マール・ヴェールの誓い・5


 道は続くよ どこどこまでも

 はるか遠くの知らないところへ 

 道は私をいざなうよ 

 いったいどこへと行くのやら


 のどかな昼下がり、馬車はカタカタいいながら、街道を進んでいた。

 馬車馬の耳が、くるりとこちらを向いているのは、歌を聴いているから、らしい。まるで歌声に合わせるかのように、首を上下させながら、馬車を引いている。

 出発の時、エリザは初めて村を出る緊張と、ジュエルに対する不安で、心が落ちつかなかった。

 しかし、今は、どうしてこのような旅路になってしまったのか? これでいいのだろうか? と、悩まずにはいられない。むしろ、目下の心配事は、そちらが主流になっていた。

 思わず、このような戯れは……と言いかけて、押し黙る。道連れができたことは、たしかに心強いし、歌も聴いていて心地よい。

 だが……。


 リューマの市に、一般人とかわらない服装で最高神官が現れた時、エリザは飛び上がらんばかりに驚いた。しかも、あの美しくて長い髪がない。最高神官には切る事を禁じられている、あの銀の髪だ。

 そんな見送りがあってもいいのやら? エリザは動揺した。

 それでも、薬品を売ったお金をそのまま渡し、リューマの気のいい商人にコーネまで運んでもらうことになった。そこまではいい。

「サリサ・メル様、今までお世話になりました。エリザは、あなた様のことを決して忘れません」

 エリザは深く頭を下げた。ムテから遠く離れ、何の守りもないところに身を置くのは、ムテの女にしてみれば恐ろしいことだった。

 ましてや、最高神官のもとに巫女として仕えた身。癒しの巫女の地位を棄てて去ってゆくのだ。わがままとはいえ、最後に祝福してもらいたかった。最高神官の祈りが、エリザにとっては護符になるであろう。

 しかし、頼みの最高神官はクスクス笑うだけだった。エリザが、不思議そうに顔を上げると、サリサ・メルはけろりと言ってのけたのだ。

「決して……忘れられては困ります。私もついて行くことにしましたから」

「は……はあ?」

 エリザは耳を疑った。

「前にも言ったでしょう? 私にとってもジュエルは子供。ですから、私も一緒に行きます」

 そういうと、サリサは短くなってしまった銀髪を揺らして、エリザよりも先に馬車へと乗りこんでしまった。

「二人は困るよ! わしの馬車は一頭立てだから、二人も乗せたらばてちまうよ」

 嫌そうな声を上げる商人に、サリサはにっこりと微笑んだ。

「大丈夫、私が馬を元気にする歌を歌ってあげる。それに、あなたも元気になれますよ」

 リズムをとるように、サリサは金の入った袋を鳴らせた。ズッシリと重そうな袋を見て、商人は目を輝かせた。


 ムテの神官は、強い魔力を持っている。

 癒しの力が歌に乗って解放されてゆく。馬車が快適に進むのも、商人が楽しそうなのもその力ゆえだった。もっとも、商人の方は金の力も大きかったが……。

 恐ろしい不安から解放されていたという点では、エリザもまた、ある意味で癒されていたのだろう。


 エリザは、サリサの横顔を見ていた。

 ジュエルの行方についてまったくあてのない、不安な旅だというのに、サリサは楽しそうにも見えて、エリザは拍子抜けしていた。

 その上、彼が置き去りにした地位というものは、はっきりいって個人の身勝手で自由にされては困るものだった。ムテの守りがかかっているのだ。

「このようなわがままに付き合って……。いったいご自分の身をどう考えていらっしゃるの? ……と、いいたいのでしょう? エリザ」

 見つめられているのに気がついて、クスクス笑いながら、サリサは言った。一瞬、面食らってしまったが、エリザは目線をそらして肯定した。

「ええ、その通りです。私は、最高神官がいなくなったムテの守りが不安です。私ごときにお付き合いいただくなんて、申し訳なくてたまりません」

「見くびってはなりませんよ、エリザ。私の力はあなたが思っている以上に強大なのです。山にいなくても……おそらく変わりない仕事が出来ます」


 それは、寿命の浪費――ではなかろうか?


 巫女姫として霊山にいたエリザには、ますますもって、信じがたい。すぐにも引き返して欲しいくらいだった。

「わかりません。なぜ、私ごときのために、そのような無理をなさるのです」

 エリザは再びサリサを見つめた。サリサは、もう笑ってはいなかった。

「……私ごとき……ですか?」

 サリサはつぶやいた。

「エリザ、私はこの十数年というもの、最高神官として生きてきました。ひたすら、祈る毎日です。最高神官に自分の意思はありません」

 風が、サリサの短くなった髪を巻き上げた。

 すっと払おうとして、手応えのなさに手は半分空を切った。それでも長年していたことはやめられないのか、彼は髪飾りを前髪に止めた。

「それで、少し思ったのですよ。長い寿命の半分くらい、自分のやりたいことで消費しても、天罰は下らないだろうってね。……そう祈ったら、星がきれいだった」

 エリザは呆れて目を見開いた。

 晴れてさえいれば、いつだって星はきれいなのだ。とても、星の神様が最高神官に旅立ちを許可した……とは思いがたい。


 だが……。


 エリザは、とてもサリサを振り切って行く事ができなかった。

 旅は、とても恐ろしい。

 正直、一人だったら、とても恐い。今、この馬車に乗っているのが二人でよかったと、素直に思ってしまう。


 ほんの少し、ずるくて弱虫かもしれないけれど……。

 一人でできない事も、きっと二人なら乗り越えられる。


 ――旅は、始まったばかりだ。




=マール・ヴェールの誓い/終わり=


【銀のムテ人】第四幕了・結


*『漆黒のジュエル』に続く

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銀のムテ人 =第四幕・下= わたなべ りえ @riehime

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