第2話

国丸さんが、「飯沼は、何か欲しいものないの」と私に問うた。誕生日が近いでもないし、何か他に当てはまる祝日や記念日があるでもない。リビングで宿題をしている国丸さんのお側にいる時だった。国丸さんはクッションをお座布団にして(県さんはこれを嫌がるのだけれど)ローテーブルに向かっていて、私はその後ろでソファにかけて、彼の宿題を見ていた。私は少し考えて、国丸さんの書かれたお手紙をいただきたいです。と答えた。けれど彼は、むうっとした顔をして、「手紙じゃ、いけない。物をあげたい」と言った。ますます何故今なのかわからなかった。けれどなんのプレゼントかを尋ねるのもなんとなく野暮な気がしたので、最近甘いもの食べてなくて。お菓子がいいです。と答えた。国丸さんは国語のドリルから目を離さずに、「明日買いに行って、明後日か、明々後日の朝にリビングの机の上に、置いとくから、貰ってください。」と言った。手作りされたりは?と聞くと、少し手を止めて、今度はむっとせず、「それじゃいけないの」と言った。いつもより強い筆圧で、ドリルに鉛筆の線が刻まれていた。2日後、お二人が出掛けた後のリビングのテーブルには、国丸さんが私にくださったであろうお菓子があった。包みからよく見栄えがする。高級な和菓子のようだった。国丸さんがひとりでそれを選んだのを想像するのが難しかったので、県さんと選んだのかもしれないと思ったけれど、彼がお母さんにそういう助力を仰ぐところを想像するのも、同じくらい難しかった。そのプレゼントには、他の、次の、ほしいものを尋ねる文面のメモがのせてあった。私ははじめの時点で気付くべきだったのだけれど、国丸さんは、別に私にまつわる記念日だから、プレゼントをしてくださったのではなかった。「あなたを好ましく思うから、ずっと側にいてほしい」と伝える方法は、物品や金銭を贈る以外にないと、国丸さんはお思いなのかもしれない。中学生の頃にいた、自称親友に嬉々として学食を奢り続けていたお金持ちの女の子を思い出した。充分に誰かに甘えられずにある程度成長した者は、甘えて好かれることを知らないから、目に見える物以外で人を繋ぎ止める術を、選択肢として選べないんじゃないだろうか。加えて国丸さんには、母親に潤沢なお小遣いに加えネットショッピングの知識まで与えられている分の危うさがある。将来、恋人にならまだしも、友達にこういうことするようになってしまっては、国丸さんが本当に大事にしたいと思う人間関係から崩れていってしまうかもしれない。きちんと、お話をしなければならないなと思いながら、彼なりに私に好意を示したその心中を、嬉しく思っていた。加えて、素直にプレゼントのセンスに感心してもいた。国丸さんはもともと大人びたところがあるけれど、これを選べるんだったら尚更、学校の同年代の子と話していても、つまらないんじゃないだろうか。みんなとは違うことを考えてしまって、ここにいる必要はない、と一歩引いたところから、友達を眺めてしまうんじゃないだろうか。私には、自分の小学生の頃や中学生の頃を思い出して、彼と自分とを、重ねて見てしまう節があった。


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国丸さんが帰ってきてすぐ、プレゼントのお礼を申し上げたいのと、是非一緒にいただきたいので、と彼を呼んだ。学校指定の焦げ茶色のランドセルを置いて、リビングに顔をのぞかせた彼は、一目でわかるほどにそわそわとしていた。表情が、喜んでくれたかなあ、と言ってるみたいで、あまりに健気で可愛らしい、いじらしい様子に私の方が耐えられなくなって、おいでおいでをした。ソファに国丸さんを進めて、プレゼントとお茶の支度を運んで、彼の横に並んで腰掛けた。真横に並ぶと国丸さんが、一段と小さく思える。「私はいい、私のも、飯沼が全部食べて」国丸さんは少し日に焼けた膝小僧のあたりでもじもじとさせていた手袋の両手をテーブルの上に差し出して、お皿を私にずずずと差し出した。それは果実がまるまる使われた和菓子で、大人が少し目上の方に贈り物をする際に選ぶとちょうどいいような、華やかなものだった。国丸さんに、とても美味しいし、貴方からの贈り物だからこそ、本当に嬉しい、その心をなるべくまっすぐ伝えて、ひとりで選んだのかを尋ねると、彼は照れ臭そうに頷いて、少し脚をもぞもぞとさせた。定期の圏内にある県下で最大の繁華街のややこしい商店街の一角にある老舗の和菓子店に、学校帰りにわざわざ買いに行ってくださったという。

「そちらの、国丸さんがくださった分、お母さんに差し上げたらどうです。すごく喜ばれると思いますよ」

「母はいい。母の日とか、誕生日は、いつもお花をあげるから」

私が彼くらいの頃、こんなにマメに、大事な人にお礼を表す心なんて、ただのいっぺんも持ち合わせていなかった。くださった国丸さんの分は、国丸さんの宿題が終わってからまた後でいただくことになった。私にはお茶とお菓子をゆっくりいただいて、こうして息をつくことが、ここしばらくなかった。こうしてみてやっと気がつくものだった。感謝と、親愛で、自然と真横の彼を撫でようと手が伸びて、けれど、触れても構わないのか、今まで一度も触れたことがないから、わからないことに気がついて、手を引っ込める訳にもいかず、そのまま、「なでなでしても、いいですか?」と尋ねた。「いいですよ。」と彼は言った。彼は目を強く、ぎゅっと閉じていた。私は柔らかい髪が絡まないように、髪の流れる方向の通りに、ゆっくりと、はじめて彼を撫でた。彼はもう目をぎゅっとはしていなかったけれど、目を開いてもいなかった。私は、お話しなくてはいけないことがあってこうして国丸さんはといるくせに、いざお話ししようという段になると、何を言うべきではないか、わからない。撫でられ慣れていない国丸さんの、震えるまつげを見つめながら、こんなにまっすぐな気持ちで贈り物をくださる心の美しさを守ってほしいと、隠してでもいいから、少しずつ、大事に使ってほしいと、ただ願うしか、できなかった。

「もし国丸さんが私にプレゼントをしなくても、いや、もしも、国丸さんが私から何かをいっぱい奪ったって、私はどこにも行きません。」

私はそれだけしか言えなかった。それで何が彼に伝わったかもわからなかった。彼は返事をしなかったけれど、撫でるのをやめると、「やめなくてもいい」と言った。


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「まあ、てっきり飯沼さんのお誕生日なんだと。」

もう、勘違いしちゃったじゃない。と県さんに言われて、国丸さんはなんとなくバツが悪いような顔をしていた。県さんのお仕事からのお帰りと、私の退勤がほぼ同じタイミングなので、県さんとは玄関でお話しすることが多い。県さんは私に用意していたというプレゼントを「渡したいんでしょ?飯沼さんにどうぞして頂戴」と言って国丸さんに差し出した。国丸さんは大人しく紙袋を受け取って、それを私にくださった。この辺りで有名な精肉店の牛肉と豚肉の詰め合わせと、コロッケだった。

「この子、飯沼さんのことやたらとお気に入りみたいで、すごく助かってるの。これからもお願いしますね。勘違いで買っちゃったものだけれど、その気持ちとして受け取ってくだされば結構です。」

そう言ってくださった県さんの隣とも言えない隣に、国丸さんは控えるみたいに引っ込んで、言いたいことがありそうな顔をしていた。いよいよ帰るという時に、国丸さんは駆け寄ってきて、私の持つ紙袋をひっぱって、その中に一枚の紙を入れた。「飯沼、また明日」とも言ってくださった。メモを手渡さず紙袋に入れたのは、「帰ってから読んで」という意味に思えたので、私は帰宅後にそれを拝見した。国丸さんを撫でたあの後、お部屋におりますと言ってひとりになっていらしたので、その時に書いてくださったのだろう。


「されて嬉しいことや、してほしいことをまた教えてください。

撫でてくれて嬉しかったです

また明日」

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