カノジョノトナリ

古朗伍

カノジョノトナリ

「アニ――アニキ!」

「んあ?」


 バサバサと、顔に乗せていた本が落ちる。

 どうやら俺は縁側に生える木の根元で、本を片手に昼寝をしていたらしい。


「まったく、普段は全然本を読まないクセに」


 俺の顔から芝生の上に落ちた本を拾い上げながら呆れるのは妹だった。最近、親の後を継いだ俺の補佐をするように言われて共に古い屋敷にいた。


「お前も暇だねぇ。別に四六時中、俺について無くてもいいだろ」


 別に文学的というわけでは無く、ただ転寝うたたねするよりは起こされにくいと思ったから本を持ち出したのだ。


「そ・う・じ!」

「俺の仕事か?」

「他人事みたいに言うな!」


 目の前の屋敷は、中学まで寝泊まりしていた祖父の実家である。


「ほら、掃除するよ!」


 どうやら妹は、掃除の人手を求めて睡眠を遮ったらしい。馬鹿デカイ屋敷を一人で掃除をするには日が暮れるどころでは済まないのだろう。


「にしても、ご先祖様は一体、何をしてここまで金を稼いだんだか」


 地方から外れた小さな村。そこにある屋敷は庭も含めてかなりの広さがある。もともと、この辺りの土地は全て俺の先祖が管理していたらしく、村に住む者達は全てが身内だ。

 祖父さんが管理していたが、数年前に他界してからその権利は両親に移った。

 しかし、仕事の関係から管理が難しなったのだが妹が管理すると強く希望したこともあり、一時的な措置として会社勤めをして働いていた俺に白羽の矢が立ったのだった。


「箒! 雑巾! おっけー!」


 元は妹が祖父さんの後を継ぐつもりで色々と勉強していたようだが、妹はまだ14歳。正式に後を継げる年齢までは俺が仮で“当主”をやることになった。

 当の妹は祖父さんが死んだ時はかなり泣いていたクセに今では、旅館として貸し出したらどうかな? といった感じで屋敷を使う事にはかなり乗り気だ。


「面倒くせぇな。業者に頼もうぜ」


 湯水のごとく金はあるのだ。両親も私用と法に触れない程度ならば好きに使って良いと言っている。掃除に業者を呼ぶくらいは問題ないだろう。


「最初は自分たちで掃除して、色々と把握しておけってお父さんも言ってたでしょ!」

「見ただけで部屋が20はあるんだが……」

「全部やるよ!」

「マジかよ……」


 何日かかるんだか。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 まだ、祖父さんが生きていた中学の頃から俺は別に特別なことをしようとは思わなかった。

 運動も勉強も平凡で、それなりの友だち付き合いも気の合う人間同士と行い、小学が田舎である以外は変わった事は無い。受験やら就職活動やら、必要な壁は十分に乗り越えて人並みに忙しい毎日を送るのだと至極一般的な人生を疑う事はなかった。

 ただ、一つだけ……その他大勢の凡人と違う点は自分では気づかなかった部分だった。


「結構さ。断るにも神経を使うんだよね」


 そう言いながら俺の少し前を歩くのは、同じ中学に通う幼馴染の女子生徒。

 後ろでまとめたポニーテールが健康的で、大きな目に幼さの残る口元と整った鼻筋は爛漫な性格と相まって美少女に分類されるらしい。

 生まれ育った地元は小学校までしかなく、中学は駅を数駅乗り継ぐ必要がある。中学受験は無事に乗り越えることが出来、二人とも進学は無難に行えた。


「お前、ウザいとか言われねぇ?」


 田舎では駅から村まで5キロ近くある。加えて、“ど”がつくほどの田舎でもある為、駅を降りる人間など片手で数えるほどしかいない。若い人間で言えば、まだ村で暮らす俺と幼馴染くらいだった。


「学校ではそんなこと言われた事ないんだけどなぁ」


 幼馴染補正? 余裕ですか? と言いながらも幼馴染は、にししと歯を見せて笑う。俺からの悪態は慣れっこと言わんばかりの様子だ。


「いつも言われるんだけどさ、あたし、可愛いらしいよ?」

「……は?」


 思わず、そんな間抜けな言葉が口から飛び出した。

 確かに、友達からも幼馴染の事を聞かれたり、その他大勢の中に混ざっていれば目を惹くような輝かしさはある。だが、俺からすれば見慣れたモノなのでソレが普通だった。

 その普通だけが異質であると気づいたのは、中学に入ってから他の女子といる幼馴染を見てからである。


 身内にも美形が多く居ることもあって、それが普通だと思い込んでいた。小学の全校生徒も中学の一クラスよりも少なかったし、比較対象があまりにも少なかったのも起因だろう。


「可愛いってさ」


 上目遣いで自分に指を差しながら色気を出してくる幼馴染。どちらかというと、俺は彼女のことは異性と言うよりも何かと一歩前に出ている――乗り越える“壁”のような印象が強かった。

 恋愛というのは、隣に立ちたいと思った者同士が行う行為だと俺は思っている。唯一、俺が幼馴染より勝っているのは身長と体重くらい。他は何もかも劣っている。


「何かを求めるってさ、きっと自分のモノにしたいって気持ちが強く出るからなんだろうね。だから、異性は自分よりも“美しいモノ”を側に置きたくなるんだって」


 くるっと振り返った幼馴染は背を向けて田舎道を歩き出す。いつもの帰路は、お互いに学校での不満や隠し事を言い合う、俺達だけの時間にもなっていた。


「好きだから……自分のモノになって欲しい。何で、って訊くと、可愛いからって皆言うの」

「人は自分が持ってないモノは欲しいもんだ。お前がソレなんだろ」


 幼馴染は可愛い。学校では友達も先輩も先生も認めている。これだけ彼女に注目が集まるのは、他には無い――唯一無二だからだろう。ずっと側にいた俺は特に考えた事も無かったが。

 その美少女ぶりは最近はそれなりの芸能事務所から連絡がかかってきてるらしく、小母さんが嬉しそうに、こまったわ~、と言っていた。あまり浮いた話が好きではない小父さんは、中学の内は学業優先だ! と何かと理由をつけて阻止しているらしい。(幼馴染の本人はどっちでも良いようだが)

 そこまで騒ぎになって俺はようやく、幼馴染は世間も認めるほどに高水準だと知った。


「ねぇ、サッ君はあたしに告白する時はなんて言う?」

「なんて言って欲しいんだ?」


 特に考えもせずそんな言葉を口にする。見慣れたからか、俺は幼馴染の事を異性として意識したことはない。そして、幼馴染も俺の反応をその一言で読み取ったように、


「そうだよね」


 と残念そうに小さく呟いた。

 困っている顔を見るのは好きじゃない。その辺りは長い付き合いなので、毎度ながら適当にフォローを入れる。


「……――――――かな」


 すると、


「あっは! 馬鹿みたいにサッ君らしい」

「テメェ……」


 お腹を抱えて幼馴染は爆笑を始めた。どこがツボだったのか全く理解できないが笑い泣きする程に至る。

 少し恥ずかしくなって俺が拳骨を作ると、暴力はんたーい、と茶化されるのだった。






 高校受験で幼馴染と同じ高校を受けた理由は、対抗意識からだったのだろう。

 好きだとか、一緒に居たい、と言った事よりもハイスペックな幼馴染に対して一度でも何か負かせたいと言う思いが強かったからだ。

 中学までやらなかった部活に高校から入ったのもその延長。と言っても運動系ではなかったが。


「…………」


 座って向かい合う競技なんて、将棋以外にはあまり思いつかない。俺の入った将棋部は掛け持ちをする人が多い。

 その為、掛け持ちのない部員は部長と俺くらいしか居らず、放課後の部室はクラスの友達のたまり場になっていた。

 とは言っても、皆気の良い奴らばかりなので、不良まがいな事は起こっていない。せいぜい、放課後に駄弁るところとして目を付けただけ。顧問が年をくった爺さんと言うこともあるので部活の監督は部長に任せっきりだった。


「王手」


 眼鏡をかけた女子生徒の部長の一手が放たれ、俺は投了した。


「どこが悪かったですかね?」

「うーむ、やっぱりここじゃない? 角をここに打った事で――」


 感想会をしながら欠点を洗い出す。得意な戦型の欠点を突かれた形で負けてしまったのだからその辺りの対策をしなければ、一週間後の大会では不安が残る形になる。


「あ、そうか……でもそうなるとここに歩を打った段階でこの流れになりますかね?」

「そうだね。ならここに角を腰かければ――」


 久しぶりに格上と対局した事で、欠点がどんどん出てきた。大会ではこの穴を突かれると一気に形が崩れて敗北が濃厚になる。


「大会まで後一週間。大会はいろんな眼があるから、この欠点をなんとかしておかないと、対策に対応できないよ」

「はい」


 部長はスマホの時間を確認する。


「それじゃ、今日はもう一局やって上がろうか」

「こんにちは~」


 駒を並べ直した所で、部室の扉が開いた。開けたのは幼馴染。扉の隙間から部室の中を覗き込んでくる。


「部長さん。いつも城理君がお世話になってます」


 深々と頭を下げる幼馴染に怪訝な顔を向けて悪態をつく。それが良い感じの悪ふざけなのだと解っているから俺は、歓迎出来なかった。


「……何しに来た?」

「タイミングが良かったから。一緒に帰ろうと思ってさ」

「わりぃな。タイミングが悪い。今からもう一局する――」

「城里。今日はここまでにしよう」


 部長は立ち上がると戸締まりと片付けをよろしく、と言い残して俺が何か言う前にそそくさと部室を後にして行った。


「お前さ。邪魔しに来るなよ」


 呆れながらも駒を片付けようとすると、対局側の席に幼馴染が座る。


「何度も連絡入れてたんだけど?」

「一人で帰れよ」


 と、幼馴染は喋りながらも駒を並べ始めた。


「帰ろうと思ったんだけどね。サッ君はそう言う人だし」


 全ての駒を並べ終わる。バラバラに散らばったのは俺の陣営の駒だけになった。


「だから、サッ君の現役分野で勝負してあげようと思って」


 盤上を指差しながら、にしし、と幼馴染は笑う。いつも、俺を一方的にからかうその顔は、高校生になっても全く変っていない。


「……上等だ。やってやるよ」

「私が勝ったら、何してもらおうかな~」

「万が一にもねぇよ」

「お、言うようになったね~。勝負事じゃ一度も勝ったことないくせに♪」

「これは俺の土俵だ」

「じゃあ、私が勝ったらマンションまでエスコートしてね」

「俺が勝ったら、サッ君って二度と呼ぶな」

「えー、可愛いのに――」


 その言葉をかき消すように俺は盤上に、バチィ! と力任せに先行の一手を打つ。幼馴染のそんな挑発に乗る俺も小さい頃から全く変わっていなかった。






「はぁ……」


 負けた俺はコンビニの駐車場で幼馴染を待っていた。高校に入ってから、俺達は田舎を出て、それぞれマンションを借りて一人暮らしをしている。

 幼い頃から両親は海外で仕事をしており、小さい頃は田舎の祖父さんの元で生活していた。寂しい思いをさせているという自覚があるらしく、金銭面的な援助は何も言わずに承諾してくれる。こちらから連絡しても中々繋がらないが。

 幼馴染は高校デビューの第一歩! とか言って両親を丸め込んだらしい。


「遅ぇな……」


 ガラス張りから店内に居る幼馴染を見ると、まだ夕食の弁当を吟味している様子を確認した。


「ったく――」


 一言、言ってやろうとコンビニへ入ろうと――


「ん? よう」


 コンビニに入ろうとするクラスの友達と遭遇した。友達は野球部に所属し、席が近いことからそれなりに話す間柄だ。俺も、おう、と挨拶を返す。


「部活帰りか?」

「まぁな。そっちは将棋部だろ? こんな遅くまでやってんの?」

「一週間後に大会でな」

「あー、そうか。文系は無理しても問題ねぇのか」


 運動部は試合が近づくと、過剰な練習は避けて疲労を持ち越さないように調整する。しかし、文系の部活でも将棋部にはその調整は必要ない。むしろ、ギリギリまで詰め込む。


「しかし、一週間後ねぇ。勝てそうなのか?」

「自信は喪失中だ……」


 わはは、と友達は笑う。競技人口の多い部活は学年別で対応の差が大きい。俺たちはまだ一年なので、雑務や基礎練習が多い。間違ってもボールなんて打たせてもらえないと、教室でも良くぼやいている。

 すると、友達はガラスを挟んで向こうにある雑誌の一つを見つけて指さした。


「おいおい、お前の幼馴染、ここにもいるじゃねーか」


 それはグラビアの写真集。若手で新参とされている者達を中心に作られた特集である。その表紙を幼馴染が飾っていた。


「…………」


 不思議と俺は笑みを浮かべていた。下品な意味ではない。アイツが輝いている様子にどこか嬉しくなったのだ。


「おいおい、何にヤケけてんだよ」

「ニヤけてねぇ」


 肩を組んでくる友達に指摘されていつもの仏頂面に戻す。アイツに見られるとなんて、からかわれるのか分かったモノじゃない。


「ニヤけてたよぉ?」


 空いている肩に寄ってきた幼馴染は、ばっちり見ていたと、ニヤつく。


「よ、よお、桜」


 友達は居るとは思っていなかった幼馴染の出現に少し驚きの様子で俺から離れる。


「どもども。部活帰り? 野球部は大変でしょ?」

「ま、まぁな」


 おい、友達。声がきょどってるぞ。


「あたしも大変でさ。やっぱり、城里君みたいに文系の部活に入れば良かったよ」


 コイツは二人きりの時以外では、俺のことをサッ君とは言わず名字で呼んでいる。おかげで変なあだ名が定着しなくて助かっているが、電話の着信表示に「サッ君」て着けているのはやめさせよう。


「そ、そうか。じゃあ、またな」


 そう言いながら友達は逃げるように去って行った。部活頑張ってねー、と声を掛けられた時に、妙に友達にやる気が満ちていた。


「現金な奴だな」

「いいじゃん。ひねくれてるよりも、単純なほうが可愛げがあるよ?」


 俺への当てつけなのか、にやり、と視線を向けてくる。


「全く。お前が――」


 男だったらと思う事が何度もある。そうすれば俺だけが一方的に追いかけるだけじゃなくて、ライバルのように見ることも出来たかもしれない。


「? なに?」

「なんでもねぇ」


 高校生にもなるとお互いに身体も精神も出来上がってくる。その内俺も友達のように、コイツに対して特別な感情を覚えるようになるだろうか。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「ほらよ」


 屋敷の掃除を一段落させ、自動車で駅の近くにあるコンビニまで二人分の昼飯を買いに行った俺は、つくづく都会での暮らしが便利だと実感していた。

 片道30分はかかる田舎道は、初夏の始まった今の時期で、クーラーの壊れた軽トラで走るのはなかなかつらい。


「ありがと」


 妹はタオルを肩にかけて麦茶を飲みながらテレビを見ている。髪が少しだけ濡れているのは昼風呂にでも入ったのだろう。


「どうせ埃まみれになるぞ」

「別にお風呂は源泉垂れ流しだし。アニキも入ってこれば?」


 妹はコンビニの袋をガサガサと漁り、その中にある飲み物を取り出す。

 屋敷の敷地内に温泉が湧いている。この馬鹿みたいに広い屋敷は、一家族が暮らすにしては広すぎる事もあり、村の集会場などの役割も多々あった。

 今は過疎化も進み、村の行事も少なくなっているので昔ほどは使われなくなったが。


「ほら、カナ姉が出てる」


 妹がつけて居た番組は、平日の昼間にあるインタビュー番組。今話題の女優が番組司会者から質問を投げかけられていた。


『今、様々な役者をこなしていますけど、そういった経験が?』

『いえ、家族にもそういう事を教えてくれる人は居ませんでしたし、関わりもなかったですよ。高校の部活はバレー部でしたし』

『それなら大変でしょう? ノウハウもなく一から学ばないといけないのでは?』

『その辺りは色々な方に助けられてます。先輩の方々にも厳しく指導してもらっているので、なんとか役作りが出来ています』

『初の雑誌デビューは高校の時だってそうですね』

『ずいぶん早いでしょう? 私も早すぎるんじゃないかなーって思ったんですけど一度は挑戦してみようかと』

『その向上心が現在に結びついている訳ですね』

『そう言う所は生活してた環境から学んだと思います』

『確か、○県の○村の出身だとか?』

『皆さんが引くくらい、ド田舎ですよ。バスはなくて、コンビニも駅にしかありませんし、スーパーは車で二時間の所で、野菜とか魚をその日の分だけとって食べるんです』

『ですが、驚くほど体力があると評判ですよね』

『山育ちですから。小さい頃は、山の中を走り回って虫とか兎とかを追いかけるくらいしか娯楽が無かったんです』

『それは楽しそうですね』

『でも町に出るとそれが珍しいくらい皆さんおとなしいですよね。携帯ゲームしてる人を見たのは中学が初めてでしたよ。あはは』

『では、幼馴染は皆、同じような境遇だったのでは?』

『はい。たぶん、中学に行ってから私も含めて皆、田舎丸出しでした。馬鹿にされた事もありましたけど、そこは田舎者同士で徒党を組んで』

『戦いは数だと言いますからね』

『質が揃ってましたからね。生半可なグループには当たり負けしませんでしたよ。流石に高校は殆ど別々な所に行きましたけど』

『殆ど、と言うことは、何人かは同じ高校に?』

『はい。中学まで同じように過ごした幼馴染と一緒の高校に』


 そこで、幼馴染は視線をカメラに向けて手を振る。それはこの番組を見ているであろう俺に対する対応であると、呆れてため息が出た。


「これ、アニキの事でしょ? ひゅーひゅー」


 現役中学生がウザい。アイツはどこに居ても俺をからかっているのだ。番組はCMに入り、テロップでは『人気女優の幼馴染に迫る!?』とか出てるし、面倒くせぇ世の中だよ、ほんと。


「飯食ったら再開するぞ。今日中に一通り部屋を全部見るんだろ」

「急にやる気じゃん。別にあたしは番組の続き見ても良いけど?」

「人の昼寝を強制的に起こしておいてどの口が言うか」


 はーい、と自分の蒔いた種がブーメランのように返ってきた事に納得した妹はコンビニの袋から弁当を取り出す。

 残念だけどな、妹。お前にからかわれるほど俺は落ちちゃいない。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 一手が重い。

 将棋部の大会は、総当たり戦である。三対三。勝ちの多い方が白星。白星の一番多い学校が優勝というルールだ。


「参りました」


 隣で副部長が相手の選手から白星を取った。


「……ありません。参りました」


 だが、部長は身内にプロを持つ相手に終始圧倒され黒星になってしまう。つまり、俺の勝敗がチームの勝敗になる。


「…………」


 しかし、盤上の様子は芳しくない。一手一手打つ度、打たれる度にこれで良かったのかと思考の沼に沈んでいく。

 得意な戦型は序盤で潰された。今は、陸地の見えない大海にボート一つで繰り出している状況に近い。


「…………」


 パチッと、今考えられるだけの最善手を打つ。だが、相手は即、一手を打ってくる。

 まさか。もう詰んでるのか……?

 殆ど間を置かずに相手は駒を打った。勝ち筋が見えているのかも知れない。


「…………」


 思考が止まる。どこに何を打てば良いのか分からない。試合では助言が禁止されており、部長も副部長も無言で俺の対局を待っている。

 クソ……どこに打てば――


「残り5分です」


 審判をしている他校の顧問が時間を知らせる。相手はまだ10分以上残っていた。持ち駒を持つ。だが、どこに打てばいいのか分からずに手が止まった。


「…………」


 どこに打っても悪手にしか見えない。盤上が歪んで――

 その時、ガタガタとぶつかる音がした。入り口の近くにあるパイプ椅子に足を引っかけた観客が居たようだ。

 対局中でない人間が注目する。音を鳴らした観客は、すいませーん、と愛想笑いを浮かべながら謝っていた。


「――――ったくよ。今日は学校だろうが」


 眼鏡に三つ編みとか、いつの時代の変装だよ。

 思わず笑みがこぼれる。状況は何も変わっていないにもかかわらず、よく盤面が見えた。






「で、負けかい!」

「うっせーな!」


 大会が終わった帰り道、盛大なツッコミをもらった俺は、眼鏡に三つ編みの変装をした幼馴染と帰路についていた。


「ていうか、お前……今日は平日だろ。何サボってんだ」

「今日は撮影があってねー。午前中で学校は上がらせてもらったの」

「マジか……よく先生が許可出したな」

「そんなわけないじゃん。仮病だよ、仮病」

「不良娘が。小父さんが知ったら泣くぞ」

「あはは」


 例の写真集から、幼馴染のグラビアデビューは始まっていた。中学の頃に出た話を、一度だけということで小父さんも承諾したようだったが、当人が続けたいと言ったため、芸能活動は続いている。今では学校内でも有名なアイドルのように見られており、世間でも話題になっていた。


「撮影に使った水着姿。み・た・い?」

「…………いや」

「お、今考えたっしょ?」


 にしし、と歯を見せて笑う様子は、地味な変装でも整ったパーツとオーラがにじみ出ている。輝くと言うのはこういうことなのだろう。


「やっぱり……全然だな」

「ん? 何か言った?」

「何も言ってねぇ」


 幼馴染は一人でも進んでいると言うのに俺は全然だめだ。越えるべき壁はまだまだ高い。






 数日後。


「だから、ごめんって」


 俺の部屋に宿題を写しに来た幼馴染は、ばつの悪そうな顔で正座して座っていた。


「宿題を写しに来るのは忙しいから仕方ないとして……」


 小さなちゃぶ台の上には週刊文集の記事が置かれており、そこには大会の帰りに幼馴染と俺が歩いている姿が写真に収められている。

 眼鏡疲れたの。てへ★、とか言って、いつの間にか素顔で歩いている所を気づかなかった俺も悪いのだが。


「でもさ、良かったじゃん! アンタも写真デビュー!」

「……足枷になりたくないんだよ」


 彼女に関する物事は敏感に世間で反応される時期だ。何がきっかけで社会的に排除されるか分かったものではない。

 幼馴染の活動に応援もするし、困ったことがあれば助けてあげたいとも思っている。だが、これは違う。彼女とこうして顔を合わせる事で足を引っ張ることになるのなら――


「しばらく、接触は控えるか。ノート見せて欲しかったら携帯に連絡しろよ。ポストに入れておいてやるから――」


 バンッ! と、ちゃぶ台を叩いて幼馴染は立ち上がった。


「あのさ……あたしのことを一番に考えてるみたいな感じだけど、アンタは自分の事ばかりじゃない」

「……は?」


 何を言ってんだコイツ。


「自分でも分からないの? アンタの心得なんてあたしにはどーでもいいのよ。そんなのは誰も評価してくれる訳じゃ無いでしょ!」

「おいおい少し落ち着け――」

「別に冷静ですけど? アンタは逃げてるだけでしょ?」


 腕を組んで幼馴染は俺を見下ろす。


「あたしはアンタのことをよく知ってるわよ。こう言う事で気を使う奴だって思ってた。けどね、ここまでしないと気づきもしなかったでしょ!」


 幼馴染は一度呼吸を整える。


「ずっと、アンタの側に居たんだから。これからも同じようにしたら、なんでダメなのよ」


 アイツが俺に対して怒ったのは、それが最初で最後だった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 今日一日で出来る屋敷の掃除を一段落させて、母屋から離れた場所にある温泉に浸かっていた。妹は夜飯を買いに自転車に跨がってコンビニに向かったので今はこの広い屋敷で一人だけだ。軽トラもあるのだが、運動する、とか言って妹は意気揚々と出て行ったのだ。


「……三人でも広いと思ってたけどな」


 物心ついた時から祖父さんが親代わりだった。両親との記憶なんて殆ど無い。誕生日に電話とプレゼントが届いたくらいだ。妹も同じような境遇だ。


「クソジジィ。老衰以外じゃ死なないんじゃ無かったのかよ」


 ずっと前からガンを患っていたと聞いたのは、祖父さんの葬儀に立ち会った時に幼馴染の親からだった。しかも、妹の目の前で倒れて、そのまま意識も戻らずこの世を去ったのだ。

 流石に親父とお袋も葬式には参列したが、必要な事が終わるとあっさり帰っていた。その時、妹も着いて行くかと思ったが、祖父さんの後を継ぐことを強く決意したため、二十歳になるまで俺が保護者代わりを努めることになったのだ。


 祖父さんは、側に居られない親を恨むな、と俺と妹に言い聞かせるように何度も言っていた。その教えがあったからか、両親を恨んだことは無い。ただ、


「……」


 心にぽっかりと空いた穴はどうやっても埋めようが無い。それは仕事にも影響が出るほどで、ようやく馴染んできた仕事を辞めてここに来たのは、半分は自分の意思でもあった。


「あー、やべぇなこりゃ」


 俺は湯に長く浸かると眠くなる体質だった。その為、一人暮らしの時はシャワーで済ませていたが、屋敷で暮らしていた頃は絶対に一人で風呂に入るなと言われていた。

 だが、今は違う。アラームを設定した携帯を濡れないように袋に入れて近くに置いてある。もし寝こけても十分後にはけたたましい音を鳴り響く。


“なんだ、ちゃんと対策が取れてるじゃん”

 当たり前だ。いつまでも子供じゃ居られないからな。

“そっか。いつまでも子供じゃ居られないか”

 正直言ってさ、祖父さんが死んだって聞いてもあまり実感が湧かなかったんだよ。

“そうなの?”

 死んだところに立ち会わなかったからかな。柩に入った祖父さんも死んでるようには見えなかった。

“あれって色々と化粧してるらしいよ。後臭わないように処理もされてるってさ”

 なんでそんなこと知ってんだ?

“そりゃ調べるでしょ。あたしにとってもお祖父ちゃんみたいな存在だったし”

 お前はいつもそうだったよな。

“なにが?”

 何かと俺の知らないことを知ってて、俺に出来ないことを何でも出来た。

“あはは。過剰評価しすぎ”

 だからさ、思っちまったんだよ。コイツすげぇって。

“そこまで言われると少し照れるよ……”

 もし、俺が女だったら……こんな女になりたいって思えるくらい、お前に憧れてたんだと思う。

“私は違ったけどねー”

 だろうな。お前はずっとずっと先を見てた。俺なんかが想像もつかないような事を見てたんだろ? その隣に並びたかったんだが……やっぱり無理そうだ。

“諦めちゃうの?”

 妹が成人して屋敷の管理を引き継いだら、親父の所で働く事になってる。祖父さんの介護も必要なくなったし、妹もお前がいるなら問題ないだろ。

“そっか……”

 お前も忙しいと思うが、妹のこと頼むわ。て、言ってもまだ数年は先の話だが。

“一つだけさ”

 あ?

“ここに居る理由、増やさない?”


「――――」


 アラームが鳴り響いて、俺は意識を覚醒させた。

 場所は風呂場。一人だけで広い露天風呂に浸かっている。誰も居ないし、人の居た気配も無い。


「……どんだけ意識してんだよ」


 夢を見ていたようだ。よりにもよって、アイツとキスする夢とは……。しかも風呂場で。どこのエロゲだよ。


「……出るか」


 すると、起こっている生理現象に気づき、静めるために水をかぶった。






 居間に戻ると妹が帰ってきてテレビを見ているのか、話し声が聞こえた。加えて、線香の匂いも充満している。


「あの俳優の人とかと共演してるの!?」

「主役じゃなくて、脇役だけどね。次の演技では、キスシーンとかあってさ」

「大人の世界って感じ!」


 そこには、幼馴染と妹が、幼馴染が出演しているドラマを見ていた。テレビと現実の二カ所に同じ人間がいるのは中々出来る経験では無い。


「おひさ~」


 相変わらずの挨拶をしてくる幼馴染に少しだけ、目を合わせづらい。


「お、おう」


 さっきの“夢”がどことなく思い出され、少しだけ顔が赤くなる。風呂上がりなのでごまかせているハズ。


「びっくりしたよ。家に帰ると、カナ姉が居間でテレビ見てるんだもん。ほら、サインもらっちゃった」


 嬉しそうにシャツに書かれた油性ペンのサインを妹が見せる。お前、午後の作業で汗まみれになったそれを一生洗わないつもりか?


「風呂空いたぞ。さっさと入ってこい」

「カナ姉も入る?」

「当然」


 宿泊道具も持ってきている所を見ると、泊まっていくようだ。二人して露天風呂に向かった。


「買ってきたのは二人分だけか」


 コンビニの袋を調べると、流石に二人分しか買ってきていない。


「しょうがねぇな」


 風呂に入ったばかりだが、茹だった頭を冷やす為にも再びコンビニに買いに行くのもありだ。いや、行こう。一回冷静にならないと――


「忘れ物、忘れ物」


 と、幼馴染が持参したシャンプーなどを取りに戻ってくる。


「…………お前さ」

「なーに?」


 荷物を漁りながら幼馴染は返答する。


「さっき、風呂に入って来たか?」


 それは特に考えもせずに聞いてしまったと、口にしてから後悔した。その様子を悟った幼馴染は、にやりと笑って、


「なに? 一緒に入りたいの?」

「……悪い。忘れてくれ」


 顔を隠しながらその場を去る。馬鹿な質問をしたと赤くなった顔は見られていない……ハズだ。


「あはは、スケベ」

「うっせ……」


 完全に負け惜しみの台詞を吐く俺に、幼馴染は相変わらず笑うのだった。






 次の日。


「いやー悪いね。送ってもらっちゃって」


 軽トラを運転する俺は、助手席に座る幼馴染にそんなことを言われながら田舎道を走っていた。クーラーは壊れているので、窓を全開にして風通しを良くしている。


「そのアホみたいな図々しさは変わってねぇな」

「地元くらい気を抜いてもいいでしょ」


 風になびく髪は、昔と大して変わらない長さで、髪型も全く同じだった。


「昔はさ、いつも歩きだったよね」


 駅への田舎道はかつての通学路だった。自転車を使う事も多かったが、帰りはいつも押して歩いていた記憶が多い。今思えば、少しでも長く会話をしていたかったんだと思う。


「車で移動した時なんて軽トラの後ろに乗った時くらいだったし」

「お前が荷台から落ちた話だろ。アレは死んだと思った」

「私もだよ。アレは死んだと思った」


 俺としては少しだけ上げ足を取ろうとして出した話題だったが、少し失敗したと黙り込む。幼馴染は窓に肘を乗せて、風を受けながら思い出すように外を見る。


「あの時からなんだよね」

「……何がだ?」

「サッ君の事、格好いいって思ったの」


 幼馴染は歯を見せて笑う。その頬が少しだけ赤くなって見えるのは光加減の所為なのかもしれない。


「……サッ君を止めろって」


 風になびく髪が太陽の光に当てられる。変に意識してから幼馴染を綺麗だと思った。


「じゃあ、なんて呼んで欲しい?」


 にやり、と悪いことを思いついた笑み。

 相変わらず煽ってきやがる。いつもの様子に、さっきの熱が一気に冷めて、急に馬鹿馬鹿しくさえ思えてきた。


「…………サナエ」

「ようやく、認めたねぇ」

「なにが」

「名前を呼ぶの」


 にしし、といろんな笑顔を持つ幼馴染にそんな事が重要なのかと嘆息を吐く。


「高校の頃さ。喧嘩したじゃん」

「あれは喧嘩でいいのか?」


 言い合い……というよりは一方的に怒られただけだ。次の日にはギクシャクしながらもお互いに謝ってなんとも言えない空気になった。笑い話になるかどうかも微妙な出来事だった。


「まぁ、どっちかが喧嘩と思ってたら、喧嘩でいいんじゃ無い?」

「……そんなもんか」

「そんなものでしょ」


 喧嘩するほど仲が良いとか言うが、本音をぶつけ合わないと意味のないものだと学んだ事件でもある。

 交差点を抜けて駅が見えてきた。正面の路肩に軽トラを寄せると、ハザードをつけて停車する。


「着いたぞ」

「ありがと」


 んー、と幼馴染は伸びをすると、シートベルトを外し、荷台に置いた荷物を取る。


「サナエはさ、菊花ちゃんが成人したら海外に行くんでしょ?」

「まぁな。正確には親父の所で仕事をする。昨日の夜も話しただろ?」


 昨日の夜、飯を食べながら進捗状況をお互いに話していた。なんやかんやで、直に顔を合わせたのは祖父さんの葬式以来だ。実質、数年ぶりである。


「あ、サナエ。携帯、取ってくれない?」


 ダッシュボードの上に乗せられたスマホを見つけると、窓から差し出す。


「ちょっと届かない」


 シートベルトを外して、窓から半身を乗り出して手渡す。すると携帯を差し出した手を掴まれて引っ張られた――


「―― !」

「にしし、セカンドゲット。送ってくれたお礼。また来るから、送迎よろしくね。運転手さん」


 そう言いながら携帯を取った幼馴染は悪戯に成功したように、舌を出す。そしてホームへ歩いて行った。






『それで、その幼馴染は身を挺したと?』

『はい。子供って無邪気でしょ? 言われてた命綱を着けて無くて、軽トラの荷台から落ちた時、彼が守るように私を庇ってくれたんです』

『それは危険な事件でしたね』

『それ以来、彼に対して強い憧れを抱くようになったんですよ』

『憧れですか? 彼は男子でしょう?』

『まだ、性別の意識が曖昧の頃ですから。体つきも男子と殆ど変わらなかったですし、山育ちで考えが男寄りだったこともあって。それで――』


 彼女はその時のことを思い出すように言う。

 泣きじゃくる自分は、擦り傷だらけで動かない幼馴染が死んでしまうことが何よりも怖かったのだ。けど、彼はこう言った。


“ちゃんと、となりにいてやるから”


『もし、私が男だったら。咄嗟に誰かを助けられる――輝ける幼馴染のような男の子になりたいって思ったんです。まだ、叶ったわけではありませんが』


 それは平日の昼間にあったインタビュー番組。サナエとその妹は見なかった時のものだった。






「全く……アイツ、マジで訳わかんねぇ」


 アイツを送り届けてから、別れ際にキスされたことが今でも頭に残っていた。田舎道の途中で軽トラックを止めて、通行の邪魔にならないように端に寄る。


「…………はぁぁぁぁ」


 深くため息を吐く。何とも言えない気持ちが体温を高くする。今まで、そんな風に意識したことがなかったので、波が一気に来た感じだ。

 とにかく時間を置こう。そうすれば、前と同じようにアイツとも向き合えるハズ――


「……いや、それじゃただの逃げか」


 高校の頃の喧嘩を思い出す。


「気づきもしなかった……か」


 ずっと背中ばかり追いかけていたのだ。それがいきなり隣に立ちたいと思うのは、ハードルが上がりすぎだ。

 相手は話題の女優。片や、無職で数年後には海外に行くただの男。


“また来るから、送迎よろしくね”


「……他よりはチャンスがあるか」


 改めてアイツが好きだと自覚した俺は、素直に受け入れることにしてエンジンを掛けて軽トラを走らせた。


「……そういえば、セカンドってなんだ?」


 ふと浮かんだ疑問が解決するのは、次にアイツと顔を合わせた時であった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「ねぇ、サッ君はあたしに告白する時はなんて言う?」

「なんて言って欲しいんだ?」


 特に考えもせずそんな言葉を口にする。見慣れたからか、俺は幼馴染の事を異性として意識したことはない。そして、幼馴染も俺の反応をその一言で読み取ったように、


「そうだよね」


 と残念そうに小さく呟いた。

 困っている顔を見るのは好きじゃない。その辺りは長い付き合いなので、毎度ながら適当にフォローを入れる。


「……“ずっと隣に居たい”かな」


 すると、


「あっは! 馬鹿みたいにサッ君らしい」


 彼女は本当に嬉しそうに笑った。

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カノジョノトナリ 古朗伍 @furukawa

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