後編 宰相令嬢は短小婚約者に復讐する

 程なく光は消え去り、一寸法師はそっと目を開けました。すると目の前には、いつも鏡越しに見ていた自分とそっくりな顔をした男が小槌を手にして立っています。少し見上げなければならない高さの男の顔を見ながら、それでもこれまで姫君といた時とは見上げる角度が全く違っていることに気が付きました。自分も大きくなっていたのです。


 一寸法師は急いで自分の身体を見下ろしました。目に飛び込んできたのは姫君が着ていたはずの鮮やかな色合いの着物です。手を目の前にかざして見れば、それは針の刀で鍛えた小さいながらも無骨だった男の手ではなく、細く美しい白魚のような女の手でした。


「なんじゃ、こりゃあ!」


 叫んだ声までが鈴の鳴るような姫君のものでした。あわてて再び顔を上げると己と同じ顔が黙って見下ろしています。打出の小槌が先程姫君が口にした願いを叶えたのなら、この男こそが姫君なのでしょう。


「姫、何をするんだ。さあ、もう一度小槌を振って俺を元に戻してくれ」


 一寸法師はそう言いましたが、姫君であるはずの目の前の男は黙って見返してくるばかりで動く様子もありません。


「なら自分でやる。その小槌をこっちに渡すんだ」


 焦れた一寸法師は男に飛び掛かりました。しかし、男はひらりと身をかわし、一寸法師は着物の裾に足を取られて見事に転んでしまいました。これは当たり前のことです。女物の着物というものは、そもそも派手に動き回れるように着付けられてはいないのです。それに加えて身体が思ったように動きませんでした。剣の修行などしたこともない姫君の身体であればこちらも当然と言えば当然のことです。


「姫。そんな風に暴れては危ないですよ。さあ、お手を」


「誰が姫だ、誰が。姫はお前じゃないか、白々しい。さあ、さっさとそれを寄越せ」


 一寸法師だった姫君は目の前の男が差し出したその手を振り払って立ち上がると、もう一度男につかみ掛かりました。しかし、男が小槌を高く掲げると手を伸ばしても届きません。一寸法師はぴょんぴょん飛び上がってそれを取ろうとしましたがそんなことで届くはずもなく、じきに息が切れてへたり込んでしまいました。


「姫は疲れて何やら夢でも見ておられるようですね。そこで少し休んでおられるといい」


 男は座り込んだ一寸法師をその場に残して、乗ってきた舟の具合を確かめに波打ち際へ戻りました。幸いな事に舟は無傷のままそこにありましたが、船頭の方はそうはいかなかったようです。他の鬼にでも襲われたものか、無残な姿となって舟の近くに倒れていました。確かめるまでもなく、どう見ても既に事切れています。


 一方、取り残された一寸法師は混乱していました。男が言う通り自分は元々姫なのでしょうか。しかし、そんなはずはありません。どう考えても自分は一寸法師で、姫君が小槌におかしな願い事を言っただけなのです。小槌を取り上げさえすれば全ては丸く収まるはずだと、一寸法師は思いました。


 しかし、今の状態では体格も力も姫君の方が勝っています。どうすれば小槌を取り返すことができるのでしょうか。一寸法師が頭を抱えていると、やがて男が戻って来ました。男は一寸法師をちらりと見た後、また打ち出の小槌を振りました。


「打出の小槌よ、私に金銀を与えてください」


 男が小槌を振る度に、金判や銀判が小槌から現れてはシャリンシャリンと音を立ててこぼれ落ちていきます。何度か振ったところで男は小槌を懐に仕舞いました。落ちた金銀を拾い集めると顔を上げて一寸法師を見ます。


「姫。気の毒なことに船頭は鬼に殺されてしまったようですが、船の方はまだ無事でした。さあ、参りましょう」


「えっ!? どこへ行こうと言うんだ」


「都に戻るんですよ。私はこの通り大きくなった事ですし、この打ち出の小槌があれば後はどうとでもなるでしょう。それとも、姫お一人でここに残られますか? まあ、ここにいればそのうちさっきの鬼が戻って来て連れていかれてしまうでしょうけれど」


「そ、そんなもの、行くに決まっているではないか!」


 こんなどことも知れない島に置き去りにされては敵いません。それに打ち出の小槌は男の懐にあるのです。元に戻るためにも今男から離れる訳にはいきません。一寸法師は男に付いて舟に向かいました。


 船頭がいないのにどうするのかと一寸法師が思っていると、男は自ら櫂を握りました。難なく舟を操る男は特に迷う様子もなく陸地を見つけ、そのままするすると淀川を遡っていきます。やがて舟は鳥羽の津に帰り着き、二人は都を目指して歩き始めました。


「皆、聞いてくれ! 俺が本当の一寸法師で、この男は姫が打ち出の小槌の力で俺の姿になっているだけなんだ!」


 途中の道々、一寸法師は声を張り上げて周りの人々に訴えました。しかし、一寸法師が声を上げる度に、男は落ち着いた様子でこう言うのでした。


「近頃姫様はご覧の通り嘘ばかり言って私も少し困っておるのです。まあ、小さかった頃の私の飯を盗み食いするようなお方ですから仕方ないのかもしれません」


 一寸法師のご飯を盗んで家を出された姫君の話は都でも知らぬ者などありません。美しくはありますが荒い言葉遣いでがなりたてる女と、こちらも美しくスラリとした長身で涼やかな雰囲気の男。二人を見比べた人々は誰もが気の毒そうに男を慰め、一寸法師の言う事に耳を貸す者は一人としていませんでした。元はと言えば、他ならぬ一寸法師自身が姫君をそういう立場に追い込んだのです。一寸法師は歯噛みしましたがどうすることもできませんでした。


 やがて都へ入ると、男は一寸法師を連れて五条通の高級旅館に宿を求めました。もちろん夫婦者としてです。一寸法師としては不本意の限りでしたが、男が寝ている隙にでも打ち出の小槌を手に入れればいいのだと考えて黙って付いて行くことにしました。


 男は豪華な部屋を借り切ると、鬼から宝を得たお裾分けだと言って辺りにいた者を誘い、宴を催すと言い出しました。何せ打ち出の小槌のおかげで懐具合を心配する必要がありません。誘われた人々は口々に男を讃えました。


「宴の支度ができるまでの間に、旅の埃を落として来られてはいかがでしょう」


 宿の主にそう勧められた男は湯を浴びに向かいました。当然一寸法師も一緒に連れて行かれましたがさすがに湯殿は別です。姫のことは任せたと宿の女中衆に引き渡された一寸法師は、碌に抵抗する間もなくあっという間に寄ってたかって引き剥かれました。


 着衣をすっかり奪われた一寸法師は、あるべき物が無くあるはずのない物がある己の身体を見ました。姫に相応しい、若く美しい身体です。それは確かに一寸法師が手に入れたいと望んだものではありましたが、このような形で我が物となっても一つも嬉しくありませんでした。


 身体中を磨き上げられた一寸法師は美しく着付けさせられ、さらに化粧も施されました。精神的にヨレヨレになった一寸法師が案内された座敷に入ると、もう宴は始まっています。男は如何にして鬼から小槌を手に入れ今の身体になったかを得々と語り、それを聞いた京雀たちは酒盃を手に男を誉めそやすのでした。


 男の隣に座らされた一寸法師は自分の手柄を我が事のように語る男を忌々しく思いましたが、次々と出される素晴らしい料理には舌鼓を打たざるを得ませんでした。姫君の姿になってしまったとはいえ、生まれて初めて普通サイズの身体で普通に食事ができるのです。それが嬉しくない訳がありません。


「こんな幸運に恵まれた一寸法師の隣に妻として居られるんだ。貴女も幸せが保障されたようなもので羨ましい限りですな」


 時折このようなことを言ってきて一寸法師を苛立たせる者もいましたが、ここで騒ぎ立てても相手にされないことはもう分かっています。一寸法師は黙って曖昧に頷くだけでした。宴は続き、皆に囲まれた男は勧められるままに杯を干しています。男が酔い潰れてしまえばこちらのものだと、一寸法師は内心ほくそ笑みながら自分も何食わぬ顔で男に次々と酒を注いでやりました。


 やがて夜も更け、さすがに宴もお開きになります。思わぬ振る舞い酒にいい気分になった皆が帰っていった後には、赤い顔をして横たわる男と一寸法師だけが残されました。しばらく様子を見ていましたが、男は眠り込んでしまったように見えます。今こそチャンスだと、一寸法師は男に手を伸ばしました。


 しかし、一寸法師の指先が男の着物の合わせに忍び込もうとした瞬間、その手首を男の左手がガシリとつかみました。寝転がった男の目が開いて一寸法師を見上げています。


「あっ!?」


「姫、おいたはいけませんよ」


「酔って寝ていたんじゃなかったのか!?」


「打ち出の小槌が授けてくださったこの身体は、あの程度の酒でどうにかなるほどやわではありませんので」


 当然のことのように言った男は一寸法師の手をつかんだままむくりと起き上がります。その手首がヒョイと返されると、一寸法師の手は難なく背中に捻り上げられてしまいました。


「痛っ! 授けてって、やっぱりお前が姫なんじゃないか。くっ、この手を離せ!」


「手を離してあげたらどうするおつもりなのですか?」


「決まっているだろう。小槌を使って元に戻るんだ」


「元に戻ってどうなされるのです」


「知れた事を。男の本道と言えば立身出世だ。身体さえ大きくなれば俺とてやれる。姫と、お前と真の夫婦めおととなることも」


「そうですか、それがあなた様の望みですか」


 男はそう言うと、片手で一寸法師の手を捻り上げたままもう一方の手で懐から打ち出の小槌を取り出しました。


「そ、それを寄越せ!」


 男は自由の効く方の手を伸ばしてこようとする一寸法師を軽くいなすと、首を捻って睨んでくる一寸法師の目を静かに見返します。


「時に、一寸法師・・・・様。どうしてあのようなことをなさったのです?」


「あのような……?」


「私に盗人の罪を着せたことです」


「ああ、あれか。知れたことよ。そうでもしないと、俺がお前を手に入れることなどできなかったからだ」


 宰相殿に気に入られたとは言え、今のところ一寸法師は何者でもなく単なる客分に過ぎません。そのうえ一寸しかない身体ですから、いくら努力しようと剣の腕を上げようと、自分が姫君を嫁にできるとはとても思えなかったのです。


「あなた様がうちにおいでになって三年、小さなお身体でも懸命に頑張っておられる一寸法師様を、私はお慕い申し上げておりました」


「えっ!?」


「もちろん、そのようなことは誰にも知らせてはおりません。私は貴族の娘ですから嫁ぎ先は家のために決められます。私がどなたかを慕うなどあってはならないのです」


 男はここで一度言葉を切ると改めて一寸法師を見つめます。その全てを見通すような眼差しに、一寸法師は一瞬背筋に冷たいものが走るのを感じました。


「時に一寸法師様」


「な、なんだ!?」


「あなた様の御父上様は堀川の中納言様の御子、御母上様は若くして亡くなられた伏見の少将様の御子ですね」


「な! どうしてそれを知っている!?」


 男の言葉に一寸法師は心底驚きました。確かに一寸法師の両親、お爺さんとお婆さんは貴族の末なのです。流言と謀略によって都を追われた堀川の中納言が流された先の摂津の国でもうけたのがお爺さん、幼い頃に両親を亡くし、都を離れたのがお婆さんでした。


 一寸法師は当然そのことを知っていましたが、一応家を出た身です。都に出てからはそれを誰かに話したことはありませんでした。


「仮にも父は宰相の地位を賜っております。その父が、いくら面白いからといって氏素性の分からぬ者を屋敷に置くとお思いですか? あなた様の出自は早々に調べ上げられたそうです」


「そ、それは……」


 貴族であれば当然のことだと言う男に対して、一寸法師は返す言葉を持ちませんでした。しかし、男の話はまだ終わりません。


「つまりあなた様は、今の御実家の状態はともかく、貴族の娘を嫁に取ってもおかしくない御血筋をお持ちなのです。いいえ、御実家が都から遠ざかっていればこそ、あなた様は私を容易く我が物とすることができるはずだったのです」


「どういうことだ」


「あなた様に盗人にされたとは言え、宰相の娘である私がどうしてたった一人で家を出されたとお思いですか。父はともかく、継母ははは私がいることが疎ましかったのです。良い家へ嫁がせるなら私ではなく自分の産んだ娘に嫁がせたいでしょう?」


 男は同意を求めるように一寸法師の顔を見ました。しかし、一寸法師は何と答えていいのか分かりません。黙り込んだ相手に冷ややかな目を向けた男は再び口を開きました。


継母ははは私に適当な所へ片付いて欲しかったのです。それでもさすがにどこでもいいという訳には参りません。それなりの家柄で、なおかつなるべく力の無いところが継母ははにとって一番都合が良かったはずです。そう、都落ちなさった、今のあなた様の御実家のような」


 一寸法師は思わずあっと声を上げました。今までそんなことは考えた事もなかったのです。


「そのような次第ですから、あなた様が正々堂々と私を所望してくださってさえいれば、きっと継母ははが父を言いくるめてその望みは叶っていたことでしょう。実を言えば、私もそれをずっとお待ちしておりました。あなた様が本当に私を望んでくださるなら、御身体が一寸しかないことなどどうでもよかったのです」


「なんだと!?」


「でも、一寸法師様。あなた様はご自分のご都合ばかりで、結局私の心の内までは見ようとも求めようともしてくださいませんでした。ですから、この打ち出の小槌を手にした時に思ったのです。私は私の都合であなた様と共にあろうと」


 男はそう言うと満面の笑みを浮かべ、俺はこんな顔で笑えたのかと驚く一寸法師をよそに小槌を振り上げます。


「いや、それとこれとは話が違うだろう! この上何をするつもりだ!」


「打ち出の小槌よ、この一寸法師であった者が打ち出の小槌に触れることができないように、そして他人に頼んで己の願いを代わりに叶えてもらうこともできないようにしてください」


「ああっ!?」


 悲鳴のような声を上げる一寸法師をまた一瞬光が包みました。光はすぐに治まりましたが、見たところどこにもこれまでと変わった様子はありません。


「さあ、触れるものなら触ってみればいいでしょう」


 男は一寸法師を押さえていた手を離し、その前に打ち出の小槌を置きました。一寸法師は飛びつくように小槌に手を伸ばします。すると、そこに見えない壁があるかのように一寸法師の手は遮られ、小槌に触ることはできませんでした。


「くっ」


 それでもなお小槌を取ろうと、一寸法師は精一杯手に力を込めます。すると今度は小槌から小さな稲光いなびかりがパチリと飛んで一寸法師の手を打ちました。


「ぎゃっ!」


 焼け火箸で叩かれたような痛みに、一寸法師は弾かれたように手を引っ込めました。見たところ傷や火傷こそ付いていませんが、その手はジンジンと痺れています。


「そ、そんな……」


 最早元に戻ることは叶いません。その事実を突きつけられた一寸法師はその場にがくりと崩れ落ちました。しかしそれも束の間、男がやさしく一寸法師の手を取りました。一寸法師が顔を上げると、男の笑顔が見下ろしています。男は半ば呆然としている一寸法師を立ち上がらせると、その手を引きながら言いました。


「あなた様の望みは、全てこの私が代わりに成し遂げて差し上げます。あなたは私の妻としてのんびりと過ごせばいい」


「な、何を!?」


 男は一寸法師の手をぎゅっと握ると、隣の部屋に繋がる襖をすっと引き開けました。襖のすぐ向こうに置かれた衝立のさらに奥には床の準備がされているのが見えます。夫婦者として宿を取ったのですから当然と言えば当然です。


「決まっているではありませんか。あなた様は私とまこと夫婦めおとになりたかったのでしょう? 打ち出の小槌はその願いも叶えてくださいましたよ? さあ、今こそ夫婦の契りを交わそうではありませんか」


「ま、待て、やめろ……いやだ。ひっ」


 必死に踏み止まろうとする一寸法師の抵抗は苦にもされず、あっと言う間に寝間に連れ込まれてしまいます。男は分厚いふかふかの錦の布団の上に一寸法師を投げ出すと、後ろ手にパタリと襖を閉じました。


「く、来るなっ! あっ、放せそんなとこ触るな、やめろ帯を解くな、んんっ。あ、そこはだめだっ! んあぁっ。やめっそれいや、許し……ひっ、そんなもの出すな。……待って、それだけは待って。ああっ、だめっ、ひいぃぃぃっ」


 誰にも負けない偉丈夫となった一寸法師・・・・は、男としても誰にも負けませんでした。


 こうして十日ほど頽廃的な日々を過ごした一寸法師は噂を聞きつけた宮中に召し出されました。その涼やかな見栄えや人柄、家柄をみかどに認められて堀川の少将に任ぜられます。


 その後も能力を存分に発揮して実績を積んでいきます。みかどの信頼もますます篤く、遂には中納言に序せられました。お爺さんとお婆さんも都に呼び寄せて大事に面倒を見ています。姫君の父である宰相殿も大いに喜ばれました。


 一寸法師は男としての夢を見事叶えたのです。


 なお、一寸法師の妻となった姫君については、三人の男の子を産んで末永く幸せに暮らした、ということだけが伝わっているそうです。


 めでたしめでたし。

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宰相令嬢は短小婚約者に復讐する 愛 絵魚 @euo_ai

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