峠の茶屋で会ったが百年目

くにたりん

一話完結

「ヤヨイ姉様、あの茶屋で一休みいたしましょう」


「そうねえ。あらあら、殿方がいっぱいじゃないの〜」


 これは、わたくしたち姉妹がヌシ様に身も心も捧げることを決める前のお話。今、思い出しても胸のときめきが止まらなくなるほど、それはそれは素敵な出会いでした。


 当時、貴族たちの宴や神社で舞や歌を披露しながら日銭を稼ぎ、細々と諸国を漫遊しておりました。道中は物の怪に盗賊、色々と障害は付き物でしたが、わたくしたち姉妹には何ら問題ではありません。


 そうそう、ヌシ様にお会いするまでは、ユリアお姉様の名前はヤヨイ、わたくしウララはムラサキと名乗っておりましたので、お間違いなく。


 さあ、始めましょうか。


 とろけそうに甘くて切ない一夜を盛り上げるためには、準備というものがありますので。


「まあ、お席はいっぱいだわ。どうしましょう、ムラサキ」


 もう少しで京の町という最後の休憩所をやっと見つけたというのに、同じ様に一服するための人たちで峠の茶屋は満席。


 お姉様は「諦めましょう」と言って、わたくしの薄紫のうちきの袖を掴み、その場を立ち去ろうとしました。


 でも、大丈夫。


 ヤヨイ姉様が市女笠いちめがさから垂れている薄布を優雅に右手でそっと押し上げますと、それまで賑わっていた茶屋が一瞬で静かになりますから。


 その次は皆様からのお誘いが、それはまるでりのように一斉に始まるのがつね


「お嬢さん。よかったら、私の隣にどうぞ」


「いやいや、俺の隣へどうぞ。お菓子でも一緒にどうです?」


「お疲れであろう。ぜひこちらへ!」


 うふふ。

 男の方は本当に可愛いらしい。


 ヤヨイ姉様の目利きは素晴らしいものがあります。


 わたくしたちを招きいれようとする多くの殿方の中でも一番素敵な方を即座に見つけることができるのです。


 今日も。


「あのお席にお邪魔させていただきましょう。ムラサキ、いかが?」


 お姉様は騒めく男衆の中ではなく、一人静かに茶を飲んでいる男を見ていました。もちろん、わたくしも賛成し、あれあれ? という皆様の視線をかいくぐり、その男の前に立ちました。


「お隣、よろしいかしら?」


 わたくしが声を掛けると、その男はハッとした様子で、「これはすまない」と置いてあった、ご自分の荷物を縁台から地面に降ろすと、席を空けてくださいましたの。


 どうやら、声をかけるまでわたくしたち姉妹の存在に気づいていなかったようで、顔を見るや否や顔を赤らめ少し慌てておいででした。


 とても可愛らしい方。

 しかも大変な男前ときています。


「ありがとうございます。では、ご一緒させていただきますわね」


 桜の花びらであしらえたような淡い桃色のうちきを羽織ったヤヨイ姉様は、茶屋の周囲に咲き誇っている満開の桜から現れた花の精のよう。


 妹のわたくしでさえ、ため息が出るほどの華やかさを誇っておりました。


 そんな美しい女人がにっこり笑いかけようものなら、ほとんどの殿方は何でも言うことを聞いてくださいます。


 当然、誘ったのに乗ってこなかったわたくしたちへの男衆の視線は痛いものがありますが、まあ、それは慣れておりますので。


 気にせずに、三人は甘いお団子と程よく苦味のあるお茶をいただきながら、道中の面白い話などを談笑いたしました。


 埃っぽい山々の旅の一時の安らぎの時間ですわ。


「では、お二人は都の方なのですね」


「ええ。舞を二人して披露するお約束がありまして、巡業の旅から戻ってきたところですの」


「それはそれは。私なんぞは、ただ忙しいだけの色気も何もない無粋な商いをするだけですよ」


 素敵な男性は皆そうなのですが、やすやすと懐に入れていただけません。この男には既に美しい奥方とか、目に入れても痛くないほどの可愛いお子がいるとか。


 まあ、ともかく順風満帆な生活を既に手に入れているか、商いに精を出しすぎて女に目を向ける暇がないか。といったところでしょうか。


 いずれにせよ、何かで満たされている男性は大変魅力的に映るものです。


「忙しいということは良いことですわね。わたくしどもは貴族でも後ろ盾があるわけでもございませんので、二人で自由に生きられるようにと、幼少の頃から母に習い、和歌に舞踏、歌と芸能に精進してまいりました。おかげさまで、ご覧の通り、双子の姉妹ということもあり、楽しく諸国を旅しておりますのよ」


 歌うようにヤヨイ姉様の滑らかな口上に、男の顔は大きく頷きながら感心されているようです。互いの生業なりわいについて質問しあったり、反対にこちらから男の商いに提案をしてみたり。


 色気のない会話ではありましたが、双方、有意義な会話になったと思います。


「少し失礼いたします」


「お姉様、どちらへ?」


 ヤヨイ姉様はにっこりとお笑いになり、縁台からそっと立ち上がったかと思えば、今度は近くの桜の木の方へ歩き出しましたの。


 そう、風に吹かれては散る花びらを愛でておいででした。


「ヤヨイ殿は聡明な上に美しい方ですね。あ、もちろん、あなたもですよ」


「ふふ。お姉様は美しいだけではありませんことよ。とても強い方なのです」


「ほう。確かに芯のある方とお見受けする。しかし、あのように可憐な姿を見れば、男は皆、お守りしたい、そう思うでしょうよ」


 わたくしは桜の木の下にいるヤヨイ姉様をつい目で追ってしまう男の横顔にほくそ笑みました。


「男の方に守って頂いたことなんて……。あの時も無用心だったわたくしのせいで、お姉様は身代わりに野党の手にかかり。あ、ごめんなさい。このような話は茶屋でするものではありませんね。どうかヤヨイ姉様には内緒に」


 とんでもないことを話してしまったと、わたくしうつむきました。隣に座る男の膝に置かれていた握り拳が小刻みに震えておりました。


 この男を心から愛おしいと思えた瞬間でもありました。


 何も知らぬヤヨイ姉様はお花見を堪能した様子で、わたくしどもの元へ楽しげに戻ってまいりました。


 やり場のない憤(いきどお)りに震え、苦しんでいる男の泣きそうな顔を覗き込むように、ヤヨイ姉様は心配そうに膝を折ると、子供にしてやるように男の震える拳にそっと手を重ねたのでございます。


「どうされたのです? 何か悲しいことでも?」


「いえ、何でもありません……」


 重ねられたお姉様の手を避けることなく、男はヤヨイ姉様から伝わる体温を感じていたに違いありません。


 清らかで花のように微笑む美しい笑顔の背後には、妹を救うために野党にその身を差し出した勇気、健気さ、そして、そんな痛ましい過去があることを知ってしまった男の心にはどのような模様が描かれていたのでしょう。


「本当に? 顔色が良くありませんわ」


「そうだわ、ヤヨイ姉様。我が家にご案内しては?」


「それはいいわね。お礼もしたいですし。あばら家ですけど、ぜひお立ち寄りくださいませ」


 男は急な申し出に驚いているようでしたが、わたくしは自分の役目を果たすように、男の耳元でささやいたのです。


「お姉様は久しぶりのお客人が嬉しいのです。どうかここは」


 可哀想な身の上のお姉様を思い、その喜びを消すようなことはすまいと覚悟したのか、男は「喜んで」とヤヨイ姉様に快諾してくださいました。


 お優しい方でしょう?


 お姉様はいつの間にやら勘定を終わらせており、恐縮する男を急かすように、わたくしたちは嬉々として茶屋を出たのであります。


 ヤヨイ姉様もなんだかはしゃいでいるようで笑えます。


 男は急展開に追いつけず、ふわふわとした足取り。

 この先が思いやられますわ。


 久しぶりにありつく甘いお菓子に、それはもう胸が踊っております。


 お姉様の隣を照れながら歩く男の後ろ姿をうっとりと見つめながら、わたくしたち三人は峠の奥へ、奥へと進んで参ります。


 そこから先はここでは語りますまい。


 おしまい。

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峠の茶屋で会ったが百年目 くにたりん @fruitbat702

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