することを知っています。生半可な苦労に対しては決して弱音を吐きませんよ」
「よく知ってるじゃねぇか。如月先生が言ってたぞ。お前と雨宮はよく個人的に話をするそうだが?」
流石に一年以上も、教員室に通いつめられれば教頭先生の耳にも入る。
「頼られれば断ることはしません。嶋野先生から学んだ事です。おっと、今は嶋野教頭先生でしたね」
「言うようになったな。こいつが教師になったら面倒くせぇと思ったら本当にそうなりやがった」
「貴方が僕の目標です」
「ワシの若い頃はモテなかったけどな」
「でも奥さんに娘さんに、お孫さんもいるでしょう? 惚れる、惚れられるは顔じゃないですよ。それに――」
司会を務める風紀委員の生徒が、生徒会副会長の挨拶を願い出る。
副会長もまた、校内では人気の男子生徒だった。容姿端麗で、文武両道。性格もよく、同性、異性共に良好な関係を築いている。実家は有名な武術道場をやっており、清廉潔白としても名高い。
校内で最もお似合いのカップルだと二人は噂されており、今回の選挙ではそれを考慮して他の候補者が身を引いたとまで言われるほどだ。
「相談相手は、近いうちに彼に変わりますよ」
ようやく神様が動いてくれたらしい。
高校二年目の冬。
修学旅行の引率に選ばれる教師は、基本的に部活動を割り振られていない者が多い。
担当クラスが二年生という事もある僕は、当然選ばれて、三泊四日の旅行についていくことになった。
全国でも有名どころの遊園地に来ている高校生たちは、帰ったら始まる受験シーズンの恐ろしさもどこ吹く風で、現状を楽しんでいた。
引率教師は全部で6人。それぞれがだだっ広い遊園地を徘徊し、生徒が間違いを起こさないように見張っている。
学校でも特に厳しいと言われている教頭先生も来ていることから、彼の眼をどう盗むかと、挑戦するヤンチャな生徒たちも後を絶たない。
「こらこら、“シー”に行ったらダメだ」
僕が遊園地で割り当てられた場所は、
いつも以上にタガの外れる様子から、絶対に行こうとする者が出ると予想した教頭先生の采配で一人は入り口で見張ることにしていた。
シッシッと門番のように、“シー”へ行こうとする生徒を見つけては引き返させる。教頭先生が睨んだとおり、何かと大人の場所へ行こうとする生徒が多い。
興味がある年頃なのはわかるが、法律的にもダメなものはダメ。一時の気の迷いで人生を台無しにして後悔するのは自分だ。
「意外と見分けがつくんですね」
そこへ彼女が現れる。遊園地での自由行動が始まったときは、中の良い友達に囲まれていたが、今は一人だ。
「友達は?」
「逸れました」
「携帯で連絡は取った?」
「はい。ここに居ると言ったので、すぐに集まってくると思います」
人波に攫われないように、道の端にあるベンチへ移動する。
「この人だかりで、よく見分けがつきますね」
「みんな制服だからね。一般の人よりは見分けがつくよ」
「死角とかに入られたら?」
「そんなにコソコソする生徒はいないと思いたい」
「答えになってません」
それにもし教師側が見逃しても、遊園地側も静止してくれるようにお願いしている。
「みんなの事、信用してるって事だよ」
受験にインターハイ。これから大変な行事は目白押しだ。せっかく県を跨いでまで旅行に来ているのだから、あれこれ直接縛り付けるのはよくない。注意は最低限にとどめるつもりだった。
「これから、いくらでもここに来る機会はある。その時まで楽しみにするのも良いんじゃない?」
「そうでしょうか?」
「人によるけどね。雨宮もそれとなくみんなに言ってくれると先生たちの負担が減る」
人気者である生徒会長の言葉の方が、教師が注意するよりも納得できる部分があるだろう。
「先生は……楽しんでますか?」
「仕事だからね。大手を振って楽しんでると、教頭先生に睨まれる」
と言いつつも、この雰囲気は好きな方なのだ。こんなに騒がしいのは夏の山で蝉を追って幼馴染全員で走り回る時以来だ。その時は必ず、ゲンじいがついていた。
「寂しくなっちゃうなぁ」
ゲンじいが死んだと聞いたときは信じられなかった。人と関わり、誰かに何かを教えよう思ったキッカケもあの人からもらったのだ。
すると、頬に冷たい感触が当たる。彼女が冷えた手で頬を触ったのだ。反射的に驚いて座ったまま距離をとる。
「あ、雨宮!? ……なにをする」
「突然冷静になっても説得力ありませんよ」
「……そう言うのはよくないよ」
このまま居ると色々と誤解されそうだ。傍から見れば生徒と教師。教員室以外で、長い間二人きりになるのはよくない状況だろう。
「……先生と生徒だからですか?」
立ち上がる僕に彼女はすがる様にそんな言葉を口にする。
「生徒が先生を、好きになったらいけないんですか?」
「……慕う意味なら分かるよ。子供は大人に頼りたくなるものだ」
「子供です。子供だから……先生の事が好きなんです」
それは初めて彼女と話をした時からの二度目の告白だった。
“冷静に恋を見定めた時にその気持ちが変わらなかったら、アンタは受け入れてあげられる?”
幼馴染の言葉が思い出される。しかし――
「ありがとう。けど、付き合えないよ」
真摯に気持ちをぶつけてくれる。それは嬉しいけど、応えるかどうかは別の問題だ。
「……ここでもダメですか」
嘆息を吐く彼女の様子から、雰囲気を気にしたらしい。学校にいるときはほとんど教室か教員室しかいないので、状況が違えば変わると思ったのだろう。
すると、広い通りが騒がしくなり人だかりと愉快な音楽が聞こえてきた。パレードが始まったようだ。
「ナオー」
合流する予定の友達が、呼びながら遠くで手を振っていた。傍らには男子のグループも居り、副会長の姿もある。
「ほら。呼んでるよ」
「先生はパレードを見ないんですか?」
「もう少し見張ってから行くよ」
それを確認すると彼女は立ち上がって、僕の横を通り過ぎていく。
親友たちの輪に入ると人波へ消えて行った。そこが彼女の居る場所なのだ。先ほどの告白に対する返答でソレを理解してくれると願うばかりである。
高校三年、夏。
「そろそろ限界です」
「なにが?」
生徒会とインターハイで忙しい中、何かと理由をつけて彼女は教員室に来ていた。僕は相変わらず教員室に割り当てられている。これで三年連続だ。教頭先生あたりが圧力をかけているのではないかと今年から思い始めた。
「告白の返事です」
「……付き合わないよ?」
「先生の事じゃありません。副会長です。彼から去年の修学旅行の時告白されまして」
「ええ!? 本当!?」
「……嬉しそうですね」
おっと。顔に出てしまったか。
「……雨宮が先生に抱いた気持ちと同じだよ。よくわかるんじゃないか?」
「……」
心当たりがありすぎるらしく、彼女は言い返すことも何か言う事も思いつかなかったようで黙り込む。よかった、よかった。周囲から見てもお似合いの二人だ。少なくとも、教師と生徒よりは。
「どうすればいいでしょうか?」
「ん?」
「ですから。断るつもりなんですが、どう言ったらいいか」
「……」
僕の事を諦めてくれてないらしい。
「……何度か、経験はあるでしょ?」
彼女の容姿や能力から言い寄る異性は多い。その度に告白を受けていると、彼女が言わなくても自然と情報が入っていた。その手の相談を直接本人から聞いたのは今回が初めてだが。
「ですけど、相手は副会長なので業務に支障が……」
「自分で考えなさい」
その経験は学校で彼女が一番あるのだから、別に僕が口を出さなくても問題なく乗り切れるだろう。
僕がどうしたいのか。彼女が何を求めているのか。それは決定的に解っていたつもりだった。
だから……彼女はいつか離れてくれると勝手に思い込んでいたのかもしれない。たぶん、この問題に答えなんてないのだろう。誰もが傷つかずに終わる問題ではない。
そうなれば誰が傷つくのが一番いいのか。それは――
「先生」
卒業式の日。担当クラスの教え子たちと一通り話をした僕は、彼女に呼び止められた。
「この時点で高校は卒業です。
「3月31日まで、君は高校生だよ」
「……そうやって、最後までごまかすつもりですか?」
最後。その言葉を彼女はとても苦しそうに口にする。そして、
「先生は先生なんですね……でも……そんな先生を私は――」
「雨宮。この高校三年の時間は、君のこれからの人生で大きな糧になる。何一つ、無駄なことはなかったよ」
最低な事だと思っている。彼女が言おうとした事を察して言葉を挟んだのだ。
彼女はこの三年間で最も言いたかった瞬間を失い、表情に影を落として目元を前髪に隠す。
「……この三年間……私の想いは何も変わりませんでした。でも先生が無理だというのなら……私は卒業します」
目元が見えないまま、彼女は僕に深々と頭を下げた。
「ありがとうございました」
そう言って彼女は目を合わせずに踵を返すと、記念撮影している親友と家族のもとへ歩いて行った。その目元から、光るものが見えた気がした。
「三年間、私を……見守ってくれて……嬉しかったです――」
言葉から彼女の気持ちが痛いほど伝わっていた。結局、僕は彼女を導くどころか……傷つけただけだったのかもしれない……
3月31日。ぽつぽつと降り始めた雨音に耳を傾けながら、明日の事を考えていた。
「…………」
3月31日は教師にとっても新たな日の前触れでもある。
明日から新入生たちにとっては新しい生活が始まり、三年生を担当した教師もそうだ。僕も担当クラスが卒業したので、一年生のクラスの担任に割り当てられるだろう。
「……」
僕も子供だった。それに気づいていなかったから、彼女を傷つけてしまったのか。
「ゲンじい……どうすれば良かったのかな……」
近くの棚の上には幼馴染六人と、ゲンじいが映った写真が飾られている。癌である事は幼馴染全員に隠していた。知っていたのは、それぞれの両親だけ。
「……はぁ」
自覚していなかった。彼女を泣かせてしまったと思った時、取り返しのつかないことをしてしまったと思った。その時初めて気が付いたのだ。僕は――
「しっかりしないと」
彼女は卒業した。自分で自分の気持ちに折り合いをつけて巣立ったのだ。それなのに、教師の僕が右往左往しては示しがつかない。
その時、玄関のベルが鳴った。
「誰だろ? こんな時間に」
時間はちょうど0時を回った。こんな深夜に連絡もなしに来るとすれば、幼馴染くらいだ。
「エイジかな?」
「こんばんは」
扉を開けるとそこに立っていたのは、彼女だった。
「こんな時間に出歩くのはあまり良い顔は出来ないよ?」
深夜で雨も降っているという事で、仕方なく部屋に上げた。まだ寒さが残る時期でもある。カップに作ったインスタントのコーンスープを差し出す。
「コーヒーじゃないんですね」
「コーヒーを飲んだら眠れなくなるよ」
彼女も地元から通える大学へ明日から通うことになってるハズだ。
「傘を返しに来ました」
要件を聞こうとしたところで先に彼女から言ってきた。水滴の残る傘が扉に立てかけられている。
「乾かしてから持ってくるんじゃなかった?」
「気が変わりましたので」
愛想笑いを浮かべる僕に対して、彼女はいつも向ける表情でスープを飲む。
「もう4月です」
「そうだね」
「正真正銘……大人になりました」
「うん」
「先生。それでも……ダメですか?」
彼女が何を言いたいのかは理解している。こんな時間に訪れた理由もきっと、そのためだったのだろう。
僕が彼女に出会った時に言ったこと。それは時間でしか解決できないことだった。その間に彼女は新しい恋を知ってくれる。そう思っていた。
「……ごめんね」
「そう……ですか……」
その言葉を聞いて彼女はポロポロと涙を流す。顔を伏せて少しでも見られないようにしていた。それが教師として彼女に贈ることが出来る最後の言葉だった。
「僕は子供だった」
だから、これからの言葉は一人の大人としての本音である。
「君のおかげで子供だったと自覚できた」
きっと、僕も彼女といることが、当たり前のようになっていたのだと思う。ただ、教師と生徒という立場を盾に逃げてきたのだ。でもこれからはそういう関係じゃいられない。
だからこれは、これから僕が自覚していかなければならない事なのだと思う。
「君が許してくれるなら、今度は君と……ちゃんと向き合おうと思う」
僕を好いてくれた一人の女性として――
レインハート 古朗伍 @furukawa
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