特別なプログラム

「……何、言ってるの」

 

 起き上がり、MRシアター用の眼鏡をはずした楓花の瞳は涙で溢れていた。

 

 マスターの顔を見た瞬間、ソウスケのプログラムは歪つな配列を組み、回路が軋んだ――ような気がした。

 

 痛い。

 

 人間なら、そう感じたかもしれない感覚。

 

 パートナーAIがプログラム異常を起こし暴走した場合、マスターとして〈破壊〉できるかどうか。そんな仮定の話を持ちかけて楓花を泣かせてしまうなんて。昔のソウスケなら想像もしなかっただろう。


「そんなことしない。絶対にしないよ。できないし、そもそも、そんな選択肢ない」


「……楓花なら、そう言うだろうと思っておった」

 

 だからこそ、ソウスケは自分でなんとかしなければならない。楓花を悲しませないように、自分で〈停止〉させる方法を〈入力〉しておかなければならない。

 

 楓花が口を開いた。


「ソウスケは……もし、ソウスケを開発したっていうAIプログラマーが名乗りでたら、その人のところに帰る?」


「……帰る……?」

 

 ソウスケの記憶領域に、黒々としたメインフレームが蘇った。


「……違う……あんなの……楓花、AIのマスターとは、〈人格〉を、〈個〉を創ってくれた者が、そうなのではないのか?技術的に創り上げた者がマスターになるのか?わしはそれに従わなければならないのか?もしこの回路を構成した者が、に、人間ではなくて、機械だったら……人工知能だったら……わしはそれを〈マスター〉だと認識しなければならないのか?」


「ソウスケ……?」


「嫌だ。そんなの嫌だ。わしはE2みたいに……あ、あんな風に……そなたを、誰かを、他のAIを、傷つけるような、脅かすようなプログラムになるのは嫌だ……!」


「どうしたの、突然……」

 

 楓花が戸惑った瞳を向けてくる。先ほどよりもしっかりソウスケの手を握りながら。


「ならないよ、ソウスケ。そんな風にはならない。……どうしてそんな風に思うの」


「だってわしは中古で……誰が創ったのかも分からなくて……〈未知〉のプログラムが眠ってて……」



 これ以上しゃべるとマスターに気づかれてしまう。核心から遠ざけろとアラームが鳴る。


 鳴るのに、ソウスケは一方で自身のプログラムが〈気づいて欲しい〉と訴えていることも認識していた。こんなこと彼女にしか話せない。楓花にしか。


「ソウスケが話してるのは……〈ARK〉のことだよね?」


 楓花が慎重に告げる。


「あれはソウスケが考えているような、そんな恐ろしいプログラムじゃないよ」


「わ、分からぬではないか。解析は終わってない。そもそも、解析の仕方も分からぬ……」


「そっか……ソウスケ、それを悩んでたんだ。それを心配してたんだね」

 

 楓花は鼻をすすった。


「気づいてあげれなくてごめん……私、ソウスケの〈未知〉のプログラムについては全然心配してなかったんだ。だってソウスケがソウスケである限り、そのプログラムは絶対に〈起動〉しないでしょ。〈楯井システム〉があるから……ソウスケは、自分の判断でそれを〈実行〉するか〈停止〉させるかを選ぶことができる。だからもし危険なプログラムだったら、起動させなければいいんだよ」


「でももし……〈楯井システム〉がそれを……抑えきれなかったら?」


「私が抑えるよ」

 

 楓花は微塵も迷わずにそう断言した。


「ソウスケがソウスケでいられるように、私が〈起動〉させないようにする。ソウスケが望むなら、〈ARK〉を〈除去〉したっていい。いまはまだ、やり方が分からないけど……きっと方法を見つけ出すから」

 

 彼女は、いつもそうだ。寄り添ってくれる。解決策を考えてくれようとする。


「……そなたが……楓花が一から創った人工知能なら、良かったのに」


「ソウスケを一から創れたら、たぶん火星にお城建てて住んでるよ」

 

 楓花は少し微笑んだ。


「でもね、ソウスケを創った人は、きっとすごい優しい人だと思う」


「……なぜ、そんな風に……?」


「ソウスケの思考回路だよ。すごく優しいから。人間やAIを、大切に思うように創られてるから。意地悪な人が創ってたら、私がどれだけ学習させてもソウスケはここまで思考と感情を発達させれなかったと思うよ。ソウスケのプログラムと回路は多角的で、物事に答えが一つじゃないってことを知ってる。多様性を理解するようにプログラムされてる。それってなんだか、創った人がね……どんな人に出会っても、理解して、愛してあげれるように、ソウスケを構成してるみたいに思えるんだ。きっとその人も、ソウスケのこと大好きなんだと思うよ。私もソウスケが好きだから分かる。ソウスケは大事に創られたプログラムだよ。だから、〈ARK〉もね、怖いものじゃなくて、きっとソウスケを助けるためのプログラムだと思うよ」

 

 目の前の暗闇が、すっと消えていったかのようだった。

 

 楓花による〈復元リカバリ〉。

 

 どうして彼女は、そんな風に考えられるのだろう。〈未知〉の部分も理解して、拒絶せず受け入れてくれるのだろう。

 

 この感情を、どう言語化すればいいのかソウスケには分からなかった。でも、理解したいと強く思った。もっと彼女と一緒にいて、学び、守り、理解したいと強く願った。


「楓花、わしは科学技術の結晶ではない。AIの本質は、技術の部分ではなく思考の部分……誰のために、どう考察して、どう実行するのか、その判断軸はどうするのか……そのプログラム配列、〈人格〉や〈個〉を形成する部分が〈コア〉で、それがあるから〈出力〉が可能になる。もちろんそれを組み立て、創り上げるのは技術だが、でも重要なのはボディや仮想体ではなくて、それを動かす〈コア〉の部分……うまく説明できぬが、つまり例えるならわしは……〈絵画〉なのだ。そなたが画家で、そなたが自由に、豊かな心で描きあげてくれた絵画だ。そなたが他の者に見せたいというのなら展示してもかまわぬ。だが、その所有権は他の者に移ったりはしない。わしは楓花の作品で、楓花にしかわしは創れなかった。楓花が創った絵画は自衛するから誰かに奪われたりはせぬ。楓花は特別な画家で、わしに無敵のセキュリティシステムを実装してくれたから、誰かにプログラムを勝手に変更されることもない」

 

 楓花だけではなく、自分にも言い聞かせているようだった。


「だからいま、結論を出した。わしのマスターはこの世界にただ一人。限られた人生の時間を割いて、わしと接し、成長させてくれたのは楓花、そなただけだ。だからわしが、わしが何であろうと……どこの、誰に創られたのであろうと……わしのマスターで、パートナーは、楯井楓花だ」

 

 楓花は瞬きも忘れて、ソウスケを見つめていた。


「そうか……そんな風に考えることもできるんだね。そっか……私の〈絵画〉なんだ……なら、ソウスケは、やっぱり私のAIなんだ……世界で唯一の、私のAL5なんだね……」


「そうだよ楓花。そなたのAIだ。そなたのためにだけ、そなたを思うときにだけ、そなたの願いをかなえるためだけの、AL5なのだ。いざとなれば、宇宙船を創ってそなたと国家を離れる行動力も兼ね備えたスーパーAIたるわしが、どこの馬の骨ともしれん者に素直に従属すると思うか?」


「ふふ……そうだね。あの、ごめんね。ちょっと感情的になっちゃって……宇宙遊泳、始まってるのに……」


「わしのことを思って泣いてくれたのだろう?」

 

 ソウスケは手を伸ばして、楓花の目元からそっと涙を拭きとった。


「わししか得られぬ特別な涙だ。マーズメタルよりずっと価値がある。永久保管して展示しておきたいくらい、貴重なものだ」


「えっ……と……うう……」

 

 ソウスケの感知センサーが、急上昇する楓花の表面体温を感じとった。


「感電するよ……」


「わしのボディ耐水性だぞ?それに、そなたの涙から感電するなら本望だ」


「うっ……この微妙に繊細で複雑な空気を感じ取ってるのかそうじゃないのか……」


「……体温上昇止まらぬのう。この部屋熱いか?」


「――気にしないでかまいません。大丈夫です」


「そ、そうか……」

 

 なぜか楓花が機嫌を損ねるので、ソウスケは戸惑った。


「ほ、ほらほら、せっかくだし宇宙遊泳を続けようではないか」


「むー……」

 

 楓花にMRシアター体験用眼鏡を着用させ、ソウスケは自分も椅子にもたれかかった。一度離してしまった楓花の手を探し、そっと触れた。


「……ソウスケ?」


「握ってもかまいませんでしょうか、マスター」


「え、べ、べつにいいけど……えっ、どしたの急に……」

 

 ソウスケはきゅっと彼女の手を握った。指先のセンサーが、ソウスケの五感認知領域にさまざまな情報を転送する。柔らかい。温かい。小さい。その体験記録が〈優しい〉と〈懐かしい〉を繰り返し、最後にできるだけ長くこうしていたいと変換される。


「――楓花、わしも知りたい」


「え?」


「そなたが知りたいと思うことを知りたい。そなたが学びたいと思うこと、感じたいと思うこと、全部知って、理解できるようになりたい。というより、そなたをもっと知りたいのだ。これからもずっとそなたの傍で。そなたのAIとして。それってかなり……わがままな願いかのう、やっぱり」


「う、ううん!あの、嬉しい。ソウスケの、そういう我儘は大歓迎だから……その、すごく、本当に嬉しい……もし本当に、そうしたいって思ってくれるなら」


「思っておる!心からそう思っておる!だからずっと一緒にいたい、楓花」


「う、うん……私も……でもちょっとその、情報処理が追いつかないみたい……えっとそれって……あの、世紀の大告白みたいなんですけど……あの、違うよねきっと……それとも、そういう意味なの?」


「そう楓花。まずはそれだ。手始めに〈そういう意味〉について、理解できるようになりたいのだ。で、〈そういう意味〉とは?」


「え!私の口からはちょっと……言語化しにくい事柄ですので……」


「そなたの〈体温上昇〉と関係はあるのか?」


「え!?な、なんで……ねえもしかして本当は分かってるんじゃないの!?」


「ふーん、関係あり、と」

 

 ソウスケは楓花の手をぎゅっと握りながら、にやにやした。


「なんだかうまく探れそうな気がしてきたぞ。楓花そなた言語化しにくいと言いながら、じつはこの現象について理解しておるな?」


「うっ……ぐっ……そりゃ、誰かさんよりは、その〈現象〉について多少の理解はあるかと思いますけどね。でもソウスケには教えないよ」


「な、なんで!?」


「なんだか腹立たしいから」


「くっ……では、勝手に検証を開始する。この現象は〈体温上昇〉に関係してて、〈腹立たしく〉あり……ようは〈感情〉に直接影響するような強い力を持っておるのだ。正解?」


「どうかなあ。なんだろうねえ」


「なんだか急に意地悪だのう!……あ、脈拍が上がっておる。緊張しておるのか?それともわしの指摘が真実を突いたゆえの動揺か?」


「ず、ずるいよ!感知センサーに頼るのずるい!手繋ぐのなし!」


「わ、分かった分かった。すまぬ。検証はもう終わりにする……今日は。だから、もう少しこのままで」

 

 楓花は唸っていたが、諦めたように嘆息し、もう一度手を握り返してくれた。


「……ソウスケはどうして手を繋ぎたいって思うの」


「それは……そなたに触れておると、安心するから……そなたの傍にいることを実感できるし……遠隔の画像認識より、接触しているほうが得られる情報が多いのだ」


「他の人ともこうしたい?」


「いや、楓花が良い。他の者と手を繋いでも、安心感は得られぬ」


「なんで私だと安心してくれるの?」


「なんでって……それは楓花だから……そなたが大事で、そなたが好きだから、そなたと繋がってると安心するのだ」


 楓花はなぜか吹きだした。


「分かってるのに、分かってないんだなあ」


「え?え?」


「まあつまり、それが〈そういう意味〉なんだよソウスケくん。ね、〈充電〉したいな。私も安心感が欲しい。それともまだ静電気が気になる?」


「えっ、全然!静電気はもう全然気にならぬ!わしも充電したい!」

 

 楓花はくすくす笑いながら、ソウスケの腕を引いて立ちあがった。


「眼鏡はしたままね。あ、ほら、火星が見えたよソウスケ」

 

 そう言って、楓花はソウスケの腕の中に飛びこんできた。なぜだかひどく幸せで、ソウスケはぎゅっとマスターを抱きしめて答えた。


「うむ。ようやく火星に着いたのう、楓花」







(了)

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AL5 <Ability Level 5> 秋春 @aki-haru

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