第3話

親元を離れて通っていた2校目の大学を中退して、殆ど同じ時期、元々片方だった親が死んでしまって、もう、実家に戻って、すぐ近くの老人ホームかなにかで働こうと思っていた矢先に、とあるコネと縁で繋がった会社がここだった。広告宣伝を一切行わずにそこそこのお家ばかり相手にしている老舗の、家事代行と、ベビーシッターサービスの業者だった。運営陣の、要するに大卒の正社員入社試験がかなり難しいらしい、と実務の先輩の女性が噂していたけれど、私達には関係のない話だった。我々実務の殆どがコネ入社だそうだから。社長が社長の人脈で直々にとってくる仕事が多いので、実務の作業員だけは、社長が直接人柄や生い立ちをまあまあ把握しているような、要するに知り合いとか、知り合いの知り合い、を積極的に使っているのだと聞いた。私は、使っていただいた際に飛び抜けていい評判があるというわけではないけれど、男性の作業員を強く希望されるお客様が一定数いるので、便利使いはされている。これも、実務の先輩の女性が噂していた。私が雇われてすぐの頃は、作業員の方に、つい先日まで学生だった男が入ってきたのが珍しかったらしく、受ける部署を間違えたのか、とよくからかわれた。社長が私を県さんに紹介して、県さんのお家に雇われることが決まって直ぐに提示された、1日5時間週6回というその時間量と、駐車場お貸しできますからお車でどうぞとか、仕事道具についてとかをテキパキと提案されたのとで、県さんに対して、この方も、慣れたもんだな、何人取っ替え引っ替え雇ってきたんだろう、と不安に思った記憶がある。とりあえずは馴染んで、国丸さんをよろしく、ともいいつかって少し、それなりの期間勤めてわかったことは、ここは独特の、一種浮世離れしたとも言えるペースに守られたお家だということだった。私が、国丸さんを、男の子ではあるけれどお姫様のようだと感じるのは、そのせいかもしれない。県さんはそんな国丸さんを心配していらっしゃった。「あの子は文句も言わないし、反抗期も来なさそうだし、赤ちゃんと時から、おしゃぶり咥えさせれば直ぐ泣き止むし、手がかからなすぎる。物分かりが良すぎて、張り合いがない」と言ったことを漏らしていらした。クールなお母さんだと初めは思っていたけれど、県さんは、国丸さんのことをとても心配されている。愛していらっしゃる。ただ、それをおくびには出さない。

「私は褒められた母親じゃありませんし、詮索されたくないことや有難いご助言の頂きたくないことだらけですから。特に子育てについて……そういうところを、目線だけでさりげなく叱責してくるような、女らしい女のお手伝いさんとかが、時々本当に、嫌になっちゃうの。あなたって、生い立ちとかもそう褒められたもんじゃないし、かえって丁度いいのよ。いろいろとね。悪く思わないでね、褒めてるのよ。」


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国丸さんが迷子になったことがある。もう11歳で大きいので、迷子というか、単にはぐれただけと言った方が、失礼じゃないのかもしれない。県さんのお車が修理に出ている関係で、2、3日私が国丸さんと共にお仕事場にお迎えにあがる日が続いたのだが、その最終日、お迎えにあがるついでに、お仕事場の近くのショッピングモールで国丸さんと時間を潰すことにしていた。その日に私は国丸さんを見失ってしまった。私がショッピングセンターのインフォメーションに頼んで国丸さんをお呼びするアナウンスをしていただいたことで最終的には無事出会えたのだけれど、国丸さんは、インフォメーションセンターの前に来てくださった時点で、私に今まで一度もしたことのない怖いお顔をされていた。少し、びっくりしてしまうくらいの。ごめんなさい、国丸さん。と言うと、国丸さんは、私の袖の端を掴んで、引っ張った。

「私、飯沼の下のお名前を知りませんよ。」

国丸さんは、いつもする、むう、という顔を、もっと強くしたお顔をしていた。それは迷子になったからではないのかもしれない。自惚れかもしれないけれど、私が、私の名をお伝えしていなかったから、「なんで私が、飯沼のそんな大事なこと知らないんだ」って言っているのかもしれない。

「飯沼清と申します。清いって書いて、そのまま、きよです。」

私が名乗ると国丸さんは、裾を掴む手をもう一度ぐい、と引っ張って、「私は、県国丸です。知ってるって、わかってるけど」と言った。彼もインフォメーションセンターで私を呼び出そうとしたそうなのだけれど、私のお名前を知らないことに気がついて、お名前も知らない人を、呼び出すことがおかしいことなのか、そうでないのかわからなくなった途端、それ以外のいろいろなことも一気にわからなくなって、何もできなくなったそうだった。

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