宰相令嬢は短小婚約者に復讐する

愛 絵魚

前編 宰相令嬢は短小男の手に落ちる

 しばらく前の事、と言っても室町時代後半ごろから見た話ですので、現代からすると昔々のお話です。


 摂津せっつの国――今の兵庫から大阪辺り――の難波なにわの里というところにお爺さんとお婆さんが住んでいました。当時は人間五十年のご時世でしたからお婆さん呼ばわりされていますが、お婆さんはまだ四十を越えたところです。もし今、四十そこそこの女性に向かってお婆さんと呼びかけたら、きっと袋叩きにされることでしょう。


 それはともかく、その年齢になるまでこの夫婦には子供がありませんでした。これを悲しく思ったお婆さんは住吉大社にお参りして子供に恵まれるよう神様にお祈りしました。


「神様、どうか私たちに子供を授けてくれますように。私ももう四十を越えまして、このまま夫婦二人きりですと老老介護で共倒れ、何とか生き残ったとしても独居老人から孤独死のコンボ必至です。何とか面倒を見てくれる跡継ぎをこしらえたいところなのですが、年のせいか最近うちの人あっちの方がもうめっきりで……」


 幸か不幸か、この願いなんだか欲求不満の愚痴なんだかよく分からない祈りは神様に届きました。可哀想に思った大明神はどれどれとお婆さんに目を向けます。なお、この大明神が住吉大社に祀られている住吉三神(底筒男命そこつつのおのみこと中筒男命なかつつのおのみこと表筒男命うはつつのおのみこと)のうちのどなたであったのかは伝わっていません。


「ウホッ!! いい女。うむ、子供か。よしよし、その願い叶えよう」


「ああっ大明神さまっ」


 お婆さんなどと言っても神様から見ればほんの小娘です。その上、お婆さんは結構知的な美人でした。こうして大明神の情けを受けたお婆さんは四十一歳という年齢にも関わらず、見事子を授かりました。この部分、原文ですと「ただならずなりぬれば」とありまして、これが単に神様のお計らいで妊娠できたということなのか、神様とただならぬ関係になったということなのかは不明です。


「やったぞ、でかした。スッポンの生き血やらマムシの蒲焼きやらイモリの黒焼きやら、婆さんに怪しげな物をいろいろと食わされた時はどうしようかと思ったが、これで人の事を種無しだなんだと好きな勝手言ってくれた奴らを見返してやれる。うんうん、そうかあ、子供かあ」


 お婆さんが身籠ったと聞かされたお爺さんは躍り上がって喜びました。DNA鑑定などない時代ですから真相を知るのはお婆さんだけです。そういう意味では男とは実は悲しい生き物なのかもしれません。


 やがて月を重ねましたが、懐妊したはずのお婆さんのお腹はさほど大きくなりません。皆が怪訝に思い、ほらやっぱり爺さん種無しなんだよとか言われたお爺さんが激怒したりしましたが、それでも十カ月目を迎えるとお婆さんは普通に産気づき、端正な男の子を産みました。


 しかし、産まれた子はやはり普通ではありませんでした。背丈が一寸――三センチちょっと――しかありません。そのため、一寸法師と名付けられました。これは普通に考えれば自分の子供に付ける名前ではありません。現代のオタク風に言えば「ちみっこ」と名付けたようなものです。いわゆる痛ネームの走りだったのでしょう。


 やがて年月は流れ、夫婦に育てられた一寸法師は十三歳になりました。それでも一寸法師の身長は人並みになるどころか全く大きくなっていません。お爺さんとお婆さんはいろいろと考えて悩みました。


「どう考えても普通じゃないだろう。化け物みたいじゃないか。何かの報いなのか!? 俺、なんか悪い事した? 神様もなんだってこんな子を授けてくださったんだか」


 喚くお爺さんに内心辟易しながらも、お婆さんは黙って頷きました。世間体が悪いことは確かなのです。


 一方の一寸法師も悩んでいました。さすがにもう小さい子供ではありませんので、自分の身体が普通ではないことは分かっています。実は自分は両親の本当の子供ではないのではないかと思った時期もありましたが、周りの人に聞いてみてもお婆さんははが自分を産んだ事は確かなようです。


「一寸法師よ。お前もう、どっか行ってくれんか」


 そのうちにとうとうお爺さんはそんなことを言い始めました。一寸法師としては悔しい限りでしたが、自分が常識はずれに小さいのは事実でしたし、何より時代的に家長の言うことは絶対です。不承不承従うことにはしたものの、身体一つで放り出されては敵いません。


「仕方ないから出て行くことにするよ。でもなあ、父ちゃん。刀の一振りも持ってないと格好付かないんだけど」


「刀ってお前、針くらいしか持てんだろうが」


「それでいいよ、もう。鞘は麦わらででも作るから」


 一番短い縫い針でも一寸法師の背丈ほどの長さがあります。一寸法師がそれを手にすると佐々木小次郎の物干し竿もかくやという有り様になるのですが、武蔵と小次郎の話はずっと後の時代の事ですのでそんな突っ込みを入れる者はいませんでした。


 こうして、刀身は針、こしらえは麦わらという刀を手にした一寸法師は、どうせ出て行くなら京の都へ向かおうと考えました。難波の里ここから都へ上るなら舟で川を遡るのが一番早いのですが、当然一寸法師用の舟などありません。


「なあ、母ちゃん。舟にするからお碗とお箸をもらってっていい?」


「お前、それ大丈夫なのかい?」


「何とかなる何とかなる」


 お婆さんにねだって舟とかいを手に入れはしたものの、もらった現物を前にして一寸法師は大丈夫などではなかったことに気が付きました。


「でけえ。でかすぎる」


 試しにお椀に入ってみると、まるで大きな穴の底にいるかのようでした。標準的なお椀の大きさは直径四寸(約十二センチ)、高さ二寸(約六センチ)です。仮に一寸法師の身長が百八十センチだったとすると、これは直径七メートル強、深さはお椀の足の部分を除いても二メートル半前後に相当します。


 一方、お箸は長さ七、八寸(二十数センチ)、太さ二、三分(七ミリ前後)で、これも同じように換算すると長さ十数メートル、直径四、五十センチの長大な丸太ということになります。どちらもとても一寸法師が一人で扱える大きさではありませんでした。


「母ちゃん、やっぱこれダメだわ」


「言わんこっちゃない。ほら、これならどうだい?」


 お婆さんはお椀より一回り小さくて浅いお椀のふたと細い竹串に取り替えてくれました。これでも大きいことには変わりありませんが、まだしも何とかなりそうです。


 こうしてすったもんだした挙句、名残惜しそうにしながらも一寸法師は家を出ました。お椀の蓋の舟で住吉の浦を出発して、目指すのは京の都です。竹串の櫂を漕ぎながら一寸法師は歌を詠みました。


――すみなれし難波の浦をたちいでて 都へいそぐわが心かな


 普通に解釈すれば、まだ住み慣れた故郷を旅立ったばかりだが自分の心はもう京の都へと飛んでいる、と言ったところでしょうか。都会に憧れる田舎の若者の心を素直に表したものだと言えるでしょう。


 しかし、一寸法師の身体のことを考慮しますと全く違う心情が浮かび上がってきます。


 難波の浦、つまり大阪湾に面した場所から舟で京都に向かおうとすれば、道筋としては淀川を遡って現在の京都府に入り、そこから支流の一つである桂川をさらに遡らなければなりません。距離にすると約二十キロほどもあるのです。


 たとえ流れが緩やかだったとしても、竹串の櫂でその川の流れに逆らって二十キロ進むのにどれほどの労力が必要だったでしょうか。小舟で川を遡る場合、浅い所を選んで川底を突きながら進むこともあるのですが、お椀の蓋の舟に竹串の櫂ではいくら浅くともその方法は取れません。底まで届く訳がないのです。


「難波の浦を出発はしたものの、漕いでも漕いでも碌に進まねえ……。ちくしょう、気分はもうとっくに京の都だってのによう」


 というのが歌に込められた一寸法師の本音なのではないかと思われます。それでも二十キロを遡り切って鳥羽の津――鴨川と桂川が合流する辺りの船着場――に着いたと言うのですから、やはり一寸法師は尋常ではなかったのでしょう。


 ともあれ、鳥羽の津にお椀の蓋を乗り捨てた一寸法師は都の中心部へと足を向けました。あちこちと見て回りましたが、四条通や五条通辺りの賑やかさにはぽかんと口を開けて言葉も出ません。正に田舎から出てきたおのぼりさんです。そうこうしながら一寸法師は、父から名前を聞いたことのある三条の宰相殿という人の所へとやってきました。


「俺の話を聞いてくれ!」


 庭先から呼びかけた一寸法師の声に、これを聞きつけた宰相殿は縁側の端まで出てきて辺りを見回しました。


「はて? 何やら面白い声が聞こえたと思ったが、誰も居らんではないか」


 声はすれども姿は見えず。それもそのはず、一寸法師は以前人に踏み殺されそうになった経験から、そこにあった下駄の下に入り込んで喚いていたのです。宰相殿にそんなことが分かるはずもなく、誰がいるのか庭に下りて見てみようと考えました。


「うわあ、踏むなよ! 踏むなよ!」


 縁側の下に置いてあった下駄に足を入れようとした途端、その下駄の下から叫び声がします。不思議に思った宰相殿が覗き込むと、そこには小さな一寸法師の姿がありました。


「なんじゃ、今のは踏めというフリかの?」


「そんなわけがあるか! 普通の奴ならともかくこの身体だぞ。ぺちゃんこになるわ!」


「何やら面白い奴じゃな」


 宰相殿はそう言って笑い、気に入られた一寸法師はこの家で世話になることになりました。この宰相殿には十歳になる姫君がおられて、これがまた類稀な美少女です。一寸法師は姫君を初めて見た瞬間に恋に落ちました。十歳の美少女に惚れ込んだと言うと何やら怪しげな雰囲気が漂いますが、一寸法師の名誉のために言っておきますと彼自身もまだ十三歳なので特に小児性愛ロリコンという訳ではありません。


 惚れたとは言え、今の一寸法師では結婚どころか相手にもされないのは目に見えています。何せ一寸法師の身体は姫君の小指ほどしかないのですから。それでも一寸法師は諦めるつもりなどさらさらありませんでした。


(俺はまだ成長期のはずだ。もう二、三年もすれば少しは大きくなるに違いない。それにある日突然隠された能力パワーが覚醒して巨大化するとか、いにしえの呪いが解けて元の大きさに戻るとかあるかもしれないじゃないか)


 そんな都合のいい事を妄想しながら、一寸法師は針の刀で剣の修行に励みながら過ごしました。


 こうしてまた年月が過ぎ、一寸法師は十六歳になりました。しかし無情にも背丈は伸びず、相変わらず元のままです。十三歳になった姫君はさらに美しさに磨きがかかっており一寸法師は焦りました。当時の十三歳と言えば、もういつ結婚してもおかしくない年齢なのです。このまま誰とも知れぬ男に姫を掻っ攫われていいのでしょうか? 否、いい筈がありません。


(美少女を手に入れるという至高の目的のためには、全ての手段は正当化されねばならんのだ!)


 一寸法師は考え、そして碌でもないことを思いつきました。気持ち良さそうに昼寝している姫君に近づいて自分の食い扶持として持っているご飯粒を袋から取り出すと、それを姫君の口元に塗りつけたのです。姫君のぷるんと可憐な唇を目の前にして、塗りつけたご飯粒を舐め取ってしまいたい衝動に駆られた一寸法師でしたが、それをぐっとこらえると空になった袋を抱えて大声で泣き始めました。


「一体何事じゃ」


「姫様が、姫様が俺の飯を食っちまったんだよう。うっうっ」


「何じゃと!?」


 声を聞きつけてやってきた宰相殿は一寸法師の言う事に驚いて、そこに寝ていた姫君を見ました。すると確かに姫君の口の端にはご飯粒が付いています。


「何ということじゃ。我が娘とは申せ、こんな盗人を都に置いておく訳にはゆかぬ。手打ちにせなばならん。一寸法師よ、そちも腹が立つじゃろう。許す、そちがやれ」


 宰相殿はそう言って、その役目を一寸法師に申し付けました、というか押し付けました。無茶苦茶な言い様ではありますが、娘とは貴族にとって家族である前に道具なのです。変な癖や傷があっては、嫁に出した時それを先方にどう利用されるか分かりません。実家に迷惑を掛けるようでは困るのです。


 とは言え、宰相殿も人の親ですから、実のところを言えば娘は可愛いのです。しかし、不始末を仕出かした以上、処分を言い渡さないわけにもいかなかったのです。そこで宰相殿はとっさに一寸法師に処分を命じることを思いつきました。一寸法師が姫に惚れていることなど、親の目から見ればバレバレです。その一寸法師に殺せと命ずれば必ず助命を申し出るだろうと考えたのでした。


「私の物が盗られたのですから、この件は私に任せて頂けませんか」


 宰相殿にそう応じつつ、一寸法師は内心快哉を叫びました。これで後は自分の思うままなのです。一方の姫君はというと、こちらは呆然と成り行きを眺めているしかありません。それはそうでしょう。いつものように気持ちよく昼寝していただけなのに、騒ぎに目を覚ましてみれば盗人だ手打ちだ処分だという騒ぎです。姫君の事なのに誰一人姫君本人に話を聞こうとさえしません。この時代の女性の扱いとはこういうものなのでした。


 一寸法師はどんどんと事を進め、姫をもらって一緒にこの家を出ることになりました。早々に都を出て足の向くまま気の向くままに歩いていきます。普通こういう時は男が先に立って歩くものですが、可哀想なことに姫君が先を歩かされています。もっとも、一寸法師が先を歩くと立ち止まった途端に姫君に踏み潰される恐れがあるわけで、無作法ではありますがこれは仕方がないことなのかもしれません。


 一度任せてしまった以上、宰相殿は今さらだめだとも言えません。誰か引き留めてくれないものかと思いますが、今の妻は先妻の子である姫君を疎ましく思っているので止めるどころかお供の女房さえ付けてやってくれませんでした。


「どこへ行ってもいいんだけど、まずは難波の浦へ行こう」


 何気なく言ってはいますが、一寸法師にも思惑がありました。美少女を手に入れたからには、まずは家に戻って見せびらかしてやらねばならないのです。自分を見直すお爺さんとお婆さんを夢想しつつ、姫君と二人で鳥羽の津から出る舟に乗り込みました。


 ところが舟は突然の嵐に巻き込まれ、航路を見失ってどことも知れない妙な島へと着いてしまいました。舟から降りてみたものの、人が住んでいるようには見えません。こんな妙な風が吹き寄せるとはどういうことだと一寸法師が考えていると、人が住んでいるようには見えない島にも係わらず、どこからともなく鬼が二人やってきました。一人は打出の小槌を手にしています。


「ちみっこは食っちまって、女の子はお持ち帰りしようぜ」


 もう一人の鬼はそう言うといきなり一寸法師を摘んで飲み込んでしまいました。ところが一寸法師は鬼の目から脱け出してきます。


「変なやつだな。口を閉じたら目から出てきやがる」


 鬼はそう言ってまた一寸法師を飲み込みますが、やはり目から脱出されてしまいます。何度飲み込んでも抜け出してくる一寸法師に、鬼たちは恐ろしくなってきました。


 元より虫みたいなサイズの一寸法師です。食べたところで腹が膨れるほどでもありませんから、無理に食べようとせずに踏み潰したら終わりじゃないかという気もしないではありません。どうやらこの鬼たちは西洋風ファンタジーでいうところのゴブリンかコボルトくらいの知能レベルのようです。


「こいつぁあ只者ただもんじゃねえ。地獄に勇者が来たみたいじゃねえか。おい、逃げるぞ」


 そう言って鬼たちは持っていた打出の小槌やら鞭やらを放り出すと、極楽浄土の北西、いかにも怪しげな暗い方へと逃げ出しました。逃げていく鬼を見送った一寸法師はその場に残された打出の小槌に気が付きました。打出の小槌とはそれを手にした者の願いを叶えてくれる、元は神様の持ち物とも言われる宝物なのです。


「おお、これに願えば背の高さなんぞ思いのままじゃないか」


 これで長年のコンプレックスからも解消されて、姫をの意味で女房にすることもできます。喜び勇んだ一寸法師は早速それを拾おうとしました。しかし、いかに小槌とは言え一寸しかない法師から見ると身の丈の数倍ほどもあり、とてもではありませんが持ち上げられません。一寸法師は傍らに立つ姫を振り返りました。


「姫。この打出の小槌を振って、俺の背が大きくなるよう願ってくれ」


「分かりました」


 姫君は微笑んで頷くと打出の小槌を拾い上げました。これまでの道中ずっと、諦めたように俯いてばかりだった姫君が初めて笑みを浮かべたのです。しかし、背が伸びるという喜びに舞い上がっていた一寸法師は、姫君の微笑みが何を意味するのかに気付くことができませんでした。


 姫君は手にした小槌を掲げます。


「打出の小槌よ、一寸法師を私に、私を誰にも負けない偉丈夫たる一寸法師にしてください」


「えっ、なにを!? うわっ!」


 願いと共に振り下ろされた打出の小槌からまばゆい光があふれて二人を包み、目がくらんだ一寸法師は思わず目を閉じました。

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