第13話


 朝、レイラは信じられないような幸せな気分で目が覚めた。

 隣に眠るのは、冷たくなった鈍竜ではなく、銀髪を持つ風のような人。まだ目覚めていないけれど、温かさが幻でないことを教えてくれる。

 風をつかまえた……ような気がした。

 でも、目が覚めたらまたどこかへ行ってしまいそうな気がして、起こす気になれない。

 再び目をつぶり、眠ったふりをしていよう。

 ただし、しっかり腕を握り締めたまま……。

 


 起きた時には、もうお昼に近い時間だった。時間がないと、セラファンは慌てている。

「私はねぇ、確かに風みたいな男かもしれないけれど、かわいそうなお年寄りから娘をかっさらって行くような男ではないんだ。ルーテルにもちゃんと納得するように話をするつもりだし……」

 セラファンは、このままレイラと逃げるつもりはないらしい。話しながらも、荷造りの手を休めない。

 イズーに戻るなんて、大騒動になるにちがいない。レイラは不安だった。

 もしかしたら、結婚したいなんて大嘘で、言葉巧みに騙してイズーに連れ帰ろうとしているのではないだろうか?


「あの……セラファン様?」

「何?」

 手を止め、振り返る。いつもの優しい微笑みと澄んだ瞳。嘘は感じられないが、どうしても確かめたくなるのだ。

「あの、考えていた求婚の言葉ですけれど、教えてください」

「え?」

 セラファンは、突然動揺した。目をぱちくりとせわしく動かして、一言。

「もう……別にいいでしょう?」

「いくないです!」 

「それって、もう大きな問題ではないでしょう?」

「私にとっては大きな問題なんです!」

「でも、もう解決したでしょう?」

「本当は考えてなんていないんだわ! 求婚なんて!」

 やはり、嘘八百並べて、イズーに連れ帰って、消えていなくなるつもりに違いない。レイラは腹をたてて怒鳴った。

「レイラ……」

「はい?」

 セラファンはそっと手を伸ばして、レイラの鼻を指差した。

「日焼けしましたね? 皮がむけていますよ」

「きゃーーーー!」

 慌てて洗面台に走り、鏡を覗き込むと、確かに鼻の皮がむけている。深窓の姫君であるはずの、エーデムの姫が……である。

 大変……と思って、レイラは気がついた。


 ――もう、こんなこと、気にしないわ。だって、社交界にでることもないんですもの。

 私、歌うたいと結婚するんだから。絶対に逃がさないんだから――


 振り返ると、セラファンはちょうど外に出るところだった。

 まんまと話をそらされたらしい。

「んもう!」

 レイラは悔しがった。



 外に飛び出すと、いい天気だった。風がすがすがしい。

 宿の前にはなぜか人だかりである。皆、レイラの顔をじろじろと見る。

 そういえば、昨日の夜もそうだった。たぶん、父が恥ずかしい内容のおふれを出したに違いない。

 案の定……。

「へぇ? このお嬢さんが金貨五千枚のお嬢さんかい?」

 などという声が聞こえてくる。父も奮発したものだ。

 レイラは慌てて宿の裏のうまやに向かった。

 そこでセラファンを捕まえた。

 彼は馬装を整えていて、そのまま馬で逃げるのでは? という有様だった。

「いや、ただ、食事前に馬の準備だけは……と思って。急ぐから……」

 レイラは怪しんだ。

 昨日はうっかり自分から告白してしまい、結局、未だに彼の口から求婚の言葉を聞いていない。

 だいたいセラファンという人物は、常ににこにこしていて、とらえどころがないのだ。しっかり捕まえておかないと、風のように去って行きそうな男なのである。


 二人は広場に面した食堂で遅めの朝食を取り、イズーを目指すことにした。

 食堂の娘が料理を運んできて、そして頬を染めて微笑んだ。

「あの……。もう一度、あの歌を聞きたいのですが……」

 パンをちぎろうとしていたセラファンが、思わずパンを落とした。

「あ、それは……その……」

「あんな情熱的な愛の歌を聞いたのは初めてですもの。もう一度、お聞きしたいです。父も母も、村の人たちも皆、そう言っています」

 情熱的な愛の歌? レイラは顔をしかめた。

 セラファンは、不機嫌そうに頬を染めた。

「どのような歌でした?」

「レイラ、聞かなくていいって……」

「いえ、私は聞きたいの!」

 少女はレイラの語気にびっくりしながらも、小さな声で説明した。

「それは、禁じられた恋人たちの悲しい歌で……」

「さあ、もう行こう! 時間がない」

 セラファンは、慌ててレイラの手を取ると、食堂を飛び出していった。


 サラでセラファンが歌った歌。

 それは、もう二度と人前では歌われないものかもしれない。だが、人の心には残ったのだ。


 あまりに切なく心迫るものがあったので、村人たちは涙を流し、金貨五千枚に情報を提供するよりも歌うたいに協力する気になった。

 これだけ混んでいる国境をレイラが越えているはずはない。ましてや、ベルヴィンの出した手配書を見て、通過させるとも思えない。

 そう考えて、翌朝、エーデム内を探そうと思って出かけようとしている歌うたいに、変わった旅人の話を聞かせたのは、食堂の女将さんだった。

「そういえばね。夕べの歌にあったお嬢さんだと思える人が……」

 リューマへ向かう道は混んでいる。出てゆくには順番待ちだった。

 しかし、歌を聞いて事情を理解していた人々は、順番をセラファンに譲ってくれた。


 パンを片手に持ちながら、レイラは少しご機嫌斜めだった。

 セラファン・エーデムは、レイラに愛の歌など歌って聞かせたことがない。

「歌って……いったい何ですの?」

「いいから……さあ、馬に乗って」

「乗ってあげてもいいですわ」

 レイラは、皮のむけた鼻をつんとさせる。セラファンは微笑みながら、彼女の手を引いて馬に乗せた。

「でも、歌って……何ですの?」

「日があるうちに帰りたい。急ぐよ!」

 飛ぶような速さで馬は走り出した。レイラは怖くてしがみつく。

 それでも、気になって仕方がないことがある。

 飛ぶように走る馬のうえで、レイラは何度もしつこく言い続けた。

「セラファン様……いいえ、メルロイ! イズーに着いたら絶対に歌を歌いなさい!」

 それこそ、セラファンが考えた求婚の言葉に違いない。

 さすがのレイラも気がついた。




=愛の歌をきかせて・終わり=

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愛の歌をきかせて =エーデムリング物語外伝= わたなべ りえ @riehime

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