人身売買のサンタさん

杓井写楽

第1話

私がその家に派遣されたのは一昨年の12月の半ばで、その所為か今でも、その家の子の、その年のクリスマスの様子が印象に残っている。彼は9歳にしてサンタさんを信じていなかったのだけれど、彼がちっこい体でちっこい顔で、クリスマスには何も期待していません、というそぶりをしているのを見ていたら、大人としてなんとなく、意地になって、嬉しい顔させたくなったものだった。大したことはできないけれど、クリスマスのお菓子をこっそりお部屋に置いておくとか、些細な、本当に些細なクリスマスらしいことでも、しておいたら、次の日とても嬉しそうにしていた。そして不器用ながら、嬉しさをむずむずと表した彼を見て、はじめて安堵したのを覚えている。彼は名前を国丸といった。私はその時を境に国丸さん、と彼を呼んでいる。その次の日に彼が、やっと名乗ったからだった。「国丸が自分から名乗るまで、名前を呼ばないでやってください、変わった子で、本人の希望なんです。」母親からは事前に、そう言われていた。母子家庭の子供らしいといえばいらしい、甘える訳にはいきませんといった振る舞いと、時に垣間見える頑固すぎるほど几帳面な振る舞いが彼の性格をよく表している。彼は常に綿の手袋をしていた。潔癖症でもあるらしかった。彼の母親は、契約前、一度国丸さんを連れて、会社を訪問した。「子供がハウスキーパーさんといつもうまくいかないみたいで、今度はちゃんとお会いしてから契約しようと思って」「家の中に知らない人がいるのが嫌だって言うんですけれど、仕事柄、どうしてもお願いしたいんです。」彼はその時、席に着かずに、母親がかけている椅子の後ろに落ち着きなく隠れていた。おかけなさいな、お行儀悪い、と注意されながら、ギラギラとした上目遣いで、たえず私の方を伺っていた。彼は11歳になった今でも、時々この顔をする。むううという効果音を付けたくなる、頑固そうな、言いたいことが胸でぐるぐると彼を押し付けているような顔をする。そんな様子ではじまりはしたが、彼は数ヶ月もすれば彼なりに私に慣れた。それなりにお話できるようになったころ、彼は私を自ら、「サンタさん、私にはこない」と言った。夏にさしかかろうという頃だった。彼はサンタさんを信じていないわけではなかった。私は今年のクリスマスにも、ここにいたいと思った。



/



午後のはじめの仕事中、県さんから、国丸さんを迎えに行ってほしいと電話があったことがある。「学校でちょっとした喧嘩したらしくって、迎えに行ってやってくださいませんか」と。学校は小学校にしては彼の自宅から遠い。電車で何駅も乗り換えた先にある国立の小学校で、幼稚舎からエスカレーター、中等部へもエスカレーターだという。幼稚舎はまたひと駅ほど離れたところにあるらしく、小中学校合わせた分の大きなグラウンドに面して、初等部と中等部のそれぞれの校舎が隣接して建てられていた。国丸さんは保健室にいた。養護教諭によると、もう仲直りは担任の先生を仲介にして済ませたとのことだったが、突き飛ばされた拍子に頭を打ち、たんこぶを作ったようなので一応病院へ行ってくださいとのことだった。彼は貰った保冷剤で頭を冷やしながら、時々するように俯いてむっとしていた。学校生活の中にいる制服の国丸さんは、なんだかいつもより萎縮して見えた。私の車に国丸さんを乗せたのは、その時が初めてだった。国丸さんは結局、病院へ行くまでも、診察が終わっても、何も話さなかった。診断は特に問題ないようだった。少なくともあと24時間は安静に、目を離さず、変化があり次第またすぐ来てください、とのことだった。国丸さんは目を合わせず、何も話さずではあったが、その病院がたまたま私が幼少期利用していた病院だったので、私から話す分には話題に事欠かなかった。「ここの眼科で始めて眼鏡かけなきゃならないって診断されたんですよ」「待合室のピアノの自動演奏、おばけが弾いてるって本気で思ってた」「この売店でいつもキャラメル買ってもらってたんです」病院のにしては手狭で、物の少ない古びた売店で、何か欲しいものないですか、と国丸さんに声をかけても、彼は声で返事はしなかった。先程私が買ってもらっていたと言ったキャラメルをまっすぐに手にとって、私に渡し、先に待合室のソファに歩いて行った。支払いが終わって国丸さんの横に座りキャラメルを渡しても、国丸さんは私の方を見なかった。その日彼がはじめて発した言葉は、キャラメルを私に突き返して発した「あけて」だった。ビニールの包みを開けて、小包装の紙を剥がして、彼に茶色いキャラメルを手渡して、私もひとつの包みを剥がして自分の口に咥えた。彼は包み紙を丁寧に折りたたんでキャラメルの箱に仕舞っていた。私にはだんまりしている彼がなんだかとても楽しそうにも見えたし、気まずそうにも見えた。帰りの車の中で、国丸さんは「喧嘩、したの、どう思う」と言った。私は、国丸さんのことみんな、別に大事にしてくれたり、味方してくれたり、するわけじゃないんでしょう。じゃあ、別に、殴るくらいしてもいいんじゃないですか。私は、国丸さんくらいのとき、そうしていたけれど。と言った。国丸さんが大きなお怪我するのは嫌だから、身は上手に守ってください。持ち帰れそうな問題なら持ち帰ってきてください。私にも考えさせてください。とも言った。彼はキャラメルの箱を、カバンにしまわずにずっと白手袋の手に持って、窓の外を見ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る